83 戦場の祝宴、咆哮する筋肉と氷の真理
その日の午後は異様なほどに静かだった。森の小鳥たちが一斉に鳴き止み、風に乗って微かに鉄と油の嫌な匂いが聖域に流れ込んでくる。
「アキト。どうやらゴミ掃除の時間が必要なようね。私の魔力感知に下等な鉄屑を纏った害虫共が数十匹、南の境界線を越えたのが映っているわ」
テラスで分厚い魔導書を捲っていたセレフィナが顔を上げずに冷たく告げた。その隣で巨大な骨を齧っていたゴードンが「ぬはは!」と地鳴りのような笑い声を上げる。
「かかか! ようやく退屈凌ぎが来たか? 若造、あの連中、以前お主が追い返した騎士団の生き残りか? あるいは欲に目が眩んだ傭兵崩れか? どちらにせよ、儂の斧の錆にするにはちょうど良かろう」
「待て、二人とも。そんな空腹な状態で戦いに行かせるほど俺は無責任じゃない」
俺はエプロンの紐を強く締め直し、厨房の奥に保管していた特別な食材を取り出した。
これから戦いに向かう二人のために俺が作るのは食事という名の魔力燃料だ。ゴードンの筋肉に爆発的な瞬発力を与え、セレフィナの脳に超次元の演算速度をもたらす。
調理工程:魂を焼く『戦神のブラッディ・チョリソー』
闘気の圧縮:金剛角犀の首肉を粗挽きにし、そこに火龍の落とし子の粉末と、発酵させた狂暴猪の血を練り込む。
【究極の調理】:タンパク質超高密度圧縮。一噛みで牛一頭分のエネルギーが全身に駆け巡るよう肉の繊維を極限まで凝縮させる。
演算の加速:セレフィナ用には世界樹の雫をベースに脳の血流を限界まで高める月光銀杏の成分を抽出した『銀の知性ジュース』だ。
【究極の調理】:思考神経同期。
飲むだけで魔力回路がオーバークロック状態になるよう魔法式を直接液体に刻み込む。
「これが俺からの支給品だ。庭を荒らされる前にさっさと片付けてきてくれ」
「――っ! ああ、脳が沸騰する。世界の解像度が一気に数千倍に跳ね上がったわ。貴方、私を神にでもするつもり?」
セレフィナが銀髪を逆立て瞳を怪しく紫色に発光させる。一方、チョリソーを飲み込んだゴードンの身体からは真っ赤な蒸気が噴き出していた。
「ぬぉぉぉぉぉ! 漲る! 漲るぞぉ! 若造! 儂の全盛期さえも微温く感じるほどの力がこの拳に宿っておるわい!」
ゴードンが大斧を片手で軽々と振り回すと、その風圧だけで周囲の木々がしなった。
「リナ、ミカ、二人の背中を見ておけ。これが聖域の守護者の力だ」
「は、はいっ! 行ってらっしゃい、お二人とも!」
「ゴードンのおじいちゃん、暴れ過ぎないでよーっ!」
二人の激励を背に最強の脳筋と最恐の魔女が森の奥へと消えていった。
――ここより三人称視点――
森の境界線付近。
黄金の狼を旗印に掲げた重装傭兵団、総勢五十名が慎重に歩みを進めていた。
「へへっ、この先に伝説の聖域があるって話だ。宝も女も全部俺たちの――」
傭兵隊長が下卑た笑みを浮かべた瞬間――目の前の空間が赤い衝撃波によって真っ二つに割れた。
「喧しいわ、羽虫共が!」
「なっ、なんだぁ?」
上空から降ってきたのは全身から真っ赤な闘気を噴き出す巨大な老人。ゴードンが着地した瞬間、半径十メートルの地面が爆ぜ、重装傭兵たちが木の葉のように舞い上がった。
「かかか! 軽い、軽いぞ! アキトの料理を食った今の儂は山さえも片手で放り投げられる気がするわ!」
ゴードンが大斧を横一文字に薙ぐ。それはもはや物理的な攻撃ではなく、空間そのものを削り取る真空の刃だった。
「ひ、ひぃ! こいつ前代の武王ゴードンだ! 生きてやがったのか?」
「構わん、魔法を放て! 数で押せぇ!」
傭兵たちの魔導師が一斉に詠唱を開始する。 しかしその頭上から冷徹で美しい声が降り注いだ。
「無駄よ。貴方たちの稚拙な魔法式、構成される前に解答が出ているわ」
空中に浮かぶセレフィナ。周囲には数百枚に及ぶ銀色の魔法陣が、まるで万華鏡のように展開されていた。
バフを受けた彼女の演算能力は今や一国の宮廷魔導師団を遥かに凌駕している。
「多層次元干渉:氷結する真理」
セレフィナが指先を小さく振る。次の瞬間、傭兵たちが放とうとした火球や雷撃が、空中でそのまま凍りついて静止した。魔法そのものが凍結するという理外の現象。
「さあ、掃除を続けましょうか? ゴードン、右後方から六匹、逃げようとしているわよ。私の計算通りに動けば一分以内に絶滅させられるわ」
「ぬははははは! 命令するなと言いたいが……今の儂にはお主の声が心地よい戦歌に聞こえるわい! 行くぞ!」
前線で爆発的な破壊を撒き散らすゴードンと、後方から神のごとき精度ですべてを支配するセレフィナ。料理バフによって極限まで研ぎ澄まされた二人の蹂躙劇はまだ始まったばかりだった。




