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仮想現実を覆う影

 あてどもなく迷宮をさ迷う。鳥小屋の自室を飛び出して、もうどのくらい経った? ここはどこなんだ? 現実なのかVRなのか? ヘッドセットは叩き壊したハズだ。なら、この迷宮は一体? 俺は悪夢でも見ているのか?


 壁面に並ぶランプの明かりに照らされて、行く手の通路に小さな動物の影が動くのが見えた。人面ネズミか? ヴーアミ族か? それとも夢の中ならズーグ族か?


 猫だった。


 翡翠の様な光る眼をした小さな黒猫。何故こんな所に?


 猫は戸惑う俺をしばらく見つめていたが、退屈そうに欠伸(あくび)をすると、すぐ側の半開きの扉の隙間に入っていった。この扉……つい今まで無かった様な。

 扉の隙間からは明かりが漏れている。誰か居るのかもしれない。俺は猫に導かれるままに、その扉を開けた。


 うって変わって、落ち着いた感じの広間がそこにあった。


 さっきサキトと話した応接間くらいの広さか? だが、ピックマンの絵とソファセット以外に何も無かったあの殺風景な内装と違って、この広間には様々な調度品で満ちていた。


 特に目を引いたのは、部屋の各所に置かれたいくつもの鼎だった。あのゲームの記憶から、ここからあの落とし仔が飛び出して来るのではないかと一瞬身構えたが、鼎の中では香か何かが焚かれているらしく、そのロータスにも似た甘い芳香を含んだ煙が、さっきから異常な事態に襲われて昂っていた俺の神経と精神をいくらか和らげてくれた。


 部屋の中には他にも様々な彫像や、古びた本を多数納めた本棚が整然と並んでいたが、その中でも目立つのが、棺を象った大きな柱時計で、この時計が立てる奇妙な間隔で時を刻む音以外には何の物音も聞こえない。


 そうだ、さっきの猫は? 俺は猫を探して広間を見回したが、猫は部屋の奥に張られていた薄い(とばり)を潜って姿を消した。俺はその後を追うつもりで広間に入ったが、帳の向こうでランプかなにかの灯りが灯され、その光に照らされて帳に大きな人影が写ったので、俺は思わず広間の真ん中で立ち止まった。


「ここに来客とは珍しい」


 帳の向こう、ローブ姿にターバンか何かを被った人影の主は、おそらく英語で話しかけて来たが、その言葉の意味は直接俺の脳内に伝わって来た。バトラーと話した時と同じ仕掛けか? なら、会話は出来るハズだ。俺は人影に対して質問した。


「誰だ? あんたもバトラーの仲間か?」


「私は只の夢見るもの。少し長く生きすぎたので、過去の記憶が曖昧になっている。バトラーなる者は知らない」


「なら、ここは何処だ? まだ俺は仮想空間の中にいるのか?」


 俺の問いに彼は大きく哄笑を上げた。


「これはこれは。ここまで来ていながら、君はまだこの世界の真実を知らぬと見える。まだも何も、君たちはずっと永い間、今に至るまで、仮想の現実に囚われているのだよ」


「どう言う事だ?」


「ここまで来れたと言う事は、君は旧支配者や異次元の神々についての幾ばくかの知識を持ってると思う」


そう言いながら、人影は大きく両手を広げて先を続けた。


「あの地球なる、ちっぽけな惑星で起きた旧き神々の争いと、それによって引き起こされた幾つもの種族の戦争。それらが終わった後に出現した新たな種族……人類。この哀れな生物の脆弱な脳髄と精神は、旧支配者の存在とその影響に耐えられなかった。この世界の真実、そして旧支配者の存在を認知した人物は、極わずかな選ばれた者を別にすれば、その殆どが発狂するか、貧弱な脳がその負荷に耐えきれずに狂死した」


 香の臭いがキツく感じられてきた。これも何かの罠か? 俺は自分と人影を隔てる帳を引き千切りたい衝動に狩られたが、まだ奴の話を聞くことにした。


「それでも人類は存外にしぶとく、生き汚かった。まるで喰屍鬼かガストの様にね。彼らは自らの脆弱な精神を守るために、旧支配者や真実の世界について一旦忘却した。その上で自分達の頭で考え出した仮想の神々を崇め、彼らなりの科学や哲学といった仮想の真実で、世界を隈無く覆い尽くしたのだよ。この世界の真実を知ろうとする者達には容赦の無い規制や弾圧が課せられ、多くの血が流された。馬鹿げた事だ」


 いつの間にか、人影の形が変わっていた。スーツ姿のやや長身の身体に面長の顔。頭の中一杯に、彼の声と時計の音が響いて思考が纏まらない。


「だが次第に星も動き始め、この仮想現実の世界にも再び旧支配者の影が覆いつつある。人類の中にも、それを感じ取った感受性の強い者達が、彫刻や絵画あるいは小説の形でそれを表した。それでも、何千年もの時を掛けてそれなりに強固に積み上げられた、この仮想現実の壁は、彼らの真実を伝えた創作物を巧妙に世界の表舞台から抹殺し、それでも収まらなかった物も、どうにか娯楽の段階で封じ込めた」


 誰の事を言ってるのか、なんとなく察したので、半分ボケた思考を振り絞って返答した。


「……ラヴクラフトの事を言っているのか?」


 面長の影を持つ男は、嘲笑まじりに答えを寄越した。気のせいか、また人影の形状が歪み始めた。


「あの小説群がこの世界の行く末を予言してたと思うかね? それとも、一個人の非常に強力な妄想が創作を介して世界を自らの描く世界に引き寄せたか? ならば、この世は一人の作家が見た夢か? それとも、それも含めて別の何者かが見ている夢の世界の中なのか?」


 そう言いながらも、更にそのシルエットは変容していく。人の形をどうにか保ちながらも、どことなく昆虫を連想させる(いびつ)な姿に。


「我らは何者かの脳髄が産み出した、宇宙と言う名の出口の無い迷宮の囚人なのか?」


 彼は帳に近づいて来た。帳一杯に、かれの不気味なシルエットが照らし出される。逃げた方が良いのは判ってるが、またも身体が金縛りにあったかの様に動かない!


「それももうすぐ判るかもしれない。じきに人類が必死に築き上げた仮想現実の壁も崩れ落ちて、世界の在り様がハッキリと見えるだろう。だが、その姿を見ることが出来るのは、この世界の外側にいる者(アウトサイダー)だけかもしれない」


 時計の音と彼の声が、脳内に満ちる。彼は帳の端に手を……いや、黒い鉤爪を掛けた。


「さあ、君はどうする? 私のように此処に留まるか? それとも迷宮の中に真実を探すか?」


 彼が帳を開こうとした瞬間、僅かに身体の拘束が緩んだ気がした。俺はその気を逃さず、ありったけの脳力を振り絞って見えない束縛を断ち切ると、露になった彼の姿を見る事もせずに、開いたままの扉に駆け込んだ。


 だが、そこに在るべき床も通路もなく、俺はそのまま暗黒の深淵に落下していった。


 無限の暗闇を落下しながら、俺は微かに彼の嘲笑と猫の鳴き声を聞いた気がしたが、そのまま意識を失ってしまった。

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