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境界線上の魔王  作者: 羽山一明
第四章 『龍』
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4-11 覚醒

「じゃあ、始めるぞ」

「はい、いつでも」


 クリス、マリー、レオンの三人が肩を並べ、上空へとまっすぐに手をのばした。

 聖騎士試験時に用いられた、窮地をしめす合図を送りあう魔法具。セイジの意識が確かならば、三人の位置を特定できるはずだ。

 化け物をくい止めればくい止めた人間が、くい止めなければ結界もろとも住民たちが巻き添えを食う。困難に見えたセイジの脱出は、外法ともいえるリュートの介入により、望みを繋ぐことができた。

 それに先だって、作戦の趣旨であった住民たちの避難がおこなわれた。案内役としてレフィリアが先導し、魔力に耐性のないヘイゼルもそこに同行した。


「ここまできたら最後まで見届けるわ」


 ポーラはそう言って、セイジ救出作戦に加わることとなった。だが準備のさなかもレオンから目を離さなかったあたり、べつの目的もあったのだろう。


「リュート、そろそろ始めるで!」

「すみません、もう少々お待ちを」


 上空では、様子変わらず静止したままの化け物のそばで、リュートが監視をつづけていた。直接的な戦闘能力はないらしいリュートだったが、避難が終わるまでの間、化け物を無効化している魔法の監視も必要であったので、特に異論なく一任された。


「おまたせしました」


 舞い降りたリュートが、セイジが残した防護魔法の陰に集まった一同に合流した。その視線はすでに、上空の化け物へと注がれている。


「では」


 ささやくようなクリスの合図で、三人の手のひらが光彩をはなった。長い沈黙をはさんで、マリーがぴくりと耳をそばだてた。

 その直後、化け物を覆い尽くす球状の魔法があらわれた。

 クリスを筆頭とする歓声は、するどい破裂音によって遮られた。語尾をのみこんだ一行が見守るなか、時が凍り付いた化け物の上部から、人影が飛び出した。


「セイジさま……?」


 瞬間、待ちかねたように飛び出したクリスの声が、色彩を失った。

 セイジ以外の何者であるはずのない人影は、文字通り影のような漆黒をまとっていた。身じろぎするたびに不安定に揺れる輪郭と、空に滲んで溶け出したえも言えぬ魔力が、防護魔法二枚を隔ててなお、クリスの喉を息苦しく塞いだのだ。

 重々しい視線を注がれたセイジであろう影は、ゆったりとした動作で剣を抜いた。脇差しのような形状と、刀身の周囲で光るオレンジ色の魔力。クリスが見紛えるはずもない、それは間違いなく、セイジの愛剣『鈍色蛍』であった。


「たまに怒るとああなりますから、彼は大丈夫ですよ。ただ……」


 閉口した一同の動揺を抑えるような、ぼんやりとしたマリーの言葉を待つこともなく、セイジは腕をのばして剣を掲げた。

 そしてその剣を、動かぬ化け物にひと息に突き刺した。


「防護魔法!」


 目の覚めるようなマリーの一喝に、みなが弾かれたように反応した。前に躍り出たマリーを中心に、防護壁と結界が四重の層をつくりだした。

 直後、壁の向こう側の視界がぐにゃりと曲がった。悪寒が全身を走り抜けるや否や、凄まじい熱波が周囲を覆い尽くした。

 水と氷に覆われた草花生い茂る景色が、瞬きのうちに燎原と化した。形あるものは平等に燃え尽き、焦げて塵と消えた。

 むろん、標的となった化け物も例外ではなかった。頭部に刺さったままのリュートの魔法が粉々に砕け散ると、間隙もなく、空間が激しく振動をはじめた。それが化け物の放った悲鳴であることがわかったのは、拘束を解かれた化け物が、セイジの張った球体のなかで見るも痛々しくのたうち回っていたからだ。

 四方八方、針状にのばした体で暴れる化け物だったが、壁には亀裂の稚児さえ産まれない。ならばとセイジ自身に襲いかかるが、セイジ自身からなおも強く放たれた炎に、触れる間もなく蒸発させられた。

 地上の五人がその景色を見上げていたのは、ほんの十数秒の間だっただろう。

 その短い時間のなかで、一行の感覚は何度生死を往来しただろうか。やがて振動が徐々に収まると、巨大に過ぎた化け物は跡形もなく消え去った。

 ふたたびセイジが剣を掲げると、白々とした粉雪がどこからともなく現れて、円形に痩せ細った大地にしとしとと降り注いだ。


「…………はぁ」


 誰が吐いたのだろうか。

 そのひと息は、幻想的な景色への感嘆ではなかった。

 化け物は消失し、戦いは終わった。だが誰一人として、厳かな表情と構えを解く者はいなかった。マリーでさえも。


「ローズマリー様、確認します。あれは味方ですか? それとも……」


 問いかけたリュートが、解答を待たずに結論を出した。化け物を硬直せしめた魔法陣が発現し、セイジへと矛先を向けた視線は射抜くように鋭い。

 みじかいマリーの沈黙ののち、セイジはふたたび構えを解いた。穏やかとは対局に位置する戦士たちの意識が、その一挙手一投足に集中している。

 ぼうっと腕を下ろしたまま沈黙していたセイジの体が、ふと翻った。化け物を覆っていたものと、クリスたちの前にあったもの。セイジが張った二枚の防護魔法が砕け散ると、その向こう側で、セイジはまっすぐに地面へと落ちていった。

 声も躊躇いもなく、マリーが空を斬る勢いで駆け出した。剣を握りしめたまま頭から落下するセイジの体を、既の所で飛びつき、抱きかかえた。


「セイジ!」


 地面に身をなげうったままの姿勢で、腕の中に抱えるセイジに呼びかける。

 ぴくりとも動かない体、弛緩したまま土を撫でる手のひら、生気のない顔つき。ただひとつ、身を覆い尽くしていた黒い魔法だけが、身を潜める蛇のようにしゅるしゅると、セイジの体内に収まろうとしている。

 それを見たマリーが、泣き出しそうな表情でセイジをそっと抱きしめた。みなの呼び声に気がつくと、ひとつ鼻をすすって、そっと立ち上がる。


「マリーちゃん……」

「すみません、本当は、もっと改まった場で説明したかったのですが」


 言葉を区切り、マリーは一度かるくうつむいた。眠るように目を閉じるセイジを見やり、物悲しげに唇を結んで、ふたたび顔をあげた。


「これが、セイジが人の世に帰ることのできなかった理由のひとつです」


 ――絶望的な条件下で断行されたラフィア住民救出作戦は、長い道程の末に未知なる化け物の襲来を受けながら、誰一人被害者を出すこともなく、その任を終えた。

 だが、最大の貢献者であることに誰も異論を唱えないであろうセイジ・ルクスリアの活躍については、その後あらゆる公的な場において、いっさいの報告がなされることはなかった。

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