最終章 白菊
「……で、何ですか? 用件って」
玄関先に出てきた道郎は、緊張を孕んだような表情で私たちに応対した。息子の健児は母親と一緒に買い物に出かけているという。好都合だ。
「まずは」と理真は、スマートフォンを取りだして、「これを見てくれませんか」
表示させた画像を見せた。戦災資料館で撮影した、M69焼夷弾のレプリカの写真だ。それを見た道郎の目が見開かれる。
「これが何か、ご存知ですか?」
理真の問いかけに、道郎は数秒の沈黙を挟んでから、
「……いえ、知りません」
「そうですか。であれば、やはり……黒田さんを殺した犯人は、あなたですね」
「――なっ、何を言って……どうして?」
「これが何かを知らないからです」
「ど、どうしてそんなことで……」
「正確には、道郎さん、あなたはこれを知っています。こういうものが存在することは知っている。ですが、その正体までは知らない」
「わ、わけがわからない……。そもそも、これは……何なんですか?」
「焼夷弾です」
「……は、はあ?」
「落下の衝撃で反応した信管が火薬を炸裂させ、内部に詰められたゼリー状のナパームに引火します。そのナパームは約三十メートルにわたって撒き散らされ、あたり一面を火の海にするという代物です」
「…………」
道郎の喉が、ごくりと鳴った。
「今になって、やった行為の恐ろしさを知りましたか。こんなもので人を殴ったなんて。もしかしたら、その衝撃で信管が反応していた可能性もありましたね。運が良かったですね」
一瞬、血の気を失ったのか、道郎の体がゆらりと揺れた。
「な、何の……証拠が……あって……」
――自分が犯人だと決めつけるのか、そう続けたかったのかもしれないが、脂汗を浮かべて呼吸も荒くなった道郎は、思うように言葉を発せられなかったらしい。
「黒田さん殺害の容疑者は三名いました。ですが、あなた以外の二人は、これが焼夷弾だと知っていたからです」
「……それが……どうして……」
「凶器に使うはずがありません」
「――――!」
「そうですよね。どんなに頭に血が上って、瞬間的に殺意が湧いたのだとしても、まず、これを凶器に使用するなんていう、そんな愚行を犯すはずがありません。途端に冷静になりますよ。不発弾で人を殴るなんていう真似をするはずがない。ですが、もし、これで人を殴ってしまうというなら――実際、それは起きたのですが――その人物は、これが焼夷弾だとは知らなかったはずです。でなければ、凶器として使用できるわけがありません」
「…………」
理真の言った理屈は道郎も理解しているのだろう。拳を震えさせ、何も言い返してこない。
残る容疑者二人、庄司力也は小学校教諭だ。震災資料館への課外授業の情報は教師たちのあいだで共有されており、空襲で使われたM69焼夷弾のことも当然知っているはずだ。市職員の野本直人も、市が運営している資料館のホームページに関わっている。そこで扱われている資料のM69焼夷弾を知らないはずがない。二人とも、焼夷弾で人を殴るなどという恐ろしいことを――そもそも殺人自体が恐ろしい行為ではあるのだが――するとは考えられない。
「ちなみにですが」と理真は続けて、「これが焼夷弾だと知っている人物が真犯人で、〝これを不発弾だと知らない人間が犯人だと見せかけるために、罪をなすりつけるために――ようは捜査側を欺くために――あえて凶器に使用した〟という説は成り立ちません。だって、それをやるにしたって、実際に焼夷弾で人を殴るという行為は発生してしまうわけですからね。ニセの証拠を残す代償として、殴った衝撃で信管が反応してしまう、つまりは、自分が爆死してしまうかもしれないというリスクが見合うとは、とても思えません」
「署までご同行願えますか」丸柴刑事が前に出た。「奥様と、健児くんが帰ってくる前に」
観念したように、がっくりと道郎は膝をついた。
道郎は犯行を、そして、殺害動機も自供した。
犯行の日、邦夫の家に上がり込み仕事をしていた道郎は、訪問客に応対した。その訪れてきた男――黒田――は、こちらが何も言わないうちに、玄関口でいきなり契約書を見せてきた。目を通してみると、この土地と家屋を買い取る内容の契約書だった。〝邦夫は土地を売る計画を進めていたのか。長岡への移住を持ちかけたのは向こうなのに〟少なからぬショックを受けた道郎だったが、これは渡りに船と、逆に黒田に、それならば自分の土地も買ってくれないか、と持ちかけた。そこで黒田は自分の勘違い――目の前の男性は長屋邦夫ではなく、その兄であること――を悟ったようだったという。道郎の土地の場所を聞いた黒田は、しかし、〝そんな価値のない土地を買う気はない〟と一笑に付した。本当に黒田がそんな態度を取ったのかは分からない。道郎の証言を信じるしかないからだ。自分にも黙って(そもそも売る気がないので何も言わなかっただけ、というのが邦夫の主張だが)土地を売ろうとしていた邦夫に対して芽生えた不審が影響して、そう見えただけだったのかもしれない。が、道郎が近く――下駄箱の上――に置いてあった鉄製の物体を手にして、背中を向けた黒田の頭目がけて振り下ろしたことは事実だ。「脅かそうとしただけだった」と殺意は否認している道郎は、「憧れていた田舎暮らしだったが、車がないとどこへも行けず、遊ぶ場所もなく、都会に慣れきった自分には窮屈で仕方がなかった。東京に帰りたいと思っていた」そうも証言していた。
さらに、黒田の勤めていた会社や自宅を調べたところ、黒田は、関東の有名店舗が長岡に進出する計画があることを掴んでいたのではないか、ということが分かった。本来社外秘とされているその建設予定地の情報を独自のルートで入手した黒田は、邦夫の土地がそこに含まれていることを知り、いち早く安価に入手しておこうと画策していたらしい。
邦夫の供述により、庭の畑から焼夷弾が発見された。やはり、一度掘り出したものを慎重に埋め直したのだという。その焼夷弾は自衛隊により無事処理されたことは言うまでもない。不発弾を発見した時点で警察に通報しなかったことを、邦夫は強く叱責された。さらに、黒田の死に邦夫の行動が大きく関与していたことは明らかだ。何かしらの罪に問われる可能性もある。それにより、兄が殺人犯となってしまった。このことは甥の健児との関係にも影響するだろうか。
しばらくしてから、道郎の妻は家と土地を引き払い、健児を連れて東京に戻ったという話を聞いた。
そして迎えた八月二日。私と理真は長岡警察署にいる。事件捜査ではない。これから打ち上がる長岡花火を署の屋上で観覧する催しに招待されたのだ。県警からも丸柴刑事をはじめ何名かが招待されている。いつ何時事件が起きるか分からないので、警察官の皆さんは全員スーツか制服だが、私と理真はちゃっかり浴衣で参加することにした。さすがに目立つが、まあ、お祭りだからいいよね。打ち上げを今か今かと待ち受ける理真の手には、前回の捜査時に食べ損ねたフレンドのイタリアンがあった。気を利かせた長岡署が用意してくれたものだ。
「そろそろだね」
理真が腕時計に目を落とした。長岡まつり大花火大会は、慰霊の花火「白菊」から始まる。
午後七時二十分。大輪の白菊が、長岡の夜空を白く染め上げた。
お楽しみいただけたでしょうか。
久しぶりに理真ものの新作を投稿しました(というか、小説投稿自体が久しぶりなのですが)。
最近は「新生ミステリ研究会」がメインとなっていますが、原点である小説投稿サイトでも活動は続けて行きたい思っています。
今回の話は、その「新生ミステリ研究会」の活動をきっかけに着想したものです。「地域性」をかなり活かしたミステリになったのではないかと思っています。
最後までお読みいただき、本当にありがとうございました。
参考文献
『太平洋戦争と長岡空襲』長岡戦災資料館(長岡市 庶務課)