鍛冶処で奉仕活動とか、マジ?
昼食を終えた私は、修道院の外をのーんびり歩いていた。
目抜き通りには、服飾やら飲食やら雑貨やらの店舗がズラリと軒を連ねている。人の行き交いも激しいし、前世で私が暮らしていた少子化で寂れた街よりも、よっぽど人の出がある。ただ、人通りの3分の1ぐらいは兵士さんだけどね。
しばらく歩いて、ちょうど目に入った案内板で現在位置を確認する。
ここはいわゆる店舗地区だ。右隣には生鮮食品をあつかっている市場地区があって、左隣には住宅街が広がっている。このことからも分かる通りに、砦内の街は地区ごとに整然と区切られていた。獣魔の森の近い場所には兵舎や訓練場が、次いで畑と果樹園が設けられて、遠くに行くほど一般人の住み暮らす場所になっている。
案内板を見ながら、手元のシスター・ライザ手書きの地図と照らす。
「うーんと…場所は工業地区で……。あっちの方向かな」
用がある工業地区は、砦の防壁にちかい場所にあった。今は太陽が高い位置にあるからいいけど、夕方になれば防壁の陰になって直ぐに暗くなってしまうことだろう。
テクテクと移動を再開する。
にしても開放感がある。だってさ、誰も私に注目しないんだよ。
悪辣令嬢なんていう聞えよがしの悪口もないし。
街中での私は、ただのシスター見習い『リリン』なのだ。
だんだんと石畳の端に生している苔が目につくようになってきた。
やっぱり、日照時間が短いみたい。
あわせて騒音が耳につくようになってくる。
鋼鉄を叩くような音、甲高い研磨の音、職人の威勢のいい声がそこかしこから聞こえてくる。
「ここ、だよね」
目的の場所についた私は『ケンプの鍛冶処』と書いてある看板を見上げた。
裏口に回って、勝手口の扉を叩く。私はお客様じゃないからね。
コンコン。
…………。
コンコンコン。
…………。
「誰もいないのかな…」
このまま帰っていいものだろうか? でも、せっかく来たんだから。
そう思って、私は「おじゃましまーす」と冗談半分で扉を引いた。
ガチャリ、と開いてしまう。
え? と戸惑う私の顔面に、ムワッと熱気が吹き付けた。
内は暑かった。初夏だというのに暖房でも炊いているのではと思うほどだ。
顔をしかめながらも目に入ってしまった台所の様子に、私は総毛だった。
ひと言であらわすなら『掃き溜め』だ。
石造りのシンクには洗い物が山積みで、床には脱ぎ捨てられた衣服が山のように積みあがって足の踏み場もない。
もちろんだけど、この暑さで色々と臭いも凄いことになってる。
「どなたか、いらっしゃいませんか? 修道院から奉仕活動で来たんですが」
そうなのです。私は修道院の奉仕活動の一環でココに来たのです。
なんでも修道院の見習いは昼食のあとで奉仕活動をしなければならないんだって。
やっぱり返事がない。
帰っちゃおうかな…。どうしようか踏ん切りがつけずにいると、ギシリと床が軋む音がした。
ギシリ、ギシリ、誰かが遣って来る。
髭もじゃの男の人だった。年齢は髭で分からないけど、おじいさんだ。
日本製のゲームということで作務衣をきているけど、着崩れた胸元からボーボーの胸毛が見えているのが、これでもかと現実世界だということを知らしめてくれる。
眠っていた…というよりも現在も半分眠っているのだろう、モジャじさんはフラフラしながら私の前を通り過ぎて、シンクにあった汚いコップを手に取った。
まさかまさか、と思ううちにも、水を汲んで飲み干してしまう。
思わず凝視だよ。そんなばっちいコップで水飲んで、お腹壊さないの?
モジャじさんは、満足そうにプハーと息を吐いて、髭についた水滴を腕で払う。
そこで…私と目があった。
見詰めあうこと数拍。目と目が合う~♪ なんて歌詞が頭に浮かんでしまう。
「お前……そうか、今週は家の番か」
モジャじさんは、短い頭髪をバリボリと掻いた。
「あの~、修道院から奉仕…」
「ああ、わかってる。勝手にしてくれ」
言い置いたモジャじさんは、とっとと奥へ引っ込んでしまった。
うん、わかった。歓迎されてないことは、わかった。
選択肢は2つ。
①無下な態度に傷ついたリリンシャールは泣きながら回れ右をして修道院へ帰る。
②そっけなく扱われたリリンシャールは負けじ魂で勝手にさせてもらう。
うん、②だね。②以外にありえない。
私は腕まくりをしながら腐海めいた台所に乗り込んだ。
ああいう言い方をされると、余計にやる気が出る。
「まずは、掃除からだ!」
床に散乱した衣服をどうにかしないと。とはいえ、今すぐの洗濯は無理だから、端のほうに避けておこう。
そう思って、上着を指でつまみ上げたんだけど…。
「無理!」
私はつまんだ上着を振り払うようにして捨てた。
だって。だってさ、カビ生えてるじゃん!
「くっそ~、マジで帰りたい…」
仕方なく、足でケリケリして沢山の衣類を台所の隅のほうへ除けておく。
そうして剥き出しになった床は、案外に綺麗だった。
というよりも、蹴ったときに湿った衣類が埃を取り込んでしまったんだろう。
ていうか
「熱い」
暑いじゃない。熱い。
こうしている間も汗が頬を伝う。
私は鍛冶処という看板を思い出した。家の何処かで鍛冶につかう火を燃やしているのに違いない。
勝手口の扉を開け、窓という窓を開け放つ。
それからシンクの片付けに私は取り掛かった。
まずはシンクの周りだ。早速にでも山積みになった洗い物をどうにかしたいのは山々だけど、洗ったところで置く場所がないからね。
雑巾をお借りして、それに食器用の洗剤をぶちまけて泡立たせてからそこらじゅうを拭いていく。
雑巾でそこらじゅうを掃除するのは汚い? いえいえ、現在が10MAXで汚いんだもん、せめて雑巾で埃やらをぬぐって7ぐらいにしないと。清潔にするのはそれからだよ。
それにしても、こいつは長丁場になりそうだ。
水前寺清子の『三百六十五歩のマーチ』を口遊まずにはいられない状況だ。
拭く拭く、拭く。とにかく拭く。
そうして雑巾が真っ黒くなったら、桶にためた水でバシャバシャ洗って、作業を再開する。汚れた桶の水は裏庭にぶちまけておく。
そんなことを10回以上繰り返したところで、奥のほうからガンガンと何か鉄と鉄を叩き合わせるような物音が聞こえてきた。
仕事が始まったらしい。
してみると、今まで昼寝だったのかな?
ガンガンという力強い音をバックミュージックに、私も掃除に精を出す。
時折、水を飲みに職人さんが顔を出したけど、腕まくりして汗をかきかき掃除をしている私を見ると、みんながみんなギョッとした顔になって、そそくさと水分補給をして仕事に戻って行った。
さて、拭き掃除はあらかた終わった。
お次は、いよいよ洗い物だ。
幸いにもスポンジめいた物があったので使わせてもらう。
泡立てたスポンジでキュッキュッゴシゴシと洗って、水道の水にくぐらせて、水切りラックにどんどん積み上げる。
その際にでる食べ残しはゴミ箱代わりの木箱にポイだ。あとで裏庭に穴でも掘って埋めてしまおう。
そうこしていると
「おい」
とモジャじさんに声をかけられた。
集中していたところに、いきなり声をかけれれて、私は文字通り跳び上がってしまった。
モジャじさんは、そんな私の反応に目を丸くしてから「わはは」と笑いだした。
「あんた、猫の子みたいだな」
確かにリリンシャールは猫に似てるけど。
そんなに笑うことないじゃん。
「それで、何かご用ですか?」
ぶすくれながら訊く。
「用じゃないんだが、もうそろそろ帰ったほうが良いんじゃないか?」
「でも」
と私は洗い物を見た。こいつを終わらせておきたい。
シスター・ライザには5時までには帰るように厳命されている。さっき街の鐘が4回鳴ったから、今は4時を少し過ぎたあたりだろう。修道院には20分も歩けば着くから、まだまだ時間はある。
「ここらは防壁に近いから、直ぐに真っ暗になる。今ぐらいの時分に帰ったほうがいい」
私のことを心配してくれてるようだ。
「そういうことなら、今日は失礼させてもらいます。明日、また来ますので」
「明日も来てくれるのか?」
何故かモジャじさんは驚いている。
「いちおう、1週間はココで奉仕活動をするように言われてますから」
「お、おう。そうか」
「それで、できましたら用意しておいていただきたいものがあるのですが」
綺麗な布巾、洗濯用の洗剤にタライ、それに洗濯物を干す紐に洗濯ばさみ。
それを伝えると、モジャじさんは「用意しておく」と頷いてくれた。因みに、今日出たゴミはあとで若いのに穴を掘らせて捨ててくれるそうだ。
「では、本日はこれで失礼させていただきます」
「今日はいろいろとありがとうな。と、そういえば名前も言ってなかったな。ワシはケンプだ」
「私はリリンシャールといいます。リリンと呼んでください」
「わかった。明日もよろしくな、リリン」
「こちらこそ、よろしくお願いいたします、ケンプさん」
私はそうして鍛冶処を後にした。
奉仕活動の1日目。
なかなかにハードな出だしだった。