第12話:奈落の森の穏やかな休日と、絶対零度の冷製パスタ
奈落の森に、本格的な夏が到来していた。
この時期の森は、凶悪な『フレイム・サラマンダー』の群れが移動するため、外気温は常に40度を超える灼熱地獄となる。
しかし、喫茶『止まり木』の敷地内だけは別だ。
タクミが張った【絶対遮断結界】が熱波を完璧に弾き返し、さらに店内の『世界最強の冷蔵庫(氷河の核搭載)』から漏れ出す微量な冷気のおかげで、まるで高原の避暑地のような快適さを保っていた。
「よし、今日もよく冷えてるな」
昼前。タクミは厨房で冷蔵庫の扉を開け、満足げに頷いた。
彼の手には、裏庭の畑で収穫したばかりの真っ赤な『太陽のトマト』が握られている。冷蔵庫の「パーシャル室(微凍結空間)」で極限まで冷やされたトマトは、表面にうっすらと霜をまとい、宝石のように輝いていた。
勝手口を開けると、愛犬(神獣フェンリル)のポチが舌を出して待っていた。
「ほらポチ、暑いからアイスキャンディーだ」
タクミが放り投げたのは、カチカチに凍らせた『アダマンタイト・クラブの脚(殻付き)』である。
『ガリッ! バリボリィッ!!』
ポチは鋼鉄の数倍硬いそれを、まるでチューペットでもかじるかのように嬉しそうに粉砕し、涼をとっていた。
カランコロン♪
平和な昼下がりを告げるドアベルが鳴り、常連客たちが次々とやってきた。
「マスター、開いているか? 今日は非番でな……外は地獄のように暑かったぞ」
最初に現れたのは、額の汗を拭うアイリス。彼女の甲冑には、道中で返り討ちにしたであろう火属性魔獣の返り血が少しこびりついている。
「ふふん。人間は暑さに弱くて哀れだな。私は精霊の加護があるゆえ、涼しい顔で……あ、暑いっ! 早くその『冷える箱』の前に案内しろ!」
強がって入ってきたハイエルフのセラフィナも、結局はうだるような暑さに耐えきれず、カウンターに突っ伏した。
さらに、空間が歪む音と共に、一枚のカードを握りしめた小太りの男が転移してくる。
「はぁ、はぁ……! 王都の貴族会議を抜け出して参りました! マスター殿、冷たいお飲み物を!!」
大商人のリカルドである。彼はもはや、ただの休憩のためだけに国宝級の転移魔法を乱用するようになっていた。
「いらっしゃい。ちょうど夏の新作メニューができたところですよ」
タクミが3人の前に差し出したのは、ガラスの器に盛られた『太陽のトマトの冷製カペッリーニ(細麺パスタ)』と、氷がカランと鳴る『水出しアイスコーヒー』だった。
「おお……! なんと涼しげな……」
3人は一斉にフォークを手にとった。
氷水でキュッと締められた極細の麺に、オリーブオイルとバジル、そして冷蔵庫で極限まで冷やされた『太陽のトマト』のソースが絡みついている。
アイリスが一口すすると、彼女の目がパッと見開かれた。
「――っ! 冷たい! だが、ただ冷たいだけではない……トマトの鮮烈な甘みと酸味が、冷気によって極限まで研ぎ澄まされている!」
「うむ。この冷たさ……あの『氷河の核』の魔力か。細胞の隅々まで染み渡るような、清らかな冷気だ……!」
セラフィナも目を丸くしながら、夢中でパスタを巻き取っている。
『氷河の核』の力で瞬間冷却されたトマトは、細胞壁が一切壊れていないため、噛んだ瞬間に「パリッ」と弾け、口の中で旨味の爆弾となって弾けるのだ。
「うぉぉぉん! 暑さで疲れ切った商人の胃袋に、なんと優しく染み渡ることか! この水出しコーヒーも、氷が全く溶けず、いつまでも冷たくて味が薄まらない!!」
リカルドが涙を流してアイスコーヒーを飲み干す。
タクミが浮かべた氷は、氷河の核の余剰魔力で作られた『絶対溶けない魔力氷』である。永遠に冷たさを保つその氷は、夏の喫茶店において最強のアイテムだった。
「おかわり、ありますからゆっくり食べてくださいね」
タクミはカウンター越しに、夢中でパスタをすする「人類最強の騎士」「森の守護者」「大陸一の豪商」を眺めながら、ふと息をついた。
(外は魔物がうろつく危険な森だって聞いてたけど……こうして常連さんも増えて、賑やかになってきたな。やっぱり、喫茶店を開いて正解だった)
タクミがのんびりとアイスコーヒーを飲んでいる間、冷製パスタを食べたアイリスの【敏捷(AGI)】ステータスが、冷却バフによって音速を超えるレベルにまで跳ね上がっていたり、セラフィナの魔力回路が拡張されていたりするのだが、もちろん彼はその事実に気づいていない。
今日も喫茶『止まり木』は、奈落の森の最深部で、平和な(そして規格外な)営業を続けているのだった。




