母の香り
「この花は、期日に間に合いそうかい?」
「再来月のやつですね。発芽状況を見ると、少し危ないかもしれません。あの後すぐに予備を植えましたから、大丈夫だとは思いますけど······」
「植えた直後のあれだったからね······」
学園長の執務室で、学園長と向かい合う。
先月の花咲さんの襲撃により、花を納めるのに少々問題が出てきたのだ。
幸い年単位で育つものではないから、完全にダメ、というワケではないが。
「乙くん、誰がやったのかは、分かっているのだろう?然るべき罰を与えた方が、良いんじゃないかな?」
「必ず、とは言い切れませんが······。多分、問題ないでしょう」
「そうかい?」
「カメラの存在、教えてあげましたから」
「それが効果的な相手?」
「カメラが意味することは、理解出来ているでしょう。もしそれでも繰り返したら、こちらで罰した方が良いですか?それとも、校則違反として取り締まりますか?」
「私としては、後者が好ましいな。君の一存で退学などは、さすがに難しいからね」
「じゃ、そちらにお任せします」
「そうしてくれると、ありがたい。······ところで、大学や、就職先の話なんだけど」
「誰のですか?」
「君のだよ。ほら、来年の夏頃には、君も受験勉強を始めるだろう?」
「いえ、特には。今まで通りのつもりです。正直、お金が充分に貯まった今では、大学にこだわらなくて良いですから」
「······そうか、就職先を探す必要も、ないからなぁ。君の学力だと、日本に限らず、どこの大学も問題ないだろうし。······なら、尚更、私の話を聞いてほしいんだ」
「はい」
「結論から言うと、君、ここを卒業してからも、温室の管理をしてくれないか。勿論、お金は出すよ。君を、雇わせてほしい」
「雇う?私を?専門家でもないのに、ですか?」
「あそこの管理って難しいからさ」
「······園芸部に任せてはいかがですか?それに、以前は学園長が管理してはりましたよね」
「面倒だから、私はもうやりたくないな。園芸部もたしかにあるけど······この間君から貰ったリストを色々と照らし合わせてみると、ね」
つまり、園芸部の子は椿先輩目当てだから、温室を任せるのは無理、ということだな。
「椿くんも、君ほど博識じゃない。温室はただ好きな花を植えて終わり、ではないし。第一、君は彼と違って、実績があるだろう?」
「椿先輩も、慣れたら出来ますよ。······植物関連の職につくことを望むほど、ぞっこんではないようですが」
「みたいだね。ま、彼のことはどうでもいい。君を雇うメリットは、それだけじゃないんだ。一番は、君の人脈、というのかな。君は、種や花を入手するルートを、確保しているだろう?」
「本来は、植物のために使うルートでは、ありませんがね」
いわゆる『裏社会』とやらの知り合いが様々な場所にいるから、季節外れのものも手に入るってだけだ。
······まぁその知り合いってのは、要するに······やーさんとか、その辺なワケだが。
私の仕事の対象としないかわりに、親しくさせていただいている。あちらがやらかしすぎたら、対象になるけどね。
「······ここに毎日は、無理ですよ。せいぜいが月に一回です」
「そんなに?」
「はい。仕事に縛られたくないので」
「君のその自由人気質には、困ったものだね」
「必要なものは、揃え終わりましたから」
「知っているさ。それらを、元々持っていたワケじゃないこともね。······仕方ない。気まぐれに来る程度で良いから、卒業後も温室に来てくれよ。あと、大学は音羽大学に進んでほしい」
「温室に来やすくするため、ですか」
「そういうことだよ」
「······何か他にどうしても行きたいとこがなければ、最初の大学はそこにします。二つ目以降は、レベルの高い大学をまわるつもりです」
「音羽大学も、充分レベルは高いんだけどな」
「でも、日本一、とかじゃないですからねぇ」
「事実だね」
話が途切れたところで、頃合いを見計らったように、扉の外から、学園長の名前が呼ばれた。
彼の方も見ると、ここにいて構わない、と言われる。
······生徒がいちゃいけない気がするんだけど。
「入ってくれ」
「失礼します。······あれ、邪魔してしまいましたか?」
「おはようございます、藤崎先生。ちょうど、一段落したとこです」
「それは良かったです」
「······藤崎くん、君、タバコ臭いよ」
「え、吸ってないんですが······」
「おや、私の言いつけを守ってるようだね」
「······嘘だったんですか」
ジト目で見る藤崎先生に、学園長は嘘ではないよ、と笑って返す。
学園長に教えてもらった事があるのだが、二人は昔からの知り合いなのだそうだ。なんでも、ご近所さんらしい。
「乙さん、臭います?」
「ん~?······あー······」
「臭うだろう?」
「しますね、たしかに。······これ、フラン、ですか?」
「「!」」
タバコ特有の煙の臭いの中に、仄かに甘い匂いがする。お菓子とは違うタイプの甘さ。
似た匂いを、ずっとずっと前に嗅いだことがある。もっと良い香りだったような気がするが······。
思い出が、美化されただけなのかもしれないな。
「よく分かったね。いや、私には、特定できないが。あいにく、吸わないものでね。臭いからして、ピアニッシモ系だろう」
「ピアニッシモは、女性によく好まれるタバコ、でしたっけ?僕も、あまり詳しくなくて。······で、乙さん、どうしてタバコの種類が分かったんですか?」
「母が吸ってたんですよ。遥か昔に」
複数の親の中で、私が唯一好いていた、一番目の母。
かつて彼女は、ヘビースモーカーではなかった。母からごくたまに臭うそれを、タバコをまだ知らなかった幼い私は、ひどく嫌っていたのを、おぼろげながらも覚えている。
だけど······いつからだったか。彼女は、頻繁に吸うようになった。
原因は分からない。父との仲が悪くなり始めたのがその頃だったためかもしれないし、他のことが原因かもしれない。
とにかく、彼女は、甘さを含んだ煙の臭いを、常に纏うようになった。
最初はそれを嫌悪していた私も、しばらくすると、『臭い』から『匂い』、『匂い』から『香り』と思うようになった。
幼い頃は不快に思っていたその臭いを、母の香りだ、と認識するようになったのだ。
「懐かしいですねぇ。今では、周囲にフランを好む人がいなくって。久々です」
「なるほど。一瞬、乙さんが非行に走ったかと······」
「うん、私もそう思ってしまったよ。まぁ、良かった良かった。······ああ、そうだ、藤崎くん、用事は何だい?」
「えっと······」
「あ、席、外しますね」
「いえ、残っていただけると······。この話は、乙さんにも聞いてもらいたいので」
「乙くんにも?生徒会のことかな?」
「そんなとこです。この間の、乙さんを呼び出した女生徒たちのことですが、予想通り、もう一人の仲間を連れてきましたよ」
おお、白鳥姉妹のことか。
「彼女達に動機を尋ねましたが······『乙が生徒会に入ったから』としか、言わなくて」
「そんなもんだと思いますよ。乙女の恋心とは、いかに楽s······恐ろしいものかは、経験してますから」
「乙くん、自分の身を案じるようにね?そりゃあ、この状況を楽しむというのは、いかにも君らしいが······」
「学園長!『君らしい』で済まさないでください」
「分かっているよ。でも、言って聞くような子じゃないだろう」
「······私、悪い子認定されてます?」
「悪い子、なんて可愛いもんじゃありません。もっと行動パターンが分かりやすければ、対処の仕様もあるのに······」
「分かりやすいですよ、充分」
「『気が向いたら動く』、だろう?口で言うのは簡単だけどね、そこから推測するのは、難しいんだ」
「······まぁ、そんなことは置いといて。白鳥さん達、どうしますか」
「······え、それ、私に聞いてます?」
「勿論です」
「君が望むなら、彼女達をお咎めなしに出来るよ。退学や停学は、さすがに君の望みどおりにいくかは、職員会議で話し合わなければならないけれど」
「んー······お任せします」
「雑だなぁ。ま、予想は出来ていたがね」
「藤崎先生、お話はこれで終わりですか?」
「······なんです、他にやりたいことでも?」
「はい!今出来ました!」
「······学園長とのお話は?」
「あ、そっか。学園長、残りは今度で構いませんか?」
「私は構わないよ。最低限のことは、なんとか話したし。また適当に声をかけてくれ」
「分かりました。······そうだ、白鳥姉妹の処罰決まったら、教えてくださいませんか?」
「君、性格悪いねぇ。うん、良いよ。次に君が時間を作れた時にね」
「ありがとうございます!」
それでは、と断って、執務室から出ようとすると、藤崎先生の呟きが耳に入ってきた。
「······仲が、よろしいのですね」
なんのことだろう。
ちょっとの間、頭を回転させて、答えを出した。
「学園長とのことですか?」
「ええ」
「おや、私と君は、仲が良いらしい」
「悪くはないと思いますよ。まぁ、温室について交渉して以来、よく話してますから」
「生徒と······学園長が?」
「だって私、暇だからね。仕事もすぐ終わってしまうし。こんなに面白い子を見付けたんだ、構いたくなるだろう?」
「······褒め言葉として、受け取っておきますね」
にっこりと笑う学園長を見て、小さく溜め息を吐く。
さらっと誤魔化しておいたが、私と彼の交流は、私が中一の時······つまり三年前から、ではない。
彼とはもっと前から交流がある。だからといって、特に何かあるワケでもないんだけどね。親の関係で、彼には、小学生の頃から目をつけられていたのだ。
だから温室に関しての交渉は、学園長の時はスムーズにいったし、私がカンニングをしていると様々な教師に疑われた際は、カンニングしていないことを証明する手助けをしてくれた。
そんなこともあって、それなりに良い関係を築いている。
藤崎先生に言わなかったのは、たんに面倒だったからだ。それだけの話。
「では、失礼しました~」
執務室から出ると、すぐそばの喫煙室から、女の先生が出てきた。
なるほど、藤崎先生は喫煙室に入ったのかな。それで、彼女あたりが吸っていたタバコの臭いが、藤崎先生にうつったのだろう。
学園長の教えによりタバコを嫌う彼が、吸うとも思えないしね。
一人で勝手に納得して、図書室に向かう。
やりたいことを、思い出したのだ。
いくつかの棚をまわって、目当てのものを見付ける。藍色の表紙のそれは、わずかに埃をかぶっていた。
「よぉ、乙······って、お前、何持ってるんだよ」
「おはよう、野見山くん。『校則集』さ。君は何をしに?」
「お前を探してた」
「そうなの?どうしたんだい?」
「······テスト直し、一緒にやりてぇなと······」
「今すぐは難しいな。今日はテスト問題持ってきてないし······。月曜で良いかな?」
「ああ、構わねぇ」
「良かった。じゃあね」
「おう」
テスト直しか······。真面目だねぇ。
面白そうだし、是非お付き合いさせていただこう。
······ま、すぐに飽きるんだろうけどね。
とりあえず、『校則集』は借りたし、教室に行きましょうかね。
今日のお昼は、各ファンクラブの纏め役達から、お茶に誘われているのだ。ついでに、ファンクラブについて、『校則集』と共に話し合わなければ。
意外と交友関係の広い乙ちゃん。
定期テスト(現実の)はもうすぐだ!(泣




