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PROTOCOL:ASH ──“神殺し”を埋め込まれた俺の異世界禁書──  作者: さば虎


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第24話

 

 太陽はすでに森の奥へ沈みきっていた。


 藍色へ染まった空には、こぼれ落ちそうなほどの星々が瞬く。

 夜風は昼間の熱をゆっくりとさらっていく。


 そんな静かな夜の中――居住区の一角だけは、明るい笑い声に満ちていた。


 空き家を改装して作られた即席の浴場。

 天井は取り払われ、夜空がそのまま湯船の上に広がっている。


 白い湯気がゆらゆらと立ち昇り、灯りの反射した水面が柔らかな波紋を揺らしていた。


 遠くでは、まだ宴の喧騒が続いている。

 男たちの笑い声や、酒臭い怒鳴り声が風に乗って微かに届いてくる。


 だが、この場所だけは別世界だった。


「きゃっ! 冷たっ! やったなぁ、えいっ!」


 ばしゃっ、と水音が跳ねる。


「きゃあっ!? あつっ! 熱湯じゃん!」


「あはははっ!」


「このっ!」


 湯を掛け合って騒いでいるのは、レメリィとシーラだった。


 木を組み上げて作られた浴場は、即席とは思えないほど立派だ。

 削りたての木の香りが湯気と混ざり、心地よい匂いを漂わせている。


 どうやらガンテツが張り切って造ったらしい。

 全裸で湯に入るなど、最初は皆半信半疑だった。

 しかしいざ入ってみれば、村の女たちには大好評だった。


「はぁぁ~……生き返るぅ……」


 シーラが湯船の縁に腕を乗せ、とろんと頬を緩める。


「ほんと……身体の疲れが溶けるみたい」


 レメリィも肩まで浸かりながら、深く息を吐いた。


 女たちの手は、もう何日も止まっていなかった。


 食事の支度。

 洗濯。

 資材運び。


 朝から晩まで動き続け、

 気づけば夜になっている。


 だからこそ――

 湯の熱が、骨の奥まで沁みた。



 二人は顔を見合わせ、くすくすと笑った。


「レメちゃん……」


「なに?」


「ワー様のこと……」


「……うん?」


 その瞬間、つい先ほどの光景が脳裏に蘇る。



 ◇



「だから待てって言ってんだろぉ!!」


 宴の最中。

 顔を真っ赤にしたワーゲルが叫んでいた。


「待ってますよ? お母さまもっ」


「そうじゃなくて……!」


 周囲ではすでに、村人たちが酒と料理で盛り上がっている。


 そんな中、シーラは当然のようにワーゲルの腕へ抱きついていた。


「ワー様は子ども何人欲しいですか?」


「ちょ、ちょっ、離れ、離れてくれっ!」


 慌てて引き剥がそうとするワーゲル。

 だがシーラは不思議そうに首を傾げるだけだ。


「はっきり言っておく。俺は、結婚なんてしない」


「まだ決心つかないんですか?」


「そうじゃなくて、俺はこの村を――」


「男らしくしなさいよっ!」


 言葉を遮ったのはレメリィだった。


 ワーゲルがぎょっとした顔を向ける。


「シーラのこと、好きなんでしょ!?」


「ちょっ! おま――」


「シーラがこんなにしてるのに! 逃げてばっかりで!」


「うっ……」


「余計なこと色々考えてるんだろうけど」


「っ……」


「まずはちゃんとシーラに向き合いなさいよね!」


 ワーゲルは苦虫を噛み潰したような顔で押し黙る。


 だがやがて、観念したように息を吐いた。


「……櫓番の交代だ」


 それだけ言い残し、そそくさとその場を去っていく。


 残されたシーラとレメリィは顔を見合わせ――同時に肩を竦めた。


「レメリィちゃん、食べよ?」


「うん……」


「これ、あたしの大好物!」


「あぁ、それね! 今日ね――」



 ◇



「ありがとうね……」


 湯気の向こうで、シーラが少し照れくさそうに笑った。


「……うん。でも、あのままでいいの?」


「うん。いつまでも待つから……」


「無理しちゃって」


「……えへ。ホントは泣いちゃいそだけどっ」


 柔らかな笑み。


 その時だった。


「きゃっ、なに!?」


 突然、シーラが声を上げる。


「シーラちゃん、ずいぶんオトナになったわねぇ」


 背後から現れたセイラが、“重さ”を確かめるように抱きついていた。


「セイラさん!? ちょっ、待って、だめ……!」


 さらに周囲の年上女性たちまで寄ってくる。


「王族は食べ物が違うのねぇ?」


「何食べたらこの歳でそんな育つのよ?」


「あっ、あっ、ダメだってぇ……!」


 悲鳴とも笑いともつかない声が浴場へ響き渡る。


 湯気の中は一気に騒がしくなった。


「……賑やかねぇ」


「……いいことよ?」


 少し離れた場所で、リリアメルとマリクララが呆れ半分に呟く。


「みんな酔っちゃって……しょうがないわね」


 レメリィは苦笑しながら肩をすくめた。


 湯気越しに見える女たちの顔は、皆明るかった。


 レメリィは静かに身体を沈めた。


 目を細め、小さく息を吐く。


(ふぅ……気持ちいい……)


 そして、ふと思う。


(……よかった)


 静かに瞼を伏せる。


(間に合って……)


 脳裏に浮かぶのは、今朝の光景。


「ふふっ……」


 小さく漏れた笑みが、湯気の中へ静かに溶けていった。


 湯気の向こうで、また笑い声が弾ける。


 その光景を“聴き”ながら、


 レメリィはふと今朝を思い出していた。



 ◇



 半日前――早朝。


 広場には、死屍累々の村人たちが転がっていた。


「うぅ……」


「飲みすぎた……」


「頭いてぇ……」


 昨夜の風呂騒ぎから、宴会はさらに加速した。

 結局ほぼ全員が、深夜まで騒ぎ倒したのである。


 地面へ大の字になって寝ている者。

 樽を抱えたまま潰れている者。

 なぜか水桶に頭を突っ込んでいる者。


 村の朝とは思えない有様だった。


 シンガも眠そうに目を擦りながら、水を飲んでいる。


 そんな中。


「あ……そうじゃ」


 ふいに、ルーメル村長が固まった。


「……どうした? うぅ、頭いてぇ……」


 近くで呻いていたガンテツが、顔をしかめながら聞き返す。


 村長は青ざめた顔で、ゆっくり口を開いた。


「今日じゃったのぅ」


「何がだぁ?」


「王族来るの」


「…………は?」


 一瞬の静寂。


 次の瞬間――。


「うおおおおおおおおっ!!」


 広場に絶叫が炸裂した。


「なんで忘れてんだよ俺ぇ!!」


 ワーゲルが頭を抱えて叫ぶ。


「大声出すんじゃねぇ! 頭いてぇんだ!!」


 ダイノが即座に怒鳴り返した。


「おぉい……どうしたぁ……?」


 その横では、フリッジが半分まだ夢の中だった。

 状況を理解できず、ぼんやり目を擦っている。


 今日は、年に一度の王族来訪の日。


 起源の村へ、王家の者が交流と成人の報告を兼ねて訪れる日だった。


 別に、豪華な歓迎が義務というわけではない。


 だが村で採れた食材を振る舞い、精一杯もてなす。


 それが長年続いてきた、この村の習わしだった。


 ――しかし。


 昨夜の大騒ぎで、蓄えはほぼ壊滅。


 しかも最近は水車建設を優先していたせいで、事前準備もまともに進んでいない。


 ようやく事態の深刻さに頭が回り始めたのか、村人たちが次々と広場へ集まってくる。


「いつも夕方だよな?」


「今年は何人来るんだ?」


「あの子、今年で成人じゃねぇか?」


「シーラちゃんだろ? またあれやんのかね」


 口々に飛び交う声はまとまりがない。


 ルーメル村長が低く唸った。


「レメリィ。うちの酒、まだあったじゃろ?」


「昨日、全部出しちゃったわよ?」


「ふむ……」


 村長の視線が横へ向く。


「ガンテツ」


「んお?」


「お前の“アレ”、出せ」


「なっ……」


 一瞬だけ顔を引きつらせたガンテツだったが、やがて渋々鼻を鳴らした。


「……むぅ。仕方ないわぃ……」


「よし。後はやれるだけ集めるしかないの」


 ルーメルは腕を組み、重々しく頷く。


「また班分けするか?」


 そこから先は早かった。


 次々と役割分担が決まり、広場の空気が一気に動き始める。


「自警団の非番組は狩猟!」


「女衆は採集だ!」


 慌ただしく怒号が飛び交う中――。


「あのぉ……」


 おずおずと、シンガが手を挙げた。


 視線が集まる。


「ひとつ提案なんですが……」


「なんじゃ?」


「昨夜のお風呂。あれをもう一回作るっていうのは……どうでしょう」


 一瞬、空気が止まった。


 脳裏によみがえるのは、昨夜の湯気と熱。


 身体の芯まで溶けるような温かさ。

 疲労が抜け落ちる感覚。


「……おぉ」


「それいいな!」


「多少飯がしょぼくても誤魔化せるかもしれねぇ」


「また入りてぇ……」


 村人たちの顔色が変わる。


 すると。


「よぉぉし!!」


 突然の大声に、数人が一斉に頭を押さえた。


「昨夜のは試作品だぁ!!」


 ガンテツの目が、職人特有の危険な輝きを放っている。


「今度はもっとすげぇの作ってやる!!」


 完全に火がついた。


「湯ももっと溜める!!」


「床も補強だ!!」


「今度は壊れねぇぞぉぉ!!」


 その横で、ドンテツも静かに立ち上がる。


「……なら俺は、釜だな」


 短く言い残し、そのまま鍛冶場へ向かっていった。


 親子が本気になると早い。


「おら!いくぞ!」

「さぁ、いきましょっ」

「昼までには戻れよ!」


 慌ただしく村人たちが散っていく。


 その中で――。


「シンガァ! 来い!」


「え、あ、はい!?」


 ガンテツに腕を掴まれ、シンガはそのまま引きずられていった。


「昨日の続きだぁ!」


 歩きながら、シンガは慌てて口を開く。


「あのっ、壁で囲えないですかね……?」


「おぉ?」


「男湯と女湯に分けたり……」


「なんだそりゃ?」


「風呂は全裸で入るので……」


 ぴたり、とガンテツの動きが止まった。


「今なんと……?」


「“全裸”です……」


 数秒の沈黙。


 そして。


「なるほどぉぉぉ!!」


 豪快な叫びが朝の村に響き渡る。


「そりゃ分けた方がいい!!」


「ですよね!?」


 だが次の瞬間、ガンテツは眉を寄せた。


「……しかし壁材が足りねぇな」


 新しく建物を作る時間も木材もない。


 どうしたものか、とシンガが考えかけた時。


「あっ」


 ガンテツがふいに顔を上げた。


「空き家があるじゃねぇか」


「……あっ」


「誰も住んでねぇ家なら、最初から壁はあるじゃねぇか!」


 ガンテツがニヤリと笑う。


「シンガ、お前やっぱ頭回るなぁ!」


「いや、それガンテツさんですよ……」


 しかし本人はもう聞いていなかった。


「屋根ぶち抜くぞぉぉぉ!!」


「え?ちょ待ってください!?」



 ◇



 一方、狩猟班は──。


 ワーゲルとダイノが、木々の間を進んでいた。


「シーラちゃん来るだろ? どうすんだ?」


 ダイノが横目で聞く。


「どうって?」


「今年で成人だろ」


「……」


「約束なんだろ?」


 ワーゲルは顔をしかめた。


「勝手に言ってるだけだ」


「嫌いなのか?」


「……そうじゃねぇが、王女だぞ?」


「ビビってんのか」


 ワーゲルは答えない。


 代わりに、小さく舌打ちした。


「ワーゲル、お前の下で働いてもいいんだぜ?」


「無理だろ、王様なんて……」


「クレアさんはそう思ってねぇだろ。エムハトさんだって」


「……」


 ワーゲルは視線を落とした。


「それに、置いていかないって約束したんだ」


「それとこれは違う話だろ?」


「だとしても……」


 ダイノは小さく息を吐く。


「お前が思ってるほど、あの子は弱くねぇぞ。村長だって」


「わかってる」


「なら話してみろよ?」


「……」


 返事はなかった。


 不意にダイノが片手を上げた。


 獲物発見の合図だ。


 指差しでそれぞれの動きを確認し合う。


 息の合ったタイミングで左右に走っていった。



 ◇



 一方、採集班――。


 レメリィは周囲へ視線を巡らせながら、少し後ろを歩いていた。


 木々の揺れ。

 草の擦れる音。

 鳥の羽ばたき。


 森の気配を一つずつ、拾い上げるように警戒する。


 そんな彼女の耳に、前方から楽しげな声が届いた。


「こっちにもあるわよ!」

「昨日ちょっとしか採らなかったからね〜」


 村からそれほど離れていない森の一角。


 陽光の差し込む木立の下には、赤紫色の果実が鈴なりになっていた。


 形は無花果によく似ている。


 どれも先端がぱっくりと開き、完熟した甘い香りを漂わせていた。


 セイラたちは慣れた手つきで次々と実を摘み、籠へ放り込んでいく。


「わ、これすごい熟れてる!」

「こっちの木も当たりよ!」


 楽しそうな声と共に、籠はみるみるうちに埋まっていった。


 その様子を見ながら、レメリィは小さく息を吐く。


(採れればいいなって思ってたけど……これほどとはね……)


 昨夜の宴会で、村の蓄えはほとんど消えた。


 正直、不安は大きかった。


 だが、これだけ採れればもてなしとして十分形になる。


 この果実はシーラの大好物でもあった。


 胸の奥に張り詰めていたものが、少しだけ和らいだ。


(ワー兄たちも、たくさん獲れるといいけど……)


 ふと、森の奥へ視線を向ける。


 今頃、ワーゲルたちは狩猟で走り回っているはずだ。


 ちゃんと獲物を見つけられているだろうか。


 “星空の魔獣”と遭遇していないだろうか。


 また無茶なことをするんじゃないだろうか。


 そんな考えを振り払うように、レメリィは軽く頭を横へ振った。


(置いていかないって、約束したから……)


 周囲では、果実で山盛りになった籠を抱え、セイラたちが笑い合っている。


「これ、絶対甘いわよね」

「帰ったらすぐ準備ね」

「ちょっと味見したいかも〜」


 その時。


「レメリィちゃん、村へ帰りましょ?」


 振り返ったセイラが声を掛ける。


「うん。わたしも持つね」


 レメリィは近くの籠を受け取った。


 籠の重みで腕が軋む。


 それでも、不思議と足取りは軽かった。


 女たちは談笑しながら、村への道を歩き出す。


 揺れる籠から、完熟した果実の甘い香りがふわりと漂い、静かな森の空気へ溶けていった。



 ◇



 昼へ向かう陽光が、村をじりじりと照らしていた。


 昨夜の騒ぎの余韻は、まだあちこちに残っている。


 広場には木皿や骨付き肉の食べ残しが散乱し、踏み潰された葉皿が風に転がっていた。

 酒の匂いもまだ薄く漂っている。


「ちょっと、それは洗わないのよ」

「ったくもう……若いのは散らかすだけ散らして……」


 ぼやきながら後片付けをしているのは、ルーメル村長を始めとした年寄りたちだった。


 昨夜あれだけ騒いでいた若者たちは、食材収集へ駆り出されている。

 結局、最後に片付けるのは年寄りの役目になっていた。


 広場中央に置かれていたはずの即席風呂も、いつの間にか消えている。


「ありゃ?」


 ルーメルが辺りを見回す。


 残っていたのは木屑と石片だけだった。


 どうやらガンテツたちが全部持っていったらしい。

 本格的な風呂を新しく造るため、資材として使うのだという。


「行動だけは早いのぅ……」


 呆れ混じりに笑うルーメル。


 その一方で、畑の周囲では子どもたちが花を摘んでいた。


「これ綺麗!」

「あっちほら!咲いてるー!」


 小さな手が、朝露を残した花々を丁寧に摘み取っていく。

 不揃いながらも、子どもたちは懸命に花束を作っていた。


 成人したシーラが今日この村へ来る。


「シーラ、喜ぶかな?」

「大丈夫だよ!」


 そんな声が、昼前の村に明るく響いていた。


 そして――。


 太陽が頭上へ近づき始めた頃。


 村の門の向こうから、女たちの賑やかな声が聞こえてきた。


「村長! これ見て? すごいでしょ!」


 先頭で駆け寄ってきたセイラが、大きな籠を掲げる。


 中には、丸々と熟した果実が山のように詰まっていた。


 後ろに続く採集班の女たちも、皆それぞれ背負籠いっぱいの収穫を抱えている。


「おぉ、これはこれは……すごいのぅ……!」


 ルーメルは思わず目を見開いた。


 籠いっぱいに詰まっているのは木鞠の実だ。

 艶やかな赤紫色に熟した実は、甘い香りまで漂わせている。


「おじいちゃんもこれ好きだもんね?」


 レメリィが一つ手に取り、ルーメルへ差し出した。


 ルーメルは受け取った実をしげしげと眺め、目を細める。


「こんなに熟した木鞠の実は格別じゃからの……」


 その声音は、どこか嬉しそうだった。


 ルーメルはそっとレメリィへ実を返した。


「さっ! みんな、もうひと働きするわよっ!」


 セイラがパンッと手を打つ。


 女たちは「はーい!」と声を揃え、そのまま居住区へ向かっていく。


 ちょうどその時だった。


 今度は門の方から、男たちの笑い声が響いてきた。


「おーい! 戻ったぞー!」


 先頭にいたのはフリッジ。


 その隣を歩くワーゲルの肩には、血抜きを終えたダイアーラビットが担がれていた。


 さらに後ろでは、男たちが太い棒に逆さ吊るしにしたファングボアを運んでいる。


「なんか今日は調子良かったぜ!」


 誰かが豪快に笑う。


 しかも、それだけでは終わらなかった。


「こんだけありゃ十分だろぉ?」


 後続の男たちが、さらにもう一体のファングボアを担いで現れる。


 その担ぎ手の一人はダイノだった。


 胸を張ったドヤ顔に、周囲から笑いが起こる。


 セイラはその獲物を見るなり、大きく声を張り上げた。


「あんたたち! よくやった! あとはあたしたちに任せな!」


「うおおおっ!!」


 男たちが歓声を上げる。


 その中で、ワーゲルがふとレメリィへ視線を向けた。


 そして無言のまま、ぐっと力こぶを作ってみせる。


 レメリィは一瞬だけ張っていた肩の力を抜いた。


 安堵が胸を過ぎる。


 それからすぐ、くすっと笑みを浮かべた。


 すると今度は、村の奥から慌ただしい足音が近づいてくる。


「みなさん! 帰ってきたところすみませんが、大至急お手伝いお願いします!」


 息を切らして駆け込んできたのはシンガだった。


「どしたどした?」


「ガンテツさんが風呂造ってるんですが、材料の加工が間に合わないって……!」


 一瞬の沈黙。


 そして次の瞬間。


「しょうがねぇな。行くぞ、みんな」


 フリッジが笑いながら声をかける。


「おおっ!」

「もういつ来てもおかしくねぇからな!」

「全力で手伝うぜぇ!」


 男衆が一気に盛り上がる。


 狩りから帰ってきたばかりだというのに、疲れた様子などほとんどない。


 誰も彼も、妙に目が輝いていた。


 村全体が、ひとつの祭りへ向かって突き進んでいるようだった。


 その熱気の中心で。


 レメリィは、勢いに押し流されるような村の空気を静かに感じていた。


 止まらない。


 この村は、もう止まろうとしていなかった。


 ・

 ・

 ・


 湯が肩を滑り落ちる。


 気づけば、また夜の浴場へ戻っていた。


「夢じゃない……よね?」


 頬を撫でる夜風は心地よく、胸まで沈めた湯は驚くほど温かい。


 湯気の中で、レメリィは再びゆっくりと目を閉じた。


 遠くからは、まだ男たちの騒ぐ声が聞こえてくる。

 けれど今は、その喧騒さえどこか穏やかに感じられた。


 少し前まで、この村にはこんな余裕などなかった。


 水不足。

 飢え。

 先の見えない不安。


 誰もが明日を生きるだけで精一杯だった。


 なのに今は――笑い声がある。


 湯気があって。

 温もりがあって。

 繋がりがある。


 まるで夢みたいだった。


「なぁ〜にが夢なのかな?」


「きゃあっ!?」


 突然、背後から柔らかな感触が押しつけられ、レメリィが飛び跳ねる。


 振り向けば、シーラが悪戯っぽい笑みを浮かべていた。


「シ、シーラ!? ちょ、なにして――」


「レメちゃんの“重さ”はどんなかなぁ?」


 むにゅ、と。


 わざわざ確かめるように抱きついてくる。


「あっ、ちょっと、やっ、あんっ!」


 湯がばしゃばしゃと跳ねた。


 周囲の女たちから笑い声が上がる。


「あれぇ? レメちゃんはちょっと控えめかなぁ?」


「なんですってぇ?」


 ぴくり、とレメリィの眉が跳ねた。


「このぉっ!」


「きゃあっ!」


 今度はレメリィが反撃する番だった。


 抱き返す勢いのまま湯を跳ね上げると、シーラが楽しそうに悲鳴を上げる。


「冷たっ!?」

「わたしはまだこれからなのっ!」

「あはははっ!」


 二人の騒ぎに、周囲の女たちもさらに笑った。


「若いわねぇ〜」

「元気余ってるわぁ」

「いいわねぇ青春」


 好き勝手言われ、レメリィは顔を赤くする。


「もうっ、からかわないでくださいよ!」


「でもレメリィちゃん、最近ちょっと表情柔らかくなったわよね?」


 セイラが湯船の縁に頬杖をつきながら笑う。


「え?」


「前はもっと気ぃ張ってたじゃない?」


「そうそう」

「最近よく笑うし」


 次々飛んでくる言葉に、レメリィは思わず言葉を詰まらせた。


 そんな風に見えていたのか。


 すると、シーラがくすっと笑う。


「きっと安心してるんだよ」


「安心?」


「うん。ちゃんと“帰ってくる場所”になってるんだと思う」


「……」


 レメリィは一瞬、言葉を失った。


 湯気の向こうで、夜空の星々が静かに瞬いている。


 帰ってくる場所。


 その言葉が、胸の奥へじんわり沈んでいく。


 思い返せば、この村はずっと変わり続けていた。


 水路ができた。

 水車が回った。

 風呂までできた。


 皆が笑っている。


 忙しくて。

 騒がしくて。

 毎日振り回されてばかりなのに。


 不思議と、嫌ではなかった。


「……そうかも」


 小さく呟く。


 するとシーラが、嬉しそうに目を細めた。


「ふふっ」


 湯気の中、笑い声がまた弾ける。


 温かな空気。

 星空。

 人のぬくもり。


 その全部に包まれながら、レメリィは静かに思った。


(……ほんとに、変わったなぁ)


 村も。


 みんなも。


 そして、自分自身も。



 湯気は夜空へ溶け、笑い声は星々の隙間へ静かに消えていく。


 星々だけが、その小さな村を優しく見下ろしていた。



 《続く》

文字数気をつけよう。無闇に増やしちゃダメ、ぜったい。

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