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78 武王の渇きと魂を焦がす獄炎の肉塊

 三メートルを超える巨躯。背負った大斧。立っているだけで周囲の木々が震えるような圧倒的な闘気。前代の武王ゴードンが放つプレッシャーは、これまでの敵とは次元が違っていた。


「ふん、逃げ出さぬか? 度胸だけはあるようだな若造」


 ゴードンの鋭い眼光が俺を射抜く。俺は心の静寂を極限まで研ぎ澄まし、闘気を心地よい熱風程度に受け流していた。


「逃げる必要がないからな。ここは俺のキッチンだ。あんたがどれほど強かろうが鍋を振るっている間は俺がこの世界の王だからな」


 俺は静かに包丁を握り直した。リナとミカが青ざめながらも俺を信じて背後で待機している。ギンの低い唸り声が微かな緊張を厨房に添えていた。


「武王。あんたの渇き――その闘志に見合う剛の一皿を出してやるよ。ただし、あまりの衝撃に膝をついても知らないからな」


「かかか! 言うたな! 儂を満足させられたなら、この斧、貴様の薪割りにくれてやってもよいわ!」


 俺が選んだ食材はエルマンが運んできた希少肉の中でも最高硬度を誇る金剛角犀ダイヤモンド・ライノの首肉だ。並の剣士では傷一つつけられない鋼の筋肉。これをあの火龍の落とし子で真っ赤に染め上げる。


 調理工程:暴力的なまでの旨味の抽出。

 解体の極致:【究極の調理】:分子振動破砕バイブレーション・カット 

 

 俺は包丁に微細な魔力の振動を乗せ、金剛角犀の硬い繊維を細胞レベルで断ち切っていく。ただ切るのではない。肉の中に眠る生命力を呼び覚ますように特定の節を叩く。ゴードンの目が細くなった。


「ほう、ただの料理人の手つきではないな。筋の流れを完全に読み切っておる」


 獄炎の火入れ:巨大な鉄鍋を熱し牛脂ならぬ火龍の脂を投入。瞬間に噴き上がる紅蓮の炎。そこに肉を放り込む。


 熱量の絶対掌握:極点集中加熱スポット・バーン


 炎の勢いを一点に集中させ、肉の表面を一瞬で硬化させる。旨味を逃さない絶対的な殻だ。さらに大量の火龍の落とし子と熟成味噌を絡める。キッチン中に呼吸が困難になるほどの辛味成分と暴力的な肉の香りが爆発した。


 闘気の練り込み:仕上げだ。俺は魔力を味の調和のためにではなく、あえて鋭利な刺激としてソースに込める。


「武王、これが俺からの返礼だ」


 真っ赤に染まった肉の塊がゴードンの前に置かれた。立ち上る湯気はまるで生きている龍のようにのたうち回っている。


 ゴードンは巨大な手でフォークを握った。一切れ口に放り込む。


「――――――――っ!」


 一瞬、森の空気が止まった。ゴードンの太い首筋に血管が浮かび、瞳が内側からの熱に焼かれたように赤く発光する。


「おお……おおおおおっ!」


 ゴードンが咆哮した。それは苦悶ではなく歓喜。あまりの辛味に脳が痺れ、しかしそれを上回る圧倒的な肉の旨味が、老いた細胞一つ一つを叩き起こしていく。


「なんというっ! この辛さは戦火だ! 舌の上で千の兵がぶつかり合い、この肉の弾力は宿敵の拳を彷彿とさせる! 若造、貴様……料理の中に戦場を再現しおったか!」


 汗を滝のように流しながらゴードンは夢中で肉を食らいソースを飲み干した。最後の一片を飲み込んだとき、ゴードンの身体から放たれていた刺々しい闘気が、一転して穏やかで深い大海のような魔力へと変化した。


「……参った。完敗だ」


 ゴードンは大きく息を吐き、椅子を軋ませながら背もたれに身体を預けた。顔からは先ほどまでの凶悪さが消え、一人の満足した老人の顔になっていた。


「儂はこの世のすべてを力でねじ伏せてきた。だが……満足という名の敗北を味わったのは初めてかもしれん。アキトよ、貴様の言う通りだ。この厨房の中では貴様が唯一無二の王だ」


 ゴードンは腰を上げると突き立てていた大斧を軽々と肩に担いだ。


「薪割りにやるという約束は一旦預けておこう。代わりに一つ忠告だ。王都の教団や騎士団、それ以上の化け物共が、この味を嗅ぎつけて動き出しておる。だが、安心せよ。この獄炎の礼として儂が少しの間、この山の麓で暇を潰してやろう。儂の鼻に付くハエ共は、この斧で追い払ってやるわい」


「それは助かる。あんたの食い扶持くらいは、いくらでも用意してやるよ」


 俺が不敵に笑うとゴードンは満足そうに笑い森から消えていった。


「アキトさん……本当に武王を満足させちゃったんですね」


 リナがへなへなと座り込む。


「お兄さん、これもう、スローライフどころか世界最強の梁山泊になってない? 伝説の商人に、聖教騎士団の隊長に、今度は前代の武王だよ?」


 ミカが驚きと呆れが混じった声で笑う。


 俺は汚れた鉄鍋を洗いながら静かに微笑んだ。確かにのんびりとした生活とは少し違うかもしれない。しかし最高の食材を手にし、それを最高の腕で調理し、認めてくれる奴らに食べてもらう。


「悪くないさ。守るべきものが増えれば、それだけ料理も美味くなる」


 俺は窓の外、世界樹の若木を見上げた。その麓では伝説の武王が居眠りを始めている。ここは今や世界で最も危険で、世界で最も美味しい聖域だ。


 俺は再び包丁を手に取り明日から始まるであろう、さらに賑やかな毎日に向けて新しいメニューの構想を練り始めた。


「よし、明日は武王のために少し優しくて深いスープでも仕込むかな」


「私、手伝います!」


 リナの明るい声が平和を取り戻した森に響き渡った。

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