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言質

 しばらくすると、文化祭の終わりを告げる放送が入った。

 今頃、外部のお客さん方は帰されているのだろう。

 こんな人のいない場所だというのに聞こえてきた足音に、見回りという仕事があるのを思い出した。……でも、ここから出るのを教師陣に見られたら、怒られるかもしれないし。こういう空き教室は正当な理由なしでは基本入っちゃいけないし。そう思って一旦座ろうとしたとき、先程聞こえていた足音が、真後ろで止んだ。

 すぐさまそこから距離をとると同時に、扉が開かれる。


「うわ」


 その顔を見て、思わず声を洩らした。

 彼は当然のように中に入ってきて、後ろ手に扉を閉める。


「やっほー綾ちゃん」


 目を細めて、微笑む。明らかに形だけ細められた目から、彼が日向なのか、葵なのかを判断しようとする。残念ながらゲームのヒロインは必ず所持している瞬間双子見分けスキルは持ってないからね。いつもは雰囲気だとか声の違いで判別してるけど、今はどちらともいえない。

 両方、彼らが誤魔化そうと思えば、簡単に誤魔化せてしまうものなのだ。

 彼はこちらに歩み寄ってくると、私の手首を掴んで、ねぇ、と掠れた声で言った。


「どっちだと思う?」


 ぐっと顔を近付けて、彼は浮かべていた笑みを消した。姿も声も、雰囲気も誤魔化されて、判別の材料にはならない。だが、じっと私を見ているこの瞳を、私は前にも一度、この距離で見た覚えがあった。

 以前同じことを問われたときも、彼は今と同じ、間違わないでほしいとでも言いたげな、怒りを残しながらも泣きそうな目で私を見ていた。

 もう一人と互いに執着し合い、見分けられないのに不満を持ちながらも同じ姿であり続ける彼らにとって、この判別は大きな意味を持つのだろう。

 これは多分、利用すべきことだ。生徒会室での葵の言葉が聞き間違いでなければ、日向は……どこが良いのかはわからないが、私に好意を持っている。だが、彼の好意は長続きしない。もって二ヵ月。じきに離れていくとしても彼の傍にいたいと願う程、私は純粋じゃない。想定内だからと、彼が私から離れても殺めはしないと断言できる程、私は真っ当じゃない。

 だから、そうなる前に彼からその好意を消してしまうのが楽だ。これで間違えれば彼は私に失望して、そこにある好意も、きっと消え失せる。


 掴まれた手首から伝わる微かな震えが、ほんの僅かに揺らぐ瞳が、それだけ期待をしているのだと伝えてくる。

 他人から大した根拠のない、自分勝手な期待をされるのは嫌いだ。その期待通りに動けなかったとき、理不尽なまでに失望されるから。それが不愉快で、私はいつも、期待に応えるための努力は、絶対しない。


 ……それでも、もう一人とよく似た濃い茶色の瞳は、期待をしている以上に、縋っているようで。

 こんなにも切実なものを裏切られるのはつらいだろうなと、思ってしまった。



「……夏草庶務でしょう」



 合ってるとは限らないのだから、なんて無駄に言い訳しながら、双子の弟よりも少しだけ淡い、宝石みたいな瞳の彼に答えた。どうしてそう思ったの、とか細い声での問いに、君の方が目の色が少し薄いからと返す。

 それを聞いてゆっくりと見開かれた目はやっぱり葵よりも淡い色で、窓から差す光をきらきらと反射していた。

 やがて手の震えが収まりゆくと同時に、彼は嬉しそうに、だけど泣きそうな顔で笑う。


「正解。綾ちゃんらしいね、目で判断するって」

「そう?」

「うん、そうだよ」


 手首を掴んでいた日向の手がするりと下に降りて、一瞬の隙間も作らないように指を絡められる。私を逃がさないようにする指も、手のひらも私より大きくて、熱をもっている。


「さっきの葵の言葉聞いたでしょ」

「聞いたよ」

「……あっさり肯定するね」

「まぁ君達にバレてるし。それで、何を言いに来たの」


 注がれる視線がつらくて逸らそうとすると、もう片方の手ですぐに日向の方を向かされる。


「聞いてきたのは綾ちゃんなのに、目を逸らさないでよ」


 そう言った彼の目は、熱を孕んでいるのに、ひどく静かで。

 それはどこか、空達が見せるようなものに似ている気がした。

 上辺だけじゃない、心の奥底からの感情に微かに執着が入り混じった、とても綺麗とは言えない何かがそこに燻っている。

 情けなくも混乱する頭の隅で、さらに情けないことに、私は気持ちを昂らせていた。そんなことが許される立場でもないのに、彼の瞳に棲むそれを、ひどく喜んでいるのを自覚する。


「僕は、綾ちゃんが好きだ。僕と、付き合ってください」


 窓からの光で煌めいて宝石みたいだった瞳が、今はその水晶体の中で黒く細く煙をあげる熱のせいで、退廃的な妖しさをもって反射光をゆらゆらと揺らしている。

 身動きがとれないよう繋がれた手に、さっきと同じように優しく、でもしっかりと力を込められた。ただ手段としてするだけのおざなりなものじゃなく、それが今何よりも大切なことなのだとでもいうように、丁寧に、互いの掌の僅かな隙間も埋められる。

 ……気付かれている。

 私の日向への感情も、彼をすぐに受け入れず、すぐに拒みもしない理由も。

 私は今、迷っているのだ。彼を私の、我儘なんて言葉では済まないようなものに、巻き込もうとしている。本当に、卑怯だ。どこまでも臆病で、卑怯だ。

 鼓動が厭に早くなっていくのを感じながら、上ずった声を出す。


「君は……君は、長くもたないじゃないか。夏草会計と違って別れないだけ、感情自体は何度か二か月近く保ったのを見たぐらいだ。付き合ったその日に消えたことだって、あったでしょう?」

「うん、でも今回は、今までとは違う」

「どうして言い切れるのさ。私は、恋人の目が、自分以外に向いたら……はい別れましょうなんて、言える自信がない」


 私は、“恋人”の一生を束縛してしまう。

 はっきりと、そう伝えたのに。


「わかってる」


 冗談と捉えたわけではないらしかった。本気だと理解してなお、彼は静かな目を、声を、真っ直ぐこちらに向ける。

 最初に日向が好きだと気付いた時、色んな意味でまず叶わないだろうと思った。日向は砂糖菓子の似合いそうなひたすらに可愛い子を好むし、その長続きしない性質は私が求めているものとは真逆だ。もう皮肉か何かかと思う程に、合っていなかった。

 そうだ、合っていないんだ。


「夏草庶務」

「駄目だよ、聞かない」

「え」


 答えを言う前に、遮られた。驚いて目を見開くと、彼は私を咎めるように言う。


「その答えは聞かないからね。僕が欲しい答えじゃない」


 断ろうとしたのを、見透かされたらしい。

 日向はそんなに人の感情に敏い印象がないだけに、それが少し悔しい。


「……君、今まで告白した相手にも同じように脅してきたのかい」

「ううん、そもそも断られることなかったし。僕が好きになる子って、そんな子ばっかだから」

「あー……」


 なんかもう一種のセンサーが働いてそう。


「そうだ、二ヵ月ぐらい待ってみない? きっと自然に消えるよ」

「綾ちゃん、僕をどれだけ精密な機械だと思ってるの。……もう経ってるよ。好きなんだって、自覚した時から」


 でも、二ヵ月経つ少し前ぐらいから嫌な予感がしていた、と彼は言う。

 日向は以前、自覚してちょっとの頃ぐらいにも葵に私が欲しいのか、と聞かれたらしい。その時は同じ組織に所属してるから終わった後気まずくなるし、どうせ少し経てば消えるから、と断ったらしいのだけど。


「時間が経ってもそんな気配ないし、むしろ綾ちゃんが他の人と話してるのとか見て、したくもない嫉妬とかするし。綾ちゃんが僕を見てちょっと笑うぐらいで、もう今までのふわふわしたのと比べ物にならないぐらいドキドキして、心臓が痛くなるし。今だって絶対寿命が全力で縮んでってる」

「待って、とりあえず一回黙って」


 いったん私に休憩をくれ。君の発言で、私の心臓も人生で打つ残りの回数を、猛スピードで消費していってるから。

 隠そうとしても隠し切れないぐらい恥ずかしくて、顔が赤いのを自覚しながら目を伏せる。

 ずっと、それこそ友人達を作るほどに、愛されたいと思っていた。絶対的な愛が欲しいと思っていた。上辺だけの言葉に心が動くことはない。よくそんなにも軽々しく汚い言葉を吐けるものだと冷めた目で見る。でも、日向はそうじゃないとわかっている。ちゃんとした好意があることが明らかで、だからこそこんなにも、拒むことが難しいのだ。

 少しでも彼の言葉が私に侵入してくるのを拒もうと下を向いたのに、彼は追い打ちをかけるように、そういう顔も凄くドキドキする、と掠れた声で零して溜め息を吐く。

 ……溜め息を吐きたいのはこっちだわ。まるで休まりそうにないこの心臓を、どうしてくれる。


「本当に、日に日に怖くなったんだ。僕が……ファンクラブの人達とかと、同じ類の執着を、綾ちゃんに向けてるんじゃないかって」

「同じ類の?」

「うん。あんな風にただ僕らに恋してるってだけで、ストーカー染みたことしたり、いじめとかしたりさ。もう、気味が悪かった。好きだからって何で相手を追いかけたいとか、周囲を排除したいに繋がるか、まるで理解できなかった」


 好きってのは、相手が可愛いとか女の子らしく見えるとか、そういうことだと思ってたから。

 そう言った日向は、馬鹿みたいだけどね、と付け加えて苦笑する。


「でも、今なら理解できるよ。いやストーカーとかいじめは駄目だと思うけど。……一緒にいたいとか、他の誰かと話してると嫌だとか、今なら、よくわかる。だから怖かったんだよ、大っ嫌いなあれを、僕自身が持ってたらどうしようって」

「……そんなことを言ったら、私の方が余程嫌なものを抱えてるでしょ。絶対彼女らの方が可愛いよ、彼女らは君を殺しはしない。……あー、うーん、多分」


 言ってから、過激な人も世の中にはいることを思い出した。実際ファンクラブできてるレベルの人なんだし、そういう過激な人が現れてもおかしくはない。私だってある意味その過激な人の条件を満たしているワケだし。

 いやでも多分彼女らのが真っ当なはず、と言い訳でもするように言うと、日向が小さく笑った。


「笑わないでおくれよ、君レベルだと『貴方を殺して私も死ぬ』って人が本当に出てきそうなんだから」

「ごめん、でも面白くって」


 そう言って笑うのをやめると、日向は私の手を緩く握りなおした。


「ねぇ、綾ちゃん」


 ゆっくりと声が落ちてくる。私を見る日向の瞳は、既にあの静けさを取り戻していた。

 これは逃げられないやつだ、と本能で悟る。この目は完全に、逃がす気のない目だ。

 全く、本当に彼は分かっていない。今自分がどれほど向こう見ずな発言をしようとしているのか、今自分が相対しているのはどれほど汚い執着を抱えた人間なのかを、まるで分かっていない。分かっていないから、そんな風に私に執着できる。ぐだぐだ延々と考えている私に、そうやって誘いをかけられる。


 ふっと、まるで悟りを開くが如く思考が止まった。ぐちゃぐちゃに動き回ってた思考はその形のまま、すっと落ち着く。結論は考え疲れた時に至る場所というのを以前どこかで聞いたことがあるが、今この瞬間はそれに心から賛同しよう。

 ……もう自分の求める答えも、最適解もわからなくなった。わからないどころか、元からなかったのかもしれない。

 私は考えることに、疲れてしまったのだ。


「綾ちゃんが信じられるまで何回でも好きだって言うし、僕が綾ちゃんを好きじゃなくなった時は僕を殺してもいいって、綾ちゃんが望むだけ言う。もう洗脳するつもりで毎日言うよ」



 面倒くさがりな性分からか、それとも無意識にそうしたがっていたのか。



「だから、僕に希望が一切ないって断言できるぐらい、綾ちゃんの気分で答えが変わらなくなるぐらい僕を嫌いになるまで、僕が綾ちゃんの傍にいるのを、許してほしい」



 断言されても離れないかもしれないけど、とやや不安げに付け加えられたそれを拒む気は、もうない。

 この先どうなるか、どうするべきであったかは知らないし、考えるのもやめた。今はただ自分の欲求に従って、日向の、私よりも僅かに体温の高い手に、指を絡める。

 するとじんわり伝わってくる熱の心地良さに浸る間もなく、突如繋いだままの両手を壁に押し付けられた。結構勢いが強くて、手に微かながらに衝撃がくる。


「……暖かくて気持ち良かったのに」


 自分が意図を伝えずに行動したことは棚に上げて恨み言を言えば、彼は深く深く溜め息を吐いた後片方の手をほどき、私を抱きしめた。自然と聞こえてきた日向の心音は、全力疾走した後ぐらいにどくどくと大きく音を立てている。その音の近さに、思わず心臓が跳ねた。


「あのね、綾ちゃん。僕はこれでもだいぶ堪えてるから、急に可愛いことをするのはやめてください」


 聞き分けの悪い子供を諭すような物言いに、先程の行動のどこを“可愛い”と評したのか問い詰めたくなったけれど、今の自分の状況を理解したうえで平気でそんなことができるほど、私は慣れていない。

 単純に仲が良い人に抱きしめられるのとは違う感覚に、心臓がやけにうるさい。らしくもない緊張をすると同時に、ぐずぐずに溶かされているような気分になる。日向から寄せられる、私には不釣り合いなまでの好意が、いっそ恐ろしいものにすら感じられた。

 反射的に空いている手で彼を押しのけ、僅かに空間を作る。


「……嫌だった?」

「……嫌じゃなかった。嫌じゃなかったけれども! そうじゃなくてね日向」

「えっ、綾ちゃん今、日向って!」

「間違えただけだよそれだけで騒ぐな夏草庶務!」

「酷い!」


 あーもうほらね! ほらね! 普段だったら絶対こんなミスしないのに! いや葵の方でもやらかした気がするけどきっとそれは気のせいだ。気のせいに違いない。


「卒業式ぐらいまで、しばらくの期間がほしいんだよ! 君がその判断を冷静に考え直すためにも、私自身を、安心させるためにも!」


 もう一回、とせがむ彼を全力で抑えながら言えば、ぎゅうぎゅうと私を強く抱きしめていた日向の動きが止まる。

 これで嫌になって彼が離れればそれまでだが、構わないと答えれば、さっき言った通り彼が早まらずに考え直すだけの期間を作れるし、何より今から卒業と言ったら丸二年と半年ほどある。その間もずっと日向が私の傍から離れなかったのなら、大丈夫だと信じても仕方ないと自分自身に言い訳できる。そうやって、安心させられる。

 そう考えて、言ったのだけれど。


「……つまり、卒業式まで待てば、綾ちゃんは受け入れてくれるんだね?」

「え、あぁ、うん、そうだね? あと二年といくらか」

「わかった。……あー、録音機か何かがあったらよかったのに」

「えっ? 君、今何て言った」

「何も言ってないよ?」

「いや聞こえたから! 反射で聞き返しただけで普通に聞こえたから!」

「あはは、さすが綾ちゃん。でも、僕もちゃんと聞いたからね」


 一気に上機嫌になった日向は私の手の繋いでいない方を取って、指先に唇で触れる。時間をかけて丁寧に指先から手の甲まで唇を滑らせ、最後にそのまま手の甲にもう一度口付ける。

 そして目を弓形にしならせると、今まで、それこそゲーム内(前世)ですら見たことのないような艶やかさをもって、にっこりと、にんまりと、笑った。


「綾ちゃんが言ったんだからね? 卒業式まで待ったら、絶対僕の恋人になってくれるって」


 ちゃんと待つから綾ちゃんもずっと僕を好きでいてね、と日向は固まった私の額や頬に何度も小さくキスをする。……いや別にそんなつもりはなかったのだけれど、こう、何というか、言質を取ろうとしたらむしろ言質を取られたような、そんな気がした。

 そして繰り返される行為の合間に時折向けられる獰猛さの覗く目に、ほんの少し、ほんの少しだけ、何かをやらかした気もしたのだった。

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