決意
第四位が作ったとされる研究所は、王都の北の端にあった。
高い塀に囲まれた、監獄のような建物だ。
塀は材料はレンガのようだ。
しかし、モルタルが固まった後に、上からさらにモルタルを塗って平らにしてあった。
真っ白で隙間がない。
鉤爪のようなもので上っていくのは、たぶん無理だ。
ロープか何かを引っかけようにも、壁の上には妙なワイヤーが張られている。
たぶん警報装置の類だ。
妙なことをすれば、兵士が集まってくるに違いない。
壁の中と外をつなぐのは、たった一つの出入り口。
馬車が通過できそうなぐらいの大きさがある門だ。
そこは常に閉ざされていて、数人の門番が立っていた。
気づかれずに入り込むのは不可能だろう。
とりあえず、正面から行ってみる事にした。
門番が俺を睨みつけてくる。
そんな不審者面した覚えはないのだが。
門番の一人は壁に向かって喋っている。
俺のことを誰かに報告しているようだ。
壁に穴が開いていて、向こうの控え室か何かとやりとりできるのだろう。
門番の一人が俺の前に立つ。
「おまえは誰だ?」
「誰でもいいだろ?」
「ここは、おまえのような者が来るところではない」
「俺を誰だと思っている? こう見えても、宮廷魔術師なんだが?」
「……知らん。帰れ」
「第四位宮廷魔術師に合わせて欲しい」
門番はぴくりと眉を動かしたが、それだけだった。
「今すぐ帰るんだ。さもないとお互いに困ったことになる」
こいつらは、第四位が関わっていることを隠しておきたいらしい。
俺はどうしようかと考える。
脅しが利かないとわかったら、こいつがどう出るのか、それが知りたい。
警備兵を呼ぶのか、それとも俺を直接殺しにかかるのか。
「俺を不審者のように扱わないでくれ。なんなら警備兵に確認してくれても良いぞ」
「うるさい。名前ぐらい名乗って見ろ」
ふむ。
警備兵は呼ばれたくないタイプか。
なるほど。
「トムだ。トム・ファイト」
本名を名乗るのはやばそうだったので、偽名を名乗ってみる。
「そんな宮廷魔術師はいないはずだ」
「そうだったか? じゃあ、俺は宮廷魔術師じゃないのかもな」
「帰れよ! 嘘がばれたんだから帰れよな!」
門番は怒り始める。
「まあ落ち付けよ。ここで待っていたら、第四位に会えるかな?」
「この建物を何と勘違いしているのか知らないが、そんなお方はこられないぞ」
「そっか……。じゃあ本人の家に行ってみるよ。邪魔して悪かったな」
俺はそう言って、第四位の家とは逆の方向へと歩いていった。
本当、何なんだろうな。
そしてふと思う。
ここに侵入して、それで俺はどうしようと言うのだろう。
まず間違いなく多くの物を失うだろう。
正体がバレれば処刑は免れない。
バレずに逃げ切るのは難しそうだし、成功したとして……それで何か得る物はあるのか?
俺は考え事をしながら町を歩いて、気づいたらアカデミーの建物の前に立っていた。
最後に来たのは、ほんの数日前のはずなのに、遠い昔の出来事のように思える。
中に踏み込むのに、一瞬ためらった。
自分はもう部外者になってしまったような気がしたからだ。
入ったからと言って、別に捕まったりはしないだろうが。
通用門の辺りでうろうろしていたら、意外な人物に会った。
教授だ。
「クズマ君じゃないか。どうしたんだねこんな所で」
いつもの部屋以外で会うのは、わりと珍しい事だ。
「いえ、特に用事はないんですけど」
「そうかね?」
「……」
「なるほど。暇なら、ちょっと付いてきなさい。話がある」
何がなるほどなのか良くわからないけれど、俺は従った。
アカデミーの敷地を出て、少し歩いて、何の看板も出ていない建物に入った。
中は、小さな喫茶店みたいな場所だった。
「アカデミーの近くにこんな店があったんですか」
「学生でいるうちは、ここまで来る理由はないだろうからな」
確かに、アカデミー内の喫茶スペースで事足りるもんな。
教授は勝手知った様子で、奥の方のテーブルに席をとる。
俺は向かい側に座った。
注文、コーヒーを二つ。
「話って、何でしょうか?」
「うむ。なんと言ったら良いのやら……。最近の君は精細を欠くな」
教授は曖昧な事を言う。
「そうでしょうか?」
「何かに悩んでいるように見える。しかし、別に研究が行き詰まっているというわけではないのだろう?」
「ええ、今のところは」
今俺が期待されているのは、植物の成長速度を速める装置の改良だろう。
まだ何にも取りかかれていないけれど、手順はだいたいわかっているし、発生する問題も予想がつく。
「あ。大量の魔力を確保する時って、どうしたらいいんでしょう?」
「魔力? ああ、君のあの装置はかなりの魔力がいるな。ふむ……」
教授は少し考え込んだ後に言う。
「確か、炎から魔力を導き出す装置、というのを聞いたことがある。不便な部分も多くて、あまり研究が進んでいないようだが、それを使えば、あるいは……」
「それはよさそうですね……。火夫を雇う必要はあるけど、一日中装置を作動させられそうです」
さすがは教授、参考になる。
「しかし、それが君の悩みかね? 違うだろう」
「……」
「技術的な相談がしたいなら、アテはいくらでもあるだろう。こんな所で私と話あう必要はないんだ」
確かにその通りだ。
俺はどう言葉を紡ぐべきか、迷った。
そもそも、何を迷っているのか、それがわからなかった。
「なんと言うか……実際に宮廷魔術師になってみて、思っていたのと違うな、と感じることが多くて」
「そうだろうな。中に入らなければ、わからないこともある」
「」
教授は俺を正面から見つめる。
「そもそも、どうして君は宮廷魔術師になりたかったのかね? 宮廷魔術師の何がいいと思った?」
「大きな研究をできるのは、凄いし、うらやましいと思っていました。自分の研究が国の行く末に関わるようになりたいと」
「なるほど。しかし、それは違うのではないか?」
「え?」
「国の行く末に関わるような研究をするのは、宮廷魔術師だけかね?」
「それはもちろん……、あれ?」
例えば、長距離砲のアルトム。
あれはどうだ?
間違いなく国に貢献している。
王家から重用されるぐらいには、むしろ重用されすぎて宮廷魔術師になる事を禁止されるぐらいに、貢献している。
軍がお金を出しているおかげで、研究資金も潤沢だ。
本人がどう思っているかはともかく。
研究者としては理想的な環境だろう。
「それに宮廷魔術師は一人で国を動かすような研究をしているわけではないだろう。手伝う者はいるだろうし、他人の基礎研究を参照する事だってあるはずだ」
確かにそうだ。
宮廷魔術師にならなくたって、大きな研究をする方法はいくらでもある。
だったら、宮廷魔術師には何の意味があるって言うんだ。
「……宮廷魔術師って、何のための制度なんですか?」
「私も知らぬが……研究者に研究資金を与えるための制度ではないかね」
教授はあっけらかんと言う。
「研究資金に困っていない研究者なんていないからな。それが国から無条件で払われると言うなら、悪い話ではない」
「それはそうでしょうけど」
「裏を返せば、それだけだ。研究者にとって、宮廷魔術師と言うのは、金の算段の選択肢の一つに過ぎない」
ドライだなぁ。
「教授は、宮廷魔術師になりたいと思ったことは、なかったんですか?」
俺が聞くと、教授は遠い昔を思い出すように上の方に視線を向ける。
「若い頃はあった……君と同じように、そういうチャンスが巡って来たこともあった。だが、結局やめた」
「どうして、ですか?」
「現実を見たからだな。貴族の権力争いに巻き込まれて、疲れ果てている魔術師を見たら、後込みしてしまったのだよ」
「それが理由で?」
「いや。研究のためなら多少の疲労は仕方ない。しかし……あれは自分のやりたい研究ができなくなってしまうかもしれないと思った」
「それは……そうかもしれませんね」
今の俺がやってるのだって、自分のやりたい研究じゃないもんな。
「君はどうだった? 私がならなかった宮廷魔術師になってみて、何か得した事はあったか?」
「……どうなんでしょう? 今のところは、まだ何かが変わったと思ってはいませんけど」
「そうかね?」
「思ったより尊敬されてなくて、……しょぼい感じだったんだな、と」
「なるほど」
教授はそう言うが、
「しかし、違うな。君が悩んでいるのは、そう言うことでもないように思うんだがね?」
「いや、それは……」
ミリアが……。
「君、恋人はいたかね」
「今はいませんよ」
「過去にはいたのかね?」
「まあ、いたと、言えなくも、ない、ですね……」
ミリアの事をどう表現するべきなのかよくわからなくて、どうしても歯切れが悪くなってしまう。
「最近別れた、なんて言わないだろうね」
「いや、それは。別に……」
「まさかとは思うが、君は、宮廷魔術師になるために代償を払ったのかね?」
「……っ!」
なぜ、それを?
代償と表現するのは、微妙に違うが。
結果的に見れば、俺は、ミリアを売り渡して、宮廷魔術師の地位を得たにも等しい。
両方同時に手に入れる事はできなかった。
俺は、ミリアの安全のために、あの選択をしたつもりだった。
けれど……本当にそうなのだろうか?
ミリアを掛け金にして、宮廷魔術師ギャンブルに挑んだだけなんじゃないか?
「最も大切な物を、そうと知らないまま失った。そして失ってから気づいた。そういうことなのかね?」
「いや、俺は……」
ミリアが大切だって事ぐらい、ずっと前からわかっていた。
ただ、手放す以外の道がなかっただけで……
「違うというなら、別にそれでいいがね……。一番大事な物が何なのか、ちゃんと考えておかないといけない」
俺にとって一番大事な物。
それはミリアだ、間違いない。
つまり。
ミリアを取り戻したい、これが俺の願望だ。
ミリアを取り戻す事は出きるだろうか? たとえ、宮廷魔術師の地位と引き換えにしてでも。
……。
ん?
不可能では、ないよな……。
俺は思わず口を押さえる。
誰にも見せられないような笑みを浮かべそうになっているのを、自覚したので。
「教授、この前預けた設計図が必要になったんですけれど、今すぐ取りに行ってもいいですか?」
「……」
教授は俺の顔を見て、何か難しい顔で考え込んでいた。
が、何かを諦めたようにため息を付く。
「構わんよ。君にとって、それが最善であると言うのなら……」
何だと思われたんだろう?
なんでもいいか……。
「喜ばしい事だ。やはりクズは真人間になってもクズなのだな」
大先生、それの何が嬉しいのかわかるように言い直してくれませんか?




