第100話:星霜の果て、神座に座す者たち(エピローグ)
本日2話目
西暦1950年。
太陽系から創造主の脅威が去り、アイアン・パレスによる大銀河統治が始まってから、半世紀以上の星霜が流れた。
地球の中枢、エリュシオンの最奥に位置するプライベート・ガーデン。
常に完璧な春の気候に調整されたその庭園で、九条魁斗は静かにティーカップを傾けていた。
彼の容姿は、かつて十九世紀の末にこの地球という舞台へ降り立った若き日の姿から、何一つ変わっていない。
黒髪の隙間から覗く鋭い眼光も、完璧なプロポーションも、二十代後半から三十代前半の青年のままである。
「マスター。本日も、銀河全域の経済指標、それに治安維持率も完璧な数値を保っておいでやす。……貴方様の創り上げはった箱庭は、今日もほんまに美しいままやわぁ」
魁斗の傍らに寄り添い、優雅にお茶を注ぐのは、武芸・近接統括の桜華であった。
彼女もまた、この世界に姿を現したその日から一ミリの狂いもなく、美しく妖艶な姿のまま時を止めている。シエルやリリス、アテナといった他の統括官(NPC)たちも同様だ。
彼らの存在は、この宇宙における最大の謎であった。
彼らは元々、魁斗がかつての時代で構築し、プレイしていた「ゲームの世界」のデータに過ぎなかった。
それがなぜか、現実の過去の地球――西暦1868年の明治初期という時代に、唐突に実体を持って転移してしまったのだ。
誰が、何の目的で、彼らを過去の現実世界へ送り込んだのか。
その理由は、宇宙の真理を司っていた創造主の記録をすべて解析した現在でも、全くの不明である。
転移した当初、魁斗も、そしてパレスの統括官たちも、自分たちが「血肉を持った普通の人間」としてこの世界に受肉したのだと思っていた。
呼吸をし、食事をとり、痛みを感じる彼らの身体構造は、どこからどう見ても生身の人間そのものであったからだ。
魁斗は、いつか自分もこの世界の住人と同じように、老いて死ぬ日が来るのだと信じて疑わなかった。
だが、転移から十年が過ぎ、二十年が過ぎても、鏡に映る自分たちの姿に変化はなかった。
共に歩んできた令嬢たちの髪に白いものが混じり、周囲の人間たちが次々と寿命を迎えていく中で、魁斗とNPCたちの細胞だけは、転移した初日からピタリと時計が止まったままであった。
「……不思議なものですね、桜華。私たちは、この世界の物理法則を書き換える力を持ちながら、自分たちがなぜ『老いない』のか、その理由すら解明できていない」
医療統括のアスクレピオスが何度解析しても、彼らの肉体に異常は見つからなかった。
遺伝子操作の結果でも、ナノマシンの恩恵でもない。
ただ、彼らという存在そのものが、この宇宙の時間軸から「欠落」しているかのように、変化を拒んでいるのだ。
「よろしおすやんか。理由なんかどうでも。うちらはただ、マスターが永遠にこの宇宙を統べるお姿を、こうしていつまでも傍で見守ることができる。……それだけで、最高の幸福やわぁ」
桜華は妖艶な微笑みを浮かべて魁斗の肩に寄り添った。
魁斗の視線の先には、庭園の緩やかな芝生を歩く、五人の老女の姿があった。
かつて列強諸国の誇り高き王女であり、魁斗の妃としてパレスに迎え入れられた五人の女性。
アリス、イザベラ、ルイーゼ、アナスタシア、メアリー。
パレスの最高峰の医療技術により、彼女たちは八十歳を超えた今も病を患うことなく、自力でしっかりと歩いている。
しかし、どれほど医療が発達しようとも、生身の人間である彼女たちの肉体が衰えることを止める術はなかった。
艶やかだった髪は美しい白雪に変わり、滑らかだった肌には、生きた証である深い皺が刻まれている。
時の止まった魁斗やNPCたちと、確実に死へと向かって老いていく令嬢たち。
その対比は、あまりにも残酷で、そして美しかった。
「魁斗様……。本日は、風が少し冷たいですわね」
かつて誰よりも気高く魁斗を愛したアリスが、ゆっくりとした足取りで歩み寄り、魁斗の手をとった。
彼女の手は細く、ひんやりと冷たい。
魁斗はカップを置き、アリスの皺だらけの手に、自らの変わらぬ若い手を重ねた。
「ええ。ですが、貴女がたが植えたこの庭の薔薇は、今日も見事に咲き誇っていますよ、アリス」
「ふふ……。私たちはもう、すっかり枯れ木になってしまいましたのに。貴方様も、桜華さんたちも、初めてお会いしたあの日のまま。ちっともお変わりになりませんのね」
ルイーゼが、穏やかな笑みを浮かべて目を細める。
かつての冷徹な謀略家の面影は、そこにはない。ただ、長きにわたり宇宙の支配者の傍らで生きた、満ち足りた母の顔があった。
「寂しくはありませんか。貴女たちはこの宇宙の理に従って年老い……やがて、私や子供たちを残して、この世界から去らねばならない」
魁斗が静かに問うと、イザベラは静かに首を振った。
「寂しさなど、とうの昔に置いてまいりました。……私たちは、かつて愚かな人間たちが流し続けた血の歴史を終わらせた『神』の妻であり、星々を統べる子供たちの母となれました。これ以上の人生が、一体どこにあるというのでしょうか」
「ええ。私たちは、貴方様という永遠の奇跡を、一番近くで見つめることができたのですから。……どうぞ、これからも、この美しい宇宙を導いてくださいませ」
アナスタシアとメアリーも、深く頷きながら魁斗を見つめている。
そこにあるのは、死への恐怖ではなく、己の人生に対する完璧な納得と、主への絶対的な信頼であった。
魁斗は、彼女たちの顔を静かに見つめ返し、わずかに目を伏せた。
「……ええ。貴女たちが遺したこの平和は、私が永遠に護り続けましょう。誰にも侵させず、誰にも壊させない。絶対の檻として」
それからさらに十数年の時が流れた、西暦1968年。
パレスが1868年に地球へ顕現し、新たなる歴史を歩み始めてから百周年を迎えた年。
エリュシオンの最深部には、五つの壮麗なクリスタルの棺が安置されていた。
アリス、イザベラ、ルイーゼ、アナスタシア、メアリー。
彼女たちは皆、天寿を全うし、愛する家族と永遠の主に見守られながら、穏やかな眠りについていた。
「……よく眠っていますね」
誰もいない静寂の霊廟で、九条魁斗は一人、棺を見下ろしていた。
その姿は、百年前と何一つ変わらぬ青年のままである。
「マスター。全銀河の総督たち――貴方様のご子息たちも、謁見の間でお待ちです」
背後の影から、シエルが静かに進み出て頭を下げる。
「分かりました。行きましょうか」
魁斗は振り返り、銀河全域の運行状況が表示される巨大なホログラムを見上げた。
もはや、彼を脅かす敵はこの宇宙のどこにも存在しない。
人間たちの愚かな闘争本能はパレスの管理下で去勢され、宇宙の法則すらも彼の演算機の一部となっている。
何故、彼らは過去の地球へ送られたのか。何故、彼らだけが時間を失ったのか。
その答えは、もはやどうでもよかった。
「私は、この宇宙の管理者として、永遠に君臨し続ける。……人間という不完全な存在が、二度と歴史を過たぬように」
冷徹で、しかしどこか慈愛に満ちた瞳が、永遠に続く星の海を見据える。
アイアン・パレスの巨大な歯車は、今日も一ミリの狂いもなく、絶対の平和を刻み続けていた。
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