第10話:激怒する森の番人と、黒焦げの贖罪(バスクチーズケーキ)
「……聞こえる。母なる大樹の悲鳴が」
奈落の森の奥深く、人間が決して立ち入ることのできない『妖精郷』。 その長であり、森の守護者であるハイエルフの姫、セラフィナは、白磁のような肌を怒りで赤く染めていた。
ここ数日、風に乗って漂ってくる不敬な匂い。 それは、森の神である『世界樹』の枝が、何者かによって薪にされ、燃やされている匂いだった。
「許せぬ……! 神の枝を暖房ごときに使うなど、万死に値する愚行!」
セラフィナは精霊弓『シルフィード』を携え、風を纏って飛び立った。 彼女の眼下には、結界に守られた一軒のログハウスが見える。犯人のアジトだ。
「覚悟せよ、不届き者め!!」
セラフィナは急降下し、バンッ!! と勢いよく店の扉を開け放った。
「そこまでだ!! 神木を灰にする大罪人よ!! 我が精霊魔法の錆と……」
「あ、いらっしゃいませ。少々お待ちくださいね」
しかし、出迎えたのはエプロン姿の青年の、あまりにも気の抜けた声だった。 彼はセラフィナの方を見ようともせず、真っ赤に燃え盛る石窯と対峙している。
「なっ……貴様、無視するか!?」
「今、すごくいいところなんで。……よし、火力全開!」
タクミがカマドに追加で放り込んだのは、あろうことか太さ10センチはある立派な**『世界樹の枝』**だった。 ボォォォッ!! 神聖な枝が爆ぜ、黄金色の炎となって窯の温度を一気に1000度まで引き上げる。
「き、貴様ぁぁぁーーッ!! 母なる樹を!!」
セラフィナが弓を引き絞った、その瞬間。
チーン♪
軽快な音と共に、タクミが窯から鉄板を取り出した。 そこに乗っていたのは、直径20センチほどのホールケーキ。 だが、その表面は――
「……く、黒い?」
セラフィナは呆気にとられた。 真っ黒だ。まるで炭のように焦げている。 神木を燃やした挙句、料理すら失敗して消し炭にしたというのか。
「ふふふ……。我への恐れで手元が狂ったか? 愚かな……」
「よし、完璧な焼き上がりだ」
タクミは満足げに頷くと、その「焦げた塊」を切り分け、皿に乗せてセラフィナの前に差し出した。
「お待たせしました。焼きたての**『バスクチーズケーキ』**です」 「……は? ケーキだと? その黒い残骸が?」
「ええ。騙されたと思って食べてみてください。世界樹の火力じゃないと、この『焦げ目』は作れないんです」
セラフィナは警戒した。これは毒か? それとも呪いの儀式か? しかし、鼻をくすぐるのは、焦げた香ばしさの中に隠れた、濃厚なクリームチーズの甘い香り。そして何より、薪として使われた世界樹の芳醇なスモーク香。
(……この香り。母なる樹が、喜んでいる……?)
彼女は恐る恐る、フォークを突き刺した。 表面の黒い部分は「カリッ」と硬い音を立てる。 だが、その下から現れたのは――
トロリ……。
中心部分は今にも崩れそうなほど柔らかく、黄金色のクリーム状になっていた。 黒と金。硬度と流動。相反する二つの要素が、湯気と共に彼女を誘惑する。
「……毒見だ。あくまで毒見として……」
彼女は一口、その塊を口に含んだ。
「――っ!!??」
カチャン。 セラフィナの手からフォークが落ちた。
最初に舌を刺激するのは、強烈な「焦げ」の苦味。 まるで罪を咎めるようなその鋭さが、次の瞬間、雪崩のように押し寄せる濃厚なクリームチーズの甘みと融合する。 苦味が甘みを引き立て、甘みが苦味を包み込む。 そして、鼻腔に抜けるのは、燻された世界樹の神聖な香り。
「あ、あぁ……なんという……!」
セラフィナは震えた。 これは失敗作ではない。 「焦がす」という破壊行為すらも、「味」という芸術に昇華させた、再生の物語だ。
「世界樹よ……貴女は、この味になるために自ら燃えたのですね……?」
(※違います。ただの剪定枝です)
「美味しいですか?」
タクミがにこやかに尋ねると、ハイエルフの姫は、涙を流しながら頬を染め、夢中でケーキを頬張り始めた。
「んっ、んふぅ……! 苦いのに甘い……卑怯だ、こんな味……!」 「熱いから気をつけてくださいね。コーヒーも淹れますから」
「……コ、コーヒーだと? それも世界樹で沸かしたのか? ……所望する! 直ちに所望する!!」
数十分後。 皿まで舐める勢いで完食したセラフィナは、毅然とした態度(口元にクリームをつけたまま)で宣言した。
「……認めよう。貴様は、世界樹の枝を扱うに足る『炎の管理者』であると」
「はぁ。どうも」
「よって、今後は私が定期的に監査(試食)に来る! よいな!?」
「ええ、歓迎しますよ。あ、お代は銀貨1枚です」
「……森に通貨などない。代わりに、この『精霊石(国宝級)』を置いていく!」
こうして、喫茶『止まり木』に、三人目の常連――のちに「森の暴食姫」と呼ばれることになるハイエルフ――が誕生した瞬間であった。




