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境界線上の魔王  作者: 羽山一明
第五章 『雨』
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5-1 夜明けにて、いまだ暗がり

 半開きになった窓から、わずかばかりの風が入り込む。

 雑音といえば、鈴の音のような虫たちの声と、薪が弾ける暖炉の音、そしてゆるりと読み進められる本のページをめくる音だけであった。

 絵に書いたような平穏な風景に、扉の叩く音が、ことり、と飛び込んだ。


「レフィリア、そっちはどうだ?」


 返事を待たずして姿をみせたレオンは、いかにも年季の入った様子の分厚い本を、溢れんばかりに抱え込んでいた。返答こそ口に出さなかったレフィリアだが、机に山積していた本と書類を左右に分けて、迎え入れる態度をみせる。その隙間に遠慮なく本を積み上げたレオンが、荒っぽい所作とため息とともにすわりこんだ。


「……そちらも、収穫がないようだな」


 つられて、レフィリアもため息を吐き出す。針のようにするどい、いつもの軍装の彼女からは想像がつかないほどの、それは弱々しい声であった。


「見当もつかん。まいったね、こりゃ」


 レオンの口調もまた、文面そのままにいつもの調子とはほど遠い。


 ……ラフィアの作戦終了から丸一日が過ぎた昼下がり。

 避難民を含め、作戦に関わった人員のほぼ全員が、レフィリアの屋敷に転がり込むなり、体の求めるまま夢の世界へと沈んだ。特にポーラとクリスの体調は思わしくなく、ポーラは作戦開始以前よりの孤軍奮闘で蓄積した疲労が、クリスは治癒と戦闘の両立がそれぞれたたっており、今し方、ようやく食卓で姿を見かけるまで眠り続けていたようだ。

 そのふたりに休むようすすめたレオン自身も、むろん万全の状態とはいえなかった。

 しかしそれ以上に、あのような規模の戦闘の後で、気を抜くわけにはいかない。

 ただでさえ魔物がうろついていることもある場所で、あれだけの規模の戦闘を繰り広げたのだ。警戒を出さないという選択肢はありえない。

 ……しかし、人手もない。

 国境近辺からの土地を所有するレフィリアと肩を並べて唸っていると、リュートとマリーが音もなく近寄ってきて、警戒にあたると名をあげてくれた。


「龍が追っているのはあくまで私ですから、巻き込むわけにはいきません」

「セイジのことをもっと早く説明しておくべきでした。すみません」


 それぞれに負い目を感じる形で、責任をとると出向いてくれたのだ。


「…………すまない、たのむ」


 レフィリアは、眉間にしわを寄せながら、ため息まじりに謝辞を述べた。責任の所在うんぬんはともかく、軍属どころか、ルーレインやラフィアの国民ですらないふたりに後始末を押しつけることが躊躇われたらしい。

 ところが、マリーに関しては、やや事情が異なっていた。

 出発前に食事をしたいとの提案を受け、案内していたその道中『リュートはこちらで監視しておきますので』と耳打ちをされたのだ。

 レオンとしては願ったり叶ったりの話であるのだが、話が次々に前へと進むばかりで、いっこうにまとまりを見せない点、ありがたくも苦々しいばかりであった。

 滅多なことでは動揺をみせない年長者ふたりであるが、また境界線から化け物が沸いて出ただの、龍があらわれた挙げ句、襲撃されるかもしれないだのと、およそ人の世であってはならないような報告が相次ぐと、さすがに目を回した。

 回しながら、体と頭はごく自然に、未知の局面の対処へと目的を切り替えた。


「ほんと、ラフィアの住民の受け入れがどうとか、そんな規模の話じゃなくなってきたな」

「うむ……」


 ふたりは今、司書よろしく文献を読み漁っている。

 龍などというものは、人の世の文献には伝承というかたちでしか残されていない。

 ゆえに対処の的からは外された。残るはふたつである。


「どこかで、確かに見た覚えがあるのだ」


 作戦終了直後からレフィリアがしきりに繰り返していたのは、あの水のような化け物のことについてであった。

 しかし、レオンはいかにも懐疑的な表情としぐさで、当初はその調査に賛同をしめさなかった。


「あんなのが昔いたってんなら、その時はどうやって対処したんだ?」

「わからない……が、気の所為ではないと思う」


 そう言いながら、レフィリアは膨大な蔵書から魔法書や研究資料を引っ張り出してきた。

 ルーレインは代々、水をあやつる魔法を得意としている。レフィリアの生家フロストラインは建国以来の名家であり、長い歴史のなかで偉大な人材を大勢輩出してきた。

 なかでも先代当主であるレフィリアの祖父は、ルーレインに名を残す魔法使いであったと聞いている。ともすれば、あの巨大な水のようなものを召喚する術も開発していたのかもしれない。


「……じゃあ、あの化け物に関してはそっちに任せるよ」


 レオンはレオンでやるべきことがあった。勝手知ったる様子で屋敷の蔵書をかき分けて、眠気に負けじと読み漁る。

 だが、探究心ではなく義務感をもって、さらに疲労まで引きずりながらの意地の張り合いは、半日ほどで志を半ばにした。

 かくしてレオンは、レフィリアの執務室へとちょっかいをかけに、もとい意見を擦り合わせるために転がり込んだのであった。


「君は、あの聖騎士をよほど気にかけているのだな」


 何気ないレフィリアの声に、呪詛のような独り言をこぼしていたレオンが、目線だけを持ち上げた。


「私は立ち会っていなかったが、あれを焼き殺すほどの魔力など、目の当たりにしただけで心が折れてしまいそうだよ」


 淡々と本を読み進めながら、諭すように。レフィリアの言葉は、机に突っ伏したレオンに静かに覆いかぶさる。

 聞こえていないのか、いないフリをしているのか、反応はまったく返ってこない。

 紙をめくる速度に反比例して、髪をがりがりと掻きまわすような音と、重苦しいため息の数が増えていくあたり、起きてはいるようだ。間違っても捗っている方向には進んでいないようであるが。

 投げ出すのもむりはない、と、レフィリアは思う。

 レオンが食い入るように睨み続けているのは、発禁に値するいわゆる禁書や、鼻で笑われる以前に人の目に入ることのないような夢想を詰め込んだ研究書の類であり、正気でなかったとしても食指の進むものではないだろう。

 だからこそ、レフィリアには不思議ですらあった。人に隠れて努力こそすれ、大抵のものはさらりと流してしまうレオンにとって、あの聖騎士はいったいどのような存在なのか。

 ふたりのたてる音が徐々に静けさを増していった頃合い、ふいにレオンが本をとじた。何を思うわけでもなく、レフィリアもそれに倣うと、どちらともなく持ち上げた視線が重なった。


「……前にも、こういう話したと思うけどさ」

「ああ」


 額に手を当てながら、レオンがぽつりと口を開いた。他人とは言えない間柄のレフィリアだが、ここまではっきりと苦悩を隠さないレオンは珍しかった。


「あいつ……セイジはさ、こっちにいる間はずっと魔法が使えなかったんだ。だから剣の練習だけに打ち込んでたんだけど、顔を合わせた日はほとんど毎回、おれに魔法を教えてくれるようせがんできてさ」

「うん」


 相槌をうつのが正解とは思えない。だけど、口を挟むべきでもない。

 思うところがあったとしても、なんとなく、そう感じたのだ。


「だけど、あいつはいつまでたっても魔法が使えないままだった。剣の腕は天才的だったから、よけいに悔しかったんだと思う。『おれはこんな当たり前のこともできないのか』って、泣いてたこともあったんだ」

「うん」

「そんで、わけもわからんまま聖騎士の称号を押し付けられて、国同士の諍いのきっかけになるからって、彼の地に送り込まれて……帰ってきたら、今度は誰にも理解されないくらい、滅茶苦茶な魔法も使いこなしてて」

「ああ……」


 初めて見るレオンだった。

 浮かんだ思いをそのまま口にしたような、まるで理路整然としない、子供の愚痴のような吐露。


「できないことを理解するのは簡単だよな。みんな通る道だから、振り返ればいい……でも、誰よりもできるやつはどうすればいいんだ? そいつがどれだけ考えて悩んで、それでもその力と付き合わないといけなくなってるとき、どこの誰になんて声をかけてもらえればいいんだ?」

「……………」


 ああ。そうか。

 こいつも、クリスと一緒だったんだ。

 親しい人間が遠い世界に消えていって、追いかける術も力もなくて。

 クリスが自分を磨き上げたように、レオンもべつの形で支援できるように。セイジどのを迎え入れる準備をしていたのか。


「あいつは、何も悪くないのに……」

「すまなかった」


 震える声を絞り出したレオンの前で、ひとつの鍵束がちいさな音をたてた。


「単なるお節介だとか、いつもの責任感だとか、そういった動機かと思っていた。確かに、私もセイジどのには助けられてばかりだ」


 鍵束とレフィリアの間でひとしきり視線を往復させてから、レオンは無言で手をさしだした。


「立入禁止にされていたおじい様の書斎の鍵だ。晩年はむしろ研究者として名を馳せていたから、研究書の類も残されているだろう」

「……いいのか? お前もまだ入ったことないんじゃないのか」

「なんだ、やめるのか?」

「冗談」


 鍵を握りしめて、レオンはすっと立ち上がった。眠気とともに迷いも吹っ切ったような所作をみとめて、レフィリアも思わず笑みをこぼした。


「すまん、行ってくる」

「ああ、なにかあったら呼んでくれ」


 振り返ることなく飛び出していったレオンを見送って、レフィリアはひとつ大きく、安堵の息を吐いた。

 一方で、頭の隅にひらめいたのは、やはりセイジの魔力のことであった。


「……確かに、禁書のようなものに縋りでもしないと、届かない領域だな」


 ラフィアの化け物を討伐した際の話では、セイジどの自身の防護魔法二枚に加え、レオン、クリス、ポーラ嬢……あと、あの自称龍の結界。

 超級魔法使いの防護魔法五枚と結界魔法に阻まれてなお、熱波が届くほどの炎の魔法だったそうだ。セイジどの自身の防護魔法がなければ、全員無事ではすまなかっただろう。

 魔法というものは、攻防の魔法がかち合うと通常は防護側が競り勝つ。相手を破壊する思念より、自己を防衛する思念のほうが働きやすいからだ。

 ……そのうえで、あの有様だ。

 魔法使い何人分だとか、最早そういった次元の話ではない。

 調べて知ったところで解決する話ではなさそうだが、なによりセイジどの自身が自分の魔力の強さの理由を知りたがっているのだ。

 気持ちの問題だとしても、仕組みもなにもわけもわからず使い続けるのは精神的によろしくない。ましてやその力が、守るべき他人をも巻き添えにしかねないほどの力を秘めているとなれば、騎士としては塞ぎ込むのは当然の心理だ。

 そして、目下の懸念はまだもうひとつ。


「それにしても、いつ目を覚ますのかね……」


 ……ラフィアの作戦終了から丸一日が過ぎた昼下がり。セイジが倒れておよそ一日半。

 セイジは、いまだに目を覚ましていなかった。

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