第21話
夜――。
村は、まだ眠っていなかった。
いや、眠れるはずがなかった。
「飲め飲めぇ!!」
「水だぁぁぁぁ!!」
「だから酒飲めって!!」
広場では、大人たちが盛大に騒いでいる。
焚き火がいくつも並び、赤い火の粉が夜空へ舞い上がっていた。
串焼きの肉が焼ける匂い。
大鍋で煮込まれる香草料理の香り。
笑い声。
怒鳴り声。
どこかでは泣き声まで混ざっている。
水路完成の祝いだった。
昼間、村へ戻ってきた水は、夜になった今も絶えず流れ続けている。
泉へ注ぐ透明な水流を、酔っ払った男たちは何度も見に行っては感動していた。
「本当に流れてやがる……」
「夢じゃねぇよな……」
女たちは各家を回り、水栓をひねって歓声を上げる。
「冷たぁっ!?」
「すごい……これ、毎回汲まなくていいんだね!」
感動半分。
信じられない気持ち半分。
何度も栓を開けては閉じ、また開ける。
子どもたちは泉で水遊びを始めていた。
「うおおおおっ!!」
真っ先に飛び込んだのはフリッジだ。
全身びしょ濡れになりながら大はしゃぎしている。
その様子を見て、周囲の子どもたちも次々と突撃した。
村全体が、浮かれていた。
そんな騒ぎを少し離れた場所から眺めながら、シンガは木杯を傾ける。
中身は果実水だ。
酒ではない。
それでも気分は良かった。
「……なんか、文化祭みたいだな」
ぽつりと呟く。
準備して。
徹夜して。
完成した瞬間、全員のテンションがおかしくなる。
妙に懐かしかった。
「ん? なんだそれ」
隣に座ったダイノが聞き返す。
「んー……祭りみたいなもん、かな」
「今も祭りだろ?」
「まあ、そうなんだけど」
シンガは苦笑した。
広場中央では、すでにガンテツが出来上がっている。
「だからよぉ!! 水車ってのは軸が大事なんだぁ!!」
「はいはい」
「その話もう五回目だぞ」
「うるせぇ!!」
ドンテツが呆れ顔で肉を焼いていた。
その横では、リリアメルとマリクララが笑っている。
さらに奥では、ワーゲルが村人たちに囲まれていた。
「すげぇなワーゲル!」
「本当に三人でやっちまったのか!?」
「……たまたまっす」
ぶっきらぼうに答えながらも、以前ほど空気は尖っていない。
その隣では、レメリィも笑っていた。
その光景を見て、シンガは少しだけ安心する。
(ちゃんと……繋がったんだな)
そう思った時だった。
「……シンガ」
背後から声がした。
振り返ると、セイラが立っている。
両手には木皿。
湯気の立つ煮込み料理が盛られていた。
「食べる?」
「あ、ありがとうございます」
受け取ると、香草と肉の匂いがふわりと鼻をくすぐる。
「うまそ……」
「今日は特別だからね」
セイラは柔らかく笑った。
そのまま隣へ腰を下ろす。
しばらく二人で、騒ぐ村を眺めていた。
笑い声。
火の爆ぜる音。
遠くで流れる水の音。
全部が混ざり合っている。
「……よかったね」
セイラがぽつりと言った。
「はい」
「本当に、水が戻ってきた」
静かな声音だった。
けれど、どこか泣きそうでもある。
「私ね」
セイラは泉へ視線を向けた。
フリッジが何回目かの飛び込みをしていた。
「もう、村は終わるかもしれないって……少し思ってたの」
シンガは何も言わなかった。
「泉が枯れてから、みんな笑わなくなってたから」
水は、生きることそのものだ。
飲み水。
畑。
料理。
洗濯。
全部、水が必要だった。
それを失うということは、未来を失うことに近い。
「でも今日……みんな、すごく嬉しそう」
セイラは小さく笑う。
「ありがとう、シンガ」
その言葉に、シンガは困ったような顔になった。
「いや、俺じゃないですよ」
視線を広場へ向ける。
「ガンテツさんたちがいなかったら無理だったし、村のみんなも働いたし」
「それでも、最初に言ったのはシンガでしょ?」
「……言っただけ、というか」
「それが難しいのよ」
セイラはクスッと笑った。
「人って、“変わる”って決めるのが一番大変だから」
その時だった。
「シンガァァァ!!」
遠くからガンテツの大声が飛んできた。
「はいっ!?」
「ちょっと来いぃ!!」
嫌な予感しかしない。
シンガは露骨に顔をしかめた。
「……行ってきます」
「ふふっ、いってらっしゃい」
セイラに見送られ、シンガは広場中央へ向かう。
ガンテツは真っ赤な顔で座っていた。
「なんですか?」
「お前よぉ」
「はい」
「弟子になるんだろぉ?」
「…………は?」
一瞬、思考が止まる。
「弟子」
「聞こえてますよ。断りましたよね?」
「ならねぇか?」
「ならないです」
即答だった。
「ガハハハハ!!」
ガンテツが豪快に笑う。
「酒だ! リリ!酒くれぇ!!」
「聞いちゃいねぇ……」
その時だった。
ふわり、と風が吹く。
汗と土の匂いが、自分から漂った。
「…………」
シンガは無言で自分の服を見る。
レメリィにもらった、ワーゲルのおさがり。
泥。
樹液。
乾いた汗。
ここ数日、工事続きだった。
川で軽く洗う程度はしていたが、日本基準で言えば完全にアウトである。
(……風呂、入りてぇ……)
その瞬間。
脳裏に、湯気立つ浴槽が浮かんだ。
肩まで沈む熱い湯。
湯船。
湯気。
文明。
(あぁぁぁぁぁ……入りてぇぇぇ……)
「どうしたシンガ? 難しい顔しやがって」
ぬっ、と横からガンテツが顔を出した。
さっきより顔が赤い。
「いや……風呂入りたいなって」
「フロ?」
「あれ……もしかしてそういうの無いですか?」
ガンテツが眉をひそめる。
「身体洗って、湯船に浸かるんですよ」
「身体洗うなら川で十分だろぉ?」
「その後、お湯に浸かるんです」
「…………ほぉ?」
ガンテツの目が変わった。
水車の説明をした時と同じ目だ。
職人スイッチが入っている。
「湯に身体ごと入るのか?」
「そうです」
「何の意味がある?」
「めちゃくちゃ気持ちいいんです」
「…………」
ガンテツは腕を組んだ。
数秒後。
ニヤァ……と笑う。
「面白ぇ! おいドンテツぅ!!」
「え、うそでしょ!?」
「余った材木あるなぁ!?」
「あるけど……親父、どうしたぁ?」
「風呂だぁ!!」
「はぁ!?」
「シンガァ! 説明しろぉ!!」
「えええっ!?」
そこからは早かった。
酔っ払いの勢いと、職人の技術力が悪魔合体した結果である。
村の隅に積まれていた材木が運ばれ、石が積まれ、即席のかまどが組まれていく。
さらに水路から直接、水を引っ張り始めた。
「シンガァ!! 温度はどれくらいだぁ!?」
「え、四十度くらい!?」
「よんじゅうどって何だぁ!?」
「熱いけど入れるくらい!!」
「雑だなオイ!!」
気づけば周囲には野次馬まで集まっていた。
「何やってるの?」
「湯に浸かるらしいぞ」
「浸かる?」
「煮られるの?」
「違ぇよ!!」
大騒ぎだった。
そして――一時間後。
「完成だぁ!!」
ガンテツが胸を張る。
広場中央に現れたのは、巨大な木製風呂だった。
「早すぎるだろ……」
シンガが呆然と呟く。
ドンテツには漠然と説明しただけだった。
それでも鉄板を無理やり曲げ、隙間は粘土で塞ぐという、
とにかく“湯が温まればいい”という雑設計のボイラーができていた。
水面がゆらゆら揺れ、白い湯気が夜気へ溶けていく。
「おお……」
村人たちから感嘆の声が漏れた。
「よぉしシンガ! お前が最初に入れ!!」
ガンテツが上機嫌に叫ぶ。
「じゃ、じゃあ……」
シンガは上着を脱ぎ、恐る恐る足を入れた。
熱い。
だが、ちょうどいい。
そのまま肩まで沈む。
「ぁ゛〜〜〜〜っ……」
声にならない吐息が漏れた。
全身の疲労が、一気に溶けていく。
木の香り。
湯気。
熱。
何日ぶりかも分からない、“湯船”だった。
「……最高、だ……」
「おおー!?」
「なんだその顔!」
「そんなに気持ちいいのか!?」
村人たちがざわつく。
シンガは半分蕩けながら呟いた。
「……これ、マジですごいです……」
「ガハハハ!! よし入るぞぉ!!」
真っ先に飛び込んだのはガンテツだった。
ザバーーン!!
「うお熱っっっ!?」
「親父ぃぃ!? 飛び込むなぁ!!」
そこからは地獄だった。
今度はフリッジが飛び込んだ。
「うおぉぉぉ温けぇぇぇ!!」
それを見た子どもたちまで飛び込む。
レメリィが興味津々で足を入れる。
「わっ、あったか!?」
「だろ!?」
「すごい気持ちいい……!」
ダイノまで飛び込み、水飛沫が上がる。
「狭ぇ!!」
「押すなって!」
「おい子ども沈むぞ!?」
「ぎゃーっはっはっはっ!!」
完全に収拾不能だった。
少し離れた場所では、ワーゲルが腕を組みながら真顔で風呂を見つめている。
「…………」
「ワー兄? 入らないの?」
レメリィが声をかける。
数秒の沈黙。
「……いや。俺はいい」
そう言いながら、視線がちらちら風呂へ向いている。
シンガは吹き出しそうになった。
その時。
「おいワーゲルぅ!!」
ガンテツが湯船から腕を振る。
「男なら来いぃ!!」
「っ……!」
数秒後。
ワーゲルも入っていた。
「熱っ!?」
「だははははは!!」
女たちは足湯を楽しみながら笑っている。
笑い声が夜空へ広がっていく。
湯気が揺れる。
水が流れる。
誰かが笑う。
それは、ずっとこの村から消えていた音だった。
長く乾いていた村は――
その夜、忘れていた“豊かさ”を笑っていた。
◇
翌朝――。
広場には、死屍累々の村人たちが転がっていた。
「うぅ……」
「飲みすぎた……」
「頭いてぇ……」
風呂騒ぎから宴会がさらに加速し、結局ほぼ全員が夜更かししたのである。
シンガも眠そうな目を擦りながら、水を飲んでいた。
その時。
「あ……そうじゃ」
ルーメル村長が固まった。
「……どうした? うぅ、頭いてぇ」
ガンテツが呻きながら聞く。
村長は、青ざめた顔で口を開いた。
「今日、じゃったのぅ」
「何がだぁ?」
「王族、来るの」
「…………」
「…………」
「…………え?」
次の瞬間。
「うおおおおおおっ!?!?」
村全体が、爆ぜた。
《続く》
これでひとまず目標にしていたところまで書けました。手元の筋書きノートでは三行ほどの内容になりますが……。ついつい長くだらだら書いちゃう癖、何とかしたいところです。
次回から森の外の話が出てくる予定です。相変わらずまだ序盤なので、内容は地味です。すみません。
なるべくテンポ良く、且つ読みやすく、に心がけていこうと思っています。
今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
少しでも面白い、続きが読みたいと思って頂けましたら、
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