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第1話「黒き鬼・奪われた日常」その1

 平安時代の夜空に消臭スプレーが浮かび月と重なる。


 呪符が貼られたスプレー式のボトルをがっしりと掴むと、上空を漂う阿形 桃眞(あがた とおま)は、足元に見える得体の知れない化物を睨みつけた。


 人間の胸部が大きく左右に裂け、中から血や内臓に(まみ)れた、赤黒い鬼の上半身が露となっている。それはまるで、男の体内で鬼の上半身が一気に膨張し胸部を突き破ったかの様だ。


 本来のその男は、鬼の腰付近で仰け反るように絶命している。下半身に纏う血に染まった神職の(ころも)からして、神社の神主のようだ。


 ジーンズに白いシャツ。桃眞の腰に巻いた茶系のジャケットがバタバタと上空で音を立ててなびく。

 鬼の更に下では、神社の神殿が木っ端微塵になり爆煙をあげている。


 桃眞と鬼はその爆煙から飛び出し空中を上昇していた。いや、と言うよりは、鬼の重い一打で桃眞が神殿を突き破り上空に飛ばされた形だ。

 それを跳躍し追いかける鬼という構図となっている。


「おかしいぞッ。この消臭剤……人間の気配も消せるはずだよな?」と言いながら、桃眞は消臭スプレーを銃を撃つ様に構える。

 そして五回プッシュした。


 シュパ、シュパ、シュパ、シュパ、シュパと霧状の消臭液を噴霧する。


「うん、メッチャ爽やか……爽やかッ!?」


 異変に気付きボトルを確認すると、『せっけんの香り』と表記されていた。


「あの野郎ッ、呪符で人間の気配を消す消臭剤に変えるって言っておいて。なんでせっけんの香りなんて渡してきたんだよッ」


 桃眞は、スプレーボトルのノズルを外すと、原液を鬼に向かってぶちまけた。

 この鬼は、目が見えなく匂いに反応する。

 原液を鬼にも掛けることで鼻を効かなくさせたのだ。


 桃眞や、今、地上にいる仲間達の『人間の気配』を消す事で優位に立ち回るはずが、せっけんの匂いが体に付く事で、逆にその存在を察知されしまうのだ。

 今、この時、必要としているのは『無香料』である。


 地上では、桃眞の仲間達が別の目的の為に、必死に神社内を駆け回っていた。


 正方形の境内(けいだい)を赤いレーザーが囲っている。

 呪符をレーザーポインターに巻きつけることで、鬼が通れない結界を形成していた。



 桃眞は、両手の指を絡め印を結んだ。


「犬神ッ、お前も行け」


 そう叫ぶと、境内の隅にいた雑種犬の愛くるしい子犬が、離れの建物に向かってヨチヨチと走り出した。

 銀髪の毛が逆だった途端に青い炎を纏い、鋭い眼光を放つ成犬へと進化しながら疾走する。



 桃眞と鬼が降下を始める。

 ふいに鬼の口から飛び出た長い舌が、桃眞の頬を掠めた。


「キモイッつの」


 目の前の鬼を睨み付ける桃眞の黒い瞳が、緋色(ひいろ)の光に染まる。

 それに呼応するかの様に、シャツから伸びる腕にも同じ色の紋様(もんよう)が浮かび上がった。

 続けて首元から両頬に向かって、緋色に光る幾何学模様(きかがくもよう)の筋が浮かび伸びてゆく。


 黒い頭髪の所々にまで、緋色に光る毛がメッシュの様に色付くと、拳を高々と掲げた……。


「目には目を……歯には歯を……鬼には鬼の力で、テメェを浄化してやるよッ!!」


 そう言うと、数メートル下にいる鬼に向かって、全力で拳を振りかぶった。

 桃眞の拳から、巨大な緋色に輝く手が空振(くうしん)と共に飛び出し鬼を掴むと、地上の原型を留めていない神殿へと打ち込んだ。


 地面が揺れる。


 赤い衝撃波と()き上がる爆煙……。

 木片と(かわら)の破片が舞い上がる。

 


 ………………


 桃眞達は一体、何の為に、何と戦っているのだろうか。

 まずは、この物語の始まりから追って行くとしよう。


 そう、それはまだ桃眞が"(あやか)し"と言う存在を信じていなかった時の話だ……。




 『鬼喰いの浄鬼師~くらえ俺の消臭剤!妖怪怨霊シュパッと討伐!イマドキの陰陽師が青春と呪術に全力投球!!~』




「ハァ……ハァ……」


「ハァ……ハァ……ッ」


 

 赤みを帯びた満月の光が、絶望と恐怖、そして苦痛に歪む桃眞の顔を照らす。

 森から抜け出し、ようやく到着した住宅街を更に疾走する。

 涙を流し、息を切らしながらも、何かから逃げるかの様に公園の角を曲がる。


 "その存在"と遭遇するまでは、俗に言うオカルトと呼ばれるモノに対して否定的だった桃眞。


 未確認生物、幽霊、妖怪。

 そんな根拠の無いモノは、他人からの注目を集めたい寂しがり屋が、世に放った作り話であると……。

 映像、画像もそんな人達が作り上げた空想(フィクション)であったり、"かも知れないモノ"をオカルトに結びつけようとする人達の、ご都合主義から来るものだと思っていた。


 だが、今、後方から自分との距離を着実に詰めようとしている存在を目の当たりにし、桃眞は"その存在(ソレ)"が"現実(リアル)"なのだと実感していたのだった。



 脇腹の痛みを堪えながらも、後ろを振り返った。

 なんとか"その存在"を()く事が出来たのか? その姿は見えず、気配も感じなくなっている。

 桃眞は、この異常な事態に遭遇し、混乱を起こしている自分を鎮めるかの様に、自宅へと戻った。




 小さな門付の一軒家。

 築年数も古く、洋風な佇まいである。


 家に帰ると、廊下から階段を上がり自室に向かった。

 一階のリビングルームに繋がる、唯一(たたみ)張りの寝室では、両親が眠っている。

 そして、そのリビングルームのベランダから出入り可能な庭では、雑種犬の『イヌヒコ』が小屋の中で丸まっていた。




 桃眞は、勉強机に両手を付きながら、あらゆる負の思考と感情を落ち着かせようと、深呼吸を繰り返した。

 心臓の鼓動が早鐘のように全身に鳴り響く。


「どうしよ、どうしよどうしよッ……てか、アレは何だよ……。それに、真理(まり)翔太(しょうた)ッ……クッ……」


 "その存在"と遭遇する直前、桃眞の(そば)には同じクラスの二人の友達がいた。

 だが、森から抜け出せたのは桃眞一人だった……。

 彼らを置いて逃げて来たのか? いや、そうではない。残してくるしかなったのだ。


 何故なら――既に、息絶えていたからだ。


 余りにも唐突な事で、その時の事は克明(こくめい)には覚えていないが、確かなのは"その存在"が現れ、桃眞は二人と(はぐ)れてしまったと言う事。

 何とか二人を見つけた時には、翔太は四肢が無くなり腹が引き裂かれ、真理は、"その存在"の手から伸びる鋭利な鉤爪によって、顔が串刺しになり、足が地面から浮いていたのだ。


 (ゆえ)に、連れてくる事ができなかったのだ……。


 そのグロテスクな光景を思い出しただけで、嗚咽(おえつ)しそうになり、恐怖から全身が震えだす。

 そして、また涙が溢れ出した。

 二人を置いてきてしまった事への罪の意識と、失った事への喪失感。


「ごめん……ごめん……真理……翔太……」と声を出して涙する。



 暫く経ったが、まだ、頭も心も落ち着かない。落ち着けと言う方が無理だろう。

 自分が着ている学生服を見ると、白いカッターシャツが泥と(かす)れた血で汚れている。


 いつの間にか飛び出していた鏡の首飾りを胸元に仕舞い込む。

 小さな楕円形の鏡は何年経ってもその鏡面は美しく、錆びたり曇ったりと言うことも無い。

 物心ついた時から既に首から掛けており、片時も外した事が無い。



 その時、一階からガラスが大破する音が鳴り響いた。

 全身が感電したかの如く緊張し、心臓が止まりそうになった桃眞。

 嫌な予感……いや、ソレしか考えられなかった。

 


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