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80 毒舌の銀髪魔女と聖域の新たな騒音

 聖域の朝はいつもリナの「アキトさん、おはようございます!」という元気な挨拶と、ミカが獲ってきた朝採れ食材をカウンターに叩きつける「お兄さーん、これ見てよ!」という賑やかな音で始まる。しかしその日は穏やかな喧騒を切り裂くような、氷のように冷たく、それでいて不遜な声が響き渡った。


「うるさいわね。低級な鳥のさえずりの方がまだ音楽的価値があるわ。貴方たちの声帯は無意味な雑音を撒き散らすために最適化されているのかしら?」


「えっ?」


 リナとミカが呆然と入り口を振り返る。そこに立っていたのは腰まで届く長い銀髪を揺らし、鋭い紫の瞳を細めた一人の美女だった。身に纏っているのは漆黒のドレスのような法衣。手に持っているのは魔法書というよりは鈍器に見えるほど厚い装丁の本。


「誰、あんた? ここさ、一応立ち入り禁止の聖域なんだけど」


 ミカが警戒して腰の短剣に手をやる。


「立ち入り禁止? 滑稽ね。この程度の脆弱な結界が私の歩みを止めるに値するとでも? 知能指数がスライム並みの狩人さん」


「なっ……スライム並み? あんた、喧嘩売ってるわけ!」


「喧嘩? 滅相もない。私はただ客観的な事実を述べただけよ。それからそっちの聖女のなり損ないのような娘。口を開けて見惚れていないで、さっさと中へ案内しなさい。ここに私の知的好奇心を満たす概念を超えた料理人がいるのでしょう?」


 俺はキッチンの奥でティータイムの片付けを終えたところだった。心の静寂で彼女の侵入は察知していたが、これほどまでに口が悪いとは予想外だった。


「客ならカウンターに座ってくれ。ただし店員への暴言は禁止だ。ここは俺の家だからな」


 俺が姿を現すと銀髪の女は不敵な笑みを浮かべた。


「貴方がアキトね。思ったよりは人間らしい形をしているわ。私はセレフィナ。王都の国立魔導図書館を退屈過ぎて追放された真理の探求者よ」


「追放……要するにその毒舌のせいで居場所がなくなっただけじゃないの?」


 ミカがイライラと髪を掻き上げる。


「あら、野性的な勘だけはいいのね。でも安心してアキト。私は貴方の料理を鑑定しに来ただけ。もし私の期待を下回るようなら、この家ごと貴方たちの無能な記憶を消去してあげるだけよ」


「リナ、ミカ、放っておけ。こういう奴には言葉じゃなく、皿を出すのが一番早い」


 俺は静かに包丁を握った。

 リナは「うう、なんだか怖い人です」と怯え、ミカは「絶対に後悔させてやるんだから!」と息巻いている。 最強の調理師のキッチンに、かつてない猛毒が加わった瞬間だった。


 セレフィナを黙らせるために俺が選んだのは極限まで透き通ったスープ――『深層海水の水晶コンソメ・世界樹の薫香』だ。


 見た目はただの水のように透明。しかしその中に数万種類の魔力特性と旨味を閉じ込める。知性派が最も混乱し、そして屈服する料理だ。


 調理工程:矛盾を調和させるマスタリー。

 透明な闇の抽出:エルマンに運ばせた深海の真珠貝と、ゴードンが仕留めた天山鳥の胸肉。これらを魔力で加熱しながら徹底的にアクと雑味を排除する。


【究極の調理】:原子レベル濾過。

 スープから色の原因となる粒子さえも取り除き旨味成分の分子だけを残す。


 思考停止の味付け:世界樹の雫をたった一滴。


【究極の調理】:情報付加。

 食べた者の脳に直接幸福の記憶を書き込むような精密な魔力調整を行う。これはもう調理ではなく魂へのハッキングに近い。


「さあ、飲んでみろ。能書きはその後だ」


 セレフィナは目の前に置かれた透明な液体を馬鹿にするように鼻で笑った。


「なにこれ……お湯? それとも私を洗浄するための聖水かしら? もしこれを料理だと言うなら貴方の正気を疑うわ」


 彼女は冷ややかな手つきで匙を取り一口その液体を口に含んだ。


「――――――――っ!」


 刹那――セレフィナの手に持っていた厚い魔法書が床に落ちて音を立てた。鋭い瞳が信じられないほど大きく見開かれる。


「なっ、なに……これ? 脳が……融ける。旨味の質量が論理的な許容範囲を完全に逸脱しているわ」


 セレフィナの白い肌がみるみるうちに赤く染まっていく。毒舌を吐くための唇は小刻みに震え、氷のようだった表情が、熱に浮かされたように崩れていった。


「くっ……悔しいわ。たかが食物。たかがアミノ酸の結合体でしかないはずなのに……私の構築してきた全魔導理論が、この一杯のスープで完全に論理破綻オーバーライトさせられた」


「ぷっ、あははははは! 見てよリナちゃん、あんなに威張ってたのに顔真っ赤にしてぷるぷるしてるわよ!」


 ミカがここぞとばかりに指を差して笑う。


「セ、セレフィナさん、大丈夫ですか? お水持ってきましょうか?」


 リナが心配して駆け寄るがセレフィナは手を振り払い涙目になりながら俺を睨みつけた。


「貴方、責任を取りなさい。こんなものを食べさせて、私の舌を汚染した責任を」

「責任? 満足したならさっさと王都へ帰れ」


「断るわ。この事象を完全に解析するまで私はここを動かない。この家の一角を私の書斎兼飼育小屋として提供しなさい」

「ん……飼育小屋?」


「ええ。貴方たちがこの高次元の料理に相応しい知性を手に入れられるよう私が教育してあげるという意味よ。感謝なさい、低級生物共」


 セレフィナはそう言い捨てると、まだ震える足で勝手にソファに座り込み再び魔法書を開いた。ただしその本は上下逆さまだった。


「ということで、今日からこの毒舌銀髪女が居候に加わった」


 俺が夕食の準備をしながらそう告げるとリナとミカから絶叫が上がった。


「お兄さん、冗談じゃないわよ! あんな性格破綻者と一緒に暮らせるわけないでしょ!」


「アキトさん……毎日馬鹿にされたら自信がなくなっちゃいます」


「ふん、自信なんて最初から存在しない虚像でしょう? それよりアキト、次の料理はいつかしら? 私の脳が次の真理を求めて禁断症状を起こしているわ」


 セレフィナは相変わらず不遜な態度だが、その目は既に鍋の中を獲物を狙う猛獣のような、あるいは恋する乙女のような熱量で見つめていた。


「やれやれ。これからはもっと騒がしくなりそうだな」


 伝説の商人、聖教騎士団の隊長、元武王。そして王都を追放された史上最悪の毒舌魔導師。 最強の調理師の周りにはもはや常識の通じない連中しかいない。


 俺は少しだけ口角を上げた。クセの強い食材ほど調理のしがいがあるというものだ。


「よし、今夜のメインディッシュはセレフィナの歓迎会だ。全員、腹を空かせておけよ。言葉が出なくなるほど美味いもんを作ってやる」


「ふん、期待せずに待ってあげるわ」

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