7.拒絶する心臓
『サクラと、あのヴィダルという男。あの二人は失敗個体だ』
考えもしなかったことを突然告げられて動揺が隠せなくなっているのをすぐに自覚した。こういったことには慣れているつもりだった。
が…
「失敗個体?⋯成功の間違いではなくて?」
『仮説にのせた上での答えだがな、おそらく失敗個体だ』
人生で一番と言っても過言ではないほど理解不能に陥っている。こんなにも簡単に、これまでの天使に対する視点が覆されていくのを感じ取るのには時間が掛かった。
「…なんで、失敗個体なんです?」
『…今の君はかなり動揺している。これ以上はここでは話さないほうが君の心のためだ、今度はリアルで会ってしっかり話そう。日時は後で連絡を取り合おう。』
博士にそう指摘されたことで自我を取り戻し、一息ついた後、わかりましたと一言告げると会話を終えた。
「…はぁ?…サクラが天使の失敗作だって?今までそんなこと一言も言わなかったじゃないか」
クローバはこれまでサクラを一人の同年代の人間として接していたが、天使の失敗個体だと知ってしまったことで、自分のサクラへの対応が変わって不安にさせてしまうことを恐れていた。ただそれ以上に、クローバ自身が、サクラが人間とは違う非・常識の存在であることをどうしても受け入れられず、身体全体がこの事実を拒絶していた。
(いやでも…いくら研究しているとはいえ博士の仮説にすぎない。そうだ、まだ事実と決まったわけじゃない…!)
その日の週末、サクラを連れて博士の研究室に向かった。両親には二人でお出かけすると伝えた。自分たちが連れて行くと強く言っていたため、説得には時間が掛かった。こればかりは親に簡単に話していいとは思えなかった。
「失礼します」
博士の服装がいつもの白衣じゃない。背も高くなったような⋯
「久しぶりだな、クローバ君?」
「ヴィダル、なんでいるんだよ!」
「ええ〜⋯クローバ君、天使に関わることを話したら、彼からも聞かせてほしいと頼まれたんだ。今日は我慢してくれ」
「わかったけど、それならこの男とあの時の話の続きからしたい」
「⋯いいでしょう」
サクラは視線をずっとヴィダルに向けている。彼女は元々ヴィダルと関係を持っていたのだろうか?
「なら、あんたが何を目的に動いているのか、俺が納得できるまで教えてくれ」
「室町先生、ハーブティーを淹れていただけませんか?私たちは落ち着いた話し合いをこれからしなければいけない」
「⋯わかったよ」
呆れ口調で給湯器の前で準備を始めた。サクラはまだ状況が理解できてないのか、珍しく目をキョロキョロさせていた。
「サクラちゃん、ハーブティーを淹れるの手伝ってくれないか」
「⋯はい!」
博士が気を利かせてくれたおかげで、二人の空間が完成した。全く癒やされはしないが。
「まず、君がどのくらい天使のことを知っているか教えてほしい。どこから話せばいいかを君の答えで考える」
「天使は純粋な人間の上位的存在を想定して、ツーリス軍が主導する実験から生み出された。実験には自ら被験者として志願する者もいたとか。」
「⋯他には?」
「どうやら作られた天使には成功個体と失敗個体の二種類に分かれている可能性があるらしい」
「ほう、そこまで知ったか。なら私の話はすぐに納得できるはずだ」
「どういうこと?」
「実は私も、室町先生に成功個体と失敗個体の仮説を唱えられて気になっていたんだ」
「そしてサクラと、あんたは失敗個体なんだってな」
「先生もいきなり何を言い出すかと思えば、他人を失敗作呼ばわりとは⋯失礼にも程があるとは思いませんか?」
「そこは俺と意見が合うんだな、俺もサクラが失敗個体だなんて思いたく無かった」
「まず、あなたの質問に答えましょう。私は実験によって天使となった人物をより完全な存在にするために世界中を回っています、そして今はサクラの番というわけです」
クローバはなんとなく察した。その天使の育成のためにヴィダルは世界を回っていたが、室町とクローバの天使への理解が深まるごとに、その役割が本人の中でも正当化し辛くなったわけだ。
「今日はその仮説について詳しく聞こうと思って来たわけです、ねえ先生?」
そういえば博士はハーブティーを淹れていた⋯こんなに時間がかかるのだろうか?
「⋯ハーブティーを出す以前に二人の会話が白熱しているんだ、私が会話を割ってまで入れるわけがない」
二人は室町を見て黙っていた。おまけにサクラも博士の後ろ姿を見ていた。
「⋯二人してなんだその目は、なんか言え」
「今からあなたが話す番ですよ」
「⋯急かすな、ちゃんと話すから」
博士がなぜあのような仮説を立てたのか、天使にはどのような事実が残っていたのか、それが今わかる。
「さて⋯最近になって多くのことが導き出せたと感じている。この世に天使が存在し、人間がいつか支配されるかもしれない。しかし、以外にもその可能性が低いと考えた。」
「⋯成功個体と失敗個体ですね?」
「ん」
「それはすでに知っていることです。できるだけできるだけ簡単にまとめてもらいたい」
「んー⋯」
ヴィダルの態度が中々辛辣に感じ、行き過ぎて恐怖すら感じた。
「じゃあ、まずあの仮説にたどり着いた理由から。サクラとヴィダルは、当初完全な天使の存在として研究してきた。しかし、天使は人間の支配者となるべく活動を行っているはずだが、私たちが出会った二人は全くそのような素振りを見せなかった」
確かにと、人間のクローバが一番納得できていた。冷静に考えればわかりそうなことを、好意や嫌悪感が邪魔して疑問に思うことがなかった。
「人間に馴染む二人が本当に人間を支配する思想に走るのか気になって調べたところ、私は実験結果の目標や野望的なことしか書かれていない資料しか持っていなくてな」
「実験の全容は知らなかったんだな?」
ヴィダルは顔つきからまだ自分が失敗個体だと認められない様子だった。もし自分が実験を受けた身であれば、同じような怒りとも言う感情を溜め込んだだろうか、多分一生かかってもわからないだろうと人間は思った。
「想定したい結果をもたらさなかった者、脱走を試みた者たちの処理を失敗個体と称し、軍に対して利益を上げるように動く労働力として扱う旨が書かれていたぞ。」
「サクラはどうして失敗個体になるの?」
「おそらく脱走した。そしてそのままクローバ君に引き取られたと考えたからだ」
これで、どうしてあの時一人で公園にいたのかがようやく理解できた。だが、だとしたらヴィダルはどうしてなのか?その失敗個体を連れ戻すのが彼の仕事だと言っていた。
「記憶が飛んだことまではわからないが、それは実験の副作用と仮定しよう。次に、お前さんが失敗個体に当てはまる理由だ。」
さっきから何一つ表情が変わっていない。目を開けたまま寝ているようにも見えるため、クローバは笑いそうになったが、笑った後のことが怖いのでこらえた。
「お前さんは、サクラのような子を軍に連れ戻すのが仕事だと言ったな?」
「ええ」
「軍のためか?」
(なるほど、なんとなくわかったぞ⋯)
「ええ、私は実験の担当者にサクラのように逃げ出したり意志を失った者を軍に連れ戻すように指示され、動いていました。」
ヴィダルは自分が本物の天使だと自覚⋯この場合は勘違いしていて、さらに天使の数を増やすために実験の担当者と言う人とあくまで対等な立場として協力していたつもりなのだろう。
「お前さんが失敗個体と言うのはそれが理由だ。」
「⋯なに?」
「あんたも記憶を消されているんだ」
口を挟み、ヴィダルは驚いた顔でこちらを睨んでいた。数分後に自分は生きているのかが心配になってきた。天使には人を殺せる力があるかもしれないと考えていれば行動は変わっていたかもしれないが、こういうときの衝動を抑える方法はまだ知らなかった。
「ヴィダル、信じたくないかもしれないがクローバ君の言う通りだ。サクラ同様、お前さんも実験の被験者で、過去に問題があったんだ」
「⋯サクラの記憶喪失はあくまで仮定だと言っていたはずでは?」
「仮定だからこそ、あんたにも当てはめられるんだ。記憶喪失が珍しいことだなんて誰も言葉に表していないしね」
「残念ながらヴィダルという男は実験の失敗個体として、担当者からは下等に接されていた可能性が高い。連れ戻しの件は要請されたのでは無く指示されて動いていた。」
博士に説明されるたびに、ヴィダルの感情が絶望に傾いていることがわかりやすいくらい顔に出ていた。クローバは今になって初めてこの男に同情できている気がした。
「以上が、私の仮説だ。」
ヴィダルの心にはかなりのダメージがあったようで、中々口を開かない。
「…自分のことを疑うのは生き物には難しい。規模が大きければ戦争にだってなる。私はお前さんに同情をしているつもりで、今日は接している」
「腹が立つかもしれないけど、俺もあんたに同情するよ」
「…私も、同じ境遇の存在としてあなたに共感します」
「…情けない姿を見せてしまったな」
プライドを傷つけられて怒られるとばかり思っていたが、意外にも丸く収まった。
「早速なんだがお前さん、軍に戻る気はあるのか?」
「いや、もういい。」
「もし天使計画に嫌気が嫌気が差したのなら、俺のやりたいことに力を貸してくれ」
「…?」
「天使計画を止めたい」
「…ノープランだろう?」
「今は協力者を増やしたいところだ。天使の訓練を受けたあなたがいるととても心強い」
「…考えておこう。」
100%ではないものの、敵が味方になる嬉しさが感じられた。サクラ、室町博士、セイン、家族、そしてヴィダル。人は少しずつだが集まっている。天使に対抗する方法はまだわからないが、協力者は多いに越したことはない。これからも実験の関係者や被験者に会うことがあるだろうが、どんな方法であれ生命の犠牲を出すものを許せはしない。
「…ところで、私の知り合いに興味はないか?私には心を整える時間がほしい、その代わりに天使についてある程度知識がある人物を呼ぶことができる」
「ほう、それは興味深いな。どうするクローバ君?」
「断る理由は一つも無いんだ。ヴィダルさん、あなたがいいと言うのなら、その知り合いをぜひ教えてください」
Tips:室町良
彼はウィルシティ出身の科学者でエリッツ家ともいくつかの関わりがある。今はツーリス王国で研究を続けているが、彼は他の数名の研究者たちと共にチームを組み、時々連絡を取り合っている。室町を含め全員世界中で名を轟かせる人物ばかりだが、そのほとんどはウィルシティで活動しているという。




