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大阪を歩く犬3  作者: ぽちでわん
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杉山街道

散歩に行くと寒い。冬だから当たり前だけれど、富田林寺内町や錦織公園なんかの高台で、吹きすさぶ風にさらされたのが忘れがたかった。ごおごお風がうなり、落ち葉が舞い上がっていくの。

高野は寒い。平野に行こうと、杉山街道を歩きに行くことにした。

杉山街道は関目あたりで京街道から分かれ、大阪城公園あたりにかつてあった杉山に至る道で、大阪平野の街中を歩くだけだから、頭上高く風に舞い上がる落ち葉を見上げることにはならないだろう。

少々気になっていたので、年内に行ってしまおうと家を出た。京街道とか高野街道とか熊野街道とかは長すぎて、まだまだ歩き通せていなくて進行形のまんま。杉山街道は一日で余裕で歩けそうだから、1つくらい年内に「完。」としたかった。

感想としては、町になりすぎていて、あまり面白い散歩道ではなかった。古いものはあまり残っていなかったし。

そして寒さは、やっぱりましだったように思う。一時なんてぽかぽかしていて、天候のせいかとも思ったんだけれど、こんな時も高野では、風が吹き荒んでいるんじゃないの?とか思った。


まずは地下鉄で関目高殿駅へ。北は旭区で、2km弱のところを淀川が流れている。南は城東区。

道がいっぱい交差していて分かりにくかったけれど、1番出口から出て、前に歩いた京街道、歴史の散歩道の舗装のされている道を京方面に進んでいった。

清現寺の手前で右折。右折の道が2つあるけれど、左のカーブしている方の道に進む。

道なりに進み・・・たいところなんだけれど、京阪電車が上を通っていて、下をくぐるには右手の広い道に出ないといけない。そして線路を越えたら、区画整理された道がずっと続く。

杉山街道なる道は消えているので、どこを歩いても同じようなものだけれど、線路を越えたら少しだけ線路沿いに南下して(線路下を越えたら右折して、線路沿いに進む)、すぐに現れる分岐で線路から離れて南下していった。

そうしたら、住宅街にそのうち杉山通商店街が現れた。

商店街の先には右手に公園、左手に慈光寺。そこを過ぎたら、今度はスミレ商店街。杉山通商店街もスミレ商店街も、お店はあまり残っておらず、普通のおうちが多くて、商店街らしくはなかった。けれどかつては賑わっていたのだろうな。

鯰江小学校があった。このあたりには鯰のとれるその名も鯰江川が流れていたので、地名も鯰江なまずえになったと言われているんだって。鯰江小学校を過ぎると、次は城東商店街。

商店街に気を取られすぎて気がつかなかったけれど、ここに地下鉄の蒲生4丁目駅があったみたい。

商店街の途中、やっと道が旧道らしくなってきた。そして商店街の中の開けた場所に、「今福-鴫野合戦 今福・蒲生激戦地の跡」と手書きで書かれてあるところがあった。

なるほど、それらしい道だな・・・と思った。商店街の中だけれど、ちょっと変わっていた。道は緩い勾配を上がってつきあたるのだけれど、その様が、かつては馬の駆け抜けた道だというのが、なんだか想像できた。

そのつきあたりまで歩いて行って、右折。どうやらこの道は古堤街道の一部であるらしかった。

一帯は川の多い低湿地で、馬が走れるのなんて堤くらいだったのだって。それで合戦の時にも使われた。そしてその後も道として使われ、古堤街道となったみたい。中垣内越とも呼ばれる道ね。

広い道(今里筋)に出る前に左折して、古堤街道は一瞬でお別れ。新喜多しぎた橋で寝屋川を越えた。

かつて豪商の鴻池「新」十郎さん他により開発された新田で、開発者たちの名前の頭をとって「新喜多」新田と呼んだのだって。このあたりは元々大和川の流れていたところで、付替えによって新田になっていったところだそうだ。

「古堤」というのは、旧大和川の堤のことだったんだな。


新喜多橋あたりに説明があった。

寝屋川は北河内・中河内への交通に使われ、このあたりは水運の要所であったんだって。

大正時代には天満橋との間を巡航船が走り、昭和に市バスができるまで、通勤通学に使用されていたそうだ。

新喜多橋を渡るとしぎ野東で、このあたりはけっこう古かった。ここに来るまでの道道、多少は少し古そうな家も残っていたけれど、このあたりはけっこう多い。

少し内側にも歩いていってみると、城浴会館とか来通寺とかに行き着いた。新喜多新田会所跡や楠根川跡緑陰歩道も近くにあったみたい。楠根川は、八尾木あたりから流れる川だったんだって。八尾木をもう少し行けば信貴山だった。また「シギ」ね。

開発者たちの名前の頭をとって新喜多ということだったけれど、元々シギタと呼ばれていて、それに「新喜多」の漢字をあてたのかも。もっと言えば、杉田だってシギタからきたのかも、と思った。


今里筋でJR片町線の下を通った。すぐ右手(西側)がJR鴫野駅で、左(東)隣の駅が、前に歩いてなかなか面白かった放出。

地図で見てみると、道が複雑で面白かった。来通寺あたりから、この後で行った八剱神社、八坂神社、それから前回、放出のほうで歩いた諏訪神社のあたりへと、川筋だった感じが残っていた。

実際に歩いていても、高くなった位置にある妙にカーブした道は、残された緑地もあり、川沿いの道だった感じがした。

なに川だったんだろう? 楠根川跡があるということは楠根川?とか思った。いろいろ歩きすぎて頭がこんがらがっていたのだ。諏訪神社のそばで長瀬川が第二寝屋川に注いでいる。その諏訪神社から北西の新喜多方面に流れる川の跡なら、長瀬川の続き。長瀬川は大和川の本流で、大和川は淀川に注いでいたというから、諏訪神社から更に北西に流れていたんだろう。

JR片町線の線路を過ぎてすぐ、今里筋に沿って左手に南鴫野商店街が現れた。

商店街の中を進み、すぐの四つ辻で右に曲がり、今里筋を越えて行くのが杉山街道のようなのだけれど、四つ辻の左に歴史の散歩道の舗装が現れた。行ってみようっと。

・・・と、オプションで歴史の散歩道を歩いてみたのだけれど、盛沢山だったのでその話はまた後にして、杉山街道の続きを。


今里筋を越えて、上城見かみしろみ橋で第二寝屋川を渡った。

南下していくと、右手に大阪城が見えてきた。すぐに、左手にお地蔵さんが現れた。なんだか面白いお顔のお地蔵さんだった。

右手に橋があって、ここで対岸(大阪城公園方面)に渡ってもいいようだったけれど、もう1つ南の橋まで南下していった。その短い距離の間に面白いものがいろいろあった。

朝鮮系のキリスト教会、白山神社、公園と、「中浜」の太鼓台の倉庫、天理教教会。

公園には年老いた浮浪者のような人が一人いて、大阪城公園一帯がすっかりおしゃれに生まれ変わっていく中で、ここだけ昔を残しているような感じだった。

白山神社は祭神がくくり姫、菊理媛であるらしい。鶴見緑地近くにあった鶴見神社が日吉大社近くから越してきた人たちによって創建されたみたいに、このあたりも白山信仰の人々が越してきたところ、とかかな?


日吉橋で川を渡り、西へ向かった。

森之宮病院の前を通り、信号を渡ると、そのまま大きなUR(犬の散歩NG)の中の歩道に道が続いていた。

バッグに入って、URの中に入っていった。

そこに「大阪砲兵工廠跡」の碑があった。

戦時中、軍事工場があったという大阪城公園一帯。どんどん拡大していって、すごい人数の人々(万人単位)が通勤してきていて、その中には中学生とかもいたという。

杉田はこのあたりだったんだろうか、と思った。けれど工場がどんどん拡大していって、杉田がなくなったんだろうか。

そして工場は空襲で壊滅。


鴫野あたりから、在日朝鮮人の人たちが不発弾でいっぱいの工場跡の焼け野原に、金属類を回収に日々通い、アパッチ族と呼ばれていた。そしてその焼野原の一部が、今では多くの人が住むURになっているんだな。

中央大通りに出て、中央大通りを西に行けばすぐ、大阪城公園と森ノ宮駅だった。

大阪市内とは言え、杉山街道は比較的静かだったので、このあたりはいきなりの都会だった。

「イワタニ水素ステーション」なんてものがあり、なんだかスパイ映画の似合いそうなスタイリッシュなお姉さんが車に乗り込んでいた。水素ステーションって、燃料電池車の燃料スタンドなんだって。初めて見た。

それからせっかくだから大阪城公園にも行った。外国の人ばっかりだった。

中国人観光客が、近くにいる人に写真撮影を頼んでいる。その相手もまた中国人。中国人相手と思われる青果のやけに高い店も出ていた。ハングルの音楽をかけながら、大阪城をバックになにやら体操をしている韓国人らしき女性もいた。

家族連れも中国人、若い男女のグループは韓国人、たまに西洋の人、そして日本人、という具合。


大阪中央通りを堺筋本町駅まで歩いて、地下鉄で帰った。

堺筋本町駅までの道道にあったのは、難波宮跡公園、大阪医療センター(大阪医学校跡。ここでも後期難波宮の役所の跡が見つかっている)、農人橋、そして船場。

こんな都会になる前は、面白いところだったのだろうなあと思った。

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