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祝杯

木曜日

 俺はVRヘッドセットを頭から強引に引き剥がすと、それ部屋の壁に思いっきり叩きつけた。


 部屋の壁……ここは鳥小屋の自室か。どうにかVR空間からの強制ログアウトは間に合ったらしい。俺は大きく安堵の溜め息を吐きつつ、まずは部屋の明かりを点けた。


 窓ガラスに大粒の雨が叩きつけられ、強風が窓のサッシを揺らして音を立てている。そうか、台風が来てるってこないだニュースでやってたっけ。そう思いつつ、枕元のパーソフォンを手にして時間を確かめた。まだ日付が変わったばかりか。


 壁際の床には、ヘッドセットが転がっている。安物のヘッドセットは壁に叩きつけられた衝撃に耐えられず、ゴーグル部分がバキバキに割れていた。奴等がどんな仕掛けを使っていたのかは知らないが、少なくともこれでVR空間を経由して何かを仕掛ける事は出来ないだろう。


 俺は再び大きく安堵の溜め息を吐いたが、部屋中に充満した甘ったるい匂いにむせて咳き込んだ。ログイン前に点けっぱなしにしてたロータスか。VR空間で疲弊しきった今の俺には逆に刺激が強い。俺は香炉のスイッチを切って、換気扇を回した。


 頭が重い……。まるで、あのゲームを初めてプレイした後みたいな、不快感と重圧感が俺の体を支配している。俺はちょっとだけ躊躇したが、それでも頭を楽にしたいと言う欲求に耐えきれず、電子吸引器(ヴェポライザー)に最初に買ったリラックス用のロータスアロマを装填すると、それを思いっきり吸い込んだ。


 更に用法の倍の鎮静剤を呑んでしばらく横になっていると、少しは楽になって、ようやく落ち着きを取り戻せた。まだ少し頭が重いし眼の奥がチカチカするが、その内に収まるだろう。


 さて、これからどうするか? あのゲームがヤバいのは、もう確実だ。証拠があれば良いのだが、他にクリア出来たヤツと上手く連絡をとって……くそっ、正しくクリア出来たのは俺が初めてだって言ってたっけ? アルベルトが生きてりゃな。まあ、とりあえずはStormの運営やサイバー系の治安機関に、片っ端から通報すべきか? ……こんな話、信じてくれるかな?


 そんな事を思考のまとまらない頭でボンヤリと考えていると、不意に目の前の空間が揺らいで見えた。一番効き目のソフトなロータスなのに、流石に直接吸い込むと効くな……


 いや、そうじゃない。俺の目の前の何も無い空間が、確かに陽炎(かげろう)みたいに揺らいでいる。俺はアルベルトが俺に言ったことを思い出した。確か、このゲームをクリアした直後にプレイヤーの前に現れた“何か”に襲われて、それで連中は死んでしまったと……


 奴等、逃げ出した俺を早速始末に掛かったのか!?


 陽炎は揺らめきながら何かの形を取ろうとしていた。生臭(なまぐさ)(にお)いがアロマの芳香を押し退けて部屋中に満ちて行く。俺はそれの正体を確かめるよりも早く、部屋を飛び出した。

 たちまち、強風と廊下にまで降り込んでくる雨が俺の全身を覆う。バタバタと複数の足音が俺の部屋から聞こえたので振り向いてみると、五~六体の深きもの達が、こっちに殺到しようと狭い部屋のなかで押し合いへし合いしている。


 俺は我ながら情けない悲鳴を上げながら廊下を駆け出した。


 背後から奴等の湿った足音が聞こえてくる。俺は振り向く事もせずに、廊下の突き当たりにある階段を勢いよく駆け降りた。


 駆け降りた。


 駆け降りた。


 ……駆け降りたが、いつまで降りても一階に辿り着けない。おかしい、この鳥小屋は五階建てのハズだ。もうとっくに一階に


 不意に背後から気配を感じて階段から廊下に飛び込んだ。次の瞬間、階段からダイブしたらしい深きものが、さっきまで俺の立っていた場所に腹から着地した。一歩遅れてたら、あの膨れた腹で潰されていたかもしれない。

 しかし、これで階段に戻る事が出来なくなった。俺は再び廊下を走ったがこの先は行き止まりだ。ヤケになった俺は、適当なドアを叩いて住人に助けを乞うた。


「助けて! 助けて下さい! 追われてるんです! ドアを! ドアを開けてください!」


 ドアの鍵は直ぐに開いた。……ちょっと早すぎないか? ドアの向こうで待機でもしてなきゃ、こんなに早くは……


 いや、考えてる時間は無い。俺はドアをあけて部屋に入り、素早く鍵を閉めた。直後、ドアに湿った重いものが叩きつけられる音が何度も響く。奴等、体当たりでドアを壊す気だ。


 慌てて部屋の中へ駆け込む。まずは住人に事情を説明して……いや、それよりも警察を……


 部屋の中には誰も居なかった。


 それどころか家具らしきモノも全く無い、完全な空き部屋をただ天井の照明が白々と照らしている。いや、部屋の突き当たりに鳥小屋の部屋に相応しく無いサイズの、大きな額に入った絵が立て掛けてあった。


 これは……さっきサキトとあった部屋に飾ってあった、ピックマンの絵? あのまるで生きているみたいな……喰屍鬼の。何でこんな所に?


 不意に絵の中の喰屍鬼がニヤリと笑った。


 驚いて後ずさりながらも、それでも絵から目線が離せない。絵の表面から鉤爪の付いた腕が延び、続いて獣じみた頭が出てきた。


 このままでは、すぐに全身が絵から飛び出してくるだろう。直ぐにでも逃げたかったが、背後のドアでは深きもの達が未だに体当たりを繰り返している。ドアの軋む様な音が次第に大きくなってきた。もうどうして良いか判らない。俺はせめて一時しのぎでも身を隠せる様にと、トイレのドアを開けた。


 ドアの向こうには、トイレでは無く石造りの通路が長く延びていた。通路の両端には、一定の間隔で燭台が設置されていて、蝋燭の明かりが明々と通路を照らしていた。

 ありがたい! これで逃げられる! 俺は通路に飛び込むと、全力で駆け出した。しばらく走っていると、通路は複数に分岐していた。だが、俺は慌てずに分岐の入り口を探し……矢印が描かれている入り口を見つけて、そこへ飛び込んだ。


 こう言う追っかけっこになれば、俺の有利だ! 俺は矢印を探して通路や回廊を進み、途中に隠された罠や仕掛けを逆に利用して追っ手を撒き、再び矢印を便りにたどり着いた大きな扉をこじ開けて、中の大広間に飛び込み……そこで我に帰った。


 そこは……Stormのラウンジだった。


 ただ、照明は普段よりも若干暗く、それでいて普段の閑散とした雰囲気とは異なり、大勢の人たちで賑わっていた。

 まるで薄暗いラウンジでパーティーでもしているみたいだ。タキシードやイブニングドレス姿の男女が、和やかに談笑し、カクテルを楽しんでいる。


 呆然としていた俺に、一人の男が芝居がかった仕草でグラスを掲げながら声を掛けた。


「盛会ですね」


 アルベルトだった。額に俺が銃で撃った穴が開いていたが、気にする様子もなく穏やかな微笑を浮かべている。薄暗くて解らなかったが、他の参列者は皆、深きものや喰屍鬼の顔をしている。

 その中に、これまでゲームの中で倒してきた“中身入り”の顔をした者達も混ざっていた。チャプター4のマーシュ助手に憑り付いていた白人男性が、顔面にナイフを突き立てたまま会釈する。九玄太の顔をしたネズミが、アルベルトの足元でキキキと笑った。


「なんだ……ここは」


「さあ、何でしょうね。ともあれ、今は関係者連中で集まって、貴方のゲームクリアを祝ってた所でしてね。ちょっとした打ち上げと言うか、貴方の祝賀会みたいな物ですよ。さあ、主賓も来た事ですし、改めて乾杯と行きましょうか」


 いつの間にか、俺の手にマティーニのグラスが握られていた。アルベルトの乾杯の音頭で、異形の参加者達が一斉にグラスを掲げる。


「ガリンペイロのゲームクリアに乾杯!」


「勝者に乾杯!」


「来るべき新世紀に!」


「旧支配者の栄光に!」


「新秩序に!」


「エルドラドに乾杯!」


「「エルドラドに!」」


「「「エルドラドに!」」」


「「「「「エルドラドに!」」」」」


 限界だった。俺は悲鳴をあげてグラスを放り出すと、もと来た扉に飛び込んで、来た道を走りながら考えた。


 おかしいだろ! 俺は強制ログアウトして、VR空間から逃げたハズだぞ! それが、ただ深きものや喰屍鬼に追われるだけならともかく、またこんな迷宮を逃げ回ってるんだ!?


 ……眼の奥のチカチカが止まらない。


 VR空間から逃げ切れていないのか? でもVRヘッドセットは叩き壊した! だからVR空間にはアクセス出来ないハズだぞ!


 ……頭が重い……脳の中を何かが走り回ってる。


 なのに! 何故俺はVR空間にいる?


 俺は……


 俺の脳は!


 一体何を受信してるんだああぁぁぁ!?

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― 新着の感想 ―
[一言] なんかもう、ゲームを始めた時点でどう転んでも破滅って感じ?(・・; それなんてクソゲーって感じだけど、よく考えたらクトゥルフ物は大概そうだった。(≧▽≦;)
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