第50話(最終回):至高の黄金プリンと、甘味の前に結ばれた永久平和条約
嵐(とタクミが勝手に勘違いしていた神々の大激突)から一夜明けた、魔の森の朝。
空はどこまでも高く澄み渡り、窓から差し込む冬の朝陽が、喫茶『止まり木』の店内を優しい黄金色に染め上げていた。
「……よし。完璧な冷え具合だ」
厨房の奥。タクミは、天然氷室から取り出したガラスの器を光にかざし、満足げに頷いた。
一晩かけてじっくりと冷やし固められたプリンは、透明な器の中で美しい三層のグラデーションを描いている。最下層には漆黒の焦がしカラメル、中間には黄金色に輝く濃厚なカスタード、そして最上層には純白のバッファローミルクの層だ。
店内のカウンター席には、昨夜から泊まり込んでいる常連客たち――魔王マオに妻のミラ、王女シャルロットと近衛騎士アイリス、エルフの女王セラフィナにドワーフ王バルガンが、今か今かと待ち構えている。
そして彼らに囲まれるようにして、肩をすくめて小さくなっている見慣れない三人組がいた。昨夜「プロレスごっこ」でボロボロになり、俺が店に招き入れた黄金の鎧の大男(武神)と、仮面の人物(秩序の神)、そして俺を転生させてくれた管理神のお爺さんである。
神々(プロレスラー)たちは、昨夜俺が出した「猪肉ととろけるチーズの極上ホットサンド」を食べた瞬間から、完全に戦意を喪失し、すっかり大人しくなってしまっていた。
「お待たせしました。本日のメインスイーツ、『至高の黄金プリン』です」
タクミは銀のトレイに乗せたプリンを、全員の前に一つずつ丁寧にサーブしていく。
コトン、と器がカウンターに置かれるたび、中のプリンが「ぷるんっ」と愛らしく震える。その視覚的暴力に、全員の喉がゴクリと鳴った。
『こ、これが……下界のバグが作り出した、新たな兵器……』
武神と呼ばれていた大男が、包帯だらけの震える手で小さな銀のスプーンを握りしめ、プリンの表面にそっと差し込んだ。
スッ……。
『なっ……!? 抵抗が、全く無いだと……!?』
スプーンはまるで雲をすくうかのように、何の抵抗もなくプリンの最下層まで到達し、漆黒のカラメルソースと共に黄金の生地を持ち上げた。
そのまま、パクリと口に含む。
『――――――ッッッ!!!!』
武神と秩序の神の目が見開き、その背中から後光のような神々しいオーラが「シュゥゥゥ……」と音を立てて完全に霧散した。
口に入れた瞬間、コカトリスの卵とバッファローミルクが織りなす、脳髄を直接撫で回されるような圧倒的な「甘み」と「コク」が広がる。しかし、決してくどくはない。なぜなら、最下層から絡みつくカラメルの「極上の苦味」が、全体の味をキリッと引き締め、永遠に食べ続けられる無限のループへと誘うからだ。喉を通り抜ける時の、シルクのような滑らかさと冷涼感。
『あぁ……我は……我は何のために、地上を浄化しようなどと考えていたのだ……。そんな無粋なこと、もうどうでもいい……』
『宇宙の理も、世界のバランスも……この一口の至福の前では、塵芥に等しい……。あぁ、心が溶ける……』
二柱の神は、完全にだらしなく蕩けた顔の「ただのぽんこつ」と化し、カウンターに突っ伏して幸せそうに涙を流し始めた。
それを見ていた管理神のお爺さんが、呆れ半分、安堵半分の顔でプリンを頬張る。
「やれやれ。ワシの最高傑作である武神たちを、たった一口で骨抜きにしてしまうとは……。タクミよ、お主の『食への執着』は、ついに神の領域すらも平定してしまったようじゃな」
「あはは。よく分かりませんが、お口に合ったなら良かったです」
一方、その隣の席では。
プリンを味わい終え、至福の吐息を漏らしたマオとシャルロットが、熱い珈琲を片手に何やらヒソヒソと言葉を交わしていた。
「……なぁ、人間の王女よ。お前たちの国と我ら魔王軍で、戦争なんてしている場合ではないと思わんか?」
「ええ、同感ですわ、魔界の王よ。もし戦争なんて始まったら、戦後処理や軍議で忙しくなって、マスターの淹れる珈琲やこのプリンを毎日食べに来られなくなってしまいますもの。そんなの、絶対に嫌ですわ」
「違いない。俺の至福のティータイムを削るなど、万死に値する。……ならば、この店に平和に通い続けるためだけに、『永久不可侵条約』を結ぶとしよう」
「異議なし、ですわ。セラフィナ様、バルガン様もよろしいですわね?」
「ふふっ、もちろんだ。エルフの森も全面的な平和を約束しよう」
「がっはっは! プリンを食う時間が減るくらいなら、領土なんぞいらんわい!」
本来なら、何百年もの血みどろの交渉を経て、世界の命運を決するはずの歴史的な平和条約。
それが、美味しいプリンの器を挟んで、あまりにもあっさりと、「お茶の時間を確保したい」という極めて個人的な理由だけで締結されてしまったのだ。
「ワンッ!」「ワゥン!」「お皿、ピカピカに下げますね!」
足元ではポチとシロが幸せそうに尻尾を振り、天使のテンが笑顔で空いた器を片付けていく。
天界の怒りも、種族間の憎しみも、すべては一つの器の中で完全に溶け合い、跡形もなく消え去った。
冬の高く澄んだ空の下、木漏れ日が降り注ぐ喫茶『止まり木』には、種族も身分も神格も関係なく、ただ美味しいスイーツを囲んで幸せそうに笑い合う客たちの姿があった。
俺はカウンターの中で、自分用のプリンを一口すくい、その完璧な苦味と甘味の調和に目を細めた。
前世で過労死する寸前、俺が本当に求めていたもの。
それは名声でも、莫大な富でもなく、ただ「美味しいご飯を食べて、誰かと一緒にホッと息をつける安らぎの場所」だったのだ。
(うん、今日もいい仕事ができたな。明日もまた、美味しい珈琲を淹れよう)
世界を救ったなどという自覚は一切ないまま。
元社畜の錬金術師が営む魔の森の喫茶『止まり木』は、今日も最高の香りと共に、永遠に続く穏やかなスローライフを刻んでいくのだった。
【了】




