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閑話 きっかけ。~柳瀬 諒視点~

 奥にあるその部屋に近付くのに比例して、後ろの喧騒は遠ざかっていく。

 いつもはあそこも騒がしいからあまり変わらないが、今日は活動開始時間より大分早いからか、ひどく静かだ。あの、扉越しでも聞こえてくる女の子のキャーキャー騒ぐ声に気圧されることもなく、目の前の木製の扉を数回ノックする。中から「どうぞ」と彼の声が聞こえてから、俺は扉を開けた。


「こんにちは。どうしたの?」

「······風紀委員長、いなかった、から」

「あら、あいつまたどっかいってるのね······」


 呆れたように溜め息を吐いて、椿は椅子の背もたれに身を預けた。風紀の副委員長である彼は、どこか『彼女』に似ている委員長の自由人ぶりに悩まされている。委員長とクラスメイトらしくて、クラスでも世話係?を任されているらしい。「いい加減どうにかしてほしいものだわ」と愚痴る彼は、ノンフレームをかけているうえ、少しタレ目気味なのもあってか、知的で俺より年上に見える。

 そんな彼は当然女の子達から大人気、なんだけど。最近、彼のファンクラブをやめた人が結構いると聞く。それに伴ってか、椿の所属する園芸部からも、数人女の子が退部したようだ。

 理由は明白。


「本当にごめんなさいね、わざわざ持ってきてもらっちゃって。」


 彼の、口調だ。


「······ううん、椿もいつも、大変だね」

「まぁ、あいつは、連絡すれば絶対返してくれるだけマシな方よ」

「『マシ』?」

「ええ、『マシ』」


 そう言ってまた一つ、溜め息を零す。

 椿とは中一の頃からそこそこ仲が良いけれど、彼がこの口調になったのは、つい最近の事。それまでは、匂わすこともなかった。ただ隠していただけ、らしいけど。

 どういう心境の変化があったかは分からないが、尋ねても『疲れちゃったの』と苦笑しながら言われるだけだった。そのせいでファンの子は勿論、友達も何人か減ったみたいだけれど、それでも彼はその選択を後悔している様子はない。

 口調が変わったところで、椿が俺の目を汚いと言わなくて、俺ののろのろした言葉を最後まで落ち着いて聞いてくれる良い人だ、ということに変わりはないから、俺も特に気にはしていない。

 慣れてはないけど。


「あいつを超える自由人がいるのよ······あの子はほとんどの行動を気が向くかどうかで決めるから、こっちのメールに気付いても、気が向かない時は返してくれないのよ」


 彼はまた何度目かの溜め息を吐いたけれど、委員長のことを言っている時と違い、顔は明るい。何だかんだで、その人物のことを、嫌っているワケではないらしい。

 気が向くかどうかで決めるなんて、『彼女』とよく似てるな、なんて思いながら、本来の目的のものを椿に渡す。椿はそれを受け取り、近くの棚に入れた。その棚には紙が貼られ、『委員長用』と椿の文字で書かれている。


「毎回毎回、ありがとね。いつファンの女共が来るか分からないし、早く帰った方が良いわ」

「うん、そうする」


 じゃあ、と手を振って出て行こうとした時。


「失礼しまーす」


 低くて人間味のない、浮世離れした声に、全身が総毛立った。

 『彼女』の、声。

 勢いよく、扉が開く。足で扉を開けたらしい『彼女』の両手は、大きな段ボールで塞がっていた。ただでさえ大きいのが三つも重なっているから、顔を確認することはできないけれど。絶対に、『彼女』だ。

 一気に鼓動が早くなる。『彼女』が、こんなにも、近くにいるなんて。


「乙さん、前、前!」


 『彼女』の名前を呼んで、椿は慌てたようにこちらに来た。腕力がないせいか、ふらふらしながら段ボールを抱える乙さんから、すべての段ボールをひったくる。


「え······わ、ありがとうございます、椿先輩」

「乙さん、貴女、こんな重いものを運ぶときは私に声掛けてって、前から言ってるでしょ! 危ないわよ」

「ごめんなさい······人いたんですね、気付きませんでした」


 少ししょげた彼女は僅かにこちらに顔を向け、そしてすぐに椿の方を見る。


「お話の邪魔しちゃいましたか?」


 彼女が首を傾げるのに合わせ、着ていたローブの耳部分が揺れる。いいえ、と答える椿に、彼女は安堵したように良かった、とこぼした。大きな耳のついたローブを着ているという奇妙な姿のはずなのに、その声のせいか、それともところどころ大人びた仕草のせいか、些細なことでも美しく見える。

 ぼーっと彼女を見つめていると、椿に急いだ方がいいと催促され、我に返る。その時、彼女が、今度はしっかりと俺の方を見た。


「······へぇ」


 小さく、感嘆の声を漏らす。まるで、あまり話さないクラスメイトが、字を綺麗に書く人だった、程度の薄い反応。

 でも、ローブで見えない目が俺のどこを見ているかは、なんとなく分かった。

 うん。彼女の性癖からして、俺の瞳なんだろうな······。多分顔としては認識してない。瞳しか見てない。

 情報通の彼女が、一応生徒会の会長やってる俺を、知らないはずがない。ちゃんと認識してたら、何かしらの反応はあると思う。のに、特に反応はない。

 しばらく見つめ合う俺達に椿は不思議そうな顔をしてたけれど、やがて気付いたのか、呆れたような顔をした。


「乙さん、珍しい色なのは分かるけど、そろそろクラブの子達が来るから、見るのやめなさい」

「あ、すみません、じろじろ見ちゃって」

「ううん、大丈夫。じゃあ、また、何かあったら、来る」

「ええ、また」


 彼女が椿の方へ向かうと同時に、二人に背を向けて部屋から出る。

 初めてだ。彼女を探し出してから、初めて、言葉を交わした。彼女が、俺を見た。

 どくどくと脈打つ心臓の音を聞きながら少し離れたところまで走って、壁にもたれかかる。ひんやりしてるのが、背中から伝わってくる。

 俺、変なことしなかったかな。挙動不審じゃなかったかな。

 意外と他人には興味を持たない彼女のことだ、俺を『柳瀬 諒()』としては、認識していなかっただろう。今日の、もしかすれば俺をアンバーくんと呼んでくれた、あの日のことすら忘れているかもしれない。

 それでも、嬉しかった。馬鹿みたいだけど、彼女と関わることができたという事実が、どうしようもなく嬉しい。

 たとえ瞳だけだったとしても、彼女が俺を見てくれたのを思い出して、その幸福感に浸る。······そんな変態じみた行動を繰り返していた俺は、すっかり忘れていた。

 時間帯が時間帯だけに人がほとんどいないとはいえ、ここは学校の廊下であるということを。


「······あの」


 突然声を掛けられて、我に返る。バッと顔を上げると、ほとんど見えないのに分かる程、困惑した様子の彼女がいた。

 彼女が近くにいるというのと、さっきの変な行動を見られただろうというので、顔が熱くなっていく。わたわたしながら、必死に取り繕う。


「え、えっと、う、と、鳥っ! 鳥がいたんだ!」

「鳥!?」


 いやいやいやいや。いくら焦ってたからって、鳥って。鳥はない。さすがに鳥はない。乙さんも驚いてるし。何で鳥を選んだんだ。


「······ふふ、鳥、苦手なんですか」


 全力で後悔していたら、くすくすと笑う声が聞こえた。そちらに意識を戻せば、彼女が楽しそうに笑っている。

 ローブだけでなく、仮面でも隠されているであろう彼女の瞳を、見ることはできない。俺があの日見た、脳に直接深く刻み込まれるような美しい深緑の瞳は、完全に遮られてしまっている。

 それでも、綺麗だった。

 薄っすらと色香が混じる落ち着いた声や、緩く弧を描く口元、ちょっとした仕草。一つ一つが、彼女の独特の雰囲気を構成していて、この人は、瞳以外も綺麗な人なんだな、と気付く。大人びた雰囲気なのに、どこか子供っぽくて、可愛い人だとも。

 呆けて彼女を見つめていると、ふいに目の前に小さな本のようなものが差し出される。


「······生徒手帳?」

「何か外に出たら落ちてたんで、貴方のかと思って」

「え? ······あ、本当だ。えっと、ありがとう」

「いえいえ」


 そう言って、彼女はいつもと同じへらりと軽薄な、けど葵くんが女の子に声を掛けるときの表情とは違って、胡散臭さは一切ない笑みを浮かべた。さっき表面に出てきていた感情が、またローブと仮面の下に隠される。

 それじゃあ、と言った彼女は一度俺に背を向けたけれど、立ち止まって少し考え込んだ後、こちらを振り返って、自分の目元を指さした。


「綺麗な目ぇですね」


 少し訛った言葉でそう言うと、悪戯っ子のように口角を上げてから、今度こそどこかへ去って行った。

 その姿を見届けてから、壁にもたれたまま、ずるずると落ちて座り込む。あんなの、卑怯だ。昨日まで、遠くから彼女の姿を見るのが、精一杯だったのに。

 全力疾走したときよりも煩いんじゃないかってぐらい、心臓がどくどく鳴ってる。

 ああもう、本当に。

 彼女のことが、好きだ。

乙ちゃんのこととなると変態チックになる諒くんでしたー(棒

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