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59 嗅覚を越える速度、そして氷の騎士の転落

 地下水脈での隠遁生活を終える時がきた。シエナが嗅覚無効化の結界術を完成させた今、これ以上地下に潜んでいるのは悪手となる。


 俺はシエナの冷徹な分析と、次に控える王都本隊との戦闘に備え最後の準備を終えた。


 それが地下水脈のキンキンに冷えた水と、ギンが獲った高魔力の湖魚を極限まで加工した瞬火のタタキ・ジェルだ。


「リナ、これを。一口で全力疾走を三時間維持できる」


「うわ、またドス黒いペーストですね……でも命の輝きを感じます」


 リナはジェルを一気に飲み込むと、背中から熱が湧き上がり、全身の魔力と筋力が一気に高まるのを感じた。


「行こう、シエナの罠は森の境界線にあるはずだ。料理で作り上げた俺たちの物理バフが、あの冷徹な騎士の計算を上回れるか試す」


 俺は心の地図で森の東側に、わずかに魔力の歪みがある場所を発見していた。あれこそがシエナの仕掛けた対料理人用の待ち伏せ陣地だろう。


 俺たちは地下水脈を後にし、夜明け前の静寂な森を、強化された脚力と機敏さで疾走した。


 東側の境界線に到達した瞬間、周囲の温度が急激に低下した。


「来たぞ、対臭覚防御装置だ!」


 周囲の木々が一瞬にして厚い氷の膜に覆われる。空気中の水分さえも凍りつき、魔力の流れを完全に遮断する氷の魔力結界。この結界は調理の香りという情報を外に出させないためのものだった。


 結界の中央、巨大な凍結した岩の上に銀色の鎧に身を包んだシエナが静かに立っていた。瞳には以前のような苛立ちの色はない。ただ冷徹な分析者としての自信に満ちていた。


「これで貴様の最も恐ろしい武器は封じた。今回は感覚ではなく、力と速度で捉える。抵抗は無意味だ」


 シエナの背後には五体の鋼鉄ゴーレムが、魔力探知を避けるための特殊な素材で覆われ待機していた。


 シエナがゴーレムに命じるよりも早く、俺は瞬火のタタキ・ジェルの最大限バフを発動した。


「リナ、ギン、突っ込め! シエナの予想を速度で超えろ!」


 俺の身体から魔力を熱エネルギーに変換し尽くしたかのような白く微かな湯気が立ち上る。俺たちはゴーレムの攻撃予測範囲を遥かに超える、音速に近い加速でシエナに向かって突進した。


 シエナの冷徹な瞳に初めて動揺の影が走る。


「馬鹿な……その体術と速度は料理の範疇ではない! 純粋な肉体強化術か? いや、計算が合わない!」


 ゴーレムたちが鈍い動作で腕を振るうが俺たちには当たらない。俺は腰に下げた調理ナイフを抜きゴーレムの関節部に、物質の浸透圧制御バフを応用した超振動・極限切断を打ち込む。


 予想外の物理戦闘に対応するため、シエナも強力な奥の手を発動した。


「致し方ない。凍牙の奈落フローズン・アビス


 シエナの手に握られた、王都から支給されたばかりの強力な魔導杖が、凄まじい魔力を放出する。足元の氷結した地面が巨大なクレーター状にえぐれ、深い地下の岩盤にまで達する魔力による地層破壊が始まった。


 この魔術は一瞬で広範囲の地形を変形させ、俺たちの足場を奪うのが目的だった。


 しかしシエナの動きは焦っていた。予測不能な速度に冷静な判断力が揺らいだのだ。


 ゴーレムが俺のナイフで破壊されるのを視界の端で捉えたシエナは数瞬だけ魔力制御の集中を失う。


 凍牙の奈落が発動した直後、シエナが立っていた凍結した岩盤が、魔力の反動で大きく剥がれ落ちた。


 シエナは自身が生み出した深過ぎ奈落の裂け目に体勢を崩して転落した。


「シエナ様!」


 残りの精鋭騎士が叫ぶ。


 転落する際に強力な魔力探知機能を持つ対臭覚防御装置が、岩に激しく打ち付けられ魔力を放出して大破した。シエナ自身も落下で身体を強く打ちつけ鮮血が銀色の鎧を汚した。


 そのまま逃げ去ることもできた。シエナは戦闘不能、追跡チームは混乱している。これ以上ない逃走のチャンスだ。


 だが脳裏にシエナが森の外れで真剣に香りの情報を分析していた姿がフラッシュバックした。ただの冷酷な追跡者ではなく、技術を極めんとする者だった。


「アキトさん? 今がチャンスですよ!」

「いや、逃げない」


 俺は地面の裂け目まで戻ると慎重に奈落を覗き込んだ。深さ十メートルほどの底で、シエナが魔導杖を杖代わりに、苦痛に顔を歪ませながら片膝をついていた。


「シエナ、動くな! 骨が折れているかもしれない!」


 俺は岩肌を伝って奈落の底へと降りた。


「な、ぜ……逃げろ。貴様が私を助ける義理はない」


 シエナは呼吸を荒げながら怒りと困惑の混じった表情で俺を睨んだ。


「お前は俺の料理の脅威を王都からの道具に頼らず、自分自身で分析し打ち破ろうとした。その探求心は料理人として評価する」


 俺は彼女の傷口を瞬時に確認し、強力な薬草と包帯で応急処置を施した。その時、森の奥から無数の魔力反応が近づいてくるのが感じられた。


 シエナの顔に再び冷徹な表情が戻った。


「本隊だ。私を追って王都の精鋭が来ている。このままでは貴様は確実に捕まる……いや、私もこの状態で本隊に回収されれば失態の責任を取らされる」


 シエナは冷たい理性の光を瞳に宿し言った。


「私を追跡者として捕らえるのは今ではない。貴様の究極の技術……一時的に私に貸せ。この状況を切り抜けるため貴様と一時共闘する。代償として本隊の弱点を教えてやろう」


 奈落の底で王都の騎士と逃亡中の料理人という、常識では考えられない共闘関係が冷たい握手とともに成立した。

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