天才の戦略 2
「あー、疲れた」
「お疲れ様です」
下校時間が近づき、一ノ瀬はPCをシャットダウンしながら平田の方へと振り返る。基本的に部活動は禁止だが顧問に美術室で勉強したいと言って鍵を借りた。机の上には教科書が散らばりさながら受験生のようだ。
「なんか食べて帰る? 先輩おごっちゃうよ」
そう言いつつ散らかった教科書を鞄の中に押し込んでいる。
「すみません。この時間だと家で準備されてると思うので」
「ざんねーん」
「じゃあまた今度行こうねー」
ふたりは美術準備室を出る。
「私鍵返してくるので先輩はお先にどうぞ」
「えー、一緒に帰ろうよぅ」
「変な声出さないでください」
一ノ瀬は鍵を閉める。
「じゃあ、私は職員室に鍵を返してくるので、下でちょっと待っててください」
「ん、待ってるねー」
平田は軽く手を振りながら階段へと向かう。
一ノ瀬の足は職員室へと向かう。完全下校時刻まではしばらくの余裕がある。窓から見えるグラウンドに生徒の姿はない。職員室の前へと到着する。職員室のドアをノックし中へと入る。
「失礼します」
顧問の新開の席へと目をやる。新開は自分の席でPCと向かい合っていた。PCの奥には物理教師らしく物理の本が並んでいた。
ふと新開の隣が気になった。学年主任の斎藤と国語教師の会話が聞こえる。
「すいません、斉藤先生。サーバーのパスワード忘れちゃいました」
はははっとガタイの大きい国語教師は声を上げて笑う。
「いやーどうもコンピューターは苦手でねー」
「わかりました再発行します。メールの方に送っときますね」
「ありがとうございます」
横を抜けるようにして新開の席へと向かう。
「新開先生」
「ああ、一ノ瀬か。部活終わりさね?」
美術部顧問の新開翔子。物理教師でいつも白衣を羽織っている。背が高くメガネを掛けており知的な雰囲気が漂う。顧問を請け負っているが絵の指導はしない。それも美術部の現状の一端を担っている。
「お願いします」
美術室の鍵を渡す。
「よいよい」
新開は鍵を受け取る。
「気をつけて帰るさね」
はい、と答え新開の机の上に物理の教科書を見つける。
「……あの、物理の質問してもいいですか?」
「一ノ瀬が質問とは珍しいな? いいさ、お姉さんが教えてやるさね」
スタイルもよく男子生徒からの人気は高い。
「すみません、ここなんですが」
教科書をめくり数式を指す。
「えっと、ここの導出がよく分からなくて……」
「ちょっと待つさね」
新開は適当な紙を取り出し数式を書き出す。再び隣から声がした。
「斉藤先生。あのーすみませんがパスワードだけ教えてもらえませんか? どうせすぐ終わりますから」
国語教師だった。
「しかしですね」
「すぐ終わりますから」
どうしようもないと判断したのか学年主任の斎藤はそれに応じる。
「メモの処分はちゃんとしてくださいね」
「了解了解」
パスワードの書かれたメモが国語教師へと渡される。国語教師は渡されたパスワードをPCへとゆっくり打ち込む。
「ふう」
国語教師はパスワードを打ち終え、メモを丸めて足元のゴミ箱に放り投げる。新開はまだ数式の展開をしていた。薄くマニキュアの塗られた爪が綺麗に光を反射する。一ノ瀬は国語教師のPCにつながっているテンキーを素早く一つ押した。
「あれ?」
ログインエラーを表示させた国語教師は頭を掻く。
「間違えたかなー」
ゴミ箱から先ほどのメモを取り出し、国語教師は再びパスワードを打ち込む。
「お、できたできた」
ぞんざいに扱われたメモが国語教師の机の端に残る。
「一ノ瀬、聞いてるさね?」
「は、はい」
新開の声にピクリと反応する。新開は丁寧に数式の導出を解説する。一ノ瀬も理解していない訳ではなかったので今理解しましたと表せる落とし所を考える。
「一年生はまだ微分って習ってないんだっけ?」
「はい、授業ではまだです」
「ちょっとはかじってるみたいな物言いさね。だったら早い話はこいつを二階微分してやればすぐさね」
新開は再び紙に数式を書き出す。一ノ瀬は国語教師のメモの位置を確認する。
「ああ、そっか。微分すればそのままでしたね。お手数おかけしました」
少し大げさに答える。
「わかった? 授業で微分教わってからここやったほうがわかりやすいんだけどね」
新開は優しく微笑む。
「考え方はわかりました。ありがとうございます」
「ほい」
新開は教科書を差し出す。一瞬躊躇するも教科書を受け取る。そして一礼。
「失礼しました」
新開の元を後にする。
「一ノ瀬」
背後からの声に一ノ瀬はビクッとする。
「おまけさね」
新開は先ほどの数式の書き込まれた紙を差し出す。
「あ、ありがとうございます」
急ぎ足で一ノ瀬は職員室を後にする。角を曲がり一息つく。
「……取れちゃった」
一ノ瀬の右手には一枚のくしゃくしゃの折り目の付いたメモがあった。
階段下の校舎入り口前では平田が待ちぼうけを食らっていた。
「もう一ノ瀬ちゃん遅いよー」
「すみません先輩、私美術室に忘れ物しちゃいました。今日はおひとりでお帰りください」
「えー、せっかく学校きたんだから一ノ瀬ちゃんと帰りたかった〜」
「今度埋め合わせはしますので」
「絶対だよー」
はいと小さく返事を返す。
「ホント申し訳ないです」
時間はまだあると携帯を目にし職員室へ向かう。
美術室に戻ってくる。再び鍵が必要と言うと新開にはどうしたと言われたが特に目を付けられはしなかった。再びPCを立ち上げる。起動するまでの時間がまどろっこしい。一ノ瀬は先ほど手に入れたメモを見る。八桁の英数字が並ぶ。PCが起動した。一ノ瀬は学校のサーバーへの侵入を試みる。
「手に入れちゃうとやっちゃうよね……」
やってはいけないこととわかってはいるが好奇心には敵わない。万が一教師が来た時のために机の上に教科書を広げる。部活動中に教師がこの教室に来ることは稀だったが。
コマンドプロンプトを立ち上げる。ハッキングというと聞こえはカッコイイかもしれないが、見た目は事前に準備したプログラムを走らせるだけで文字が転々と表示されるだけで地味だ。しかも今回はアクセスするだけ。早速職員室のPCからと見せかけサーバーへとアクセス。一瞬のためらいの後パスワードを打ち込み小指でエンターキーを押す。
「ホントに入っちゃった……」
サーバーのファイルを見るにどうやら試験問題がここで管理されているようだ。一ノ瀬は一覧表示させたファイル名に日本語や全角スペースが入り交じっているのを見つけ小さく舌打ちをする。試しにひとつ開きやすいファイル名のものの中身を確認する。
H-xx年度学年末試験担当織田。紛うことなく数日後に一ノ瀬が受ける試験であることを指している。
「んー」
一ノ瀬はこの情報をどうしようかと考える。これをまとめて生徒に売ることもできるだろう。しかしその分バレる可能性はぐっと上がる。いや、間違いなくバレるだろう。教師側に脆弱性を訴えることもできる。だが今回は明らかなソーシャルハッキングであり、今後職員内でのサーバーへのアクセス、パスワード管理が厳重になるだけで生徒である一ノ瀬にとっては面白いことはない。興味本位のハッキングだから何も得るものはないか、と撤退の準備を始める。
「あれ?」
引っかかった。もう一つ試験問題らしきフォルダが見つかった。この学校の中にあるサーバーだ。一ノ瀬はこちらへのアクセスも試みる。パスワードを要求された。試しに先ほどのパスワードを打ち込む。問題なく侵入。ファイル一覧。英語で書かれたファイル名に酔いしれる。適当にファイルを開くとこちらも試験問題として出されてもおかしくない記述がされている。
「どういうこと……」
同じ日時に開催される試験問題がふたつある。内容を見る限りどちらも試験問題として出されてもおかしくない。一ノ瀬はしばし考えこむが、あまり長居はしたくないと思いファイルを持ち帰り先ほどのファイルと家で比較しようと考える。ひとまず後に見つけたファイルをコピーする。痕跡は残してないはず。一ノ瀬は最初に本物と考えていた試験問題のサーバーへ再び侵入する。
突然、美術室の扉が開いた。
一ノ瀬は凄まじい勢いで振り返る。
「ど、どうしちゃった一ノ瀬ちゃん?」
平田瑠美がそこにいた。一ノ瀬は胸を撫で下ろす。
「ちょ、怖いよ一ノ瀬ちゃん、目、目」
「そうですね、先輩には撫でる胸がなかったです」
「いきなりひどいよー」
一ノ瀬の反応に平田はいつものおふざけモードに入る。
「一ノ瀬、そうやって胸ばっかり見てー。このおっさんめー」
平田は一ノ瀬の脇腹に襲いかかる。
「ふゃっ」
体を縮こませる。くの字になり机に伏す。
「このこのー」
平田はなおも続ける。突くたびに一ノ瀬の肩が小刻みに揺れる。
「や、やめてくだひゃ」
カタリと一ノ瀬の指がキーボードに触れる。
「あ……」
一ノ瀬の反応がなくなり平田は両手を止める。
「えっと、一ノ瀬、さん?」
「……」
画面を見つめて呆然とする。元のファイルが書き換えられていた。最初に見ていたサーバーにあった試験問題のファイルをもう一つの方で上書きしてしまっていた。
「一ノ瀬さん、もしかしてファイル壊れちゃったりしちゃいました?」
平田の言葉ではっと我に返る。無言でPCへと向かう。完全に上書きされていた。上書きをなかったことにはできるが元のファイルを復元することはこのPCの権限ではできそうになかった。そう判断した一ノ瀬は痕跡を残してないことを確認しサーバーから接続を遮断する。手元に残った上書きしたファイルを外部ファイルに保存しPCからキャッシュを消去する。一ノ瀬はPCをシャットダウンし俯く。
ことの重大さに改めて気付く。試験問題と思しきファイルを消してしまったのだ。痕跡を残していないとはいえこの時間にネットに繋いでいた校内のPCをしらみつぶしに当たられたらバレるのも時間の問題。どうしようもない不安が一ノ瀬を襲う。瞳にはうっすら涙が浮かんでいるのが自分でもわかった。
「えっと、一ノ瀬ちゃんごめんなさい……」
わたわたと両手を動かす平田。
「先輩ちょと胸貸してください」
「えっ」
平田の言葉を待つことなく。一ノ瀬は平田の胸へと顔を埋める。突然のことに平田は戸惑うも弱々しく抱きつく一ノ瀬を目の当たりにし、優しく頭を撫でた。
「私の胸は高くつくよ」
ぷはっと一ノ瀬は声を出し顔を上げる。
「ああ、平田先輩だったんですか。すいません壁か何かかと思ってました」
平田は一ノ瀬の目が赤くなってることに気づきながらも、
「もー、どういう意味かな?」
美術部にいつもの空気を戻す。ふたりはいつもの美術部を演じる。
「そういえば私先輩にプレゼントがあるんです」
そう言うとサブバックを探る。
「はいこれどうぞ」
渡すのは缶コーヒー。平田はそれに見覚えがあったが口には出さない。
「ブラックじゃん……」
「あれ? 先輩苦手なんですかお子様ですねー」
「ありがたく受け取るよ。なんたって一ノ瀬ちゃんからのプレゼントだからね」
うふふっと平田は笑みをこぼす。
「飲めないなら意味がないんじゃないですか」
「もらったという事実が大事なのだよ。ところで一ノ瀬ちゃんもここで既成事実を」
「ないです」
一ノ瀬はニッコリと笑顔を作った。
そこには気まずい雰囲気はなく。いつもの美術部が展開していた。




