第23話
夕暮れの光が、村を赤く染めていた。
森の端へ沈みかけた陽は柔らかく、木々の隙間から橙色の光を零している。
その中を、三人の影がゆっくりと歩いていた。
先頭を行くのはレメリィ。
その後ろにシーラとエムハトが続く。
「……驚きましたね」
ぽつりと呟き、エムハトが立ち止まる。
(もう戻りましたか?……そんな事……)
彼の視線の先。
村の南側にある石造りの泉には、透き通った水が満ちていた。
夕陽を反射した水面が、きらきらと赤金色に揺れている。
「前に来た時は、底が見えていましたよね……」
シーラも目を丸くしている。
この村は慢性的な水不足に苦しんでいた。
もう何年かは続く見通しだった。
だからこそ、泉に水が湛えられているというだけで異様だった。
泉を見回す。
エムハトの視線が止まった。
柵に沿う樋。
泉に流れ込む水。
樋と言うには太過ぎる。
(泉の水はこれで……か。水はどこから……?)
よく見れば、反対側からも流れ込んでいる。
(見せてもらう方が良さそうですね……)
「……ちょっと、よろしいですか?」
エムハトは空を指差し、レメリィに尋ねた。
レメリィは「どうぞ」と言いたげに首を傾けた。
エムハトは近くの家と柵を眺めると、背中の剣を足元に置いた。
次の瞬間。
家へ向かって走る。
サッ──トトッ、トンッ──
そのまま屋根へ駆け上がり、柵の上へと飛び移った。
「ふぅ……」
眼下に広がる景色。
知っている村の大きさではない。
家々を囲う柵に沿うように、長い木製水路が築かれていた。
さらさらと流れる水が、夕陽を受けて光の帯になっている。
エムハトは一瞬、動けなかった。
(これはいったい……水は、どこから……?)
視線が水路を辿る。建物に隠れてよく解らない。
(もっと向こうに……いや、これ以上は……無粋ですね)
我に帰り、屋根伝いに戻る。
「失礼いたしました。つい……」
剣を背中に回し、背負う。
「ふふっ」
レメリィが、どこか得意げに鼻を鳴らした。
「すごいでしょ?」
(“すごい”で済ませる規模ではないですね……)
エムハトは呆れ混じりに思った。
「水はどこから?」
「川よ?」
レメリィはいたずらっぽい笑顔で応えた。
「川……ですか……」
歩き始めたレメリィの後ろ姿を見つめる。
(この辺りは川の方が低いはず……)
エムハトは納得しながらも消化はできなかった。
時折見かける村人の様子も、今までと雰囲気が違って見えた。
活気に満ちている――ようにも見える。
しかし近くで見ると、皆そろって目の下に隈を作り、泥だらけで、今にも倒れそうな顔をしていた。
「……元気なのか、疲れ切っているのか……分かりませんね」
エムハトが眉をひそめる。
「なんというか……妙な熱気がありますね」
シーラも苦笑した。
するとレメリィが、ぷっと吹き出す。
「まあ、いろいろあったのよ」
「説明になってないよ?」
「そのうち分かるってば」
そう言って笑うだけだった。
途中、ひときわ人が集まっている建物の前も通った。
木材が大量に積まれ、村人たちが慌ただしく出入りしている。
中からは湯気まで立っていた。
「なんですか、あれは」
「さあ?」
レメリィはわざとらしく視線を逸らす。
「レメちゃん?」
「あとでのお楽しみー」
どう見ても何かを隠している顔だった。
◇
村長宅の集会室。
夕陽は既に届かず、ランプの揺らぎが夜の訪れを感じさせる。
ルーメルが部屋に入ってきた。
「――お久しぶりです、ルーメル村長」
シーラの澄んだ声が、部屋の中に響いた。
「これはこれは、シーラ殿下。ようこそお越しくださいました」
そう言いながら正面に座った老村長は、深い皺の刻まれた顔を穏やかに綻ばせる。
シーラは静かに立ち上がり、優雅に一礼した。
「シンドール王国第一王女、シーラ・シンドール。
先月、十六となり、成人を迎えましたことをご報告いたします」
洗練された所作。
王族として叩き込まれた礼儀が自然に滲む。
続いてエムハトも胸に手を当てた。
「王国軍所属、エムハト・バジャンです。本年も護衛任務を兼ね、同行しております」
「うむ。二人とも息災そうで何よりじゃ」
村長は静かに頷いた。
もっとも――。
この空気に、堅苦しさはほとんどない。
二人ともこの村を訪れるのは初めてではない。
もはや親戚に近い距離感だった。
「……うむ、これで形式は終わりじゃな」
村長が笑う。
「ここから先は、いつも通りでよい」
その瞬間。
「はぁ〜〜……疲れたぁ」
シーラが一気に脱力した。
先ほどまでの凛とした王女の顔が崩れ、椅子にもたれかかる。
「毎回これやるの、ほんと疲れるよ……」
「お嬢、成人したのですよ?」
「エムハトは大人すぎるのよ」
「でなければ、お嬢の警護は務まりませんからね」
レメリィが吹き出し、村長も喉を鳴らして笑う。
その時だった。
控えめに戸が開く。
そっと顔を出したのはセイラだった。
彼女は室内の様子を確認すると、誰にも気づかれないように――村長へ向けて小さく親指を立てる。
こっそりとした“オッケー”の合図。
村長の目がわずかに細まった。
「ふむ」
そして何食わぬ顔で言う。
「そうじゃ。今日は外で食事にせんか?」
「外で?」
シーラがきょとんとする。
「ここ数年、そんなことしてませんでしたよね?」
「たまには良いじゃろうて」
どこか含みのある笑みだった。
◇
広場は、熱気に包まれていた。
焚き火が並び、大鍋からは湯気が立ち上る。
焼けた肉の匂い。
酒の香り。
笑い声。
昨日と同じように、大量の料理と飲み物が並べられている。
だが――。
「……え?」
広場へ足を踏み入れた瞬間、シーラは立ち止まった。
村人たちの視線が、一斉に彼女へ向く。
そして次の瞬間。
「シーラちゃん、成人おめでとう!!」
歓声が爆発した。
「うおおおお!!」
「めでてぇ!!」
「今日も飲むぞぉ!!」
「主役だ主役ーっ!!」
驚きに、シーラの目が見開かれる。
「え……あ……」
言葉が出てこなかった。
誰かが花を差し出した。
誰かが酒杯を掲げた。
子どもたちまで笑顔で駆け寄ってくる。
その光景に――。
シーラの瞳が、ゆっくり潤んでいく。
「みんな……覚えて……」
成人。
王族としては重要な節目だ。
だが忙しい王城では、祝福も儀礼的なものが多い。
こうして村中を巻き込んで祝われるなど、思ってもいなかった。
「……ありがとうございます」
震える声で、シーラは頭を下げた。
「本当に……嬉しいです」
その目には涙が浮かんでいた。
そして。
シーラは顔を上げる。
「この場をお借りして、ちょっと宜しいでしょうか?」
みんなが注目する。
シーラは一度、深く息を吸った。
少しだけ頬を赤く染めながら、それでも真っ直ぐ前を見る。
そして――。
「――ワー様」
その名に、村人たちが一斉にニヤついた。
輪の中にいたワーゲルが、びくっと肩を震わせる。
「え、あ……」
「逃がすなー!」
「おう行け行けぇ!」
ダイノが大笑いしながらワーゲルの背中を押す。
どんっ──
「うおっ!?」
ダイノに押し出され、ワーゲルは広場の中央へ転がるように出てきた。
困り切った顔。
耳まで真っ赤だ。
その様子を見て、レメリィがニヤニヤしている。
(……あの顔、前にも見たな)
少し離れた場所で、シンガは思った。
隣ではフリッジまでニヤニヤしている。
……いや。
セイラやガンテツ一家、シーラと一緒に来た男まで笑っていた。
(これ絶対もう知ってるだろ……)
そしてシーラが、まっすぐワーゲルを見つめる。
「ワー様」
静かな声。
「お約束通り――わたくしを妻に、娶っていただきます」
一瞬の静寂。
直後。
「うおおおお!!!」
広場が爆発した。
「今年も言ったぞ!!」
「諦めるなよシーラぁ!!」
「ワーゲル観念しろぉ!!」
「飲め飲めぇ!!」
「ちょっ、おま、待っ――」
ワーゲルは完全に顔を真っ赤にしていた。
そこへ。
ぎゅっ、と。
シーラがワーゲルの腕へ抱きつく。
「シ、シーラ!?」
さらにシーラは彼の腕を引き寄せ、その頬へそっと口づけた。
再び広場が大爆発する。
「うおおおおおお!!」
「今年は攻めたぞ!!」
「ワーゲル責任取れぇ!!」
ダイノなど机を叩いて爆笑していた。
「いいぞワーゲル!! 男見せろぉ!!」
「勝手言ってんじゃねぇ!!」
涙目で叫ぶワーゲル。
その隣で、シーラは満面の笑みだった。
「お、お前なぁ……!」
焚き火の火が揺れる。
笑い声が夜空へ昇っていく。
村は今夜も、眠りそうになかった。
水路には、夜になっても水が流れ続けていた。
まるで村そのものが、新しい時代へ動き出したように。
夜風が、水路の水面を静かに揺らす。
――もっとも。
「だから待てって言ってんだろぉ!!」
広場の中央では、真っ赤になったワーゲルの悲鳴が響いていたが。
《続く》
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