コズミック・ラビリンス(CHAPTER4:5)
再び衝撃が迷宮を揺るがして、耐えきれなくなった石柱がまた一本遠くで倒壊した。このままじゃ、広間全体が崩落する危険もある。逃げるのが一番だが、逃げ道も解らない。古の印は? 有効かも知れないが、姿が見えず、どこから来るか解らない相手に突きつけるのは困難だし、万が一、印が効かない相手だったら、武器に持ち替える間にまた触手に捕まってしまうかもしれない。
ダメだ。思考までダルくなってきた。広間が崩れる危険性を考えたら、これ以上アレコレ考えて時間をムダにする事は出来ない。
……こうなったら星の精に殺される前に、今ここでヤツをキッチリ殺す必要がある。
と言っても、勝てるのか?
確かに、星の精はクトゥルフ神話の怪物の中では強い方じゃ無い。でもそれは“怪物の中では”って話で、人間と比較しての話じゃない。
思い出せ。ヤツはどんな特徴を持ってる?
……空中を移動出来(だから足跡や足音で判別出来ない)、透明で、クスクス笑う様な声(音?)を立てて、犠牲者を牙の付いた複数の触手で捕らえて血を吸って、血が消化される間だけは、その血によって姿が見える。
犠牲者を捕まえて血を吸うって事は、透明であっても実体はあると言う事だ。なら、俺の持ってる武器で殺せるかもしれないし、視覚以外にもその存在を知覚出来るって訳だな。例えば、こんなクスクス笑う声とか……
「うぉっ!?」
間一髪で透明な触手の気配から逃れて、手近な瓦礫の山に登った。そんな事でヤツの姿が見える訳が無いのだが、それでも出来るだけ広い視界が欲しかった。
この広間に入ってから、ランタンは床に置いて来てしまった。まだ入り口付近に灯りが見えるので、あのランタンは奇跡的にも瓦礫の下敷きになっていないと言う訳だ。
懐中電灯はある事には有るが、出来れば光源は多い方が良い。出来ればランタンは回収したい。ここは広間の壁際か。懐中電灯の灯りでダッシュでランタンまで移動して、その後は……
クスクス声がまた近づいて来た。頭の中で素早く作戦を練って、必要なアイテムをバックパックから取り出した。ここからは、今までにこのゲームで鍛えられた脳力を頼るしか無い。
……ああ、もう認めるさ! 現実世界で魔犬に追われるハメになったんだ。だったら、きっと脳力だって在るんだろうよ! どのみち、このゲームはVR適応脳力開発を目的に作られたんだ。なら、ここは敢えて制作者の土俵に上がってやるよ!
再びクスクス声が聞こえたのと同時に、その逆の方向に向かって瓦礫の山を掛け降りた。同時に、また例の振動が広間を襲って、文字通り転がる様に瓦礫の下まで転がり落ちてしまった。全身がそこはかと無く痛む。だが動けない程では無いし、幸運にも転落のおかげでヤツとの距離が大幅に開いた。
ランタンは……まだ無事だ! 手にした懐中電灯を頼りに、瓦礫をすり抜けてランタンをゲット! さあ、ここが折り返し地点だ。今度は、ランタンの灯りを頼りに、元の瓦礫の山を目掛けてダッシュする。ここでヤツに捕まったら全てが水の泡だ。
俺はランタンを持って無い方の手で、闇雲にナイフを振り回しながら、元の瓦礫の山の天辺に戻って来た。
ここは背後が壁だから、実体がある怪物でも無い限り背後を取られる事は無い。懐中電灯よりも明るいランタンを回収して、俺自身の視界も確保した。さあ、これで準備は万端だ。どっからでも掛かって来い!
……
……
……どこだ!? 確かに、どっからでも、とは言ったが、完全にノーヒントでと言う意味で言ったんじゃない。例の耳障りなクスクスも聞こえなくなった。神経が昂っているせいか、ヤツの気配も感じられない。ひょっとして、どっかに行ってくれたのか? そんな甘い考えを打ち消す様に、また振動が広間を襲った。
今までよりも強い振動に今度は柱だけで無く、天井の石材もパラパラと音を立てて破片を落として来る。天井の崩落を恐れて、思わず亀みたいに身体を縮めて身構えたが、まだ大丈夫の様だ。
それにしても、我ながら運が良い。ランタンが照らす限り、どうやら広間中に大小の石材の破片が落ちて来ているみたいだ。もしも、あの破片の一つでも頭に落ちていたら……
そう言う事か!
俺が今いた場所を飛び退くのと同時に、ヤツがその場所に覆い被さる様に落ちて来たのが、重く湿った音と軽い衝撃で判った。
クスクス声を止めて、なかなか注意の向かない頭上から浮遊して接近するのは、見事な策略だった。だが、透明ながらも実体が在るが故に、本来俺の頭に落ちてくるべき瓦礫の欠片を受け止める形になったのが、お前の敗因だ!
俺は、あらかじめ脳内でシミュレーションした通りの方向に飛び退いて、そこに置いておいたランタンの予備の油の瓶を、気配のする方向に思い切り投げつけた。
期待通り、瓶は何も見えない空中で割れると、そのまま不可視の実体の輪郭に沿ってタラタラを流れて行く。すかさずズボンのポケットに移し替えたマッチを取り出して火を点けると、油にまみれた半透明の怪物に向かって放り投げた。
瞬間、何も見えない筈の空間に、大きな火の塊が浮かび上がった。
イブン=グハジの粉も、吸われた血も、わずかな時間しかお前の姿を現さないが、お前の体表に付着した炎は違う!
ヤツが炎の苦痛でのたうつ間に、同じくここに置いて行った手斧を拾い上げると、火が消えない内にヤツの本体めがけて何度も何度も斧をその身体に打ち下ろして行った。ゼラチンっぽい外見の割には、手応えが強い。そう思うと一層、斧を握る手に力が籠る。
ここまで来たら後戻りは出来ない。死ね! お前はここで死ね!
……
……何度も手斧を振り下ろすうちに、ヤツの動く気配が全く感じられくなった。クスクス声も全く聞こえない。
やったか? と、思う暇も無く、またまた広間を揺るがす大振動が広間を襲ったので、勝利の余韻に浸る間も無いままに、とにかく手斧とマッチを回収して、ランタンの灯りを頼りに出口を探ると、案の定、入り口の対面に大きなアーチを見つけたので、ついに崩落を始めた広間を背にそのアーチを潜った。
その直後に轟音を立てて、広間は完全に崩落した。もう少し脱出が遅かったら、確実に崩落に巻き込まれて死んでしまっただろう。
これは単なる幸運なのか、それとも俺の脳力の賜物なのか。ともあれ現状を確認する。
ここは、先程の振動の影響を全く受けていないかの様な、堅牢な造りをした円形の小広間だった。中央には、チャプター3にあったセーブポイントの石碑が建っていて、入り口の対面には、先に続く通路の入り口がある。
とりあえず石碑に触れてセーブして、一息ついた。さて、ここからどうするか?
星の精との戦闘で、結構体力を消耗してしまってる。やっぱり、チャプター4まで来ると敵もイベントも厄介になって来ている。こっちも追加の装備が必要かもしれないな。
まあ今は疲労が酷いし、とりあえず、ここで落ちるのも悪くない。そう思ってログアウトしようとしたが、ふと、無機質な石組みの壁の隅に、見たことも無いシンボルが刻まれているのに気が付いた。
星のマークの中央に、多分、人間の右眼が描かれている。“プロヴィデンスの眼”の五芒星バージョンか? そして、そのシンボルの下に
“S・W・E”
と言うアルファベットが刻印されていた。何でこんな所にアルファベットが? いや、このシンボル、どっかで見たことが……?
半ば無意識的にそのシンボルに手を触れた瞬間、シンボルから目映い黄金の光が迸り、その輝きによって瞬く間に視界を埋め尽くされ、俺は次第に意識が遠退いて行った。