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シンクロナイズド  作者: 響野旬悟
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38

 せっせと机を持ちながら、稀川通太は、先を急ぐ。行先は体育館裏。だが悪戦苦闘しながら、外階段を下りている時、

(時間がない)

 と判断した通太は、一階までおりて、校舎の裏手にまわった。

 裏手には花壇があり、そこには木々が植えられている。通太は、花壇に侵入すると、木の陰に机を置いた。

 そしてすばやくお尻を突き出し、立ったまま机に俯いた。

 「つくえさん!」

 (稀川通太、大胆なことをする)

 「どういうことなんです、逢えったばっかりなのに、もうお別れって」

 通太は、普通に声を出して喋っている。興奮して喋っていることと、地面が芝生ということとかが原因なのか、通太が喋れば、机がグラグラする。それも構わず通太はつくえに語りかける。

 「つくえさん、答えて下さい」

 (つくえさん……ふふ。そう、俺はつくえ。笹山露子にはつくおとよばれていた)

 「つくえさん?」

 (稀川通太、俺には真の名前がある)

 「シンノナマエ?」

 (ああ。俺には過去、名前があった。もちろん、つくえとかつくおではない)

 通太は、腕を崩し、肘を立て頭を掻き毟る。つくえさんは何を言っている? 一波綾乃もそうだが、みんな何を言っているのか、何を考えているのかわからない。自分のおつむが悪すぎるんだ。そうだ、そうなんだ。通太は腕におでこを乗せなおし、元の体勢に戻った。

 「つくえさん、僕……わかりません、つくえさんが何を言おうとしているか……。僕、頭悪いんです」

 (すまない、まわりくどい言い方をして。率直に言おう。俺は昔、人間だった)

 「にん・げん?」

 (そう。おまえとおなじように、耳で聞き、口で喋り、鼻で呼吸し、手のひらで物を握り、足で歩いていた)

 「そんな……どういうことですか……そんなことありえ――」

 (自殺したんだ)

 「え?」

 (俺は、十五年前にこの学校のあの教室で自殺したんだ)

 「じ、自殺……。自殺って……」

 (俺の本当の名前は、凪村嵯丈。本当なら三十歳……いや三十一歳か)

 通太は話の展開に唖然とした。

 (十五年前の夏休みの終わりに首を括った。わざわざ学校に赴いてな)

 「そんな話……き、聞いたことない……」

 (十五年前の出来事だからなぁ)

 「なんで……なんで自殺なんか……」

 (学校生活に嫌気がさした…………いや、学校だけじゃない。生きることすべてにかな)

 つくえは、息をついた。息はしてないが……。

 (人ってのはなぁ、稀川通太。平均値があるんだ。容姿、体型、性格、どれにも平均値があるんだ。俺は、それらのどれもが、悪い方に逸脱していたみたいだった。顔はお世辞でも言葉を窮するものだったし、体型も細長く、それだけで舐められる要素。性格も自分で言うのも何だが、よくない。今考えれば、傲慢だったのかな? つまりどれも平均値という横線から離れていたんだな。通常人は、そういうやつを攻撃する。もしくは、相手にしなくなる。俺はその両方……攻撃され、相手にされなくなった。教室にいる誰からも……。それが露骨に開始されたのは、五月だ。ある日は、足を引っ掛けられたり、いきなり蹴られたりと、随分、教室の床を間近で見ていたものだ。と思えば、ある日は、誰からも相手にされなくなる。しかし、みんな俺のことは見ているんだ。それで俺がちょっと視線を送ると、あからさまに、俺の視線を避ける。そして決まってひそひそ話。まいった。まいったと思った。しかもだな、俺にはそのまいったことを相談する相手が誰もいなかった。俺の環境は、家庭での俺をも苦しめた。両親は、二歳年上の兄を溺愛していて、俺のことなどほったらかし。まあ、容姿も体型も性格も本当に同じ両親から誕生したのかと疑いたくなるほど違っていたからな。だから俺は生きることを諦めて首を括った。はじめは家で首を括ろうと思ったが、ショックを与えられるのが、両親と兄だけ。だから学校の教室にしたんだ。俺が自殺した教室は曰くつきになる。三十人強がそれ以降、曰くつきの教室で授業を受けないといけない。クラス全員が後ろめたい気持ちで勉強しなければならない。しかも、しかもだ。夏休み最後の日を狙って括ったんだ。一番始めに登校してきた生徒は、俺の姿を見て、さぞ慄いただろうな。それはもう一生消えないビジョン)

 通太はここまで、浅い呼吸で聞いていた。目は見開いていた。瞬きもせずに。だが、深呼吸をして、カラカラになった喉に、唾を送ると、つくえに尋ねた。

 「この話、露子さんは知っているんですか?」

 (知らない。言ってない。というか、俺も忘れていたんだ。この話を思い出したのは、一波綾乃の体から離れて、一日かそこら経った頃だ。俺はあれから漂っていた。どこと聞かれても説明できないのだが、暗いところだった。そこへ、偉大なる存在――これは、おれが勝手に名付けた名称なんだが、光とともに現れ、その光を浴びた俺は一瞬で全てを思い出したんだ。俺の魂は、この世に未練を残した形で、教室にあったある机にとどまった。しかしその時、俺自身は、机にとどまっていたという認識はなかった。暗い、暗黒の世界に俺の意識はあったんだ。俺は、そこから抜け出そうともがいたが、どうすることもできない。しかし特別恐怖もなかった。心地いいとまではいかないが、それに近いものがあったから、俺はもがくことをやめた。そこから意識がなくなった。結果、十三年間だ。笹山露子と逢うまでの十三年間、俺は机の内にいたんだ。その間に生前の俺の記憶は消えていた。十三年も喋らず、考えもせずにいたら、言葉も、生い立ちもなにもかも忘れてしまっていた。退化したと言ってもいいだろう。だから、笹山露子にも俺の話はしていない。だからおまえからしてくれ。みんなが苦しむからって教室で自殺したっていう最低なやつだと思われるかもしれないが、彼女には知っててもらいたい。俺ができたいきさつを)

 「そんな、そんな……それは、つくえさんがすればいいじゃないですか! そうだ、その偉大な人に頼んだらどうですか? 偉大だったらなんでもできるんでしょ? またこの机にか……いや、人でもいい。誰でもいいから人につくえさんの魂を入れてもらって――」           

 (無理だ)

 「え?」

 (それは無理のようだ。もうこの世に未練はない――いや正直多少はあるかな? でもいいんだ。今俺は、過去のことを思い返して、自分が最低なやつって思っている。教室で自分の命を断ってみんなに迷惑をかけたと本当に反省している。だからもしこのまま存在できたとしても、いやな自分をみつめたまま苦しまなくてはいけない。それは本当に苦しい事だ。だからいいんだ。それに偉大な存在も憑依的なことはもうできないと言っている。俺はどっちみちいかなくてはならない)

 「ちょっと待って下さい! 僕はつくえさんにまだまだ頼りたいことや聞いて欲しいことがあるんだ! 僕にはつくえさんが必要なんです」

 (自分で頑張れ、稀川通太。おまえはもう大丈夫だ。おまえには一波綾乃がいる。彼女はおまえに協力してくれる。これは強力な協力だ。なんせおまえのことが好きなんだから。ぞっこんなんだ)

 「ぼ、ぼくは、露子さんが好きなんだ! 一波さんじゃない」

 (それはそれでいい。でもおまえは一波綾乃という黄金の波を手に入れたんだ。とりあえずそれに乗れ)

 「そんなの……僕の意思が……」

 (わからんやつだなぁ。おまえの意思も大事だが、乗れるものには乗っとけ。で、青春しろ。決して俺の二の舞にはなるな。いいな)

 「……」

 (じゃあな稀川通太。笹山露子によろしくな)

 「つくえさぁん!」

 (ちがう。俺の名前は凪村嵯丈。憶えておいてくれ)

 「つくえさぁん! つくえさぁん!」

  ――――

 「つくえさぁん!」

 ――――

 もう、つくえから返事はなかった。

 通太はその場にしゃがみ込み、芝を握りしめる。

 それから泣いた。

 つくえとの別れに泣いた。そして彼が、凪村嵯丈という人間であったときに受けていた仕打ちを思い返しても泣いた。つくえから聞いた話では、十秒ぐらいの内容で、彼も淡々と喋り、悲惨な話じゃないみたいだったが、彼の味わった苦痛は、まざまざと想像できた。

つくえ――凪村嵯丈の人生は、なんだったのか? 涙に滲む緑の芝を見ながら、通太は考えた。本当に未練はないのか? 後悔はないのか? つくえに尋ねたかったが、彼はもうこの世にはいない。

 ――黄金の波

 つくえはそう言った。

 「黄金の波……」

 その言葉を反芻して、通太は、胸に込み上げてくるものを感じ取った。それは、温かく力強い息吹となって通太の胸に留まっている。

 通太は、机を両手で持つと教室に帰るべく校舎に向かった。

 一年五組までの道程の途中、自分のノート一冊が階段に、四階の廊下に英語の教科書が落ちていて、それを回収して、教室に戻った。

 「ま、稀川! おまえどういうつもりだぁ!」

 先生の怒りの声に迎えられた通太だったが、

 「すみません! もう二度としません!」

 と机を持ったまま、頭を下げた。

 ゴぉン!

 机に額を強打した。通太は、反動でひっくり返り、机の下敷きとなっている。

 一瞬、教室は静寂に包まれた。

 「くっ、くく……」

 声が漏れた。

 盛奥だった。腹を抱え、震えている。

「ふんぐ、ふふ――――だめだぁー」

 盛奥は大笑いした。

 それにつられて、教室のあちこちで、笑い声が起き始めた。

 二、三秒後には、教室は大爆笑の渦に飲み込まれた。

「お、おい! 静かにしろ」

 先生の制止も虚しい。構わずみんな笑っている。

 となりの六組の受け持ちの先生と生徒何人かが何事かと顔を出したほど、みんな笑っていた。

 通太は、呆然と教室に響く笑い声を聞いていたが、彼がゆっくり立ち上がった頃、ようやく生徒たちは沈静してきた。隣りのクラスの野次馬も退散した。

 その頃合いで先生が通太に

「もういい、稀川。早く座れ」

 と言った。

 通太は自分の席に机を持って戻った。

「はぁ、あ」

 後ろで盛奥が、目に涙を浮かべ笑いの余韻をまだ楽しんでいた。

 通太も顔がほころんでいた。今、クラス中の生徒に笑われた。でもそれは、嘲笑でないことは通太自身もよくわかった。大抵自分に向けられる笑いの性質は、嘲られているもので、通太の気持ちを挫くこともあったが、今は笑われたことで快感を味わった。このことは彼に大いに変化をもたらした。笑いにも質があるんだと悟った。彼の変化は、彼の中だけでなかった。その日、その時間から、つくえのいた時とはまた別の変化が通太を待っていた。

 午後の授業も全て終わり、下校する時間。通太がカバンに教科書等を入れていると、綾乃が、一緒に帰ろうと女友達を引き連れてやってきた。

 と同時に、盛奥も通太に声を掛けてきた。

「蹴り、教えてくれよ」と。

 もちろん通太には、そんなこと教えられないし、まず、何の事だかわからない。

 混乱する通太をよそに、そこはうまく綾乃が取り図り、後日、教示することと決まった。

 盛奥は納得して友達と帰って行った。

「なんですか、一波さん? 盛奥くん一体何を――」

「いいのいいの。それよりカラオケに行こう。携帯買うのはまた今度。加奈とかに心配かけたから、今日はわたしのおごりでね、カラオケ行くことにしたの」

「はぁ」

「いくよ!」

 通太は強引に連れて行かれた。廊下を歩き、通太たちが階段を下ろうとしたところ、堂地が、男子生徒たちをゾロゾロと従え階段を上ってきた。

「お嬢!」

「堂地!」

 綾乃は呼び捨て。

「あんたも来る?」

「どこに行くんですか?」

 彼女は、堂地もカラオケに誘った。もちろん返事はOK!

 その場で、堂地が連れを紹介した。中には、通太の見知った顔もある。一人は、あの橋の上の決闘で、空手部の環川が率いた、二人のうちの一人――堂地と違う方――だった。他には、堂地と同じく三年生の男子生徒三人と、食堂で通太に恫喝した、権藤ら空手部二年生何人かと他にも空手部の一年生もいるようだ。

「こいつらもお嬢に子分にしてほしいみたいで連れてきたんです。どうでしょうお嬢? こいつらも子分にしていただけませんか?」

 綾乃としては、正式に、堂地すらも子分した覚えはなかったが、適当に返事した。

「よかったな、おまえら」

 堂地は、がははと笑いながら、左右に首を振った。

「ねえ? そう言えば、あんたたち部活は?」

カラオケに誘ったものの、綾乃に疑問が浮かんだ。

「部活はいいんですよ。俺ら、今日から部活をボイコットしてるんです。理由は、環川が主将っていうことがイヤでね。あいつのこと、主将ってことで持ち上げてたんですけど、この前、盛奥やお嬢と対決した時のあいつの不甲斐なさを目の当たりにしてね。それで俺がこいつらに呼び掛けてボイコットを実行したんです。元々、俺もあいつのこと性格悪いからそんなに好きじゃなかったし、聞いてみりゃ、こいつらもそう言うんです。だから俺ら、空手部担当の先生にあいつが主将辞めなきゃ練習に参加しませんって主張したんです。それが通らないから、練習行かないんですよ、なぁ?」

 堂地はまた左右を見渡す。

「おっす! そうっす」

 権藤が返事した。

「ふぅん」

 綾乃は、軽く頷くと歩きだした。空手部の事情にはあまり興味無いらしい。

 そのまま彼らは、すずなりに歩き始めた。

 正門を出た頃には、堂地率いる空手部連中と、綾乃の女友達は意気投合していて、わいわいガヤガヤ楽しげに坂を下っていた。

 その集団から少し離れて、通太と綾乃は横並びに歩く。

 通太はいつになったら綾乃が立案した計画を説明してくれるかとやきもきしながら歩いていた。

「お」

 唐突に綾乃が弾み、立ち止った。

「え?」

 通太も足を止め、綾乃に顔を向けた。もしかしたら、一波綾乃が、秘密裏に実行している計画の全容を自分に教えるのを思い出したのかと、期待して次の言葉を待った。

「稀川見てよ」

「はい?」

「この景色」

 通太は綾乃が目を輝かしながら見る方向に顔を巡らす。

 そこには、通太がここ最近意識して見ていなかった彼の一番好きな風景が広がっていた。

 並木道の両側に連なる木々は、ここにきて一層緑を濃くして風にざわめいていて、坂道のさらに先にあるT字路の向こう側の海は、初夏の、まだまだ高い落日に照らされキラキラ光っている。

「きれいと思わない? この景色」

「えっ? ああ、はい……」

「この時間、海は輝いているんだね。初めて気がついたわ、わたし。――――いい風」

 綾乃はそう言うと歩きだした。

 通太は動かず、口を半開きにして立ち尽くしている。

 なんだか今、自分が褒められたようだった。

 自分の好きな風景を、他人にも認められた。それがとてもうれしかった。

「何してるの、稀川」

 前で綾乃が叫んだ。

 その声で通太は我に返った。

 見れば、優しい眼差しを自分に送る綾乃の姿。

 彼女の輪郭は、海の光の反射によるせいなのか、後光のように輝いている。

 今なら答えてくれるかもしれない。彼女が自分に対しどう思い、なにをしようとしているか。

 通太は綾乃に走り寄ると、尋ねた。

「あのう、一波さん、教えてくれませんか? 君がなにを考えているのかを……」

 ふぅと綾乃は、息を吐き

「そうね、約束だものね」

 と言うと、自分の計画を簡単ではあるが通太に告げた。

 つまり、通太に偽りの強さを纏わせ、その威力でとりあえず周囲に溶け込ませるということが自分の考えと、告白した。

「なんで、そんなこと……」

 通太は、理解できないでいる。一波綾乃が自分に対して、なぜそういうことをするのか。 「どうして、そんなことを?」

 綾乃は顔を赤らめた。そして、

「わたしが、稀川のことが好きだからよ。ほんとよ。あんたがいい方向にむかうためなら、わたし、なんでもする。あんたが笹山露子のことを想っているのも知っている。でも、わたしの稀川に対する想いは変わらない。だから、尽くす」

 と言い捨て、前を行く友達らに駆け寄って行く。

 通太は顔面が、かぁっと熱くなるのを感じた。一波綾乃は直球を、それも剛速球を投げてきた。

「稀川ぁ、はやくおいでぇ!」

 綾乃が手招きする。

「稀川さぁん」

「稀川くーん」

 さまざまな声が通太を呼ぶ。

(いいんですか? つくえさん)

 心の中で呟く。

(ぼく、行ってもいいんですか?)

 ―――

「ぼく、行ってもいいですよね?」

 ――――――

 通太は、走り出した。

 みなが待つ、輪の中へと。

 

                              了

最後まで読んで頂いた方、ありがとうございました。


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