同窓会
【前回までのあらすじ】
休日、家族と買い物に出かけた佐伯遼、39歳。
娘の靴を買い、息子に財布としての能力を疑われ、
妻には夕飯の人数として管理された。
会社の評価シートに書ける成果はゼロ。
それでも、悪くない一日だった。
そんな折、高校時代の友人たちから飲み会の誘いが届く。
どうやら休日にも、人生の格付けが待っているらしい。
金曜日、午後六時。
俺は会社のパソコンを閉じた。
珍しく定時に近い時間で仕事が終わった。
今日は高校時代の友人たちと飲む約束がある。
一か月前に決まった予定だ。
その間、俺は何度か参加を後悔した。
理由は単純。
友人たちが出世しているからだ。
普通、久しぶりの友人に会うのは楽しみなものだろう。
俺だって楽しみだ。
ただ、楽しみと劣等感が同時に存在している。
人間の感情というのは、なかなか面倒な設計になっている。
「佐伯さん、今日は早いですね」
クロカワが声をかけてきた。
「高校の友達と飲み会なんだ」
「いいですね」
「まあな」
「楽しんできてください」
「おう」
クロカワは自分のパソコンを閉じた。
「僕も帰ります」
「今日は何か予定あるの?」
「ゲームです」
「またかよ」
「先週の続きが終わってないので」
この男は本当にブレない。
俺は高校時代の友人たちとの社会的地位の差に悩んでいる。
クロカワはゲームの進行状況に悩んでいる。
悩みの種類が違いすぎる。
「佐伯さん」
「ん?」
「飲み会、楽しんできてくださいね」
「さっき聞いたよ」
「いや、何か楽しみじゃなさそうだったので」
鋭い。
仕事ができる人間というのは、余計なところまで観察力が高い。
駅前の居酒屋に着いたのは午後七時前だった。
店の前には、見覚えのある男が立っていた。
「おー! 遼!」
藤井だった。
高校時代と比べると、少し腹が出ている。
だが、服装はきちんとしていた。
腕時計も高そうだ。
俺は一瞬で値踏みを始めた。
久しぶりに会った友人に対して、最初に確認するのが腕時計。
我ながら、人間性に問題がある。
「久しぶり!」
「何年ぶりだ?」
「三年くらいじゃない?」
「そんなもんか」
「お前、全然変わらんな」
「お前は少し太ったな」
「うるせえ。管理職になると太るんだよ」
なるほど。
出世すると腹が出るらしい。
俺の腹はまだそこまで出ていない。
負けているのか、勝っているのか判断が難しい。
店に入ると、村上がすでに座っていた。
「遼! 久しぶり!」
「おう!」
村上は昔から人当たりがいい。
高校時代は、試験前になると俺のノートを借りに来ていた。
今は外資系企業で働いている。
ノートを貸した側と借りた側で、人生の成績が逆転している。
教育制度の不備を感じる。
「元気だった?」
「まあな。お前は?」
「忙しいよ。相変わらず」
「外資系ってやっぱ大変?」
「まあ、それなりにね」
村上は笑った。
余裕のある笑顔だった。
成功者というのは、笑顔にも余裕があるらしい。
俺も練習しようかと思ったが、何の役に立つのかわからないのでやめた。
ビールが運ばれてきた。
「じゃあ、久しぶりの再会に!」
「乾杯!」
グラスを合わせる。
冷たいビールが喉を通った。
うまい。
こういう瞬間だけは、年収に関係なく平等だと思う。
もっとも、村上が飲んでいるビールは、俺と同じ値段である。
資本主義にも、わずかな良心が残っていた。
最初の三十分は、高校時代の話で盛り上がった。
担任の先生が怖かったこと。
文化祭で村上が女装させられたこと。
藤井が好きだった女子に告白して振られたこと。
「お前、あのとき泣いてたよな!」
俺が言うと、藤井は笑った。
「泣いてねえよ!」
「いや、泣いてた」
「目にゴミが入っただけだ!」
「三時間も?」
「でかいゴミだったんだよ!」
三人で笑った。
懐かしい。
高校時代は、こんなくだらない話ばかりしていた。
誰がどこの大学に行くとか、将来どんな仕事をするとか。
もちろん、そういう話もした。
ただ、当時は誰も、自分たちの人生に順位がつくとは思っていなかった。
少なくとも、俺はそうだった。
いや、正確には少し違う。
俺は自分が上位に入ると思っていた。
数学も物理も得意だったし、勉強すればそれなりの大学に行けると思っていた。
問題は、勉強しなかったことだ。
世の中には、努力をすれば報われるという言葉がある。
俺の場合、努力をしなかったので、特に反論する資格がない。
「そういえば遼、仕事どうなの?」
藤井が聞いてきた。
来た。
ついに来た。
俺が恐れていた時間である。
「まあ、ぼちぼちかな」
「今も文房具メーカー?」
「うん。営業のリーダーやってる」
「へえ、すごいじゃん」
すごい。
出た。
この言葉には、いくつかの意味がある。
本当にすごい。
社交辞令としてすごい。
そして、何がすごいのかよくわからないけど、とりあえずすごい。
俺は三番目ではないかと疑っていた。
「いや、そんな大したことないよ」
「部下とかいるんだろ?」
「三人な」
「十分じゃん」
藤井は普通に感心していた。
俺は少し戸惑った。
「お前のほうがすごいだろ。大手の管理職じゃん」
「まあ、管理職ではあるけどな」
藤井はビールを飲んだ。
「正直、管理職ってそんなにいいもんじゃないぞ」
来た。
成功者特有の謙遜である。
高級車に乗っている人間が、燃費が悪いと嘆くようなものだ。
こちらは中古車の車検代を心配している。
「給料は上がっただろ?」
「まあ、それは上がった」
ほら見ろ。
「でも、仕事の自由度が上がるかっていうと、そうでもないんだよ」
「そうなの?」
「上からは数字を求められるし、下からは働き方の改善を求められる。どっちも正しいこと言ってるから、余計に難しい」
「なるほどな」
「部下に残業するなって言って、結局自分が残業してる」
俺は笑った。
「それ、うちの会社でもあるわ」
「だろ?」
藤井も笑った。
「最近は、部下が定時に帰るのを見ると安心するんだよ。で、自分の仕事を始める」
「それ、管理職の仕事なのか?」
「知らん。誰か教えてくれ」
意外だった。
藤井はもっと華やかな仕事をしていると思っていた。
海外出張に行き、大きな商談をまとめ、部下を率いて成果を出す。
もちろん、そういう仕事もしているのだろう。
ただ、話を聞く限り、日常はそれほど華やかではないらしい。
「でも、出世してよかったとは思ってるよ」
藤井は続けた。
「責任ある仕事を任されるのは面白いし、給料も増えた。家族にも少し余裕ができたしな」
「そうだよな」
「ただ、出世したら全部解決すると思ってたのは間違いだった」
藤井は笑った。
「問題の単価が上がっただけだったわ」
なるほど。
給料が上がると、悩みまで高級品になるらしい。
「村上はどうなんだよ?」
俺は話を振った。
「外資系って、やっぱ給料いいんだろ?」
「まあ、日本企業よりは高いかもね」
「いいなあ」
「でも、結果出せなかったら普通に厳しいよ」
村上は枝豆をつまんだ。
「去年、同じ部署の人が何人か辞めたし」
「リストラ?」
「全員じゃないけどね。組織変更でポジションがなくなった人もいた」
俺は箸を止めた。
「……ポジションがなくなった?」
「うん。外資系だと珍しくないよ」
嫌な言葉だった。
つい最近、俺の人生を破壊した言葉である。
「実はさ」
俺は二人に、転職活動の話をした。
世界的な文房具メーカーの選考を受けたこと。
最終面接まで進んだこと。
評価は高かったこと。
そして、採用ポジションそのものが消滅したこと。
「ええっ!」
藤井が驚いた。
「それ、めちゃくちゃ惜しいじゃん!」
「だろ?」
「でも、最終まで行ったんだろ? すごいな」
村上もうなずいた。
「その会社、選考厳しいと思うよ。最終まで行けたなら、かなり評価されてたんじゃない?」
「まあ、そう言われたけど」
「じゃあ、自信持っていいじゃん」
自信。
俺は少し苦笑した。
「でも、結局採用されなかったからな」
「いや、それは会社の事情だろ」
村上が言った。
「遼の能力とは別の話じゃん」
「そうなんだけどさ」
「俺なんて、今の会社に入るとき二回落ちてるからね」
「え?」
「三回目でやっと受かった」
「そうなの?」
「うん。最初は書類で落ちたし」
意外だった。
村上は最初から順調にキャリアを積んできたのだと思っていた。
「外資系って聞くとすごそうに見えるけど、普通に失敗するし、普通に怒られるよ」
「そうか」
「ただ、給料はいい」
村上は笑った。
そこは譲らないらしい。
正直でよろしい。
「そういえば、遼のところって奥さんも働いてるんだよな?」
藤井が聞いた。
「うん。共働き」
「子ども二人だっけ?」
「そう。高校生と中学生」
「もうそんな大きいのか!」
「早いよな」
「家も買ったんだろ?」
「まあな」
藤井は少し感心した顔をした。
「お前、ちゃんと人生進んでるなあ」
俺は思わず笑った。
「何だよ、それ」
「いや、俺なんて子どもまだ小さいしさ。家も去年やっと買ったんだよ」
「そうなの?」
「うん。ローンが重い」
「管理職でも?」
「管理職だからって、住宅ローンが割引されるわけじゃないからな」
確かに。
それはそうだ。
村上が笑った。
「俺なんて、まだ独身だよ」
「結婚しないの?」
「今のところ予定なし」
「仕事忙しいから?」
「それもあるけど、別に焦ってないんだよね」
村上は穏やかに言った。
「一人の生活も楽しいし。旅行も好きだし、休みの日は好きなことできるから」
「なるほどな」
「でも、遼の話聞いてると、家族いるのも楽しそうだなって思うよ」
俺は少し驚いた。
「そうか?」
「うん。娘に落花生でいじられる人生って、なかなかないでしょ」
「おい、何で知ってるんだよ」
「さっき自分で話したじゃん」
そうだった。
ビールを飲みすぎたかもしれない。
「いや、でもさ」
藤井が言った。
「遼って、高校のときから頭よかったじゃん」
「まあ、勉強はできたな」
「だから、もっと上に行くと思ってたんだよ」
俺は少し身構えた。
やっぱり。
そう思われていたのか。
高校時代の成績がよかっただけに、今の自分を見てがっかりされているのかもしれない。
「でも、今の話聞いてたら、普通にいい人生送ってるよな」
「……そうか?」
「そうだろ。仕事あって、家族いて、家もあって。しかも転職活動で大企業の最終まで行ってるんだろ?」
「まあな」
「十分すごいじゃん」
村上もうなずいた。
「遼って、自分のこと過小評価してるんじゃない?」
俺は苦笑した。
過小評価。
そうなのだろうか。
俺は自分のことを、かなり正確に評価しているつもりだった。
大学受験に失敗した。
大企業に入れなかった。
管理職にもなれていない。
転職活動も最後は失敗した。
客観的な事実だ。
ただ、そう言われてみると、俺は自分の人生を減点方式で採点しているのかもしれない。
しかも、減点項目だけをやたら細かく設定している。
加点項目は、ほぼ未実装だ。
「でも、お前らは成功してるじゃん」
俺が言うと、藤井は笑った。
「何をもって成功って言うんだよ」
「そりゃ、出世とか年収とか」
「まあ、それも大事だけどな」
藤井は少し考えた。
「俺は今の仕事、結構好きだよ。大変だけど面白いし」
「うん」
「でも、たまに昔みたいに何も考えずに遊びたいなって思う」
「わかる」
「高校のときなんて、金もなかったけど楽しかったじゃん」
「そうだな」
「今は金はあるけど、時間がない」
藤井は笑った。
「人生って、うまくできてるよな」
「どういう意味だよ」
「全部そろわないようになってる」
村上がうなずいた。
「俺は時間もお金もそこそこあるけど、たまに一人で寂しくなることはあるよ」
「そうなの?」
「そりゃあるよ。人間だし」
村上は笑った。
「でも、独身生活が嫌なわけじゃない。今は今で楽しい」
なるほど。
藤井は仕事が好きで、家族もいる。
村上は自由な生活を楽しんでいる。
俺は仕事も家族もあるのに、何かが足りないと思っている。
誰が一番幸せなのか。
そんなもの、比べようがないのかもしれない。
少なくとも、年収だけで決まる話ではなさそうだ。
「そういえばさ」
藤井が突然、話題を変えた。
「高校のとき、遼って何になりたかったっけ?」
「え?」
「将来の夢」
俺は考えた。
高校時代。
何になりたかっただろう。
大企業の社員?
管理職?
年収一千万?
いや、違う。
そんなことは考えていなかった。
「……特になかった気がする」
「そうだっけ?」
「うん。とりあえず大学行って、普通に就職して、結婚して……くらいじゃないかな」
藤井が笑った。
「じゃあ、だいたい叶ってるじゃん」
「……まあ、そうなるな」
「大学は行けなかったけど」
「そこは言うな」
三人で笑った。
笑いながら、俺は少し考えた。
確かに、あの頃の俺が今の生活を見たら、どう思うだろう。
妻がいて、子どもが二人いて、家がある。
仕事もある。
部下もいる。
休みの日には家族で買い物に行き、ラーメンを食べる。
悪くない。
むしろ、結構いい。
ただ、高校時代の俺は、今の俺がここまで出世にこだわるとは思っていなかっただろう。
人間というのは、目標を達成すると、次の目標を勝手に作るらしい。
便利な機能だ。
ただし、満足する機能は搭載されていない。
気づけば、午後十時を過ぎていた。
「そろそろ帰るか」
藤井が言った。
「そうだな」
会計を済ませ、店の外に出る。
夜風が気持ちよかった。
「また飲もうぜ」
「おう!」
「今度はもっと早く集まろう」
「そうだな」
三人で握手を交わした。
高校時代は、握手なんてしなかった。
大人になると、こういうことをするらしい。
少し照れくさかった。
帰りの電車。
俺はスマートフォンを取り出した。
美咲からメッセージが届いていた。
『楽しんでる?』
『今終わった。楽しかったよ』
すぐに返信が来た。
『よかった。気をつけて帰ってきてね』
俺は少し笑った。
友人たちは、それぞれの人生を楽しんでいた。
仕事で成功している藤井。
自由な生活を楽しんでいる村上。
そして俺。
俺は何だろう。
仕事は好きだ。
家族も大事だ。
出世もしたい。
でも、今の生活も嫌いじゃない。
欲張りなのかもしれない。
いや、欲張りなのだろう。
ただ、欲張ること自体が悪いわけではない。
問題は、持っているものを全部無視して、持っていないものばかり数えていることなのかもしれない。
帰宅すると、家の明かりはまだついていた。
玄関を開ける。
「ただいま」
「おかえり」
美咲がリビングから顔を出した。
「楽しかった?」
「うん。久しぶりに笑ったわ」
「よかったね」
「うん」
「じゃあ、明日の朝よろしくね」
「……何が?」
「陽菜のテニス。練習試合だから送ってあげて」
「何時?」
「七時半出発」
時計を見る。
午後十一時。
俺の睡眠時間は、すでに削減が決定していた。
「……わかった」
「ありがとう!」
美咲は笑った。
俺はソファに座った。
猫がいた。
いつもの場所で寝ている。
「お前はいいよな」
猫は反応しない。
俺はスマートフォンを取り出した。
今日撮った写真が一枚だけあった。
藤井と村上と俺。
三人とも、いい笑顔だった。
高校時代と比べると、全員少し老けた。
藤井は太った。
村上は少し髪が薄くなった。
俺は……。
まあ、俺もそれなりだ。
俺は写真を眺めながら笑った。
少なくとも、今日の飲み会は楽しかった。
それでいいか。
「遼ー!」
美咲の声がした。
「何?」
「明日、帰りに牛乳買ってきてね!」
「……了解!」
俺はスマートフォンのメモを開いた。
牛乳。
先月も買った気がする。
家族四人で暮らしていると、牛乳は驚くほど早くなくなる。
会社では将来の管理職候補。
家庭では牛乳の補充担当。
どちらが重要な仕事なのか。
少なくとも、家族からの評価基準は明確だった。




