規制緩和~大幅アップデート
そしてその中から、病的に痩せたスーツ姿の老人がゆっくりと上体を起こした。
その顔は、ネットで見た写真よりも老化していたが、間違いなくセバスチャン……いや、このゲームの製作会社の代表にしてメインスタッフでもある、ベアード・バトラーその人だった。
「やあ。こうして君に会えて嬉しいよ、ガリンペイロ。よく、ここまで辿り着いてくれた」
バトラーは握手を求めてきたが、俺はそれを無視して言った。
「日本語、上手いっすね」
「私は日本語など話していないよ。ほら、私の口許を見たまえ。会話と口の動きが合って無いだろう? 判るかね?」
なるほど、口元を良く見ると台詞と口の動きが合っていない。まるで映画の吹き替えみたいだ。これはライブ中継だとサキトは言ってたな。一体どんな仕掛けなんだ? それも気になるが、順番に聞いていこう。
「で、ここは何なんです?」
「サキト君が説明した通り、SWE社のCEOルームだよ。ここ数年はこの部屋で生活している。HPLの時代よりも冷蔵保存技術は大幅に発達したものの、やはり“ムニョス式”の延命法は移動に大きな問題を抱えているからね。こんな形での対面になるのは許してくれ」
「ムニョス式って事は、あんたはもう……」
「左様、既に一度死んでいる。病魔には勝てなかったよ。だが、幾つか仕事が残っているので、こうして冷蔵庫の中で暮らしているんだよ。まあ、君達が凍えてはいけないので、冷気の感覚は遮断して中継しているがね。で、どうかねこの機械は? 原作よりもかなり洗練されてるだろう?」
「ああ。ちょうど、まるで飾り気の無い棺か、寝かせた冷蔵庫みたいだなって考えてましたよ」
俺の言葉に彼は声を上げて笑うと、部屋の片隅にあるソファセットを指して言った。
「まあ、立ち話も何だから、座って話そうじゃないか。だが、その前に」
バトラーは強引に俺の手を取って……氷みたいに冷たい手だ……心底嬉しそうに満面に笑みを浮かべて俺を祝福する。
「おめでとう、ガリンペイロ。ここまで来れたのは君が初めてだ。君の勇気と脳力に祝福を。せめて、それだけは祝わせてくれ」
そしてバトラーは、いかにも企業の偉いさんが使うような大きな木製の机の方に座ったので、俺とサキトはソファの方に腰かけた。そのまま上機嫌な態度で俺に聞く。
「さて、何から聞きたい?」
「聞きたいことは山程あるが、まずは何でHPLの小説の怪物が現実に現れたりしたんだ? あれは小説……虚構だろ?」
「それはね、実はそれらが現実だからだよ」
「……え?」
彼の簡潔な返答の意味が解らず、しばらく絶句していると、サキトが笑いながら横槍をいれた。
「解んねえかな? だからさ、あの偉大なるパルプマガジン作家が小説で書いてきた世界観……面倒だから“クトゥルフ神話”って呼ばせてくれ。とにかく、あの神話に書かれた事は真実だったって事だよ」
クトゥルフ神話が現実だった? そんなのはゲームや漫画なんかじゃ使い古されたネタだ。冗談にしても笑えないぜ。……そう言って笑い飛ばそうとしたが、これまでの魔犬や深きものども達に現実世界で教われた体験が脳裏をよぎり、笑いの代わりに一言だけ発するのがやっとだった。
「……そんな事が」
「あったんだな、コレが」
「それが……それが本当だとして、何故急にこんな出来事が俺の身の回りで起きたんだ? それに、それとこのゲームに何の関係があるってんだ?」
ようやく堰を切った様に言葉が出てきた。サキトは俺のケンカ腰の態度を意にも介さず、おどけた仕草で天井を見上げながら先を続ける。
「最近“上の連中”の間で何かあったらしくてな。これまで人類に対して極秘に活動してたのを、少しづつオープンにして行くって事で、“連中の勢力”の間で合意が出来たらしいんだ。お前の好きな規制緩和ってヤツさ」
話が見えない。俺は一先ず静かに聞くことにした。その態度に満足したのか、サキトの説明をバトラーが引き継いだ。悪い予感がするせいか、寒気を感じた身体が軽く震えた。
「それで、次の世紀から始まる新たな世界秩序においては、我々の活動範囲はかなり広いモノになる。そこで我々は、当局や他の勢力から目立たない形で、こうしてVRゲームを通じての“人材開発”を行っていたんだ。まあ、これからもっと規制緩和が進めば、こんな回りくどい手を使わずに済むんだがね」
「なぜ……VRゲームで? これをクリアした俺に、一体何が起こるって言うんだ?」
「ふむ、それは長くなるので最後に話そう。ともあれ、最初の試みは十年前のVRゲームの黎明期だ。私は弊社で開発したVRMMO“ドリームランド・コンクエスト”に、このゲームと似た様な仕掛けを施して、大量に人材を開発、確保しようとしたんだ」
バトラーは露骨に表情を曇らせながら席を立ち、壁際の小さなキャビネットの方へ歩きながら説明を続ける。
「だが前に話した様に、未熟なVR技術がもたらした事故によって試みは頓挫し、更に例の大規制が追い討ちを掛けた。おかげでプロジェクトは大幅に縮小された。それでも“上層部”をどうにか説得しながら、どうにかここまでこぎ着ける事が出来たよ。君のお陰でね」
振り返ったバトラーの表情は、元の上機嫌な微笑に戻っていた。彼はキャビネットの両開きの扉を開けると、中が見える様に壁際に一歩下がった。
「これで私の肩の荷も全て降りた。後は次代に任せて“お迎え”を待つのみだ」
そう言ってバトラーはキャビネットの中を指し示す。中には、金属製の大きな筒が一つ大事そうに鎮座しているだけだった。そして俺は、その筒に見覚えがあった。いや、俺だけじゃない。HPLを読んだことがあるヤツなら、見ただけでこれが何なのか理解出来るだろう。
ちょうどバケツくらいの大きさの金属筒。真ん中に三角形のパネルが付いていて……その三角の頂点には、それぞれコネクタみたいな三つの丸い穴が空いている……
俺は驚いて立ち上がった。そして金属筒を指差して叫ぶ。
「その装置は……。つまり、お前らの言う“上の連中”ってのは……ユゴスだったって事か!? このゲームは奴等の仕組んだ陰謀だったってのか!?」
俺の問いに答えたのは、いつの間にかソファから立ち上がったサキトだった。説明しながら奴もキャビネットの方に歩いていく。
「まあ、そんなところだ。でも、お前の身の回りで起きた事は俺たちだけじゃ無くて、別の勢力も絡んでたんだぜ」
「俺たちの? 別の勢力? 一体何の事だ?」
「おいおい。“狂気山脈”くらい読んでるだろ? 人類が地球に現れるよりも、ずっと昔から、連中はこの星で領土争いをしてたんだぜ。しばらく沙汰止みになってたが、どうやら、またおっ始めるつもりらしいな」
狂気山脈……古の者達の文明の遺跡……その壁画には彼等の歴史、すなわち繁栄と拡張、そしてその後に起きたクトゥルフやユゴスとの戦争が描かれていた。その戦争は、クトゥルフが眠りに着いたり、和平や古の者達の衰退によってウヤムヤに近い形で終わったハズ。
さっきバトラーは言っていた。“次の世紀から始まる新しい世界秩序”と。つまり……
俺の表情を読んだのか、サキトは勝手に答えてくれる。
「その為の合意と規制緩和さ。次の世紀から、世界のルールはかなり変わるぜ。“大幅アップデート”ってヤツだ。この流れに乗り遅れてる“古参”の連中はガチギレするんじゃねーか? 完全に別ゲーじゃねーか! コイツは糞アプデだ! 修正しろ! ってな」
サキトの台詞にバトラーが笑う。二人が並ぶと、サキトは俺に向き直りながら両手を広げて説明を続けた。
「んで、俺たちや別の勢力は結構前から色々と暗闘を繰り広げてたってワケさ」
「結構……前から?」
「おいおい。社会派ゲームレビュアー様ともあろうお方が、ニュースとか見て無いのか? お前の所にも実際に来ただろうがよ」
その言葉で、俺は前に書いたレビューや、前の職場で見ていたニュースの断片と、体験した記憶の断片を次々に思い出した。
頻発する災害、奇病、凶悪犯罪……冥王星で発見された生命の痕跡……終わらない紛争と世界大戦の予想……アメリカ大統領が提唱した“新同盟”……妨害されたオペラ……犯人は言った。“カブトムシの未来の為に”と……ポンペイ島での大量儀式殺人……世界的なカルト団体の跳梁……そして俺の前に現れ、俺を殺そうとした深き者達…………
「ほら、MMOとかで良くあんだろ? ベータ版から正式版になったり、大幅アップデート実装を前に、個人プレーヤーや、ギルドだかクランだかが必死こいてレベリングしたりして、余所よりも優位に立とうってヤツ。今、起きてるのは要するに、そう言う類いの事なんだ」
呆然とする俺に構わずサキトは長い説明を締め括り、再びバトラーが話を引き継いだ。
「話が長くなって済まないね、ガリンペイロ。まあ、もう少しで終わるから聞いてくれたまえ。……そして、我らの勢力も生き残りの為に、優秀な人材を求めていたんだよ」
「それが……このゲーム?」
「左様。君は迷宮の図形を見たことが有るかね? 良くある迷路じゃ無い、クレタ島の迷宮図だ。私はあれを見ると、人脳のCT断面図を連想するのだがね」
クレタ島の迷宮図……あの外側から入って中央のゴールを目指す、古代の迷宮を模したシンボルの事か?
「あれは一見複雑に見えて、実は一本道だ。その代わり、何度も迷宮の両側を往復するハメになるがね。したがって、途中で力尽き倒れる“巡礼者”で無ければ、必ず、終着点に、たどり着く」
何となく話が見えてきた。再び襲ってきた寒気のせいで全身に震えが走るが、俺は構わずに彼に言った。
「このゲームも同じってワケか。……この迷宮に関心を持った犠牲者を引き込んで、倒れた巡礼者の亡霊を妨害役にしたてて、そして俺が、まんまとここに辿り着いたと……」
俺が喋る度に、息が白く染まる事にようやく気がついた。これは……気のせいじゃない。明らかに室温が急激に下がっている。
俺の反応を見て二人がニヤリと笑うと、ゆっくりと俺の方に近づいて来た。後ろに下がろうとしたが、まるで全身が凍り付いたみたいに動かなくなっている。必死に体を動かそうとする俺を見て、サキトが嘲るように笑う。
「まあ、そんな所だ。さっきも言ったが、この迷宮から逃げるのを防いで、ここまでさり気無く誘導する役が俺だったってワケだ。オススメのエナドリやロータスまで使ってくれて嬉しかったぜ」
くそ! まんまと乗せられたって事か! 俺はイカロスどころか、飛んで火に入る夏の虫だったと言う訳だ!
言い返そうとしたが、ガチガチと歯の根が合わなくて言葉が出ない。これは寒さのせいか、それとも……恐怖のせいか……
バトラーは微笑を浮かべながら俺を抱擁しようと両手を広げ、芝居がかった台詞を唱える。
「さあ、ガリンペイロ……黄金を求める者よ。望み通り、君を黄金郷へ導こう。何も恐れる事は無い……。君は選ばれたのだから」
奴等が目の前に迫っている。もう限界だった。俺は有らん限りの脳力を振り絞ってシステムウィンドウを呼び出すと、大声で叫んだ。
「強制ログアウト!」