フレイム&トランス 11
「薗、連れて行きますね」
しかしその声を聞き取ることが出来たのは、護甲の身体を侵食する氷が腰よりも上に到達しなかったからだった。巡は護甲を通り過ぎドアを開け放つ。薄暗く殺風景な部屋が現れ、巡の目の前にユリと呼ばれた少女が立っていて入り込んだ冷気に大きく身を震わせた。
「護甲さん……!」
ユリが傷ついた護甲の姿を見つけ弾かれたように机の箱に手を掛け駆け出す、最初の印象からは想像できないほど焦燥した様子で巡の横を走り抜けていった。そして部屋に残るは目を覚まし寝台に腰を掛けた一人の少女。
「メグル……傷だらけじゃん」
その血だらけの身体を見つめて、水瀬は苦しそうな声をだした。
「傷口は凍ってるから大丈夫だよ」
「メグル……超ふらふらしてるじゃん」
「出血も止まってるから、大丈夫だよ」
「メグル……」
水瀬が数時間振りの涙を見せる。しかしそれは過去の悲しみによるものではなく、巡へのあまりにも大きな謝意の表れだった。
「……ごめんね……あたし、自分で阿木李さんを倒そうと思ったのに、全然ダメで…メグルにこんな、血だらけに……させちゃって……っ、助けて、もらっちゃって……っ」
「薗、帰ろう」
泣きじゃくる水瀬に、巡は右手を差し出した。
「うん……ッ」
その手は直ぐに彼女の両手で包まれる。まるで言葉に出来ない感謝の気持ちを表すような……そんな彼女の手をしっかりと掴み巡は部屋から出て白い部屋を歩く。
(あぎり、ごこう…)
彼が片山隼人に大量殺人を行わせた人物。それにより彼の人生から自由は剥奪され、今も人々の影で暮らすことを余儀なくされている。巡は片山隼人の本来の姿を知っていた、彼が家で見せた姿こそが片山隼人そのものであり、その人柄は優しい心をもった男性、阿木李護甲さえいなければ彼はそのままの人物で広々と暮らすことができただろう。
阿木李護甲さえいなければ。全ての元凶、片山隼人の何もかもをぶち壊した糞野郎。人の手を使って殺戮を行った底辺野郎。殺意さえ湧く憎悪の塊が巡の中で何年も滞り続けていた。それが今解放される。ついに見つけた元凶を、一体どうしてやろうか。本当に殺してしまおうか。
「薗、頼む……あの人の手当をしてやってくれ」
そうして口から出た言葉は、真逆の意味を持っていた。
「血が止まらない……どうしよう、護甲さん……、お願いです、死なないで……」
そんな少女の、すがるような声を聞いてしまったから。……正確には、ここに来て少女を見た時からかもしれない。
何よりも、誰よりも巡は阿木李護甲を恨んでいた、憎んでいた。彼は生きている価値すらない人間だ、生をまっとうするのであるのならせめて片山隼人から奪ったものと同等の不幸、いやそれ以上のものを己に被って生きていけと吐き捨てるように、孤独など当たり前の、最悪な人生を歩んで償ってみせろと思っていた。だが今目の前で一人の少女が泣きながら男を必要としている。巡は唇を噛み締めた、ユリの声音はそれだけで巡の憎悪を全否定するかのようで、巡の中にある真っ黒い塊の行き場を締めあげる。…今この男を、これ以上傷つけるわけにはいかない。行き場をなくした黒い塊を抑えこむようにして噛み切れんばかりにくいしばった唇から血が流れだす。ふらついた足取りで水瀬の方に振り向き、今一度言った。お願いだ、手当して上げて欲しい、と。
「……うん、わかった」
ありがとう。口に出すことも出来なかった。壁を蹴りあげたい気持ちだった。髪の毛を一本残らず毟りたかった。本当なら男にあの何撃でも喰らわせてやったのに。片山隼人の恨みを全てコイツにぶつけてやったのに。くそ、クソ、糞。ユリは持ちだした箱からあらゆる治療道具をとりだし男の出血を止めようと試みるがまるでうまくいかない、いいぞ、いいぞそのまま死んでしまえ。水瀬がその隣に座り優しく道具を受け取ると器用な手つきで止血を開始した。くそ、クソ、糞。水瀬がユリに救急車を呼ぶようにクソ指示している糞これなら男は糞ちゃんと助かるクソだろうクソ。
めまいがした。怪我のせいじゃない。
ユリは男を心から必要としている。それはまるで大量殺人者である片山隼人の元で暮らすことを自ら望んだ巡の鏡だ。
それはつまり、阿木李護甲もまた本来の姿があるということなのか。
【NEXT】10-3 07:00




