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境界線上の魔王  作者: 羽山一明
第七章 『境界線上にて』
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7-4 彼方から、また彼方へと

 ひらり。


 レオンの指先が宙を舞うたび、紙の音が連れ歩く。

 しばしの静寂。その余韻をたっぷりと受け取って、もう一度。


 ……視線を感じる。焦りはないが、少しばかり申し訳ない。

 各々が、各々に宛てられた手紙に読み耽っていた時間は、とうの昔に過ぎ去っていた。時折、所在なさげに揺れる衣擦れの音や、椅子の足が床を這うにぶい音が響く。いまだ顔を下げているのはおれだけだ。

 当たり前というべきか、想像通りというべきか、おれに宛てられていた報告書には、廃村の修繕と開拓の状況が、その経過も併せて事細かに記されていた。

 補完する落ち度の見当たらない、完成度の高い内容と纏め方はともかく、こちらの思考を先回りするような一文を合間合間に介入させるノインの筆致が、いちいち小憎たらしい。


「なにも、片っ端からおれに宛てなくてもよかっただろう。別添、親父にでも――」

『奴が口を閉ざす限り、何がどのように黒い魔力に絡むか判別ができん。口頭ならいざ知れず、文面による危険性が不透明な現状は、迂遠でも貴様を経由したほうが安全だろう』


「私信をまじえてなけりゃ、このまま正式な書類にできたんだがなあ……」

『貴様のことだ。私がどれだけ小綺麗に書き上げたとて、素直に流用などはしないだろう。ゆえに、あえて私見を散りばめた。好きに咀嚼して勝手にまとめろ』


 ……書類の扱いなら一日の長が、と思っていたが、さすがに大規模な商会で番頭を務めるだけある。

 本当に、小憎たらしい。読み終えた紙の山を束ねていると、冷めた珈琲のカップが下げられて、かわりに湯気の立ち昇る淹れたてが差し出された。


「……そろそろ、人心地つけたらどうだ?」


 張り詰めた静寂に、レフィリアの低い声が溶け出した。苦い香りに擽られ、レオンはひとつ大きな深呼吸をした。


「いや、とっとと済ませちまおう。気持ちと珈琲だけ貰っとくよ」


 薄く笑ったレオンがそう告げると、レフィリアは「そうか」とだけ頷いて、ふたたび腰をおろした。

 澄んだ陶器の音が重なって、みなが安堵と苦味の揺蕩う吐息をこぼした。ただひとりマリーだけが、両手で隠すように抱えたカップに向けて、静かな息を吹きかけてから、おそるおそる口をつけていた。

 その光景をひとしきり見守ると、レオンは卓上で音高く手紙を束ねた。


「お待たせ。じゃあ早速、共有させてもらう。って言っても、向こうの目的はふたつしかないから、纏めると大したことはないんだが……」


 視線が集中したことを確認してから、握りしめていた手紙を手放した。左手で頬杖をついて、右手の人差し指だけを立ててみせる。


「ひとつめ、村の修復の件。滞留していた魔力は、抵抗のない人間にも害のない水準まで封印を終えたそうだ。いまは区画の整理、村を守る防壁の建築、街道の整備にまで着手が進んでいて、こっちから建築や灌漑の専門家を送り込むまでには、やれる仕事はすべて片付く見立て、とのことだ」


 低い歓声が卓上を撫でた。ひときわ大きい声は、むろん当事者であるポーラとヘイゼルのものである。

 嬉しい報告は、しかし同時に懸念も孕んでいた。各々でそれを察した頃合、レオンもまた、みながそれを覚ったことを察した。


「ふたつめ、セイジの修練の件だけど、こっちはノインから『文面をそのまま読み上げろ』と指示があったから、そのとおりにする」


 レオンはそこで一枚の手紙を拾い上げ、咳払いを挟んだ。挟みながら、ノインの意図について、みじかい思案がよぎった。


 ――まさか、ノインのやつ、おれがまとめた言葉で場が暗くなったときのことを想定して、おれの罪悪感を肩代わりするつもりだったのか? これはあくまで『ノインの言葉』として共有させることで――

 そこまで考えて、レオンは思考を中断させた。根拠のない想像であるうえ、それまでの報告書の憎たらしさが蘇ったことにより、好意的に捉えることが腹立たしく思えてきたからだった。


 ここでいう『一同が抱える懸念』は、村の修復に時間をかけるあまり、本来の目的であるセイジの修練が遅滞しているのでは、というものであったが、ややあって顔をあげたレオンの表情が、それを真っ向から否定した。


「白の魔力は研磨され、黒の魔力は暴走知らず。清濁融け合う魔力を諸手に、灰色の軌跡で天地を往来するさま、十重に二十重に観察すれど疵瑕など到底見当たらず。然らば、人外代表として見立て、そして言祝ぐ」


 ひと呼吸ののち、ひらり、と手紙を取り落としたレオンが、おどけるように肩を竦めた。


「貴君らの友人はもう間もなく、天上人の領域に達するであろう――だとさ?」


 舞い落ちた手紙の乾いた悲鳴が、緩んだレオンの語尾の後を追った。具体的な反応は示されず、しかし立ち昇る戦意に似た高揚を感じ取って、レオンはゆったりと面々の表情を見回した。


 クリスは、強く燃える焔を瞳に宿し、薄桃色の唇を真一文字に結んでいた。指を掛けたままのカップが、身震いをしめすように微震を繰り返している。

 その隣のマリーは、緩めた口元を隠すようにして両手を重ねた。こちらは生来のものである、燃える色をした瞳を細めて、あどけない少女のように破顔している。

 もっとも大きな反応をしめしたのはポーラだ。手のひらで覆った顔を天に向け、そこから覗いた口元は、複雑な胸中を如実にしめし、取り繕う素振りすらみせない。

 そんな時、真っ先に妹に目を向けるであろうヘイゼルは、忙しげに目を瞬かせ、傾いだ首はもとの角度を忘れていた。

 レベッカに至っては、組んだ腕に胸を押し付けたままの姿勢で、虚空を見つめて動かない。かと思えば、龍として思うところがあったのだろうか、肩を震わせて苦笑をはじめた。

 滑るレオンの視線が最後に行き着いたのは、頬杖をついたまま自分を見つめるレフィリアの姿であった。


「……なにか、言いたげだな?」

「なにもないさ。ようやく君らしくなってきたな、と思っただけだ」

「…………」


 照れくささか恥じらいか、その両方か。ふい、と視線を逸らしたレオンを見て、レフィリアがますます口元を綻ばせた。


「あー……ただ、ノインが言うには、強硬派の龍たちが純粋にセイジの強さだけを脅威の指標とみなしていた場合、襲撃の様相に変化がみられる可能性を懸念しているらしい。まあ、これは現時点で考えてもしょうがないから、割り切ってもいいだろうな」

「判然としないことには同意しますが、でしたらなおのこと、セイジさまのご帰還までに当座の問題を解決しておきたいですわね」

「そうだな。帰還時期についても言及があったけど、遅くとも春までには、早ければあとふた月ほどの見込みらしい」


 そこで言葉を区切ると、レオンは両手を卓上に据えて、表情をすっと引き締めた。


「むこうは着実に課題をこなしているが、こっちの問題は燻ったまま、ルーレインともども、解決の糸口を掴めないでいる。情けないことだが、みんなの知恵と力を貸して欲しい」


 そう言って、レオンは視線を落として頭を垂れた。


「……自分、頭ええのにちょいちょいアホやな」


 軽く明るい声が、重々しい覚悟をあっけなく切り裂いた。頭をあげたレオンの視線の奥で、猫のように大きなポーラの目がじとりと据わっていた。


「こっちは初めからそのつもりやから、とっとと話詰めてこうや。そんで、一個気になることがあんねんけど、そもそも魔物ってなんで人里に襲いかかってくるん?」

「一般的には、魔力に釣られてやってくる、と言いますわ。それ以上の考証や究明となると、フェルミーナではまだ着手できておりません」


 迅速果断。レオンの迷いを飲み込んで提示されたポーラの疑問に対して、クリスがやや控えめに解答した。補足を求める視線が、流れるようにマリーへと移動した。言葉を求められていることを察したマリーは、いかにも困ったような表情をみせると、心苦しそうに口を開いた。


「すみません。私も、魔力の流れを読み取るのは苦手なので、あまり詳しくは……」

「龍としても、そこまで細かい掘り下げはできてないわねぇ。そもそも魔物の定義からして、かなりいい加減みたいだし、そういうことに詳しいのは、ねえ……」


 レベッカが言葉を結ぶまでもなく、一同の脳裏に、遠く西の空にいるふたりの名がよぎった。

 レオンは、自分をさしおいて始まった会話を、ひとしきり呆気にとられて見守っていた。会話が途切れた時機を見計らい、思い出したようにひとつ頷くと、手元の紙の束から、未開封の便箋に目をとめた。


「……今、ここで詰められないところはしょうがない。一度で解決するほど甘い見込みはしてないから、場当たり的にでも、段階的に解消していこう。いま浮上した疑問に関しては、むこうのふたりに聞けばいいだろう」

「聞く……って、どうやんの?」

「こいつが同封されてたんだよ」


 至極まっとうなポーラの疑問の前で、レオンは摘み上げた便箋を目の前ではためかせた。織り込まれた紙の真ん中で、群青色に発光する徽章が胸を張っていた。


「曰く、この便箋に魔力を込めれば、ひとりでにノインのもとに帰っていくらしい」

「じゃあ、その返事が来るまでは、さしあたっての策しか打てんってことやね」

「……さしあたりも何も、魔力を使わずに魔物を打ち倒せばいいんじゃないの?」


 気の抜けたレベッカの声に向けて、一同の視線が急旋回した。無色透明の針を全身に浴びてなお、レベッカはきょとんと小首をかしげた。


 ……魔力が魔物を誘致するのなら、魔力を使わずに戦えばよい。

 その考えに基づくレベッカの意見は、単純ながら確かに正鵠を突いていた。

 だが、それを実現させるために求められる実力は、並大抵の関門ではない。それこそ、セイジやクリスといった聖騎士級の剣術や体術が前提となる。いまこの場では、マリーとレベッカのふたりが条件に合致するが、どちらも龍の襲撃に向けて、特にレベッカは敵手との談合の可能性を残すために、この場を離れられない事情を抱えている。

 フェルミーナが抱える高等級の戦力は、もう粗方派遣してしまっている。残る手札は戦闘要員ではない宮廷魔導師団くらいのもので、彼らを遣わせる段階ともなれば、魔物どもが一般市民の居住域に侵犯するほどに状況が悪化した場合か、もしくは最後の殲滅戦に移行する段階かのいずれかに限られるであろう。


 本来であれば、他国からの襲撃、つまりルーレインの謀略に対抗するための戦力くらいは控えておきたいのがレオンの本心だが、そのルーレインが襲撃に見舞われている現状、このさいは不要な憂慮であった。

 人道に従ったといえばそれまでだが、もとはラフィアの作戦に伴っている問題である。ポーラとヘイゼルに余計な心労を負わせることを避けるためにも、戦力を出し惜しみする局面ではもはやない。


「悪いが、龍の襲撃でここが戦地になることも想定してるから、国内に残してるのは警邏くらいだ。手持ちの戦力はもう――」

「手持ちの兵だけが戦力じゃないでしょお? あの子のこと、忘れちゃってるのかしら?」

「…………?」


 ひとしきりの沈黙を挟んで、はっと声をあげたのはレフィリアであった。いまだ混迷のさなかを泳ぐ一同に先んじて、不穏に揺れる唇をレベッカに向けて開いた。


「……もしや、アリアのことか?」

「せいかぁい」


 フロストライン家が侍女、アリア。

 ノインとレベッカがレフィリアの屋敷を襲撃した際、龍のものであろう力に覚醒し、それでもヒトとしての記憶を残していた、きわめて異例の経歴をもつ人物であった。


「確かにあの力なら、魔物どもを引き連れるおそれはないが……」

「なあに? 適任でしょ? 何か、問題あるの?」

「いや、問題というかだな……」


 歯切れの悪いレフィリアの言葉が消え入り、代わりにレオンが肩を震わせて笑い始めた。


「アリアなら、お前が倒壊させた元屋敷の瓦礫のなかで、書籍や資料の発掘に勤しんでるだろうよ。あそこには、他人の目に留めたくない類のものが山積しているからな」

「そういうわけだ。適任に違いはないゆえ、文は出すが……」


 つづくレフィリアの言葉は、複雑そうに眉を寄せた表情が補完した。

 口には出さない。決して口には出さないが、それは紛れもなく『過半はお前の責任だ』と物語っていた。


「……レベッカは、そもそもなぜあの日、私たちに襲いかかってきたんですか?」


 レベッカの隣に座っていたマリーが、ふいに、しかしはっきりと呟いた。

 静謐なれど気迫に満ちた声を浴びて、ゆるりと腰掛けていたレベッカの体が跳ねるように震えた。燃えるようなマリーの瞳に佇む冷ややかな視線を横合いに感じて、合わせようと動かした視線を慌てて逸らした。


「だって……前任者が消えたから私が代わりに遣わされたのに、それから二年間、指示もなければ事件もない。強硬派からあれこれ急かされるのに、肝心の標的がどこにもいない。夜の仕事で時間はたっぷりあるのに、目立っちゃダメだからろくに外出もできない。あなたたち騎士で喩えると、仕事のない時間が産まれてから間もなく、延々と続いたのよ……だから、あの……えっと……」

「気持ちはわかりますけど、我儘はよくないと思います」


 長々と続いた釈明は、紅緋色の瞳に見据えられながら、ただの一言で切り捨てられた。

 解決策を見いだした本人自身に、解決に至らなかった原因があったという、何とも言い難い帰結に、何とも言い難い雰囲気が滲み出した。

 その渦中に立つレベッカが、なおも注がれるマリーの視線から目を逸らすように項垂れた。


「……ごめんなさい……」


 傲岸不遜、豪放磊落。或いは知識と知恵を携えた稚児。

 龍という生き物の歪さを、正しく抱えて生きてきたレベッカが、生まれて初めて頭を下げた瞬間であった。

「おい、セイジ。これはマリーに宛てた手紙か?」

「え? そうだけど、何かあった?」

「クリスから受け取ったマフラーの話をするな。書き直せ。そしてなぜクリスに宛てた文でその話をせんのだ。デリカシーが欠如しているぞ」

「……なんていうか、ノインもそんなこと言うんだね……」

「当然だ。龍とて常に成長しているのだからな」

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