変わっても、変わらずに。~柳瀬 諒視点~
早く完結させたいなぁ・・・・・・。
昼食を食べ終えて、図書室に行こうと席を立つ。
廊下に出ると、向かいの棟によく知る人を見つけた。
「······乙、さん」
今その容姿と『発表会』での言動から、注目を集めている少女。
······本人は、あまり気付いていないようだけれど。
それにしても、乙さんはどこに行くんだろう。あの先には、生徒会室と、えっと、何があったっけ······。
······追いかけて、みようかな。
彼女の行く場所に興味が湧き、図書室へ行こうとしていた足の方向を変える。
乙さんの後を追っていくと、彼女は生徒会室に入っていく。しばらくしてから俺も辿り着き、扉を開けた。
彼女は入ってきた俺に気付いていない様子で、静かに窓の外を眺めていた。
······その姿は、『夢中になっている』なんて可愛らしいものではない。
熱に浮かされたその瞳は、普段以上に妖しい雰囲気を放っていて。
それが愉しげに細められた時、俺は込み上がってきた恐怖に耐えきれず、声を発した。
「······乙さん、何、してるの?」
俺の声に驚いた様子でこちらを見た彼女の瞳からは、先程あった熱は消えていた。
そのことに俺は安心して、彼女のいる窓際へ向かう。
彼女が見ていた裏庭には、葵くんと、知らない女の子がいた。
「······悪趣味」
一応はそう言うものの、葵くんのこういう場面は珍しい事でもないから特に気にしない。
彼女の方も、罪悪感などはないみたいだ。彼女は再び、裏庭へと目を向けた。
「こんにちはぁ、柳瀬書記」
「こんにちは。······修羅場?」
「下が、ですか?」
「うん。葵くん、と、女の子」
「彼らの会話を聞いている限り、やや危ない雰囲気ですねぇ」
「······!······聞こえるの?」
「はい、集中すれば」
さも当然かのように言われ、耳を澄ます。
でも、何も、聞こえなかった。
「普通は、出来ませんか」
「······大声でもないのに、聞き取るのは、出来ない」
「んん、やっぱそうですか~。んじゃどんぐらいが限界ですか?」
「乙さんの声は、聞こえるよ」
「じゃないと会話出来ませんもんね」
俺の答えに乙さんは裏庭を見ながら、苦笑する。
でも、乙さんには何が聞こえているのか、と尋ねると、彼女は裏庭から目を離して真っ直ぐにこちらを見た。
「さっきまでは、下にいる彼らの会話と、貴方の声しか聞こえていませんでした。でも、今は彼らには集中していないから、いろんな音が聞こえます」
「······どんな音?」
「貴方の呼吸、心音。勿論、自分自身のものも。それから、複数の話し声······」
言葉を発しながら、眠るように目を閉じ、腕を組んで壁にもたれる。
その滑らかな動きは、つい見惚れてしまうほどで。
彼女が目を開けた時、ぼーっとしていた俺は慌てて言葉を探した。
「······いつも、そんなに、聞いてるの?騒がしくて、嫌にならない?」
「いつもではありませんよ。音に集中してる時だけ、たくさん聞こえます。だから集中するのをやめると急に静かになって、少し寂しくなる時もありますねぇ」
「俺には、分からない、感覚。······ちょっとだけ、知りたい気もする」
「似たような感覚なら、いつか体験できますよ」
「······楽しみ。······お昼、食べた?」
「教室で済ませました。そちらは?」
「俺も、もう食べた。どうする?仕事、ノルマ、減らしとく?」
「そうしましょうか」
彼女が誘いに乗ってくれたことを喜びながら窓のカーテンを引き、席につく。
少しの間何も話さずに仕事をこなしていると、急に彼女が話しかけてきた。
「そうだ、聞きたいことがあるんですけど······」
「······?」
「昨日、よく私だって気付きましたね」
『昨日』、と聞いて記憶を辿る。
······ああ、あの時のことか。
あれの答えは、単純だ。
「乙さん、の、瞳。その色だって、知ってたから」
何年も前に、一度だけ。
幼かった彼女に見せてもらったことが、あったから。
困ったように首を傾げる彼女を見て、俺はその時のことを思い出した。
『どしたのー?』
突如上から聞こえた声に、顔を上げる。
こちらを見下ろしているその子は、大きな何かが付いたパーカーみたいなものを着ている上に何か白いものをつけているせいで顔が隠れて、見た目では男の子か女の子かさえも分からない。
でも、その低めの声から、何故かハッキリと女の子だと分かった。
『なに』
情けなくも、ぼろぼろとこぼれる涙を必死に拭いながら答える。
目の前の少女はしゃがんで俺と目線を合わせると、小さく首を傾げた。
『ここね、危ないんよ。ほら、車』
彼女が指し示した方を見ると、確かに車がこちらに来ている。
俺は急いで女の子の手を引いて、先程何人かのクラスメイトと共に出た小学校の門へと走った。
『わー、びっくりしたー』
『······何?』
『急に走り出したでしょ』
『そう、じゃ、ない』
『ん?じゃー、あ、話しかけたことか』
俺の少ない言葉やトロい口調に、彼女は嫌な顔一つせず会話を続ける。他の子達はよく不愉快そうにしてどこかへ行ってしまうから、彼女の反応は、嬉しかった。
『さっき、あっちから出てきたよね』
『······?うん。俺、ここに通ってるから』
『私もなのー。だから、話しかけたの』
『······こんな時間、まで、なにを?』
あたりはまだ暗くないけれど、時計の長い針は5を指している。
一年生の時はよく分からなかったけれど、二年生になって授業でやり始めたから、今はもう家に帰っているはずの時間だと分かる。
実際、俺がクラスメイトの男の子達と下駄箱に着くまで、先生以外とは誰とも顔を合わせなかった。
『友達と、遊んでた。その子は今、犬を追いかけてるけど』
『犬?』
『うん。白いおっきな犬が、その子の水筒持ってっちゃったから』
彼女の説明にその様子を想像すると、思わず笑ってしまった。
おそらく、全力で走っているのだろう。自分の水筒をくわえた犬に置いて行かれないように。
追いつくまでに、犬の方が同情して水筒を返してくれそうだ。
『止まったねぇ』
『何が?』
『涙。ね、何で泣いてたの』
『······俺の、目』
『目?』
恥ずかしいことを問われているはずなのに、いつもは上手く言葉を見付けられないのに、なぜかすらすらと出てくる言葉に自分でも戸惑う。
知らない子なのに。なのに、どうして話そうと思ったのだろう。
『目が、気持ち悪いって。色が、皆と、似てないから。汚いって、同じ、クラス、の、子が汚い、って、言ってきて』
泣きそうになるのを頑張ってこらえながら話すと、途切れ途切れになる。
『お、れの、目が、黄色、だからって』
それでもなんとか最後まで言い切ると、彼女は興奮した様子で立ち上がった。
あまりの勢いにギョッとして見上げると、目を見られたくなくて伸ばしている前髪が後ろへ流れてしまった。
髪に遮られず見た彼女の顔の上半分は、額に奇妙な模様の描かれた白い仮面に覆われていた。
『黄色!え、わぁ、本当だ!』
今までとは違う反応が理解できずオロオロしていると、彼女はまたしゃがんで、今度はすぐ近くに顔を寄せてくる。
身を引こうとするも、肩に両手が乗せられて、逃げることが出来なかった。
『前髪のせいで気が付かなかったよ!今日は凄く運が良い!アンバーの持ち主に会えるだなんて!』
『アンバー?』
『そう、アンバー!琥珀色、まぁつまりは黄色のこと。貴方の瞳が汚い!?信じられない!そりゃ感じ方は人それぞれとはいえ、こんな美しいものを、汚いだなんて!もっと見せて!』
『へ、ちょ、待って』
『うん?』
『気持ち悪く、ないの?』
『当然さ』
『そ、そう······?でも、何で?』
『気持ち悪くないから!ってか何で前髪伸ばしてるの?目に入ってかゆくならない?』
『俺の目の色、皆と違って、気持ち悪いから。気持ち悪いのは、隠さないと、ダメだから』
俺の答えに驚いたのか、一瞬女の子が手を離したから、その隙に座ったまま後ずさる。
もしかしたら、怒らせてしまったかもしれない。
不安になりながら彼女を見ていると、彼女は首を傾げた後、真っ直ぐにこちらを見て口を開いた。
『周りと瞳の色が違っても、気持ち悪くなんかないよ。むしろ、私はそういう瞳の方が好きだ』
『それは、普通の目の色、だから、言えるんだよ』
『······貴方の言葉を借りれば、私の瞳の色も普通じゃないってことになると思うよ』
『え?』
『見てなよ。······ほら』
そう言った彼女は、躊躇なく顔を覆う仮面を外す。
その下から現れた彼女の瞳は、俺とは違うけれど、クラスメイト達とも違う色だった。
『······緑······』
『そ、緑。周りとは少し違うけど、綺麗な色だと思わない?私の瞳も、貴方の瞳も。少なくとも、私はそう思う』
ね?と微笑む彼女に、頬が紅くなっていくのが分かる。体が内側から一気に熱くなって、心音もそれに伴い騒ぎ出す。
彼女自身はそれに気付かず、後ろを向いて大きく手を振った。
彼女の友達が戻ってきたようだ。
『アヤ!』
『ソラ、取り返せた?』
『行き止まりに追いつめたら返してくれた』
『よかったねぇ』
『······そいつは?』
ソラと呼ばれたその少女はこちらへ走ってくると、俺を見て眉をひそめる。
彼女の瞳もまた、珍しい色だった。
『オレンジ、と、黄緑······?』
『あ、ソラの瞳のこと?そうだよ、ヘーゼル!』
『······アンバーか?そいつ。······浮気したんじゃないだろうな』
『やだなぁ、浮気じゃないよ!私はダークブラウン以外の瞳の色が好きなだけさ!勿論ソラも、ソラの瞳も愛してるよ!』
『······あたしもだ』
『ソラ、大好きー!ふふ、じゃあね、せっかくのその瞳、隠す必要はないよ!むしろドヤ顔で見せつけるといいよ!バイバイ、アンバーくん』
『うん、じゃあね······』
唐突な展開についていけず、呆気にとられながらも手を振る。
ただ、当分は心音が落ち着かなかった。
「ふふ、だとしても、不思議ですね。私の瞳を見たといっても、昔のことなんでしょう?この色の瞳がそう多くないとはいえ、判別はやっぱり難しいでしょうし」
「······昔、見たときから······かなり、時間は経ったけど。······なんとなく、分かった」
「なんとなく?」
乙さんに問い返され、一瞬固まる。
そりゃあ分かるはずだ。あんなにも鮮明に、思い出せるのだから。あんなにも強烈に、脳裏に焼き付いているのだから。
そう気付くと、恥ずかしさのあまり、赤面する。その顔を乙さんに見られたくなくて、すぐに俯いた。
自覚がなかったわけじゃない。あの日から、分かっていた。初めて知るそれが、なんと呼ばれるものなのか。それが、もしかすれば一生続くかもしれないことさえも。
すぐに、気付いた。それほどまでに大きかったのだ。その感情は。
「······なんとなく。なんとなく。なんとなくなんだっ······」
あの日から、同じ学年の子の名前を調べて、そこに『アヤ』がつく人を探した。
何人か見つかって会いに行ったけれど、全員外れだった。
他の学年まで調べることは出来ず、中学生になった時に今の副会長に誘われて生徒会に入ったのだ。
生徒会室には、他学年の名簿もあると思って。
案の定、資料室には毎年更新されている名簿があった。とはいっても中等部のものしかなかったから、一年目には見つけることは出来なかった。
だけど俺が二年生になって、新一年生の名簿を調べた時。
見つけたのだ。乙さんの、名前を。
勿論確かめに行った。間違いの可能性もあったから。
そして、昔と色は違うものの似たような形のローブを着ているのを見て、確信した。
『アヤ』だ、と。
······話しかけるだけの勇気はなくて、ズルズルと引きずってしまったけれど。
でも、成長した彼女を見て、想いが変わったのに気付いた。
なくなったわけじゃない。ただ、変わったのだ。以前までは、一度だけ言葉を交わした彼女に、どこかで拘っているだけのような部分があった。
『この子を好きでなくてはいけない』みたいな、強迫観念のような部分。
それが、彼女を見てから、完全に消えた。
『俺の瞳を綺麗だと言ってくれた少女』だからじゃなく、『どうしようもなく惹かれてしまう』から好きなのだ、とでもいうのだろうか。
それだけではなく、初恋らしい、幼いゆえの純粋な感情でもなくなった。
いろんな欲の入り混じった、それらしい感情になったのだ。······少々重い気がしなくもないけど。
「柳瀬書記でもそんな風に焦ることはあるんですね。意外です」
乙さんは笑いながらそう言うと、パソコンに目を向ける。
······『柳瀬書記』。
彼女は基本役職持ちの人をそういう風に呼ぶのだと分かっていても、よそよそしい感じがしてあまり好きではない。本名でないとはいえ、昔呼ばれた『アンバーくん』という呼び方の方がまだ嬉しい。
認識してもらえただけで、喜ぶべきことなのだろうけど。
「······何で役職付きで呼ぶの?」
「嫌ですか?」
「······先輩呼びの方が、良い」
「えー······。でも本人の要望だしなぁ······柳瀬先輩······言いづらいなぁ······」
「『せ』が、二回続く、もんね」
「今までどおりじゃダメですか?」
「······仕方ない」
「ありがとうございます」
言いづらいだけであれば、いっそ名前呼びはどうだろう、と考える。
······それはそれで俺が耐えられなさそうだ。
「······さっきの、葵くんに、ばれたかな」
「かもしれませんねぇ」
「······日向くんに、あのこと、言わないで、あげて」
彼は、日向くんに隠しているから。日向くんの代わりに、女の子の恋人になっていること。
言わなくてもいい。
葵くんが少し過保護な気もするけど、彼らは今のままで良いのだから。
「言いませんよ。······その方が、面白いですから」
「どういうこと?」
「夏草庶務も、馬鹿じゃないってことです」
「······乙さんから教えるのは、やめてね」
「はい」
彼女の言葉に不安になるが、日向くん自身の力で気付いてしまうなら、それを止めてはいけないだろう。
······ただ、心配なのは、日向くんが誰かに教えられて混乱することだ。
彼らが仲違いするさまは、見たくなかった。
他者視点が多い気がしなくもない。
前々話で急に花咲さんが怯えだしたのは、乙ちゃんの目が怖かったためというね。分かりづらい裏設定。




