誤解
次々と飛んでくるメール。あまりの量の多さに、苛立ちやうんざりを通り越し、もはや無の心で返信していく。
しばらく同じ行動を繰り返していると、扉の開く音が聞こえて、そちらに目を向けた。手は止めない。
「乙、おはよう」
「おはようございます、会長」
軽く挨拶して、携帯電話に視線を戻す。······またメール来た。
「······凄ぇメール来てねぇか?」
「もうバンバン来てますよ。内容はほとんど同じ。私に恋人ができたって噂の真偽を確かめるものです」
「······デマだろうな?」
「デマですよ。もう面倒くさい事この上ない。昨日から流れ始めていたものだから、色んなところでちょこちょこ噂流れてるんですよ。で、メール飛んでくるたびに、間違いだと返信してるんです」
「そもそも何でそんな噂が······」
「桐生さんです。昨日、私、あの人を校門の方に誘導してたでしょう? その時に盛大に猫被ってましたから、『乙がいつもと違う! 乙女だ! まさか恋人⁉』みたいな感じで、噂が流れたみたいです」
「あいつか。ったく、いてもいなくても迷惑かけやがって」
「本当に。······もう面倒だから一斉送信で良いや。噂も消してもらわないと。こんなにメールが来てたら、ろくに仕事ができやしない。また会長と回る予定ですから、その時に『二股だ!』とか騒がれたら、それもまた面倒だ」
「乙、珍しく気が立ってるな······いつもなら面白がってそうなのに」
「私のことを、よく理解しておいでで。まぁ、それなりに面白いとは思いますよ。ただ、諸事情でこれを楽しもうという気が全く起きないだけで」
「諸事情?」
以前なら、爆笑しながら普通に会長と劇を見に行ってただろう。恋愛事は、私に関係なかったからな。
でも、今はねぇ。
「あー、やっとメール止まった」
「お疲れ。いつからメール来てたんだ?」
「最初に来たのは昨日です。メールラッシュは、七時半ぐらいからですかね。高一を中心に広まってるみたいです。後、何故か分からないんですが、中等部の方にも」
「中等部?」
「校内放送やら何やらで、色々やったからかなぁ。向こうでも、私を知ってる人はいるらしくて。中等部の知り合いからも、メールが飛んできてたんですよ」
「お前は目立つ要素が多いからな。そろそろお前のファンクラブもできるかもな」
「それはありませんよ。仮に申請があったとしても、認めませんしね。······そうだ、昨日の用、結局何だったんですか? あれが気になって、昨日十分ぐらいずっと考えてたんですよ」
「ほとんど考えてねぇだろ」
「本当は一瞬しか考えませんでした。で、何だったんですか?」
ロッカーからパソコンを取り出しながら、尋ねた。
会長が躊躇う声が聞こえる。相変わらず決断力がない。副会長もキャラ崩壊激しいけど、会長も会長で酷いよな。会長が俺様だったのは、初対面の時ぐらいだ。
弱いのに傲慢な人と一緒に仕事なんてしたくなかったから、別に構わないけれども。
しばらく視線を彷徨わせていると、名前を呼ばれた。会長に視線を向ける。
会長は、真剣な表情でこちらを見ていた。
「······あのな、誤解を解こうと思ってたんだよ」
「誤解してませんよ。ちゃんと理解してます」
「じゃあ、どういう風に?」
「桐生さんは、会長が私を好きだと勘違いしている」
「それが、誤解なんだよ」
一瞬、思考が停止する。それを無理矢理動かして、笑みを浮かべた。でも、上手く笑えずに、引き攣った笑みになる。
茶化すように、なんとか声を絞り出す。
「······ははっ御冗談を」
先程の、彼の言葉が示す意味。一つ思い当たったけれど、すぐに打ち消した。ふざけた考えだ、有り得ない。
そう否定するけれど、恐怖は拭い切れなかった。
会長が、言葉を続ける。
「あいつの言ったことは、間違ってない。あの時は、曖昧な態度で返して悪かった。突然だったから、心の準備ができてなかった。もっと、後になって言うつもりだったんだよ」
どんどん逃げ場がなくなっていく。
急すぎる。私こそ、心の準備とやらができていない。
「俺は、お前が······」
血の気が引くのが分かった。さすがにもう、誤魔化してはいられない。これら全てが嘘でなければ、先程私が出した結論で、合っている。
「待ってください」
彼の言葉を遮る。頭の中は真っ白だけれど、声はしっかりとしていた。
誰かに邪魔されないように、扉の鍵を閉めてほしいと頼む。
会長が鍵を閉めたのを確認して、口を開く。
「会長、貴方今、何言おうとしてたか、理解してますか? 『冗談でした』で済まされない範囲に踏み込もうとしてるの、分かってますか?」
会長は頷いて、普段よりもやや低い、落ち着いた声で言った。
「······俺は、お前が好きだ」
友達としてですか、なんて馬鹿なことは聞かない。そうじゃないことは、分かりきっていた。
遠くから足音が聞こえてきて、一瞬思考を止める。直後、私は大きく息を吐いた。
「会長、このことは、また後ほど話しましょう。誰か来てるみたいです」
「······ああ」
「大丈夫です。誤魔化しはしませんから」
会長は鍵を開けると、席に着いた。
数秒してから、扉が開く。
「おはよー!」
「おはよう、夏草庶務」
「日向、お前、昨日逃げただろ」
「あ、それで菊屋副会長が、怒りのメールを······」
「とりあえず急げ。聖が来る前に終わらせた方が良い」
「あの人が、そんな遅く来るとは思えませんけどねぇ。ってか何で逃げたのさ」
「全然終わらなかったんだもん」
「そうだったとしても、菊屋副会長から逃げるなんて······。即行捕まりそうなのに」
「こいつ、聖が少し部屋を開けた間に逃げたからな。聖が帰ってきたとき、俺達も怒られたんだぜ」
「ええ⁉ そうなの⁉ ごめんなさい、会長」
「反省してるなら、さっさと仕事しろ。それが多分、一番安全だ」
はーい、と返事をして、日向も席に着く。
正直、会長からの好意はあまり信用していない、というか。私を美化しすぎて、とんでもない事になってんじゃないだろうかと思う。
彼を消すのを覚悟で付き合ったとして、上手くいくかどうか。距離が縮まったことで、私が理想と違うことに気付いて離れられるなんて、そんなのは嫌だ。
······まぁ、結局は。
傷付きたくないんだよ。
パソコンの画面に表示されている時刻を見る。もうこんな時間だ。
「桐生会長、そろそろ劇が始まる時刻です。行きませんか?」
「え? ああ、そうだな。聖、ちょっと乙と外に行ってくる」
「分かりました。二日目ですが、はぐれないように気を付けてくださいね」
「会長達、お店回りに行くのー? 副会長、僕も行きたーい」
「ダメです! まだノルマが終わってないでしょう!」
「本来はノルマとか、ないはずなんすけどね」
「葵、何か言いましたか」
「いいえ! 何も!」
「乙さん、いってらっしゃい。何か、あったら、すぐ連絡して」
「了解です。桐生会長、行きましょう」
「おう」
会長と外に出る。扉を閉めて早々、会長は非難がましい目つきでこちらを見た。
「······お前、よく俺を誘えたな」
「昨日から約束してたじゃないですかー」
「それはそうだが。······答えは、出たのか?」
「会長の気持ちに応えるか否かってことですか?」
「ああ」
「ですよねー。んー、自分勝手承知で言いますと、返答は文化祭が終わるまで、待っててほしいんですよ。ほら、今日は一応お祭りでしょう? お祭りのときに暗くなるのは、あまり好かないので」
「答えが決まってるんなら、ハッキリ言えよ」
「いやね、九割方決まってるんですけど、残りの一割は、迷ってるんですよ。やっぱり本番となると、揺らぐものですね」
自分の感情を故意には消さないと決めたが、それは相手が同じ気持ちだった際に受け入れる、という意味ではなかった。むしろ、断る気しかなかった。
でも、いざ言われると、どうしても期待するのだ。
もしかしたら、案外上手くいくんじゃないか。上手くいってる間だけ楽しんで、裏切られたら消せばいいんじゃないか。
卑怯だと分かっていても、期待してしまう。際限なく快楽を求める性が、少しでも楽しもうと、決断力を鈍くする。後で、味わった快楽以上に悲しむと分かっていても、それでも、止めることは難しい。
面倒極まりない性分だ。一種の享楽主義なのかもしれない。
「『本番』?」
「ん?」
「······『本番となると揺らぐ』ってのは、どういう意味だ?」
「前から答えは決めてたんです。もしも程度で、まさか本当にこうなるとは、思ってなかったんですけど」
「お前、全員に対してそういう風に考えてるのか? もし告白されたら、どうしようとか」
「そんなことしませんよ、面倒くさい。そもそも、こうやって誰かに好意を持たれる日が来るとは思いませんでした。唐突すぎて、パニックになっちゃいましたよ」
「じゃあ、何で俺に対しては、そんなこと考えてたんだ?」
会長が、足を止めた。私が答えるまで待つつもりらしい。
パッと答えが浮かばず、少し考える。答えのない問題じゃない。単純に、思考を遡ればいいだけの話。
会長と同じ気持ちだったとしても、それを受け入れない。こう考えたのはどうして? ってか、いつ考えた?
昨日空達に、気持ちを消すかと尋ねられた時だ。
空達が、気持ちを消すか尋ねてきたのはどうして? この答えは簡単だな。空達側の理由じゃなくて、こちら側の理由。
そんなの、私が会長を好いたからに決まってるじゃないか。
これで結論が出た。さて、次の問題は······これを本人に言えるかって事だよねぇ。
「答えが出ねぇのか?」
「答え自体は出ましたよー。ただ、貴方に言えそうにないって話で」
会長が眉を顰め、考え事をするように目線を逸らす。そして何かに気付いたのか、軽く目を見開いた後、私に視線を戻した。
「『揺らぐ』ってのは、俺と付き合うかどうか迷うって事だよな?」
「えーっ、まぁ、そうなりますねぇ。九割は付き合わないにいってますけど」
「お前の性格からして、好きでもない奴とは、付き合うなんて選択肢、まずないだろ?」
「······」
「おい」
「······そうですね」
渋々頷く。会長は嬉しそうな顔をする。
「か弱きレディに、遠回しとはいえ告白させるとは、なんと非道な」
「お前が変に迷ってるからだろ」
「別に、変なことじゃありませんよ。どっちかっていうと、相思相愛なら恋人になるって前提がおかしいんです。恋人関係になりたいんじゃなくて、ただ相手が好きなだけ。友達以上の関係は望まないって人とか、いますからね」
「乙もそうなのか?」
「どうなんでしょう。私は『望まない』というより、『どちらでもいい』という方が近いです」
「『どちらでも』ってことは······それが理由で、迷ってるワケじゃないんだな」
「ええ」
「じゃあ何でだ?」
「んー······まぁ、馬鹿な話ですがね。嫌なんですよ、裏切られるのが」
「浮気はしないぞ」
「すみません、『裏切られる』ってのは、語弊がありましたね。私が嫌なのは、浮気だけじゃなくって、別れることも嫌なんです。私を好きだと言った人が、他の誰かに愛を囁く。そう考えただけで、ダメなんですよ。実際にそうなったら、相手の殺し方で頭がいっぱいになる」
「つまり、一生お前を見続けていれば良いってことか?」
「······会長、私は本気ですよ?」
軽く言った会長に、目を細めた。この人はまだ、理解しきってないんだろう。上着のポケットに、手を差し込む。掴んだものを取り出し、会長に向けた。
「この銃も、扱い慣れています。すぐにバレますから、人を殺める目的で使ったことはありませんが······まぁ、動物を狩るのと同じ感覚ですよね」
右手に持っている、標準よりもかなり小さい銃。それの側面にあるスイッチを手前にスライドし、上部のレバーを起こす。レバーを起こした際に、小さな音が鳴った。
その音を聞いて、周りに人がいないことに気付く。通りで視線がないワケだ。
それも考慮したうえで、会長は立ち止まったのだろうか。凄いな、全然気にしてなかった。
「乙、銃の免許も持ってんだな。まぁ脅されなくても、お前が本気だってことぐらいは分かる」
両手をあげて、会長が苦笑した。
私は引き金を引いた。
短く、軽い音が響く。
「······あははっ、この子は殺傷能力持ってません。ってか、日本で銃の免許取るって、私の年齢じゃあまず無理です」
笑いながら、銃を会長に投げて寄越す。会長は慌ててそれを受け取る。
「それ、以前にも見せたことがある子ですよー。ほら、温室の監視カメラの映像で、最後に私が持ってた奴です。小さいから持ち運びやすいんですよねぇ」
「言われてみれば、見たことがあるな······。でも何で持ち歩くんだよ」
じっくり眺めた後、会長が銃をこちらに返した。銃の側面のスイッチを銃口の方にずらして、ポケットに仕舞う。
「今日はたまたまです。監視カメラの電源を入れて生徒会室に直行して来たんで、ポケットに入ってただけです。······あ、これは本物ではありませんが、私は本気ですからね!」
「分かってるって」
「じゃあ、劇に行きましょう」
「劇······ああ、たしかそんな用事だったな」
「むしろそれがメインで、外に出たんですよ。さ、行きましょ」
「乙、待て、結局答えはどっちなんだ?」
「お祭りが終わったら、です」
「逃げるなよ?」
「逃げませんよ」
溜め息を吐く。文化祭が終わるまでに、答えは決まるだろうか。
「しかしまぁ、よく告白しようと思いましたね」
「俺の事か?」
「勿論。あの時、告白なんてしなくても全く問題なかったのに、どうして言っちゃったんですか?」
「だってお前、誤解してたじゃねぇか」
「会長が否定しませんでしたからね」
「あの時は、勇気が出せなかったんだよ」
「だからって、今朝勇気を出す必要はなかったのでは······」
「嘘を吐き続けるのが、意外とつらそうだったからな」
「それ、私に告白してフラれてその後ギクシャクするよりも、ですか?」
「おう」
「······分かりませんねぇ」
そりゃ、その場で終わる嘘とは違って、ずっと吐き続けなきゃいけない嘘は、吐いたら後悔とかするのは確かだけれど。
「そこまでつらいものですかね」
「嘘を吐く相手やら内容やらも関係するんだろ。それから嘘を吐く側の考え方」
「やだー、明らかに最後の奴が原因じゃないですかー」
「まぁ、お前は色々と凄い性格してると思うぞ」
「あはは、これでも、前はマトモだったんですよ? 大人しくて、それなりに良い子でした。でもねぇ」
今世になってからかなぁ。
「かくかくしかじかで、はっちゃけまして」
「肝心な部分省略するなよ」
「いやぁ、元々マトモに生きるのは、性に合わなかったんですよ、きっと。······うん?」
「どうした?」
「会長、時計持ってます?」
「ああ」
「時間、見てもらえませんか? 私の時計だと、もう劇の時間なんですよね」
「······三時間後に、もう一回あるらしいぞ」
「今度は立ち止まって話すのは、やめときましょう」
「そうだな」
会長の苦笑を見てから気付く。
一緒に行く前提だけど······これでいいのか?
中盤の、『上手くいってる間だけ楽しんで、裏切られたら消せばいいんじゃないか』の『消せば』とは、自分の感情のことなのか、相手のことなのか······。おそらく後s······おや、誰か来たようだ。




