7-5 ローズマリーのひとりごと
深い群青の空が、滲むような朝日を浴びて溶けていく。
澄んだ乳白から目の覚める水色へ。眩しい光は、やがてうっすらと茜を連れて、薄暮へ、そして群青へ。
日が昇っては、するりと消えていくように。瞬きの間に過ぎ去ってしまうかのように。
私たちのもとに届いた手紙は、それからのひと月の時の流れを変えてしまった。
あの日のレベッカの案は、陽の高いうちに手紙になって、沈む陽を背に東に向けて旅立った。
アリアさんからお返事が届いたのは、その一週間後だった。
太陽も寝ぼけている彼は誰時に起こされたレオンさんは、行列をなした幌馬車に詰め込まれた紙の山を見上げて、欠伸と言葉を飲み込んだ。言わずもがな、倒壊したレフィリアの屋敷から発掘されたという、アリアさんに一任されていたお仕事の成果だ。
「我ながら呆れた量だ」
そう呟いたレフィリアは、隣り合わせたレオンさんと同じ仕草で頭を抱えた。そのときのふたりの『笑うしかない』と言いたげな表情は、今でもはっきりと憶えている。
翌日の昼前、今度はラフィアとルーレインの国境、問題になっていた最前線からも報せが届いた。
それによると、つい先日、みずみずしい瞳の色の女性が、ふらりと前線にあらわれたのだという。兵たちの抑制の声を無視して、彼女は溢れるほどの魔物たちの渦へと飛び込んでいった。茶色の頭髪が風に揺れるたび、魔物たちはばたばたと打ち倒されてゆき、戦線が一気に押しあがった。とのことだった。
名を尋ねると、その女性は、差出人曰く『由緒正しい』フロストライン家の家紋が刻まれた短剣をちらつかせて、ふたたび森のなかに消えたらしい。安堵と不安をないまぜに抱えた指揮官は、すぐさま当主であるレフィリアに宛てて手紙をしたためた、ということだった。
どうやらアリアさんは、ひと仕事を終えた直後、休むことなく戦線に加わったようだ。
彼女とはまだあまり接点がないけれど、長い間記憶をなくして、自分が何者なのかを追い求めているという共通点がある。いつかゆっくりお話してみたいと思いながら、彼女の無事を願った。
手紙を開封しようとしたレフィリアが、何かに気が付いたようにレオンさんに声をかけた。直後、ふたりして肩を震わせて笑いはじめた。なんでも、その手紙の送り主である指揮官は、レフィリアの屋敷を襲撃したとき、ノインさんが幻覚魔法で姿を借りたその人だったらしい。
「ノインの印象が強すぎて、本人の筆致がむしろ偽物に見える」
ずいぶんな言い草だな、と思って見ていたら、レフィリアが私の肩を叩いて、穏やかに微笑みかけてきた。
「黙っているよりはよっぽどいいさ。見逃してやってくれ」
……惚気けられた。レフィリアもレフィリアで、レオンさんにはかなり甘いところがある。
ただ、そう思うのは私も一緒だった。ノインさんからの手紙がとどいてからというもの、レオンさんは些細な出来事を積極的に教えてくれるようになった。この手紙のお話も全部、みんなと顔をあわせる昼食の場で披露してくれたものだ。
つられて、クリスやポーラの口数も増えた。レベッカもそれに加わって、龍に対抗するため、みんながそれぞれに繰り返していた訓練と戦術が、ぐっと具体性を帯びはじめた。ばらばらだった歯車が、かちりと噛み合った音が聞こえた気がした。
そんな折、ノインさんとセイジから、二通目の便りが届く日がやってきた。
一通目の最後に『次の報告は今から一ヶ月後』とあったように、ちょうどきっちり一ヶ月後。時間は少し早まって、寒さを和らげてくれる陽光が、ゆっくりと眩しくなりはじめる頃合い。みんなの昼食の仕込みを終えた私は、王宮でいちばん高い展望室の屋根の上に登って、じっとその時を待っていた。
「お、先越されてたか」
ぱたぱたと泳がせていた足の下のほうから、聞き慣れた声が聞こえてきた。持ち上げていた視線をさげると、展望室の窓から身を乗り出したポーラが、ふわりと一回転しながら浮き上がってきた。
「よいせ……っと。おつかれ、マリー」
「おつかれさまです。きょうの訓練はどうでしたか?」
「え? そら一番は、マリーがおらん日って知ったときのみんなの顔やな。露骨に肩落としとったから、基礎鍛錬倍にして、地獄押しつけてきたったわ」
「ほどほどにしてあげてくださいね。午後は差し入れがありますから、そのようにお伝えください」
「あんまり甘やかしたらあかんで。みんな、マリーには何言うても許されるって思っとるからな」
「甘やかしているつもりはないんですけど……」
「そうなん? ……まあ、一番はしゃいどんのはクリスやけどな。最近なんか、昼時になったら露骨に機嫌よくなるしなあ」
「ふふ、あれだけ喜んでくれたら、こちらも作り甲斐がありますよ」
……レオンさんに倣って、私も意識してみんなと言葉を交わすよう、心がけるようになった。セイジがいたときは、セイジの背中を見つめてばかりいたから、みんなの顔をちゃんと見つめて会話することじたい、あまり積極的にはしていなかった。
だけど、私もこの場所を預かっている一員として、しっかりその自覚をもって行動しないといけない、と、そう思うようになった。
同時に、セイジの意外な存在感にも気付かされた。
声が大きいわけでもないし、口数も多くない。レオンさんみたいに指示を出すわけでも、クリスみたいに激を飛ばすわけでもない。ただ、小さなことにとてもよく気がつく人だった。
雰囲気が険悪になっても、セイジがぼんやりと口を開くと、みんなが手をとめて耳を傾けた。話が終わる頃には、刺々しいわだかまりはすっかり解れてしまう。戦っている時はハラハラさせられるけど、そうじゃない時は、少しだけ場を落ち着かせてくれる。うまく言えないけど、そんな不思議な人だった。
代わりにはなれないけど、私にできることがあるのなら――。
「――へくしょいっ!!」
ふいに、隣から大きなくしゃみが聞こえた。視線を向けた私を見て「平気や」と強がるポーラの首に、ほどいたマフラーをくるくると掛けた。
自分が少し寒くても、誰かがそれだけ暖かくなればいい。不器用だけど、セイジならきっとこうする。
「はい、これでよし」
大きなポーラの目が、ぱちぱちと瞬きを繰り返した。それも短い間だけで、やがて小さな口元をマフラーにうずめると、赤らんだ表情をふにゃりと緩めてくれた。
「……ええな、これ。ありがとうな」
「どういたしまして」
――ほら、笑ってくれた。
「ノインのその格好、寒くない?」
「少々寒いが、仕方あるまい。着の身着のままで押しかけたからな」
「あ、じゃあちょっとこっち向いて。そのまま――」
「待て、そのマフラーは貰い物だろう。いらぬ世話をするな」
「や、マリーだったらこうするかな、って……」
「(……こいつ、よもや惚気も天然か……?)」




