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11 聖女の追跡と森に落ちてきた少女

 不可視の食卓結界が発動して以来、ログハウス周辺は完全な静寂を保っていた。冒険者ギルドも美食家も、このエリアを「なんの変哲もない魔力の薄い森」として認識している。


 俺はこの平穏を享受していた。今日も新たな調理に取り組む。


「結界の維持には魔力蜜の絶え間ない供給が必要だ。となると俺の魔力も効率的に回復させなければならない」


 前回作った『空飛ぶ魚の極上握り』で得た感覚の鋭敏化バフを活用し、新しい飲み物に挑戦していた。


 材料の選定村から得た森のベリーをベースに山奥で採取した『七色の香草アロマ・ハーブ』を組み合わせる。


【究極の調理】:精油抽出と調和エッセンス・ハーモニー

 感覚の鋭敏化と精密操作バフをフル活用し、七色の香草に含まれる七種類の精油成分を、一滴たりとも損なうことなく分離・抽出する。そしてその精油をベリーの果汁に最も香りが引き立つ比率で再調合する。


 完成したのは飲むと全身の感覚器官がクリアになる透明な液体だ。


 感覚の饗宴センス・フィースト。香草の持つ情報過多な刺激を、あえて調和させることで脳が最高の休息を得る。


 一口飲むと外界のすべてがクリアに、そして鮮やかに感じられた。木の葉が風に揺れる音、苔の成長する匂い、結界を流れる魔力の音。すべてが心地よい音楽のように響く。


「このドリンクがあれば、万全の状態で、最高の食事の時間を楽しめる」


 俺の鋭敏になった感覚が、これまでにないほど強大な魔力の接近を捉えた。


 王都方面から一人の女騎士と魔術師らしき男が森を高速で移動してくる。彼らが身に纏う装備は以前の冒険者とは格が違う。王宮直属の騎士団か、あるいは大貴族の私兵団だ。


 ついに来たな。金でも脅しでも駄目だと判断し、今度は力づくで解決しようとする最も厄介なパターンだ。


 女騎士は隊長らしき冒険者よりも遥かに強く、全身からほとばしる魔力は、この森の魔物の中でも上位に匹敵する。術師も以前の者より探知能力が高いようだ。


 俺のログハウスの存在するエリアに到着するとすぐに動き出した。


「術師、探知を。侯爵様は聖女の作った黄金のスープが、戦力増強に不可欠だとおっしゃられている。なんとしてでも、この術者を見つけ出し王都へ連行するのだ」


「承知致しました、騎士隊長。これは対魔力偽装探知アンチ・カモフラージュです。どんな偽装結界でも、その根源を炙り出します」


 術師は巨大な水晶玉を掲げ、強力な魔力波を放った。魔力波は森全体に広がり、俺の不可視の食卓結界に直撃する。


 一瞬、結界が唸りを上げた。ログハウスは術師の探知魔力によって霧のように揺らぐ。


 まずい、強力な探知だ! 魔力蜜の保存料だけでは防ぎ切れない!


 俺はすぐさまログハウス内で【究極の調理】スキルを起動させた。


【究極の調理】:防御応用。旨味の無限拡散アンティ・ノイズ


 結界内に循環させていた究極の出汁の濃縮エキスに魔力を注入し探知魔力の波にぶつける。出汁のエキスは術師が放った探知魔力に触れると、旨味成分(アミノ酸と核酸)の周波数へと魔力を強制変換した。


 術師が受け取ったのはログハウスの正確な座標ではなく、舌の奥が痺れるほどの、極めて美味な味の波動だった。


「ぐっ! な、なんだこれは? 甘い、しょっぱい、酸っぱい、旨い! 強烈な味覚情報が脳に流れ込んでくる!」


 術師は探知を中断し、水晶玉を取り落とした。味の波動は彼の精神を混乱させ探知を不可能にした。騎士隊長は激昂する。


「臆病者め! 探知が駄目なら力でこじ開ける!」


 騎士隊長は剣を抜き放ち、ログハウスがあるはずの大きな木に向かって強力な斬撃を放った。だが斬撃は結界に触れた瞬間、食材を叩き割るエネルギーへと変換され威力は極限まで減衰。大きなログハウスの表面を、かすり傷一つつけられずに霧散した。


「な、なんだこの防御は? 触れた途端に魔力が消えた?」


 騎士隊長が混乱に陥った、次の瞬間だった。


「ひゃうっ! 眼鏡、眼鏡が!」


 彼らの背後、森の細い山道からなにかが転がり落ちてくる音がした。


 見ると一人の少女が抱えていた分厚い本や資料を周囲に撒き散らしながら勢いよく斜面を滑り落ちてきた。茶色の髪を乱し顔には大きな丸眼鏡をかけている。その眼鏡は滑り落ちる途中で外れ顔の横で宙を舞った。


 少女は勢いそのままに騎士隊長と術師が警戒する大きなログハウスの結界の境界線を、まるでなにもないかのように通り抜け、俺のログハウスの扉の前で見事なまでにドジな着地を決めた。


 彼女が転んだ場所は騎士隊長が物理的な侵入を諦め、警戒を解いたまさにその直後の盲点だった。


「いたたたた……あ、あの、ごめんなさ……きゃあ!」


 少女はようやく顔を上げて、目の前にあるはずのないログハウスの扉と、その先にいる俺を見て驚きのあまり声を上げた。


 ログハウスの中、俺はカスタードプリンの最後の仕上げをしていた手を止め完全に固まった。


「え?」


 結界は敵対的な魔力を持つ者を完璧に排除する設計だったが、ドジで魔力を持たない一般人の、単なる物理的な落下までは想定していなかったらしい。


 外では術師が震える声で叫んだ。


「隊長! 今なにかが、あの木の向こう側へ?」


 俺の静かなスローライフに、予期せぬドジっ子の訪問者が、文字通り落ちてきた瞬間だった。

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