第39話:神代の聖晶糖のパンケーキと、ロックオンされた特異点
秋も深まり、朝夕の冷え込みが少しずつ厳しさを増してきた今日この頃。
喫茶『止まり木』の厨房には、タクミが淹れた熱い珈琲の香りと、ストーブで燃えるヒノキ・トレントの薪が爆ぜる「パチパチ」という心地よい音が満ちていた。
「……肌寒くなってくると、無性に温かくて甘いものが食べたくなるな」
先日作ったばかりのアイアンウッドのマグカップで珈琲をすすりながら、俺、タクミは小さく息を吐いた。
前世の社畜時代、休日の朝の贅沢といえば、スーパーで買った安いミックス粉で作る薄っぺらいホットケーキだった。焦げてパサパサになったそれに、安いシロップをかけて無理やり胃に流し込む。それでも、疲れた体には唯一の糖分補給だった。
だが、今の俺にはこの豊かな異世界の大地と、最高の素材がある。
「よし。今日の目玉スイーツは、とびきり分厚くてフワフワの『究極のパンケーキ』にしよう」
俺がエプロンの紐を締め直したちょうどその時、カランコロンと軽快なベルの音が鳴った。
「おはようございます、マスター! 今日は実家の蔵を整理していたら、面白いお砂糖を見つけたのでお裾分けに持参しましたの!」
「こら、シャルロット。走ると危ないですよ。……マスター、朝早くから申し訳ありません。妹がどうしてもマスターのスイーツが食べたいと騒ぎまして」
元気よく飛び込んできたのは、常連客である良家の姉妹、妹のシャルロットさんと姉のアイリスさんだった。(※実は王女と近衛騎士だが・・)
シャルロットさんが、両手で抱えるようにしてカウンターにドンッと置いたのは、まるで虹色に輝く巨大なダイヤモンドのような結晶だった。
「……これは、すごい輝きだな」
俺はそっと【絶対鑑定】を展開した。
【神代の聖晶糖:神々の時代から数千年かけて純化・結晶化した究極の甘味。一口で国を滅ぼすほどの致死量の魔力を内包する、ルミナス王国の最高国宝】
(なるほど、随分と年代物の高級な氷砂糖のようだ。実家の蔵にこんな凄いものが眠っているとは、やはり相当なお金持ちの家系なんだな)
致死量の魔力、という物騒な単語は見なかったことにして、俺はありがたくそれを受け取った。
「素晴らしい氷砂糖ですね。ちょうどパンケーキを焼こうと思っていたんです。これを使って、最高の生地を作りましょう」
「本当ですの!? やったー!」
俺はパンケーキの土台となる最高の「粉」と「乳」を調達するため、勝手口から裏庭へと向かった。
扉を開けると、先日ドワーフ王とエルフの女王の協力(と俺の生活魔法)によって完成した「絶対不可侵の神話級農園」が広がっている。ひんやりとした朝の空気が、ふかふかに耕された魔法の土の香りを運んでくる。
農園の一角で黄金色に輝く『ウィート・オーブ(黄金小麦)』の穂を、ミスリルの鎌でザクッ、ザクッと刈り取っていく。一粒が大豆ほどもある丸々と太った実からは、太陽の温もりがビシビシと伝わってきた。
続いて、森の奥で放牧している『ミルキー・バッファロー』の元へ。優しくブラッシングをしてから乳を搾ると、ピチャッ、ピチャッとリズミカルな音と共に、生クリームのように濃厚で甘い香りを放つ極上のミルクがバケツを満たしていった。
「よし、素材は完璧だ。厨房に戻ろう」
厨房に戻った俺は、収穫したての黄金小麦を石臼で丁寧に挽いていく。ゴリ、ゴリ……という小気味よい音と共に、すでにバターのような芳醇な香りを放つ黄金色の粉がボウルに降り積もる。
次に、シャルロットさんが持ち込んだ『神代の聖晶糖』の加工だ。硬すぎて通常の器具では砕けないため、俺は【万能錬金術】と【風魔法】の超振動を組み合わせ、結晶を粉々のパウダー状にすり潰した。キラキラと光の粒子を放つ、究極の粉砂糖の完成だ。
ボウルに黄金小麦の粉、聖晶糖、そしてミルキー・バッファローの乳を加え、木べらで空気を含ませるようにさっくりと混ぜ合わせる。
「……おおっ、すごいな」
イースト菌など一切入れていないのに、素材自体が持つ圧倒的な生命力(魔力)によって、生地がボウルの中で自ら呼吸するようにプクプクと膨らみ始めたのだ。
熱く熱した分厚い銅板のフライパンに、たっぷりのバターを落とす。
ジュワァァァァッ……!
焦がしバターの暴力的なまでに香ばしい匂いが弾けた。そこへ、ふんわりと膨らんだ生地を静かに流し込む。
ジリジリと底面が焼ける音。生地の表面に小さな気泡がぷつぷつと浮き上がってきた絶妙なタイミングを見計らい、フライ返しで一気にひっくり返す。
「完璧なキツネ色だ」
甘くキャラメリゼされた聖晶糖の香りと、小麦の香ばしさが混ざり合い、厨房の空気がそれだけで極上のスイーツへと変わっていく。
蓋をして数分蒸し焼きにすると、パンケーキは厚さ五センチ以上にも膨らみ上がり、ふるふると愛らしく震えていた。
「お待たせしました。『究極のふんわりパンケーキ~聖晶糖仕立て~』です」
湯気を立てる分厚いパンケーキを、シャルロットさんとアイリスさん、そしていつの間にか来店していたマオさんとミラさんの前にサーブする。表面には、四角く切ったバターが熱でトロリと溶け出している。
「ひゃあ……! まるで雲のようですわ!」
シャルロットさんが、震える手でナイフを入れる。
サクッ、ふわぁ……。
外側のサクッとした薄い皮を破った瞬間、閉じ込められていた熱い湯気と共に、暴力的なまでの甘美な香りが鼻腔をくすぐる。
たっぷりと切り分け、一口頬張る。
その瞬間。
「――――――ッッ!!!」
四人の時が、完全に停止した。
噛む必要などなかった。口に入れた瞬間、パンケーキは体温でふわりと溶け出し、黄金小麦の圧倒的なコクとバッファローミルクの濃厚な旨味が、味覚の限界を超えて押し寄せてくる。
そして何より、シャルロットの持ち込んだ『神代の聖晶糖』だ。ただ甘いだけではない。気が遠くなるほど澄み切った純粋な甘味が、舌の上から脳髄へ、そして魂の奥底までを光で満たしていく。
「あぁ……なんという……。わたくし、今まで食べてきたお菓子は一体何だったのかしら……」
シャルロットの目から、ポロポロと感動の涙がこぼれ落ちる。
「妹よ……これは、剣を振るうことすら馬鹿らしくなる優しさね。私の心の鎧が、すべて溶かされていくわ……」
普段は厳格な姉であるアイリスも、完全にだらしなく頬を緩ませている。マオとミラに至っては、言葉すら発せず、ただ黙々とパンケーキを口に運び、宇宙の真理を悟ったかのような表情で宙を見つめていた。
だが、彼らは気づいていなかった。
『神代の聖晶糖』と『神話級の小麦』、そしてタクミの『錬金術』が完全な調和を果たしたこのスイーツが、彼らの肉体と魂を強制的に作り変え――無自覚なまま、彼らのステータスを「神格」の領域にまで限界突破させてしまったことに。
店内に、強大すぎる四つの神話級のオーラが満ち溢れる。しかし、タクミが店全体に張っている『絶対遮断結界』がそのオーラを外に逃がさないため、森はいつも通りの平和な静寂を保っていた。
――しかし、その直後。
遥か上空、雲海を隔てた天界の中心にある「理の間」に、けたたましい警報音が鳴り響いた。
『な、何事だ!?』
黄金の鎧を纏った『武神』が、世界地図の盤面を見下ろして絶叫した。
盤面の一部――下界の『魔の森』の中心部から、突如として四つの「神」に匹敵するエネルギー反応が爆発的に発生したのだ。
『馬鹿な……! 下界の生物が、神格に至るなどありえん! まさか、何者かが人為的に「神」を量産しているとでもいうのか!?』
冷徹な『秩序の神』も、仮面の下の顔を青ざめさせ、ギリッと奥歯を噛み締める。
『……あの森の「特異点」。エルフとドワーフを和解させ、闘争の歴史を停滞させている異常な魔力溜まり。……間違いない、あそこは世界の理を根底から破壊する「バグ」だ』
盤面を睨みつける武神の瞳に、絶対的な殺意と浄化の光が宿る。
『もはや見過ごせぬ。我々神々の手で、あのバグの空間ごと、次元の彼方へ消し去ってくれるわ……!』
天界で渦巻く神々の憤怒と、破滅のロックオン。
しかし、地上の喫茶『止まり木』では、今日も「おかわりをお願いしますわ!」「俺もだ!」と、常連客たちの穏やかで幸せな笑い声だけが満ち溢れているのだった。




