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トリックプレイ  作者: 赤崎優
12/21

絵描きの戦略 6

 一ノ瀬は軽く携帯の時計に目をやる。時刻は食堂の閉店時間に近づいていた。


「そろそろ時間ね」


「おう」


 高瀬は机に出していた教科書をしまう。


「ゆっくり歩けばちょうどバスが来るぐらいよ」


 高瀬は一ノ瀬にならいコップを返却し、食堂を後にする。


 外の風は冷たい。一ノ瀬のカーディガンが風に揺れる。


「なあ、一ノ瀬って美術部だったよな? 何で入ったんだ?」


「んー、私もわからない。美術部にいるけど高校に入ってまともな絵は描いてないし。最初は覗くだけのつもりだったんだけどね」


「あれ? 絵描いてないのか?」


「うん。私はずっとPCいじってるだけだよ。ああ、文化祭サボれたのは美術部にすごく感謝してるよ」


 臆面もなく一ノ瀬は答える。


「でも私以外はほとんど幽霊部員だから学年が上がったら廃部かもって先輩は言ってる。私はコンクールに出せるような作品は作ってないから実績も出せないしね」


「じゃあ二年からは帰宅部か?」


「かも知れないしパソコン部に入ってもいいし、適当に部員捕まえて廃部阻止してもいいし」


「そうか」


「高瀬くんは部活入ってないの?」


「ああ、入らない」


「そう」


 一ノ瀬との距離感に居心地良さを覚える。近すぎず遠すぎず、入り過ぎたら一歩下がり、下がり過ぎたら一歩進む。高瀬はこの時間が終わることを少し残念に思った。




 帰宅の電車内。高瀬は他校の生徒の姿を遠巻きに確認する。


「一ノ瀬、今日はありがとな」


「別に気にしなくていいよ。私も教えてたら自分の理解してないところとかわかるし」


「そう言ってもらえると助かる」


「それに明日もやるんでしょ」


「栫井はそう言ってたが別にいいぞ。一緒にやったことにすればいいから」


「それはダメよ。栫井ちゃんとは二日間で契約してるから」


「契約か、あいつらしい」


 高瀬は苦笑いで答える。これで高瀬の休日は消えた。


「じゃあ私ここで降りるから」


「ああ、ありがとな。じゃあまた明日」


「じゃあね」


 余韻を残すことなく一ノ瀬は降りる。こういう時電車はありがたい。別れるタイミングを強制的に作ってくれる。一ノ瀬に本当のことを言えなくて高瀬は罪悪感を覚える。しかし、無駄に言葉にして巻き込まないためだと自分に言い聞かせた。


 降りる駅へと到着。改札を抜け家路に就く。辺りは既に暗く冬の風が容赦なく素肌を撫でる。一ノ瀬も同じ空の下を歩いていると考えると高瀬はもう少し早めに切り上げるべきだったかと考えた。




 翌日。高瀬は昨日とあまり変わらない服装でバス乗り場に並ぶ。時刻は午前十時、普段ならまだ寝ている時間だ。隣に立つのはワインレッドのマフラーをつけた少女。長い髪は頭の上でリボンによりまとめられ一本の束が背中へ流れる。ブレザーのようなコートを羽織り白のミニスカートの下からは黒のストッキングが足のシルエットを強調する。


「一ノ瀬、チケットくれ」


 高瀬はその少女にバスのチケットをねだる。


「え、昨日渡したじゃない」


「それは帰りで使っただろ」


「しょうがないなー」


 一ノ瀬は財布から一枚のチケットを取り出す。


「サンキュ、ちょっと待ってな」


 高瀬は財布の中の小銭を探す。


「あれっ……悪い小銭切らしてる。後でなんか買って小銭返すわ」


「いいよ別に」


 一ノ瀬は小さく笑みをこぼす。その顔は何かを企んでいるように思えた。


「いや、なんか怖いから払わせてくれ。俺のために」


「別にいいよ。何もしないから」


「その発言が怖いんだ」


 ふと高瀬は鞄の中に志渡寺からもらった缶コーヒーがあるのを思い出す。


「これやるからチャラにしてはもらえないだろうか」


 一ノ瀬は缶コーヒーを見る。


「ブラック……」


「もしかして苦手だったか?」


「あまり得意ではないけど……使えそうだからもらっとくよ。うんチャラで」


 程なくしてバスはやって来た。並んでいる人間を飲み込みバスは発車する。




「あいよ」


「ありがとう高瀬くん」


 食堂の隅で注いできた水を一ノ瀬の前に置く。


「悪いな今日も一日教えてもらって」


「別にどうともないわ。高瀬くんが質問しなければ私は楽になるかもしれないけどね」


「それは無理だな」


「私もそのほうがいいよ。質問するのためらわれて結局わかりませんじゃ栫井ちゃんに怒られるし」


 ははと一ノ瀬は笑う。


「わからないところがあったらなんでも言ってね」


 そう言うとPCへと向かう。


「ああ、なんでもってそういう意味じゃないから」


「そんなことわかってるよ!」


 流石にそれくらいの分別はある、と高瀬は頭で否定する。


「今のは私が気持ち悪かっただけかも知れないわ」


「一ノ瀬ってそういうところあるよな。なんて言うか、言葉の定義に厳格と言うか細かいと言うか」


「普段からそういう考え方に慣れてるのよ。プログラム書いてると普通に話してる時でもついそういうところが気になっちゃう。特に『ならば』とか『だったら』とか。めんどくさくなる自信はあるわ」


 へへっと自嘲気味に顔を歪める。


「一ノ瀬もプログラム書いてるのか」


「も、ってことは高瀬くんも書くの?」


 一ノ瀬は身を乗り出す。胸元がチラリと見え目をそらす。


「い、いや、俺じゃなくて、知り合いがやってる」


 志渡寺の名前は伏せた。


「そうなんだ。同じ年代でやってる人とあまり実際に関わりがないからちょっと期待したんだけどなー」


「それってどんなことやるんだ?」


「いろんな人がいるよ。webサービス作る人もいるし数値計算に使う人もいる。私は問題解くアルゴリズムを考えるのが好きだけどね。それの大会の本戦日程が試験と被って少し大変。せっかく上位入れそうだったのに」


 いつになく饒舌な口調で答える。


「例えばどんなのだ?」


「そうね。じゃあちょっとした問題を出してあげる。ある食堂があります。そこの営業時間はTです。その間にお客さんIが来ます。それぞれのお客さんについて入店時間と退出時間が与えられた時、店にいた最大の人数は何人になるでしょう」


「えっと」


 全然ちょっとした問題じゃないんだけど、と言いたいが一ノ瀬の顔を見ていると口には出せなかった。


「あ、お客さんのデータは与えられるからね。あとお客さんの総数はCね」


「うーん。そのお客さん毎にいる時間にチェックしてチェックが一番多いところが最大か?」


 自信なくそう答える。


「そうね。問題はそのチェックの仕方。簡単な方法だと一列の長い箱を用意してそれぞれのお客さんのデータからいる時間にチェックとして『+1』し続ければ最大値は出るわ」


 一ノ瀬は続ける。


「もう少し効率的にできるのがあって、さっきはお客さんがいる時間にチェックしたけど今度は入店時間と退出時間にそれぞれ『+1』と『−1』をチェクとして置くの」


「どうちがうんだ?」


「ここまではそう変わらないわよ。『+1』から『−1』が出るまでその間を『+1』に変えればさっきのと同じ。でもってこれは順番入れ替えても同じだからお客の情報を一気に入れられる。後はさっき言ったみたいに間に『+1』していく。そうしたら最大値がでる」


「えーっと」


 高瀬を置いて一ノ瀬の口は動き続ける。


「ちなみに最初の解き方だとひとりのお客に対して営業時間Tを見てそれがお客さんC人いるから計算量はT×C。後者はお客の情報を入れるのにC、営業時間で見るのにTで計算量がC+T。後者のほうがアルゴリズムとしては優秀。なんとなくわかった?」


「お、おう」


「絵にしたらわかりやすいよ」


 一ノ瀬は紙を取り出そうとする。


「だ、大丈夫だ。それにほら今日は試験勉強するためにここに来てるからさ」


 教科書を見せつける。コホンと、咳払いをし、


「ご、ごめんなさいね」


 一ノ瀬はしおらしくなる。


「ちなみにさっきの解法は『いもす法』って言うから興味があったら調べてみて。面白いから」


 どうやらまだ余韻が残っていたようだ




「ねえ、高瀬くんってノート綺麗に取る人?」


 一ノ瀬は広げられた高瀬のノートに目をやる。綺麗とまではいかないが色分けされ書き込まれている。


「綺麗に取ってるつもりはないが寝てなければちゃんと取ってるぞ」


「見返したことある?」


 少しいたずらっぽく尋ねる。


「試験前に見るくらいだな。結局わからなくて教科書見るけど」


「それってノートの意味なくない」


「言われてみればそうだな。もしかして一ノ瀬はノート取ってないのか?」


「取ってなくはないよ。ただ黒板を写すことはしないだけよ」


「大事なところは自分で判断ってやつか? 俺はどこが大事かわからねえから写すしかねえな」


「そうでもないよ。教室の殆どの生徒は黒板写してるだけだから黒板の内容が欲しければいくらでもノートに書かれてるよ。高瀬くんの周りの黒板コピー機さんたちが」


「また嫌な言い方だな」


「ついでに教科書の文章にマーカーを付けさせる教師は脳なしと思った方がいいわ」


「ああ、あれは眠い時に引くとアンダーラインなのか中線なのか訂正したのかわからなくなるよな」


 高瀬はしきりに頭を頷かせる。


「いえ、そういう意味じゃないのだけど……」


「え?」


「マーカー引くほど大事なら最初から教科書でそう書かれてるってだけよ。教科書の書き方が悪いと思うなら自分で説明しろって話」


「ほええ」


 いつも特に考えず授業を受けていた高瀬は気の抜けた声を出す。


「あと、人に見せる予定もないなら自分だけがわかるように書けばいいと思うよ。私はノートは黒のペンしか使ってないわ。たまに見られると女の子っぽくないねって言われる。まあそれは自分でもわかるんだけどそっちの方が楽だからね。鉛筆だと力がいるし」


「そういえばノートの取り方なんて習ってないよな。小学校でも」


「そうね。だからみんな写すだけしかしないのかな。慣れって怖いね」


 一ノ瀬は遠い目をする。


「なあ、ここいいか?」


 ノートを差し出す。


「どれどれ」


 試験範囲は順調にこなされていく。




「あー、物理の法則名って何でこんなややこしいんだよ」


 高瀬は小さく口にする。


「名前が覚えられないの? それとも内容?」


「名前だ。内容が言いたいことは何となくわかる。でも第一とか第二とか何だよ。もっとわかりやすい名前つけろよ」


「名前なんて仕方がないじゃない。覚えるしかないよ。名前なんだから」


「でもさ、名は体を表すとか言うじゃん」


「そんなことあるわけないじゃない。よく出てくる現象だから名前を付けただけよ。可愛い子には名前を付けましょうってね」


 一ノ瀬は続ける。


「物理でも毎回『物体に力が作用すると、力の方向に〜』って解説する? 面倒だから『第二法則』って言った方が早いし理解もしやすいでしょ。名前なんてその背後の概念を引っ張ってくるためのきっかけにすぎないわ。円周率なんかもいい例だよ。計算してるとよくあの数字の列が出てくる。どうやらこれは『円周の長さと直径の比率』らしい。しかしよく出てくる。数学なんかじゃ『パイ』で通じるほうが早いでしょ」


 饒舌に話す一ノ瀬。改めて服装を見るとコートの上からでもわかるほど胸部が膨らんでいる。わかりやすいようにと両手を使って話しているため両脇が締まるたびにやわらかなところが上下する。


「今度から人が真剣に話してるのにずっと胸を見つめるのを『高瀬る』って名付けようかしら。汎用性高いと思わない? 高瀬くん?」


 視線を上げるとニッコリと笑った一ノ瀬と目があった。目は笑っていなかった。




「お疲れ様」


「そっちもありがとう」


 前日の帰宅時の寒さからふたりは少し早めに切り上げる。


「だいぶ進んだんじゃない? 元から邪魔になる知識がなかったのが良かったのかしら?」


 一ノ瀬は小馬鹿にするように微笑む。


「ほめられてるのかけなされてるのか……」


「あら、褒めてるわよスポンジみたいな頭だって」


「おい、人をスカスカみたいに言うな!」


「よく吸収するねってことよ」


「でもすぐ乾くんだろ!」


「お手入れ頑張ってね」


 ふふふっと一ノ瀬は笑う。


「まあとにかくサンキュな」


 教科書を鞄にしまう。


「あれ、なにこれ?」


 一ノ瀬は一枚のプリントをめくり上げる。問題が間隔を開けて印刷されているなんてことはないプリント。しかしその上部には『H_xx 学期末試験 数学担当:織田』との表記が。


「ねえ、高瀬くんこれ」


 素早くそれを奪う。


「ど、どうした一ノ瀬」


「いえ、そのプリント今回の試験みたいな表記があったんだけど……」


「そ、そんなことないよー。ほ、ほら、か、過去問、そう過去問だ。過去問持ってる奴がいてさ、いやー、やっぱずるいかなこれ」


 ははっははっと高瀬は苦しい言い訳を連ねる。


「いいよ。見なかったことにしてあげる」


「ははっははっーなんでもないよー」


 その後どんな顔をしていたかは覚えてない。

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