表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/5

「ね、あの梟なんかはやめて、俺と付き合っちゃいなよ」

 

「ね、あの梟なんかはやめて、俺と付き合っちゃいなよ」


 柔らかく微笑む端正な顔立ちが、もう目と鼻の先まで近付いている。別の意味でドキドキする梟とはまるで大違い。特に不快感はない。近付いてくる庭師を見つめながら、どうしてこうなったんだっけと先程の出来事を思い出していた。





 あれから数日は部屋を見て回ったけれど、特に興味のあるものは見つからなかった。強いていうならば、掃除がしたいなと思ったことぐらいだろうか。私が雑巾を探しているのを知ったクレアに、絶対にお止めくださいと釘を刺されたが。

 何かすることはないかと、最早禁断症状のように不審に動き回っていた私が見つけたのは、そよそよと靡く植物たちだった。

 そうだ、庭いじりをしよう。私がそう決意するのに、然程時間は必要なかった。

 そう思って踏み出した庭だけれど、視界に入る全ての植物たち、つまり、木々も、花も、雑草でさえも、その場所が決められているかのようにそこに佇んでいる。私がいじる所などどこにもないではないかと肩を落としていた時、この屋敷に来てから聞くことのなかった、弾んだ声が聞こえた。


「わあ、やっとここに来てくれたんだね、エリスちゃん」


 振り向くと、時々目にする、けれど言葉を交わしたことはなかった、あの庭師がいた。にこにことこちらを見つめる庭師は、あのヴァレットまでとはいかないが割と整った顔立ちで、二十代半ば、いや、後半といったところか。やや垂れ気味な目のせいか、優しそうな雰囲気を醸し出している。蒼いというより、翠に近い色をしたその目を見返し、第一印象は大事だと笑みを浮かべる。


「もうご存知だと思うけれど、私はエリス。これからここで暮らしていく身として、仲良くして貰えると嬉しいわ」

「俺はエリック。よろしくね、エリスちゃん」


 初めの礼儀正しさが嘘のように砕けた話し方をやめないエリックに、やや驚きながらも、あれは初対面だったからだろうと自分を納得させる。いつの間にか手を伸ばしていたようで、手を掴まれた感触がした。なんだろうと深く考えず掴まれた手を見ると、屈んだエリックがその手にキスをしていた。はっと気付き手を引き抜いたがもう遅い。手の甲には、嫌に柔らかい感触が残っている。あれはフリをするだけで本当にするものではないだろうに。この男はマナーも知らないのかとじとりと睨むと、エリックは意外そうに目を見開いた。


「あれ? 嬉しくない? 大抵の女の子は赤くなって可愛い反応してくれるんだけどな」


 肩をすぼめて笑うエリックに、可愛くなくてすみませんでしたねと心の中で悪態をつく。言葉には出していないのに表情で分かってしまったのか、ごめんごめんと軽い調子で歯を見せて笑うエリックに、何だか怒っている自分が馬鹿らしくて肩の力を抜いた。


「そうそう。リラックスリラーックス。肩に力入れて生きてたら疲れちゃうよ?」


 片眉を上げ肩をすくめたエリックは私が驚いている横を通りすぎて庭の奥へと進む。私は慌ててエリックに着いていき、横へ並ぶ。


「どうして緊張してるって分かったの? そんなに堅くなってたかしら?」

「なってたなってた。かたーい笑顔でこっちも緊張しちゃうよ。女の子は楽しそうに笑ってるのが一番だよ。ねっ」


 エリックは前を向いていた顔をこちらに向け、にこりと笑うと腕で緩やかに前を示し、浅く礼をした。まるで執事だ。

 そこにはテーブルと椅子が設置してあり、木製のそれらが周りの植物に妙に合っている。丸く作られたテーブルや椅子はエリックの柔らかい雰囲気を意識しているかのようで、模様として彫られている花が可愛らしさを散りばめている。これが全てエリックが用意したものだとすると、乙女心を知りすぎだと(おのの)いてしまった。


「素敵ね」

「ありがとう。我が儘を言って揃えて貰ったんだよ。なかなか自分の思うものがなくて困ったよ」


 何故こんなにも負けた気がするのだろうか。理解してはいけない気がすると頭を切り替え、勧められたままに可愛らしい椅子へと腰掛ける。座って見る景色も少し違うのだなと見渡していると、向かいに座ったエリックが尋ねてきた。


「何であの梟と結婚したの?」


 あの梟というと、クラウド様だろう。仮にも主人のはずだが、そのような言い方をしてもよいのだろうか。よくはないだろうなとは思いつつ、私が注意するのも違う気がして、触れずにいようと心に決めた。

 何故、と言われればあちらの思い違いというしかないのだが、その気がなければ私もあんなことを言ってはならなかったのだから、お互いによくなかった。すると、私が承諾してしまった理由となるのだが、お金に目が眩みましたと言えば、不純すぎて呆れてものが言えなくなるのではないだろうか。ここはオブラートに包むのがいいだろう。


「草を食べなくてもいい生活に憧れたからかしら」


 ぴしりと笑顔が固まったエリックに、あれ、包むとこ間違えたかもしれないと心の中で焦りながらも取り敢えず笑っておいた。秘技、愛想笑いである。

 暫くして俯いて眉間を指で抑えたかと思うと、すぐに顔を上げた。その顔には固まる前の笑顔が戻っており、相変わらずにこにことこちらを見つめている。


「つまり、お金目当てってことでいいのかな?」


 やっぱり包めてなかったかとがくりと肩を落とすと、自分の上に影が出来ているのに気が付いた。そのまま顔を上げると、目の前に身を乗り出したエリックがいた。椅子の背凭れは意外と急で、これ以上後ろに下がれないものだから、エリックが近付くと自然に二人の距離も縮まる。


「あの梟、怖いでしょ? 気持ち悪いでしょ? だから、」


 綺麗な青緑の虹彩が覗く。その中の映るのは、口を開け間抜けな顔をした私だ。


「ね、あの梟なんかはやめて、俺と付き合っちゃいなよ」


 笑んだエリックの息が唇を掠める。私は、その距離で目を閉じ、平手打ちをした。

 ぱーんっといい音が響き渡り、エリックの絶叫が木霊した。


「いいいいったあああああああ!! なん、このっ……!」

「でも、あの人は私に尽くそうとしてるわ」


 左頬を抑え目を潤ませている当たり、相当痛かったのだろう。目を瞑ってて良かった。見てたら私も痛かった気がする。

 目を血走らせてこちらを睨むエリックに少々怯むが、常識はずれなことをするのが悪い。私は一応人妻なのだ。


「それなら、私もあの人に尽くすのが、道理というものよ」


 私の言葉に、先程の怒りはどこへ行ったのかと言うほど呆けた顔をして、私を見上げるエリック。何かおかしなことを言っただろうか。

 それよりも、椅子から転げ落ちたエリックに怪我がないかが気になる。まあ大きな怪我は左頬な気がしなくもないが。


「ごめんなさい。全霊の力を込めて叩いたから痛いはずよ。立てるかしら?」

「……大丈夫。それにしても、か弱い見た目して、力は強いんだね」

「薪割りは得意だったのよ」

「貴族って、薪割りするんだ……」


 遠い目をして呟いたエリックに、「頑張れば熊も倒せるわ」と頷いておいた。エリックの顔が一瞬にして真っ青になったが、私はにこりと笑って手を差し出した。

 私の手を借り立ち上がったエリックに1つ質問をしようとした私の耳に、カラン、と何かが落ちた音が聞こえた。そちらを向くと、両手で口許を抑えたクレアが震えて血の気のない顔でこちらを見ており、足下には先程落とした、掃除に使うのであろう箒が転がっている。具合でも悪いのかと駆け寄ろうとした私に、クレアは絞り出したかのような声で呟く。


「忘れていたわ……まさか……奥様まで……そんな……」

「クレア?」

「奥様っ! まだ間に合います! 先程の出来事は綺麗さっぱり忘れて、部屋へ戻りましょう! この男のことは全て忘れるのです! いいですね?!」

「心配しなくても俺から願い下げだよ、こんな強い女の子。この子はダーヴィッツ様しか扱えないんじゃないかな。俺は無理無理」


 無表情なのに私の肩を揺さぶって矢継ぎ早に言葉を発するクレアに鬼気迫るものを感じながら目を白黒させていると、後ろから失礼なことを言うエリックの声がした。

 両手を上げ首を振るエリックに、クレアはその手をぴたりと止めると私をじっと見つめ、「本当ですか?」と 訝しんだ声で問うた。何がそんなに心配なのか分からないが、取り敢えず私は頷いておく。クレアは私を掴んでいた手をさっと外し、深々と頭を下げた。


「申し訳ありませんでした。私の早とちりで奥様に有らぬ疑いをかけてしまいました。どうか、ご容赦を」

「問題ないわ。それより、聞きたいのだけど」


 二人の視線が私に集まる。私は以前からやりたかったことについて話を持ちかける。


「ここは畑はないのかしら。昔から畑を肥やしてみたかったのだけど、何しろ道具がなくて……。ね、エリック。野菜を作ってみない? 作ってるなら、私にも手伝わせて」


 自給自足の生活に憧れていたのだが、始めるには思った以上にお金がかかるのだ。固まる二人に私はひたすらに返答を待つけれど、私が欠伸を噛み殺すのに我に返って「畑はありません、奥様」とクレアが慌てて答えるくらいには待たされた。





「エリスは、畑が耕したいのですか?」

「はい。といっても、作業が出来れば何でもいいんです。例えば狩りとか」

「逞しいですね」

「狩りはよくやっていたので得意なんですよ。石とかを投げて鳥にあてたりとか」

「……逞しいですね」


 帰って来たクラウド様と夕食を取りながら、今日のことを話す。出迎えた時ににこやかに笑っていた執事も微笑みながら聞いているようだ。執事の注いだワインを飲むクラウド様に、苦笑いをする。


「こんなですから男の人が寄り付かなくて。だからいい年なのに独り身だったんです。結婚する相手が可哀想ですし、結婚するつもりは毛頭なかったんですよ」


 はっと気づく。これは結婚した相手に言うべき言葉なのだろうか? 料理を見つめながら暫く考えていると、先にクラウド様が話始める。


「ですが、そのお蔭で僕はエリスと結婚出来たのですから、エリスが逞しくて良かったです」


 思わずクラウド様を見ると、やっぱりそこには表情の変わらない梟がいて、今正にフォークで刺した肉を食べようとしているところだった。うん、何だろう。見てはならないものを見てしまった気がする。あの口の動かし方が……! くっ……!

 無理矢理今の記憶を外に追いやり、もぐもぐと口を動かす。


「エリスは読書は苦手ですか?」

「いえ、そのようなことはないのですが、身体を動かしたり、そうでなくても仕事がしたくて」


 主にお金が稼げるような。


「そうですね……。でしたら、明日は僕の職場の見学をしてみませんか? 僕の仕事のことが気になっているとクレアから聞きました。日中にすることはまた追々決めていきましょう」


 邪な私の考えを見抜かれないよう目を伏せて考えていると、クラウド様に意外な提案をされる。確かにクラウド様の仕事については気になっていたが直接見に行けるとは。ちょっと忘れそうだったけれど、クラウド様は上の人だった。私の父様だったら速攻で追い出される気がする。その後の父様のしょんぼり具合が想像出来て人知れず小さく溜め息を吐く。

 いやいや、父様のことはいいんだった。クラウド様の職場の話だ。顔を上げて笑顔で答える。


「是非行かせて頂きたいです。ですが、宜しいのですか? お邪魔になるのでは……」

「大丈夫ですよ。僕の職場自体には人は余りいませんから。むしろ、女性がいると華やぎます」


 男ばかりの職場なのだろうか? 何にしても、明日はしっかりとクラウド様の仕事を把握出来るよう、気合いを入れる。

 ひやりと冷たいものが首筋を撫ぜた気がして周りを見ると、毎日顔を合わせるヴァレットが私を睨んでいた。あれから特に接触はないけれど、気を抜くと殺気を向けられている。私が何をしたというのか。私が見返すと、すっと視線を反らし立ち上がるクラウド様の側へついた。本当になんなんだ。

 首を傾げる私に、上から落ち着いた声が降ってきた。


「それでは、また明日、宜しくお願いしますね」

「はい、おやすみなさいませ」

「ええ、おやすみなさい」


 その時、挨拶を交わす私たちへ心配そうに見つめる視線が向けられていたことに、私は気付くことはなかった。





評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ