第二十六話
綾瀬にとって、プランコの治療は簡単ではなかった。
午前中にしても、ビューテから早くに免許皆伝をもらったことを自信の根拠に、練習中にできた怪我を丁寧に回復魔法をかけていったのだが、集中力と根気のいる作業で、何度もくじけそうになった。此度のプランコの治療にしたって、だいたい、ここまで血だらけの人間を見るのもはじめてなのだ。午前中に簡単な傷を治すことは経験したものの、いきなり実戦に放り出されても何から手をつけていいのか戸惑うばかりであった。
一つ、一つ。ビューテから教えられたことを思い出しながら深呼吸を繰り返す。
大切なのはイメージ。慣れれば細かいことはやらなくても大丈夫というけれど、こればかりは経験がものをいうという。綾瀬は初心者。きちんと基本に従い、丁寧に回復過程を築き上げなければならない。綾瀬は「よし」と覚悟を決めた。
女は度胸。血なんて見慣れてるじゃない!
今も苦しそうにうめくプランコの表情に危機を感じる。けれども焦ってはいけない。まず、最初に必要なのは落ち着いて冷静になることだと教えられた。次に検診だ。深い傷はないか。致命傷になりそうな傷はないか。大きな出血元はどこか。男の人に触れるのは抵抗があった。ただ今回に限っては鎧を着ていたことが功を奏し、見た目にも大きなダメージを負っている箇所はなく、関節部や布の部分を狙われた小さな傷や鎧越しの打撲などがほとんどであったために危険性はそれほどないと判断できた。触診はしなかった。今度は切り傷の治療だ。
小さな傷。そう、小さな傷だ。されど大きな傷であった。打撲はまだいい。身体には確かにダメージを食らっているが、鎧が威力を吸収していることが多く、防具の大切さがよく理解できる状態だからだ。しかし、切り傷はよくない。鎧の接続部を布で補強されている箇所のものは、パックリと皮膚が割れており、流れる血液がグロテスクであった。さらには白い何かが見えていたりしており、吐き気を覚えてしまったほどだったのだ。
けれども今はそれが治せる魔法が使える。
「キュア」
両手を傷口近くに固定して、目を閉じてイメージする。
ポゥッ、と両手から光が溢れ、プランコの傷が塞がっていく。
「ありがとうございます」
「まだです。すみませんが、動かないでいてください」
集中しないと失敗してしまうのだ。最後まで塞がないと、動いたときにパックリ割れてしまう可能性がある。
プランコは綾瀬の言葉に従い、じっとしていた。
力を込める。イメージ。傷のない状態。砂の付いていない状態。クライスさんは傷ついていないと心で唱える。そうしていると、ついには一つの切り傷の治療に成功した。
「すごいです。初めての実戦とは思えませんよ。今、戦っているユウト様やユウヤ様、クリス様も」
「ありがとうございます。でも、まだ傷はあるので、もう少し待ってくださいね」
「ええ。ですが、ゆっくりでいいですよ。もう焦らなくてもいいみたいですから」
「えっ? でもまだ戦いが……」
「援軍です。一応、注意していただいていたんです」
「でもどこにもいませんよ」
「すぐにわかりますよ」
プランコは笑った。
無邪気に。待ち望んでいたヒーローが現れた少年のように。
綾瀬は不思議だった。
プランコこそヒーローと思っているからだ。
しかし、ソレは唐突に訪れた。
三本角の緑鬼がいきなり炎に包まれたのだ!
叫び、転がりまわるモンスターに絶句する。
どうしたの?
何があったの?
あんなに強い敵が?
あんなに恐ろしい敵が?
そして。
綾瀬は。
理不尽なる暴力を知った。




