第十六話 王族とたこ焼き 後半①
庭園に漂っていた肉の焼ける匂いも、いつの間にかずいぶん薄くなっていた。
鉄板の上にはもう何も残っていない。たこ焼き器の窪みに残った油が、火の名残で時折小さく弾けるくらいだ。
結局、用意した材料はほとんどなくなった。
少し多すぎたかと思っていた魚介も肉も野菜も、八人で食べれば案外どうにかなるものらしい。
「……食べましたね」
満足そうに息をついたフィリアが、自分の皿を見下ろした。
「フィリアは途中から明らかにペース上がってたけどな」
「美味しかったのですから仕方ありません」
「なら仕方ないか」
そんな話をしている向かいでは、アルベルトが小さく笑い、エレオノーラも口元へそっと手を添えて笑みをこぼしている。
最初に王族三人が現れた時の妙な緊張感は、もうほとんど残っていなかった。
王族と一緒に飯を食う。
文字にすればとんでもない状況のはずなのに、終わってみれば、やっていたことはそこまで特別じゃない。
美味いものを食べて、失敗したたこ焼きを笑って、父親が娘より先に綺麗にひっくり返して、その娘がちょっと悔しがる。
肩書きがあっても、そういうところまで別の生き物になるわけじゃない。
やがて食器が下げられ始め、楽しかった食事会も自然とお開きになった。
「ナギさん。本日はありがとうございました。本当に楽しい食事でした」
帰り際、エレオノーラがそう言った。
「いや、こっちも楽しかったよ」
「また機会があれば、ぜひ」
「今度は別の料理でも考えとく」
「まあ。それは楽しみです」
「次は私も作れるものがいいです」
横からフィリアが割り込んでくる。
「まだやる気なの?」
「もちろんです。」
そんな話をしていると
「ナギ」
不意に呼ばれ、俺は振り返った。
エドガルドがこちらを見ている。
表情そのものは先ほどまでと大きく変わらない。ただ、声から食事中の柔らかさが少しだけ消えていた。
「この後、少し時間をもらえるか」
「ん? 構わないけど」
「すまぬな。今日の礼だけで終わらせられればよかったのだが、そなたには話しておくべきことがある」
その言葉に、エリシアとアルベルトがわずかに反応した。
どうやら二人には心当たりがあるらしい。
「お父様?」
フィリアが首を傾げる。
「私は?」
「フィリアは母上と戻りなさい。これから話すのは、王国の政策決定に関わる内容だ。王女であるそなたにも、今は共有する必要がない」
一瞬だけフィリアの顔に不満が浮かんだが、すぐに消えた。
「……分かりました」
知りたくはあるのだろう。
それでも王女として、聞いていいことと悪いことがあるのは理解しているらしい。
エレオノーラも静かに頷いた。
「私も席を外しましょう。あなたから以前聞いた内容も含むのでしょう?」
「ああ」
「でしたら、今はナギさんへお話しする時間ですね」
そう言って、エレオノーラはフィリアを伴って庭園を後にした。
その背中を見送っていると、バルドが残った食器へ手を伸ばす。
「ナギ殿は行ってこい。こっちは俺たちでやる」
「でも結構あるぞ」
「誰に言ってんだ」
バルドが鼻で笑う。
その横では、すでにマリアが食器をまとめ始めていた。
「ナギ様、こちらはお任せください」
「……じゃあ、お願いする」
「はい」
食事会そのものは、これで終わりらしい。
俺だけが、その後に呼び止められた形だ。
少し気にはなったが、マリアもバルドも理由を聞こうとはしなかった。城で働いていれば、聞かない方がいい話があることにも慣れているのかもしれない。
俺はエドガルドたちについて庭園を出た。
連れていかれたのは、以前入ったことのある大きな会議室ではなかった。
もっと小さな部屋だった。中央に机と数脚の椅子、それ以外には棚と小さな窓がある程度で、王様が使う部屋にしては妙に簡素だ。
室内へ入ったのは、俺、エドガルド、アルベルト、エリシアの四人だけ。
扉が閉じられると、エリシアがその横へ手を向けた。
淡い光が一瞬だけ壁を走り、すぐに消える。
「今の何?」
「遮音の術式よ。これで外には聞こえないわ」
「そこまでする話?」
「少なくとも、城の誰もが知ってよい話ではない」
エドガルドの答えに、俺も促されるまま椅子へ座った。
さっきまで庭園でたこ焼きを食っていた時とは、少し空気が違う。
「本来ならば、もう少し早く話すべきだったのかもしれぬ」
エドガルドが口を開いた。
「だが、召喚されたばかりのそなたへ何もかも一度に話したところで、受け止めきれぬだろうとも考えた」
「まあ、あの時に全部言われても半分くらい聞き流してたと思う」
「……そなたなら本当にそうしそうだな」
「否定できない」
アルベルトがわずかに口元を緩めた。
ほんの少しだけ空気が軽くなる。
それからエドガルドは、改めて俺を見る。
「以前、我が国には長年敵対している国があり、現在も緊張状態が続いていると話したことは覚えているか?」
「ああ」
召喚された直後に聞いた話だ。
この国には長年敵対している国がある。
ただ、その時は国の名前までは聞かなかった。正直、自分がどうなるかの方が重要だったから、詳しく聞こうとも思わなかった。
「その国の名は、ヴェルグラン魔王国」
「……魔王国?」
その単語はさすがに聞き流せなかった。
「じゃあ、もしかして」
「魔族を中心とする国だ」
「魔族って、本当にいるんだ」
「へえ。で、魔族って一種類?」
「いいえ」
エリシアが答えた。
「一つの種族を指す言葉ではないわ。ヴェルグランには人間とは異なる複数の知的種族が暮らしている。それらを私たち人間側が、歴史的にまとめて『魔族』と呼んできたの」
「じゃあ、人間側のまとめた呼び方みたいなもんか」
「大まかにはね」
なるほど。
魔王国という名前から勝手に一種類の魔族を想像していたが、実際にはいくつもの種族が暮らしているらしい。
そこでエドガルドの表情が少し険しくなった。
「そして、彼らは長きにわたり我ら人間と争ってきた。ヴェルグランとの戦で家族を失った者は、この国にも数え切れぬほどいる。村を焼かれた者も、故郷を失った者もいる。」
思っていたより、はっきり言う。
隣のアルベルトも否定しなかった。
「国境では現在も衝突が起きることがあります。ヴェルグランが我々を敵と見ている以上、こちらだけが警戒を解くわけにはいきません」
「……結構嫌われてるんだな、魔族」
「当然でしょう」
エリシアが答えた。
その声にも、少しだけ硬いものが混じっている。
「私は研究者だから、確認できた事実と推測は分けるつもりよ。でも、それと彼らを信用できるかどうかは別の話。過去に起きたことまでなくなるわけではないもの」
エリシアまでそう言うなら、単に王様や軍人だけが敵視しているわけではないらしい。
この国では、それくらい魔族との争いが身近な歴史なんだろう。
「今は?」
「現在、レグナリアとヴェルグランは冷戦状態にある」
「冷戦か」
「国境には双方の軍が展開している。小規模な衝突が起きることも珍しくない。互いに軍備を維持し、相手の動向を警戒しているが、全面戦争には至っていない」
「そこまで嫌い合ってるのに?」
「敵意と開戦は同じではない」
エドガルドは即答した。
「我々はヴェルグランを信用していない。向こうも同じであろう。だが、だからといって再び国中を戦火に晒すことが正しいとは思わぬ」
そこで一度、言葉を切る。
「過去に、決着をつけようとしたことはある。一度や二度ではない」
「……で、決着はつかなかった」
「ああ。そして我々も、ヴェルグランも知った。全面戦争になれば、相手を滅ぼすより先に自国が立ちゆかなくなる可能性があるとな」
「そこまでか」
「そこまでだ」
エドガルドはそれ以上を語らなかった。
単純に両国の戦力が近いから、というだけではなさそうな気はする。何か他にも理由があるのかもしれない。
でも、今は話すつもりがないらしい。
「だから、嫌っても戦わない」
「そうだ」
「なんか変な感じだな」
「国同士とは、そういうものだ」
エドガルドが苦笑する。
「好き嫌いだけで戦を始められるほど、王という立場は軽くない」
その言葉は、妙に王様らしかった。
そして同時に、一つ引っかかる。
「じゃあ俺って、その状況を変えるために呼ばれたの?」
部屋が少し静かになった。
エドガルドはすぐには否定しなかった。
「その期待がなかったと言えば、嘘になる」
やっぱりか。
「異世界から現れた勇者が強大な力を持つ。その伝承が事実であるならば、そなたの存在は両国の均衡を変え得る」
「俺を使ってヴェルグランを倒す?」
「必要とあらば、その力を借りたいとは思っている」
今度は否定しなかった。
ただし、そこでエドガルドは続ける。
「だが、我が望みは魔族を一人残らず殺すことではない」
「へえ」
「意外か?」
「ちょっと」
「彼らを好いてはいない。信用もしていない。だが、ヴェルグランを滅ぼすために再び何万、何十万という民を戦場へ送り込むことを望んでいるわけでもない」
それは魔族を許している、という話ではなかった。
むしろ嫌っている。警戒もしている。
それでも、戦争をするかどうかは別に考えているらしい。
「強大な戦力は、使わずとも意味を持つ。こちらへ攻め込めば勝てぬと相手が考えるならば、それだけで戦を遠ざけられる。交渉においても、力は無意味ではない」
「抑止力か」
「そうだ」
それなら理屈は分かる。
俺の世界でも珍しい考え方じゃない。
ただ、自分がその抑止力として数えられていると思うと、気分がいいかと言われれば別だ。
「でも俺、ヴェルグランのこと何も知らないぞ」
「承知している」
「魔族が悪いって話も、今聞いたのは全部レグナリア側からの話だろ?」
アルベルトの眉がわずかに動いた。
「我々の話を疑うのですか?」
「疑うっていうか、片方の話だけ聞いて全部決めるのは嫌なんだよ」
俺は肩をすくめた。
「そっちから見れば魔族に村を焼かれた。魔族から見たら、逆に人間に何かされたって言うかもしれないだろ。実際どうなのか俺は知らないし」
「……魔族の肩を持つつもり?」
エリシアが聞く。
「まだ会ったことすらない相手の肩をどうやって持つんだよ」
「……それもそうね」
「だから、自分で見てから決める」
それだけだ。
魔族が本当にどうしようもない連中なら、その時はそう判断する。逆に違うなら、違うと言う。
勇者と呼ばれたからって、知らない相手まで自動的に敵になるわけじゃない。
少しの沈黙の後、エドガルドが頷いた。
「今すぐ答えを求めるつもりはない。まずは知ればよい。この国のことも、いずれ機会があるならばヴェルグランのことも。その上で、そなたがどう判断するかを聞こう」
「なら、そうする」
俺は答えた。
それでこの話は終わり――かと思ったが、一つだけ引っかかる。
「……でも、それだけ?」
「何がだ?」
「俺を呼んだ理由」
エドガルドを見る。
「冷戦を有利にするためだけに、わざわざ異世界から人間一人連れてきたの?」
一瞬、エドガルドの表情が変わった。
「いや」
静かに首を振る。
「違う」
その答えは思ったより早かった。
「そなたの力がヴェルグランへの抑止となり得る。それは事実だ。だが、それは召喚を決断した最大の理由ではない」
「じゃあ、何?」
隣でエリシアが、組んでいた指をほどいた。
さっきまで魔族について話していた時とは違う。その表情には、研究者としての真剣さと、それとは別の何かが混じっていた。
エドガルドも俺から目を逸らさない。
「ナギ」
庭園で感じていた食後の気楽さは、もう完全に消えていた。
「そなたには、この世界で起き始めている異変について知ってもらわねばならない」
俺は何も言わず、その続きを待った。




