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トリックプレイ  作者: 赤崎優
13/21

天才の戦略 1

「なんでわからねえんだよ」


 教室の隅、高瀬の声が響く。教室中の生徒がその声に密かに耳を傾ける。高瀬が自分を慕う生徒に声を上げることは珍しいことではない。トラブルが発生するのはよくあることで高瀬が仲裁しているのもクラスの一場面である。


「だから公式無視するな」


 聞こえてくる言葉がおかしい。公式やら代入やら証明やらその口からは普段全く想像もできない単語が出てくる。もちろん彼も学生であることは百も承知ではあるものの、彼のイメージさらには彼を取り巻く人間の態度を考慮すると今現在飛び交っている言葉は浮いていた。一部の生徒は『何かの隠語?』といった表情でヒソヒソと話している。


「高瀬さんヘルプっす」


 そう言ってひとりの男子生徒が手を挙げる。高瀬は放り出したい気分に苛まされる。試験問題を渡せば後は教科書でも見て解答を作ると思っていた。しかし教室に入るるやいなや『勉強を教えて下さい』と懇願された。それもひとりではない。ほぼ全員からだ。他に頼れる人間の居ない集まりなので高瀬に集中するのは仕方がない。ひとりではどうしようもなく、栫井を呼んでふたりで勉強を教える形で対処している。従って、教室にはガラの悪い連中が集まって真面目に教科書を開くというおかしな状況が生まれた。


「どこだ?」


「ここの英訳っす」


「英訳? 辞書で調べればいいだろ」


「意味はわかるんすけど意味がわからないんすよ」


「俺はお前の言葉がわからない」


「えっと、単語の意味はわかるんすよ。でもなんかついてるんすよ」


「過去完了な」


「そうっす。それがついて仮定法過去完了ってなんっすか? 意味分かんないっすよ」


「お前それ授業でやらなかったか?」


「覚えてないっす」


 男子生徒はけろりと答える。


「栫井、ちょっとノート貸してくれ」


 栫井へ助けを求める。


「ちょっと待って高瀬」


 どうやら向こうも手が放せない様だ。


「仕方ないそこは飛ばして先に進んでろ」


「えっ、いいんっすか」


「少し先まで進んで戻ってきた方がわかる時もある。似たような文があるかも知れない」


「へー参考になるっす」


 適当に男子生徒を丸め込む。理論は一ノ瀬の受け売り。


「高瀬」


 他の男子の呼ぶ声が聞こえる。しばらく教室は異常な光景が支配していた。



     ***



 一ノ瀬が感じたのは違和感だった。


 ふと覗いた教室の窓際の席に男子生徒が集中している。中心にいるのは高瀬麻大。彼が他の生徒に勉強を教えている。生徒から見れば不思議な光景だった。普段の彼らは勉強というイメージからは遠く離れた存在だ。直接自体に関わりはしないが、皆彼らの動向をそれとなく伺っているのが感じ取られる。


 しかし一ノ瀬は知っている。理由は知らないが高瀬が今回の試験に並々ならぬ力を注いでいることを。だから一ノ瀬は動いた。静かに教室のドアを開ける。


「高瀬〜」


 ひとりの男子生徒が教えを請う。当の高瀬は他の生徒に付いていて対応できない。


「私で良ければ教えるよ」


「えっ」


 男子生徒は不意を突かれたような声を出す。同じクラスの人間でもない初対面の人間にそう声をかけられれば当然だ。一ノ瀬は髪をかき上げ彼のノートを覗きこむ。


「どこ?」


「えっと、ここだけど……」


 教科書の数式を指差す。三角関数の問題だ。


「どうやって解こうとしてるの?」


 姿勢を元に戻し、男子生徒の言葉を聞く。たどたどしいながらも男子生徒は解答の方針を口にする。


「アプローチは間違ってないよ」


 男子生徒の解答途中のノートを見る。一ノ瀬は原因を見つける。


「これ、頂点の取り方間違ってるよ。一般的には反時計回りに取るのが正解ね」


「ああ、マジだ」


 男子生徒は理解し改めて図を書き直す。


「ああ、これならさっきのやり方でいけるわ。サンキュな」


「いいよ、気にしないで」


「一ノ瀬?」


 背後から声がかかる。高瀬だ。


「ごめんなさい出すぎた真似をしてしまって」


「い、いや、俺としては助かるんだが……」


 高瀬は狼狽している。


「いいわよ別に、高瀬くんにも勉強があるだろうし」


「まあ、俺はいいんだけどさ……」


 高瀬は歯切れの悪いもの言いをする。


「一ノ瀬はいいのか?」


 小声でささやく。


「いいって何が?」


「いやほら?」


 教室を見るように一ノ瀬に促す。周囲の生徒が好奇の目でこちらを見ている。『どうして一ノ瀬が?』といった疑問の声がかすかに聞こえる。


「別に気にしなくていいわ。私にも利益があるから」


「利益?」


 不思議そうな顔でこちらを見つめる。


「機会があったら話すわ。それより」


「高瀬さん、教えて欲しいっす」


「待ってる子どもたちがいるみたいよ」


 高瀬は悪いと言い残しその場を離れた。一ノ瀬も適当に悩んでいる様子の生徒に声をかける。教室は日常から程遠かった。




 数名の生徒に教え一ノ瀬は教室を見通す。こちらに注目している生徒はほとんどいない。正確には気にはなるだろうが積極的に探ろうとしている生徒はいなかった。


「高瀬くん私ちょっと外すね」


「ああ、手伝ってもらって悪い」


 そう言うと一ノ瀬は教室を後にする。廊下を歩きながら一ノ瀬は考える。少しは自分の見られる目が変わっただろうと。うまく自分のクラスまで伝聞するだろうか。いや、するはずだ。高瀬のクラスには噂好きの女子生徒が居て、彼女はよく自分のクラスに出入りしている。これで馴れ馴れしくしてくる女子生徒が減ればいいと。


 そしてもう一つ頭に疑問が浮かぶ。高瀬の集団が持っていた問題用紙は何なのかと。その問題のどれもが教科書からの問題ではなかった。わからなければ教師に聞けばいいではないか。普段来ない生徒が質問に行けばそれだけで教師からの信用は上がる。真面目な生徒が行くより不真面目な生徒が行く方がその上昇幅は大きい。それができない事情でもあるのか。


 そのまま中庭へと足を伸ばす。特別教室棟角には家庭科室への小さな階段があった。火気を扱う教室の脱出経路としての階段だ。教室棟と特別教室棟の間には中庭があり昼休みでも数人の生徒がいるが、階段側は中庭とは反対側に位置しており、その先には焼却炉しかない。当然昼休みに人が流れてくるような場所ではない。


 階段の木の葉を払い、一ノ瀬はその小さな階段へと腰を下ろす。


 一ノ瀬がここを見つけたのは秋ごろだった。家庭科の授業で調理実習があってない限り誰にも邪魔されることはない。風も強くなく、木によって陰ができておりひとりで読書をするには最適だった。ただ、最近は少し肌寒くなってきていたのでここに来るのは久しぶりだった。ポケットから文庫本を取り出し適当にめくる。


 考えることは期末試験のこと。先ほど覗いた問題は試験問題の体をなしていた。先日高瀬が過去問と言っていたプリントも気になる。


「過去問じゃないだろうし……」


 一ノ瀬は過去問を見れる立場にあった。一般生徒には知らされていない役職。過去には一般生徒の認識するところにあったが今はただの概形化してしまった役職。


「過去問対策委員か……」


 かつてこの学校では過去問対策委員というのが機能していた。発端はこの学校を卒業した生徒だった。親切心からその生徒が在学中に受けた試験問題を後輩たちに公開したのだ。少しでも試験が楽になればと。


 しかしそれは大きな問題を巻き起こした。数名の教師がまったくそのままの問題を出していたのだ。当然過去問を見た生徒にはそれが解けた。いつもは及第点ギリギリの生徒も高得点を叩きだした。そのような生徒たちは教師たちから疑われた。カンニングではないか、どこかで不正を働いたのではないかと。疑われた生徒のひとりが真相を話した。そして過去問は教師たちの知るところとなった。


 しかし、その過去問の出処を掴むことはできなかった。当の本人は既に卒業しており、恐らく彼と先輩後輩関係にある人間、という曖昧なところに着地した。従って学校側は特別に大事にすることなくこの件を処理した。


 だが、当時の生徒会長は行動を起こした。何年も同じ試験問題を出していた教師を職務怠慢だと判断。それと同時に同じ問題を繰り返し暗記するだけの試験は意味がないと批判した。教師側との話し合いの末、過去問対策委員が発足した。


 過去問対策委員の仕事は自分の学年の受けたテスト問題を集め、積み立てられたストックから自分の学年が受けるテストの過去問を取り出し、その問題を学年全体が知っているという建前のもと教師側に渡すことである。発足直後は実際に一般生徒に公開などもしていたが次第に教師側も生徒側も形だけ行うようになってきた。形だけとはいえ、過去問にアクセスできる権利を得るため過去問対策委員は各学年にひとり選ばれている。選考基準は一年一学期時点での成績。一ノ瀬はその選ばれた生徒だった。成績一位の生徒が辞退したため二位であった一ノ瀬へその職が回ってきた。


「でも、あんな過去問資料にはなかったし……」


 教室で目にした問題を思い出す。過去問対策委員として当然今回の試験の過去問に当たる試験を目にしていたが、先程見たものとは異なっていた。考えられる可能性を洗い出す。前任の過去問対策委員がストックミスをした可能性。アーカイブを作る際に何かしらのアクシデントがあり本来ありえない問題がアーカイブに残ってしまった。従って正しい試験問題がストックされておらず教室で見た試験問題が本来の過去問であること。もしくは高瀬たちが何らかのルートで今度の試験問題を手に入れている可能性。こちらの手口は検討もつかない上、可能性も少ないだろう。


「ま、どっちにしろ私には確認のしようがないのだけど……」


 それ以上の思考を放棄し、一ノ瀬は文庫本へと視線を戻す。その時背後から足音がした。随分とゆっくりとこちらへ歩いてくる。一ノ瀬は一瞬迷うがそのまま本を読み続けることにした。


 その足音は一ノ瀬の前で停まり、


「おいおいおいおいおいおい、よー、これなんつーの? あれ、お前の席ねーよってやつ?」


 足音の主の声が響き渡る。その声には聞き覚えがあった。


「貝塚、うるさい」


「おいそれひどくねーか? あー飲み物買いに行ってる間に席取られるとかなによー」


 男の手には紙パックのジュースが握られている。貝塚伊吹だ。ツイルパンツにデニムシャツ、その上からウールダッフルを重ねている。長身の大きな手で頭を掻く。


「何? ここあなたの席なの? 昼休みいつもいないと思ったらこんなところにいたのね。もしかして教室にお友達いないの?」


「あ? そうだな『お友達』はいねーかもな。いるのは俺より下の人間だけだ。うん、間違いねー」


 貝塚は続ける。


「おい、そういえば、もうすぐ期末試験じゃんよー。ちゃんと勉強してるの? 万年二位の一ノ瀬さんよー。毎回俺が何のために数問ミスしてあげてると思ってんだよ?」


「私のためだったの、ごめんね気づかなくて」


 本から目を離さずに答える。


「ああ、そいつはもったいないな俺に勝てるかもって想像を許されるのはお前だけだぜ」


「残念ね。私は学校の勉強より好きなことやってる方が楽しいから」


「それが二位様のお言葉かね?」


「日本には謙遜って言葉があるのよ」


 貝塚は大きく肩をすくめる。


「そうかい。そりゃ運動バカにも教えてやって欲しいもんだぜ。運動できるやつはそいつを自慢してバカもそれをはやし立る。それが勉強の話になればお前みてえに縮こまりやがって、そんなに周りの目が怖いか? 堂々とあなたたちより頭がいいでーすって言ってやりゃいい。でもってそれは超気持ちいい」


「それはあなたの勝手だけど、上限付きの勉強ごときで満足できるのならずっと枠の中にいれば? 私は勘弁」


「おいおい、誰が満足してるよ? 馬鹿みたいに勉強してそれでも俺にかなわないってのが面白ぇんだよ! 授業で必死に勉強して、家に帰っても夜中まで勉強して、通学中も単語カードにぎってよ!」


「趣味悪いわね」


 吐き捨てるように口にする。


「それがどうよ! この学校の奴らはそんな自分の位置に安住して、同じレベルの奴と傷を舐め合い、挙げ句の果てに俺には天才の一言で済ませる! 悔しがることすら忘れた愚民だらけじゃないか!」


 激しく声を上げる貝塚。


「そう、ずっと周りの人間を見下して生きていくの?」


「見下してはねぇ、ないものとして扱ってるだけだ」


「そう。そんな世界は満足?」


「あ? おいおいおいおい、いくらなんでもそれは無理だ。こんなので足りるわけがねえ! 今だってこの学校では俺に敵う奴はいないが全国となれば話は別だ。俺より頭のいいやつは数える程度にはいる。俺はな一位じゃねえと気が済まねぇんだよ! 何も勉強だけじゃねえ。その他の場所でも上にいるやつを超えるってのが楽しいんだよ!」


 だがなと貝塚は口にし、


「レベルがたけえ奴はそんなこと気にしなくなるんだよ! 追い抜かれようとどうなろうとよ! てことで悔しがるのは愚民の特権ってわけだ」


「貝塚、それだとあなたも愚民ね」


 一ノ瀬はさらりと答える。


「承知の上だ。知ってるだけまだマシ。糞みてえな家畜野郎に比べれば」


「無知の知ね」


「だからどうした」


「貝塚、余計なお世話かもしれないけどいつもそうだと友達増えないよ」


「あ? 余計なお世話だと理解してんなら黙ってろよ。余計なんだろ無駄じゃねえかお互い」


「そうね」


 沈黙。互いに次の話題を考えているわけではない、話す必要がないだけだ。


「そろそろ予鈴がなるぞ」


 貝塚はポケットから携帯を取り出す。


「あ、校則違反」


 戸真崎高校では携帯の校内での使用は禁止だ。しかしほとんどの生徒は教室で携帯を使う。教師もそれを知っており表立って叱ることはしない。問題になるのは一部の教師の前で使用した時だけだ。


「時代錯誤な校則だ。守ってるやつなんていないだろ?」


「ま、そうなんだけどね」


 じゃ、と軽く手を挙げる。


「一緒に教室に戻って変な噂に巻き込まれるのはゴメンだから」


「予鈴だっつったろ」


「そうだったわね。じゃあお先に行かせてもらうわ」


 膝の上の文庫本をポケットに仕舞いその場を後にする。次の授業は何だったっけと考える。移動教室じゃなければいいな、と一ノ瀬は思った。

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