弟として。~夏草 葵視点~
「日向、時間」
「待ってよ、今急いでるからっ」
遅くまで寝てるから、そうなるんだろ。
夏休みが始まる前と変わらず、慌てて支度する日向を見て、溜め息を吐いた。
今日から夏期講習がある。コレのせいで、夏休みの三分の一ぐらいが潰れる。時間割が特別に用意されるから、通常授業よりも早く帰れるというのが救いだ。
だから、それに合わせて塾の方の夏期講習を受けるやつも多い。俺らには関係ないけど。
「ごめん、葵。行こ」
「もうちょっと起きるの早くした方が良くね?」
「無理」
「副会長に毎朝電話してもらったら、目、覚めるでしょ」
「僕の心が死んじゃう」
「それを聞いた副会長の心の方が心配だよ」
くだらない会話をして、学校に行ったら、教室には行かずに違う場所へ行く。大抵は生徒会室なのだけれど、時々図書室だったり、中庭だったりする。
今日は風紀委員長に用があったから、生徒会室に行くという日向とは別れ、委員長が入ってる園芸部の部室へと向かった。
部室の場所は、たまに委員長を探すために訪れることがあるから、おぼろげにだが覚えている。
たしか、奥の角を曲がったところにあったはず。
曖昧な記憶を辿りながら、角を曲がろうとしたとき。
よく知る二人の話し声が聞こえてきた。
「乙さん、今度の休日、どっちか空いてる?」
「土曜なら空いてますよ。午前中は、夏期講習がありますけど。椿先輩は?」
「私も大丈夫」
ちょうど部室から出てきたところらしい。扉の閉まる音が聞こえた。
「種、買いに行きましょ。ついでに、秋の分も買っちゃわない?」
「良いですね。そうだ、先月あたりかな、あのお店、新しいの出てましたよ」
「そうなの?」
「はい。金魚草とか、トルコキキョウとか」
「金魚草は、秋にまわすしかないわね。トルコキキョウはいつかしら?」
「トルコキキョウも秋です。夏植えられるやつは······ブーゲンビリアが、今月まででしたかね。あと、ペチュニアの青色と黄色が追加されてました」
「じゃあ、その五つは絶対に買いましょ。あとは、行ってから考えましょうか」
「何時ぐらいに待ち合わせにします?」
「そうね、もう授業が終わったら、荷物は部室に置いて直行しちゃう?」
「たしかに、買ったあとにすぐ植えられますし、そうしましょう」
「分かったわ。じゃ、土曜日、授業が終わったら部室に来てね。待ってるわ」
「はい、また」
······多分、花壇に植える花の話をしていたのだろう。でも、花の特性を覚えてるって、凄いな。
感心していると、綾ちゃんがこちらに向かってきて驚いたが、彼女は俺に気付いていない様子で、目の前を通り過ぎた。
それに何故か安堵すると、いきなり横から委員長が俺の肩を掴んできた。
「!」
「······会計くん、何か御用?」
「いや、その、盗み聞きするつもりはなくてですね」
「良いわよ、別に。乙さんも気付いたうえで話してたし」
「え、そうなんすか」
「もちろん。で、どうしたの?」
「あ、これなんですけど······」
「······園芸部の入部届?」
「はい」
手に持っていたファイルの中から、二枚のプリントを渡す。
二つとも園芸部の入部届で、それぞれ違う名前が書かれている。
「これが、どうかしたの?」
「なんか、こっちの方に書かれてる名前、存在してない人らしくて」
「······ああ、そういうこと」
またなのね。
小さく零す委員長の目は、かなり冷たい。
こんな表情、綾ちゃんには見せないんだろうな。
「綾ちゃんが、『校則違反だから、風紀の誰かと、やった本人に伝えた方が良いんじゃないか』って言ってたんで」
「やっぱり、見つけたのは乙さんだったの」
「この手の作業は、綾ちゃんにしかできませんから」
「入部届とかは、学校側で管理すれば良いのに」
「何でこんな面倒なことするんすかね」
「さあ? 乙さんは『入部届出すって名目で、椿先輩と話したいんですよ』って言ってたけど。それなら、普通に話しかければ良い話じゃない。······その勇気がないから、コレなんでしょうね」
「自分で分かってるじゃないすか」
「ファンクラブなんてものを作られたら、さすがに自覚ないフリはできないわよ」
「······そのファンクラブにバレたら、ヤバくないっすか? 綾ちゃんとの買い出し」
「今更よ、そんなの。これまでに、何度も一緒に買い出ししてるわ」
「何度も? 綾ちゃん、なんだかんだ言って、植物大好きっすね」
「······さあ?それはどうかしら」
委員長は、僅かに首を傾げる。
「植物が好きなワケじゃないと思うわ。単に、自分が作るものだから、自分が作ったものだから、大切にしてるんじゃない? 多分、乙さんってそういう人よ」
「······よく理解してるんすね、綾ちゃんのこと」
「そんなことないわ。まだ、二年間しか一緒にいないもの」
二年間『しか』。
······なら、たった三ヶ月一緒にいるだけの俺は、一体何だというのか。
「ふふ、羨ましい?」
「······そりゃ、付き合いが長ければ、それだけ信頼されてるでしょうし」
信頼されてる分、『そういう感情』を持ってもらえる可能性は、上がるだろうし。
心の中で、呟く。
だが、声に出さなかったその言葉を読み取ったように、委員長は微笑んだ。
「そう解釈することも出来るわ。······でもね、私はこう思うのよ。付き合いが長いってことは、それだけ長い間、意識されてないって事じゃないかって」
寂しげな笑み。
前々から、なんとなく、分かってはいた。本人の口から聞かなかっただけで、『そうかもしれない』程度には思っていた。
ただ、それで何かが変わるワケでもないけれど。
「······さ、私のことはもう終わり。次は君よ? 会計くん」
「え」
「今回も、庶務くんに譲るの?」
本当に、ただ疑問に思っているだけ、といった顔。
この人の性格からして、演技ではないのだろう。
······以前も、似たような事があった。去年だったか、一昨年だったかに。
『あら、私の勘違いだったの?』
いつものように、俺が日向の為に準備した、告白の場。
当然告白は成功し、日向が楽しそうに笑うのを眺めていたら、背後から声が聞こえてきたのだ。
『······何がっすか』
『ごめんなさいね。ほら、貴方、今までとちょっと様子が違ったでしょう? だから、あの子が好きなのかと、ね』
『······違いますよ。女の子らしいなって思ってただけで』
嘘ではなかった。あくまで好感を持っただけで、決して好意を寄せていたワケではないのだから。
だが、唐突に問われたせいで、狼狽えながら答えた俺に何を思ったのか、委員長(当時は副委員長だった)は、今みたいに、不思議そうな顔をして。
俺に、尋ねた。
『どうして、譲ったの?』
『譲ったって······。だから、別に好きだったワケじゃ······』
『でも、女の子らしいって、思ったんでしょ? “女の子らしい”って、あまり友情を感じる要素ではないわよね』
『それでも、譲ったとは······』
『じゃあ、質問を変えるわ。ねぇ、次、お兄さんと好きな人が被ったら、譲る?』
いくらか、迷った。今なら、すぐに答えられるのに。
それほどまでに、俺にとって、日向の存在が、大きかった。
······違うか。
『······多分』
日向の存在が大きかったんじゃない。
きっと俺は、『兄を最優先する健気な弟』を、演じたかったのだろう。
所詮その子は、好感を持った程度の存在だったから。
『それは、弟として、お兄さんを支えなきゃいけないから?』
『はい』
『そう』
『······なんなんすか』
『いいえ、私には理解できない感覚だな、と思っただけよ』
『お兄さんとかが、いないからでしょうね』
『そうじゃないわ。単に、誰かに譲りたくないの。私が選ばれなかったのなら仕方ないけど、私から誰かに譲るなんて、絶対にしない』
委員長が、無表情になった。
『どうしようもなく、欲しいんだもの』
普段の柔らかな彼らしくない、硬く、冷たい声。
彼がそこまで頑なになる理由の方が、俺には理解できなかった。
でも、今なら分かる。
だから、即答できる。
「今回は、譲りませんよ。譲れるはずがない」
たとえ、想いが通じなかったとしても。
『譲る』なんて馬鹿げたことをするより、ずっとマシだ。
「そう」
僅かとはいえ、首を傾げたせいでややズレた眼鏡を直して、委員長は微笑んだ。
「手に入るのなら、絶対に手に入れたくなったでしょ?」
委員長の問いに答えることなく、俺は軽く頭を下げて生徒会室に足を向ける。
その道中、綾ちゃんに一つのメールを送る。
『夏休みだし、今度どこか遊びに行かない?』
二人で、とも、皆で、とも、指定していない。ただのお誘い。
友達感覚の、軽い誘い方であれば、のってもらえるだろうか。
これまでにないくらい緊張しながら返信を待つと、意外とすぐに彼女から返信が来た。
開いてみれば、出てきたのは彼女らしい言葉。
『気が向いたら』
適当な返事だが、断られなかっただけ良い方かな、と苦笑する。
そういえば、恋人を作ったことは何度もあるけれど、こうして自分からアプローチをかけたのは、コレが初めてじゃないかな。
今更な事実に、自分自身驚き、つい笑ってしまった。
定期テストが近いので、投稿を一時ストップさせていただきます。
次の投稿は12/14の予定です。




