長尾渓
その年の最後に出かけたのは長尾渓だった。。
まあまあ暖かかったし、最後にどこか遠出しとこうってなって。
行きたいところはいろいろあったけれど、一日完結で行きたかったので長尾渓へ。前に少しだけ歩いて、気になっていた。距離もそんなになさそうだし、余裕で完歩できるだろう。
額田駅(近鉄奈良線)で降りたった。西には前に行った極楽寺あたり。東には生駒山。既に山が始まっているあたりを電車は走るから、駅を降りて長尾渓のある東に向かうと、いきなり上り坂だ。
すぐ重願寺に着き、右に曲がると何度目かの枚岡公園。公園に行く気はなかったのだけれど、額田駅のホームにトイレがなかったから、おかあさんは公園のトイレへ。
重願寺に戻る途中、重願寺のすぐ南側を登っていく道が気になった。途中まで上ってみたら、ハイキング道がずっと続いている感じだった。でも「イノシシ注意。むやみに山に入らないでください」なんて書かれているし、この日は早めに帰るつもりでいたし、Uターンした。
たぶん枚岡公園に続いているのだけれど、枚岡公園自体が山みたいなもので、ここは人気もない道だから、そんな文言が書かれているのかな? イノシシ捕獲のためのわなも仕掛けられているらしかった。
重願寺の前を突き当たりまで進んで、右折した。「⇒長尾滝」と昔のハイキングコース的な道標があり、そこに入った途端、空気が冷たくなった。渓流がすぐそばを流れていて水の音をたて、秋にはきれいだっただろう小さなモミジの葉っぱが層になって落ちていた。
すぐに大石教の施設。前回はここまで来ていた。その時はすごくしっとりした雰囲気のあるところに感じたのだけれど、寒い冬の日にはさびれた感が強かった。
生駒山は修験道の山として、多くの寺や道場が開かれているそうで、この長尾渓沿いにも多くの寺があるらしく、それを見つつの散歩になる予定だった。
まず不動寺が現れた。でも、思い描く寺とは違っていった。プレハブみたいな建物があって、石造物がいっぱいあって、それらが急な斜面に何段かに分かれて、立体駐車場ならぬ立体寺的に存在していた。祀られている一番大きな石には「高倉大神」と書かれていた。
そして案外、お参りの人が多かった。少しだけお墓もあった。地域の人々のお寺さんなのかな。ミステリースポット額田にふさわしいような感じもした。
東高野街道を行く空海の宿泊所として額田寺を建てた高内さんが、ここ不動寺も建立したんだそうだ。
そして江戸時代、高内さんの子孫が慈雲尊者なる人に寺を譲ったんだって。慈雲さんは法楽寺(一時、住職だった)や野中寺(一時、修行した)にも縁のある学僧らしい。後に廃寺となって、そのあたりに重願寺が谷町から引っ越してきたんだって。
道は不動寺の境内にある急な階段へと続いていた。階段を登り、不動寺を通り抜けると、更に山に向かって進んでいった。今来た道が、はるか下に見えた。
「長尾滝 天龍院 八代龍王尊 是より30分」と看板があった。
道を進んでいくと光林寺があるはずだったけれど、壊れたような家があり、倒れた板に「光林寺」と書かれてあった。・・・いろんなものが過去になっている。空っぽの祠もあった。
川がごうごうと音を立てて流れていた。鳥は騒がしいくらいに鳴いていた。
谷道で、左右には山があって、ここは、その間の細い渓谷であるらしい。建物はすっかり少なくなり、現れても無人で、壊れかけていた。そして地蔵や仏像が所々に立っている。
天龍院里坊(無人?)があり、金剛山地蔵堂は無人で、祠には白雲大明神が祀られていた。開雲寺には人気はないけれど、電気が点っていた。月宮寺院はもう随分無人のようで、そばのおうち(?)も廃墟になっていた。
「○○堂」とか「○○院」とかが時たま現れ、そうは言っても、安普請の家に表札がかかっているだけのようなところ。そしてそれらがほぼことごとく廃屋になっていた。
個人的に寺を開き、そして高齢になるとかし、継ぐ人もいなくて忘れられていっている、そんな感じのところなのかな。
正覚寺はそんな中にあっては立派に見えた。正覚寺からほんのしばらく道が階段状に作られていた。勾配が急だからかな。
山の斜面の岩は大きく剥離したようにえぐれて、木のように節くれた蔦が幕をつくって、怖いようだった。退廃ぶりもすごくて。昼なのに、まばらに立っている外灯の電気がぼうっとついていて、それもまた退廃ぶりをアピールしているかのようだった。
不動寺を過ぎてからは、登りの途中、ただのひとりにも遭遇しなかった。
それから大韓仏教観音寺なる施設が現れた。門の向こうはがらんどう。ゴミを焼いた跡などがある、ただの空き地だった。表札もくくりつけているだけのものだった。
喜多地蔵などがあり、長尾山六苑普門寺なるところは門が壊れて倒れている。
「修験禅専門道場 天龍院」はなんとか機能していそうだった。無人だけれど、土日には誰か来ているんじゃないかなって感じがした。
最後に天龍院が現れた。ここは東大阪の文化財になっているようで、なんとか保たれていた。
文化財になったのは昭和40年代。その頃には、ハイキングコースとして少しは賑わっていたのかもしれない。それで「⇒長尾滝」と書かれた道標も残っているんだろう。
明治時代、病におかされた大阪の商人がここに治癒を願ってこもり、病気は平癒。お寺を建てたんだって。でも今では、ここに文化財があるなんて東大阪市も忘れかけているんじゃないかという感じだった。
「長尾滝 雙龍庵跡」の案内があって、階段が続いていた。登っていくと、途中に滝があった。
これが「生駒唯一の瀑布」長尾滝か・・・。瀑布っていうより「糸」って感じだった。
そばには慈雲さんが座ったという石(禅石)があった。下界に向かってはりだしたような大きな岩がそれだと思われるのだけれど、今は木が茂っていて、ろくに下界を眺められない。
なんだか遠く人里に向かって浮かぶ雲のような位置にある石だった。これで見晴らしがよかったら、最高だっただろうなあ。
不動寺を譲ってもらった慈雲さんはここにあった雙龍庵という草庵に隠居して、翻訳の仕事に打ち込んでいたそうだ。江戸時代の学僧が翻訳?と思ったら、サンスクリット語だったみたい。サンスクリット語の学書1000巻ほどを書き上げ、その出来栄えのすばらしさに明治時代にフランスの学者に見出され、世界に紹介されたんだって。
さらに上へと階段は続き、「ぬかた園地 慈光寺」と書いてあった。ぬかた園地につながっているんだな。ぬかた園地までそう距離もないように思えたけれど、確証はないし、Uターンした。
帰り、気持ちいい道も一瞬はあったけれど、谷なので見晴らしはよくないし、廃寺だらけだし、やっぱり微妙なところだった。春や秋ならば、もしかしたら素敵なのかもしれない。
途中、リュックの人2組と出会ったけれど、ぬかた園地を目指すのかな?
岩が大きく割れたようなところもあって、石切だもんな、と思った。
不動寺の上まで戻ると、そのまままっすぐ進んで、住宅地の方へ。途中、水道施設のところで道が左右に分かれるので、右手に。このあたりの見晴らしが一番良かった。おうちだらけなんだけれど、ちょっとした山の頂上くらいの高さがあった。
郵便屋さんのバイクが走っていた。たいへんそうだった。けっこうな坂道で、バイクもたいへんそう。郵便屋さんも、郵便受けまで階段を駆け上がって、また駆け下りていた。
狭いところに建てられた、「ミニ開発による日本邸宅風3階建て建売住宅」がこのあたりにもいっぱい建っていた。車の小さい時代のものらしく車庫は低くて小さく、その上の玄関などは妙に凝っている。そんな建物がびっしりと建ち並んでいた。
途中、広い窪地になった空き地があった。入れないようになっていたけれど、くぼみの周辺に木があったり、そばには農家風の旧家が建っていたりしたから、灌漑用ため池があったのじゃないかな。
どんどん下っていくと児童公園と額田山荘会館があり、すぐの線路(近鉄奈良線)の下をくぐって、更に下っていった。バス通りに出て、東石切公園へ。
きれいな公園で、ここだけ平地だった。
周囲はまだまだ勾配が続き、そこに家々が建ち並んでいるのだけれど、この公園だけは平地になっていて、周りをぐるりと歩くと、街を見渡せた。現代版高地性集落みたい。
「ここもきれいになったな~」とおばあさんたちが話していたから、以前はもっと治安も悪げに汚いところだったのだろうな。
バス通りをもう少しだけ北に行けば、もうおなじみになった石切さんの参道商店街だった。
石切神社にも寄って、神馬厩舎を初めて見つけた。馬の姿はなかったけれど。それから初めて絵馬殿のほうから出て、新石切駅に向かった。
この参道は広くて立派だった。大きな駐車場に大きな鳥居で、なんだか石切ワールドを作り上げていた。
新石切あたりって、いくらでもおしゃれになりそうな処だなあと思った前回の石切散歩だった。上之宮の自然とかを見て歩いた日だ。
廃墟の多い長尾渓を見て歩いたこの日、イシキリはちょっとコワイところだな、と感じた。枚岡の「切川」は「喜里川」と字を変えていた。「切」の字を使い続けているイシキリは、いろんな顔をもつのだろうな。




