青い
拾われました。
【人物】
ノルン・アンシュッツ:牧師の養子になり苗字をもらった。
イリス・アンシュッツ:牧師の一人娘。弟が出来た。
セルジュ・ホフマン:鍛冶屋の次男。幼馴染みが気になる。
整然と敷き詰められた石畳にうっすらと朝靄が降りている。剥き出しの肩に冷えた空気が触れて身震いする。そんなに早い時間ではない筈だが、人影は疎らで未だ目覚めきらない町はひっそりとしていた。しかしそれもあと半刻もすればお喋りなおばさん連中や子供達の声で騒がしくなるんだろう。夜でなく昼でなく、このつかの間の静けさがセルジュは好きだった。
両の手に提げた桶からする水の跳ねる音と自分の足音だけが通りに響く。じきに自宅に着くと言うところで、屋根の上に十字架を付けた建物が目についた。その下の扉を開けて、ひとりの少女が出て来た。
「おはよう、イリス」
「あらセルジュ。おはよう、いい朝ね」
朗らかな笑顔が愛らしい彼女はセルジュの小さい頃からの友達でありこの教会に住む牧師の愛娘だ。背中まである長いくせっ毛を一括りにして、ぱっちりした目が活発な印象を受ける。実際彼女は活発と言うより男勝りと言うかお転婆と言うか……とにかく気が強い娘で、セルジュ自身、彼女に横っ面を張られた回数は数え切れない。そして頬にモミジを貼付けて家に帰る度に母親から溜息を、父親からからかいの言葉を貰うのだった。
「ちょうどよかった、おじさんにお願いしたいことがあるの。後で寄ってくれない?」
「ん、何だ仕事か?」
「ええ。勝手口の蝶番が壊れちゃって……」
「分かった、後で親父と見に来る」
「待ってるからね」
「おうよ」
イリスに手を振って別れ、汲んだ水を零さないように注意を払いながら家路についた。ずっしりと重たい桶がやけに軽かった。
ガコン、と重い音と共に扉が本来あるべき位置に納まった。イリスが手を叩いて喜ぶ。緩いおさげがぴょこんと跳ねた。錆びてガタガタになっていた蝶番は新しいものと取り替えられ、耳障りな軋みもなく開閉出来るようになった。
これで大丈夫だろう、と自分の仕事ぶりを満足気に眺める父親とイリスが報酬の話を始めたのでセルジュは後始末をして待つことにする。勝手知ったる何とやら、で掃除用具などの大方の置き場所は記憶している。散らばった道具をかき集め脇に寄せて箒を取りに行こうと立ち上がったところで、イリスに声をかけられた。
「ねえ、折角だし一緒にお茶しない?」
「え? あ、ああ。うん、する」
何だか微妙な受け答えになってしまった。見ると父親がにやにやしながら慌てるセルジュを見ている。
「おじさんは?」
「俺はこの後も仕事だからな」
「そう……」
「ま、セルジュの手はいらんから、お前だけでもご馳走になってこい、坊主」
父親はそう言うと、道具箱を抱えてのしのしと敷地を出て行った。
イリスが湯を沸かしている間、セルジュは外に出ていた。外仕事用に置かれている瓶の水で音を立てて顔を洗う。温い水はセルジュの手を滑り落ちると埃を含んで茶色く濁っていった。手ぬぐいで水気を取ると気分的にもさっぱりして、半分駆け足で礼拝堂の裏を回る。
イリスの父親の趣味で、礼拝堂の裏にはささやかな菜園がある。時折礼拝に訪れた者に配ったりするのだ。こじんまりしているながらも普通の民家よりはずっと立派な堂の脇に、納屋が添えられているようにイリスと父親が暮らす平家がある。それがこの敷地の構造だった。
付け直したばかりの戸をくぐって客室に向かう途中で、ふと視線を感じた。立ち止まり振り返ると、セルジュの胸くらいの高さに子供の頭があった。イリスの私室の柱にひっつくようにしてこちらを窺っている。子供はセルジュが振り向いた途端飛び上がって柱の影に顔を引っ込めて隠れてしまった。イリスに兄弟はいない筈だが……。
「……?」
不思議に思って歩み寄りイリスの部屋の前に立つ。子供はこの中だが、仮にも女の子の私室だ。本人がいない時に覗くのは気が引ける。どうしようか迷っていると、再び子供が顔を出した。
「……!」
「おっと、ちょっと待てよ」
びくっと身体を竦ませて逃げようとした子供の肩を掴む。皮膚越しに骨の感触がはっきりと感じられるような酷く痩せこけた肩だった。イリスの父親の物だろう大きなシャツと垢染みて裾のほつれたズボンを着た異国風の顔立ちの子供だ。髪の色も瞳の色もセルジュが今まで目にしたことのない灰色。……迷子だろうか。
「お前誰だ? 何でこの家にいる?」
「……」
子供は答えない。ただ怯えたように身体を縮こませて上目遣いにセルジュを見上げている。
「どうした?」
「……」
子供は益々怯えて後退り俯いてしまった。怖がらせる気はないのにこんな反応をされると何だか訳もなく小動物に嫌われたような気になってくる。セルジュは膝を折って子供に目線を合わせ尋ねた。
「なあお前、名前は? 名前くらいあるだろ」
「……っ」
子供が逃げようと身を引いて、思わず肩を掴んだ手に力を入れてしまった。みしっと不吉な音がした。驚いて手を離したセルジュと向き合って、子供は顔を歪ませた。痛かったのか怖かったのか、あるいは両方か、眉根を寄せた子供の靴先に透明な水滴が落ちる。
「えっ……お、おい」
「っく、うぅ……」
ぎょっとして固まったセルジュの前で、しゃくり上げながら泣きだした。
「あー……なあ、何も泣くことねぇだろ……」
弱りきって子供を持て余しかけたセルジュの耳にイリスの小走りの足音が聞こえた。セルジュが遅いので様子を見に来たのだろう。天の助けとばかりにセルジュは声を上げる。
「イリス! ちょうどよかった、こっ「ノルンに何してるのよ馬鹿!」
ばちーん、と小気味よい打音がセルジュの頬で響いた。




