五話(ヤンデル視点)
数千年ぶりに主ができた。
新しい主は、――控えめに言って、馬鹿だ。
最初は単なる興味本位だった。
気紛れといってもいいだろう。
大陸の端にある小国が、時折、異世界人を召喚しているのは知っていた。
他の国ではとうに失われた術だ。
異世界人は精霊を惹きつける。
何故かは僕にもわからない。
けれど一目会った瞬間、魅了される。その者のために力を使いたくて仕方なくなる。
しかし、かの国に残った技術では産まれたばかりの低俗な精霊を従えさせる人間を呼ぶので精一杯。
僕はおろか、水も雷も風だって惹きつけるのは無理だ。
だから、また召喚が行われたと聞いて見に行ったのは、本当にたまたまだった。
思った通り、召喚されたのは、ごく普通の小娘。大した魅了の力もない。せいぜい人参の精霊でも従えればいい。
そう思ったけど、ちょっと出来心が湧いた。
僕が側にいれば、低俗な精霊は近寄ってこない。僕ほどではないにしても力ある精霊は小娘に魅力を感じない。
つまり、僕が近くにいれば、小娘に従う精霊は現れない。
せっかく呼び出した異世界人が精霊を使役できないと知ったら、きっとこの余裕のない小国の人間は失望し、辛く当たるだろう。
そのとき、小娘の心はどうなる?
破滅を望む?
滅亡を望む?
僕に何を願う?
そんな出来心だ。
ことは僕の思った通りに運んだ。
小娘が絶望を口にしたとき、僕は歓喜の声をあげた。
あとは僕が力をかしてやればいい。
久しぶりに大暴れするのが楽しみだ。
――と、思っていたのに……
小娘の願うことといえば、食事と小銭と人助け。
僕の力が自由に使えるってのに、馬鹿じゃないの。
これまで僕が仕えた相手は、皆、僕の力に狂喜した。
言葉一つで、国を潰し、山を消し、海だって吞み込めるのだ。当然だろう。
散々に暴虐の限りをつくし、最後は破滅する。
それが当たり前だと思っていた。
なのに小娘ときたら、やることなすこと理解に苦しむ。
僕という至高の存在が側にいるのに龍に目を輝かせ、自分の身を危険にさらして、僕に助けを求め、自分が僕のせいで忌まれる存在と知っても僕の手を繋いで逃げる。
挙句に結婚すると言い出した時は、開いた口が塞がらなかった。
本当に馬鹿じゃないの?
「クロスケでいっか。黒いし」
そう小娘が口にした瞬間、時が止まった。
精霊の中には魅了に抗えず、名前で縛られ、真実、心身ともに主のものになるやつが、ごく稀に存在する。
本当にごく稀にだ。
少し力があれば名前で縛られるなんてありえない。
僕ら精霊は、飽く迄自分の意思で主に支えるのだ。
名前で縛られるなんて、天地がひっくり返っても自分の身には起こりえないと思っていた。
それが、こうも、あっさり……
原因はわかっている。
ずっと気づかないふりをしていたけれど、こうなっては認めざるを得ないだろう。
僕は、嬉しかったのだ。
力に驕らない、破滅を願わない、主に出会えたことが。
主は小さな幸せで、嬉しそうに笑う。
その笑顔をずっと見ていたいと思った。
だから無意識に縛られることを選んだ。
もっと僕を見てほしい。
もっと僕を頼ってほしい。
いつか僕に溺れてほしい。
そう願っているのに、主は今日もそっけない。
「え、むり」
ケーキを差し出す僕を冷たく一瞥すると、立ち上がって行ってしまう。
僕は慌ててその背中を追いかけた。