中編
詩哉の「会社」と門倉組との仲を一言で表すと、いわゆる好敵手だと一歌は思っている。
「雑食」である門倉組はあちこちの業界に手を出しており、詩哉の「会社」と競うことも多い。
隙を見ては足元をすくってやろうとお互い動向を監視しつつ、状況によっては共闘も辞さない。
いつだったか、詩哉にしては珍しく下手を打って門倉組に追い込まれたことがある。
携帯を片手に、忙しなく指示を下す詩哉の顔と言ったら。
「楽しいの?」
「わかってるだろ?一歌」
確認するまでもなく、初めて菓子を頬張った幼子のような顔をしていたので間違いない。
まぁ、そういう仲である。
それが面白くないのは、詩哉信者たちである。
業績を競う敵であるのに加えて詩哉の興味を惹いているとなると、各々のブラックリストNo. 1に名を連ねているのが門倉組だ。
雪晴しかり、一歌の目の前の引きこもりしかり、智和しかり。
なので、「貸し屋」に乗り込んできた門倉組を、意気込んで追い返しに行った智和が戻らないのは苦戦しているということだ。
「かな君、そこから見えるでしょ?喧嘩にはなってないよね?」
『…まだね』
社内の至る所に設置されているカメラを管理する奏多の返答は、何とも不安を煽るもの。
「智くんたちはどこに居るの?」
『二階の応接室、だけれど』
「了解〜」
『…一歌?』
携帯越しの怪訝な声。
一歌が次にとるであろう行動を予測した声。
残念、かな君。正解だよ。
「じゃ、ちょっと行ってくるねー」
『待っ、一歌!』
「かな君」
「目と耳を閉じて、いい子で待っててね?」
私の邪魔をしたら、許さないよ?
『…俺が、素直に一歌の言う通りにするとでも?』
長時間放置したお茶っ葉で入れたお茶みたいな渋い声での問いに、にっこりと微笑むことで答える。
ひら、と軽く手を振ると、二階のフロアに降りるため一歌は踵を返した。
*************
手ぶらで入室するのを迷った結果、先ほど思考を掠めて無性に飲みたくなった緑茶を入れ、一歌は件の応接室の前に来ていた。
取り敢えず聞き耳を立ててみるものの、厚い扉の妨害により中の声は一切聞こえない。
ふむ、とひとりごちて、目の前の障害物に拳でリズムを刻む。
返事がないのは百も承知、勝手に入室してしまおう。
「---後日改めてお話を伺うと申し上げています」
部屋の中央、向かい合うソファには智和と、門倉組の者が2名。
緊張を孕んで言い捨てた智和の視線がこちらに流れ通り過ぎ、音がしそうな勢いで再度戻ってきた。
やべぇ、あの顔はなに考えてるんだ阿呆か不要な脳みそ耳から掻き出すぞ、だ。
「…いちか?」
「久しぶりだねー、虎さん。お茶でもどうですか?」
こてん、と態とらしく首を傾げてみる。
意外とこういうあざとい行為が好きなのだ、この人は。
もはや直視できない面相の智和の真ん前、そこに座す人こそ門倉組若頭--門倉 虎彦その人である。
少し立たせてセットした黒い髪、一重が涼しげな凛々しい面立ち、ダークグレーのスーツを品よく着こなすしなやかな体躯は、一目見て武道に通じているとわかる。
硬派で爽やかな印象を与えるこの若い男が、海外からも恐れられる門倉組次期頭領とは誰も思うまい。
裏を返せば--残虐を常とする組をまとめあげる身でありながら、普通でいられることが既に異常で、とてつもなく恐ろしい。
虎彦と互角に渡り合えるのは、詩哉くらいだ。
話せば長い故あって、そんな男と一歌は軽口を叩ける知り合いである。
「お茶?いちかが入れたんか?」
「そー。飲む?」
「…もらおうか」
少し訛った口調と、片方の口の端だけ上げる皮肉めいた笑いは虎彦独特のもの。
お盆を持って近づけば、そのまま腕をとられ隣へと導かれる。
虎彦の護衛と思われるもう1人の間に座らされた。
「…門倉さん。そい…その子は関係ないので、退席させます」
「構いません。詮無いお話を聞かされるより、いちかと話をする方が余程私には有意義ですので」
ぎし、と空気が軋んだ音が聞こえたのは一歌だけではないはず。
「えっと、虎さんと会うのは本当に久しぶりだね!前会った時は春頃だったですか?」
「そうやな。それからちょっとごたごたして、あちこち飛び回っとったからなぁ。まぁ、いちかの兄ちゃんほどやないけどな。」
「うちの兄は、適当に休息つくってちょくちょくお休みしてるので、虎さんほどお仕事してないですよ」
「そうやろか。---例えば今も忙しくしてるんやろ?」
「---さぁ、最近のことはあまり聞いていないので、どうなんでしょう」
無垢な微笑を心がけてみたが、虎彦がにやにやしているのでどうやら失敗だったようだ。
軽口をたたけるといっても、隙を見ては一歌からも何かしら情報を得ようとする虎彦は容赦がない。
「門倉さんもお忙しいでしょう。次のご予定がつまっていらっしゃるのでは?」
とうとう智和があからさまな追い出しにかかった。
多分、色々面倒くさくなったようだ。
「そうですね、何となく事情は掴めましたので、そろそろお暇致しますよ」
「虎さん、この後はどこ行くの?」
「---なんだ、何か企んでんのか?」
「人聞きの悪いこと言わないでよー。ね、『BACCANO』行かないの?」
「くっくっ、正しくは連れて行ってください、だろ」
『BACCANO』とは、門倉組が運営する会員制のクラブだ。
数種の遊戯もできるそこは、言うなれば『金雀鳥』のライバルともなる。
そんな敵地に何用か、と正面からの攻める視線で体に穴が空きそうだ。今までに何度も虎彦に連れられて遊びに行っていると言ったら、智和の手による強制臓器販売待ったなしだ。
「虎さん、私と遊んで?」
「---いいぜ、可愛いいちかと遊んじゃる」
袖口をちょこんと握り、必然そうなる上目遣い。
にやりと口角を上げ、一歌の髪先をひょこひょこといじりながらの返答によれば、どうやらお気に召したようだ。
「あんたなぁ…」
「ごめんね、智ちゃん。そういうわけで、虎さんと行ってくるー」
「心配せずとも、傷ひとつなくお返ししますよ。本日はお時間頂戴いたしまして、ありがとうございました。後日の御社のご説明楽しみにしておりますよ」
「---えぇ、ご期待に沿えるよう努力します」
ちくりと嫌味を置き土産に退室する虎彦の後ろに続きながら、部屋の隅、カメラのレンズの奥の奏多に視線を投げる。
人差し指を唇にあて。
「静かにいい子にしててね」と最後の釘刺し。
さぁ、楽しい遊びの時間。