第90話「戦闘中に痴話喧嘩するな。」
ヤヤがいる場所から少し離れた裏通路。
さっきまで笑い声が響いていた場所は、今では血の臭いだけが漂っていた。
観光客の悲鳴。
骸骨の咆哮。
遠くでは爆発音まで聞こえてくる。
夢の国は、ほんの数分で地獄へと姿を変えていた。
その中を、二つの影が駆け抜ける。
ユウヒとレインである。
二人とも園内の骸骨を倒しながらヤヤの元へ走って向かっていた。
「ヤヤ君、連絡ないけど無事だよね……」
ユウヒは目を細めながら、心配そうに彼の名を呟く。
「ケイ達からも連絡ないわ。どっちもきっと手がはなせないのよ。」
今度はレインが周囲を警戒しながらそう呟く。
「だね~。公安も来てるみたいだけど、全然収まる気配なし……」
ユウヒは軽く笑う。
「これは大仕事になりそうだね~」
その笑顔とは裏腹に、フローラ・モルティスを握る右手には力が入っていた。
ヤヤは無事なのか。
そのことだけが頭から離れない。
すると――。
ズルッ……。
何かを引きずるような音が聞こえた。
レインが立ち止まる。
「……ユウヒ、聞こえたわよね?」
ユウヒも頷く。
「うん。」
音は路地の奥。
人通りのないサービス通路だった。
二人はゆっくり足を進める。
そして――
その光景を目にした。
「……っ!」
レインの表情が凍る。
そこには五人ほどの遺体が横たわっていた。
キャスト。
警備員。
そして観光客。
全員が原形を留めないほど無惨に殺されている。
床一面を覆う血。
鉄臭い空気。
ユウヒの笑顔が消えた。
「……遅かったみたい」
その時だった。
「うふふ」
女の笑い声。
二人が同時に顔を上げる。
遺体の中央に、一人の女が立っていた。
腰まで届く長い黒髪。
どこにでもいそうな、穏やかな女性。
しかし、その両手だけが真っ赤に染まっていた。
女は、遺体を優しく撫でながら微笑む。
「かわいそうに……。」
「でも安心して。」
「もう寂しくないから。」
その瞬間。
女の掌から黒い靄が溢れ出した。
それが遺体へ流れ込む。
すると――
ゴボッ。
肉が膨らんだ。
グチャッ。
腕と腕が繋がる。
脚が溶ける。
骨が軋む。
皮膚が裂ける。
「……なによ、あれ。」
レインの声が震える。
五人分の遺体が、粘土のように溶け合っていく。
頭が三つ。
腕が六本。
脚は八本。
無数の目玉がバラバラの方向を向いている。
人間とは到底呼べない怪物が、ゆっくりと立ち上がった。
「アァァァァァァァァ……」
「イタイ……」
「ママ……」
その口から漏れたのは、男とも女とも子供ともつかない悲鳴。
ユウヒは静かに銃を構えた。
「……趣味悪いね。」
女はゆっくり振り返る。
その瞳は、どこまでも優しかった。
「こんばんは。」
「あなた達、ジャスティスの人?」
レインは傘を構える。
「そうよ……あなた、服部ヒジリでしょ?」
ヒジリは余裕に満ちた微笑みと共に、問いに答える。
「ふふっ……光栄ね。あの伝説の殺し屋達に狙われるなんて」
一瞬の間の後、ヒジリは話を続ける。
「それより素敵だと思わない?この子達を。」
その言葉を聞き、レインはヒジリを睨み付ける。
「……自分が何を言ってるかわかってるのかしら?」
「ええ。」
ヒジリは嬉しそうに怪物を見上げる。
「死んでも、一人は寂しいでしょう?」
「だから、みんな一つにしてあげるの。」
「これで永遠に一緒。」
そう言って、怪物の頬を愛おしそうに撫でる。
レインは吐き気を堪えるように眉をひそめた。
「狂ってるわ……。」
ヒジリは首を傾げる。
「そう?良いことだと思わない?」
ユウヒは静かに一歩前へ出た。
「……ダメだよ。そんなの。」
「死んだ人は、ちゃんと眠らせてあげるものだよ。」
ヒジリは小さく笑う。
「ふふっ。」
「あなた、優しいのね。」
「でも――」
「優しいだけじゃ、人は救えないの。」
ヒジリが指を鳴らす。
グチャッ。
融合した怪物が、四本の腕を地面へ叩きつけた。
ドォンッ!!
石畳が砕け、瓦礫が宙を舞う。
「ユウヒ!来るわよ!」
レインが異能の傘、ラルムに集中する。
「リフレクト・シャドウ!」
瓦礫が弾き返される。
その隙にユウヒが前へ飛び出した。
「――ローズ。」
パンッ!!
紅蓮の弾丸が怪物の胸へ突き刺さる。
轟音。
肉片が吹き飛ぶ。
しかし――
グチャグチャグチャ……
千切れた肉が勝手に集まり、数秒で元通りになる。
「……再生?」
ユウヒが眉をひそめた。
「やっぱり普通には死なないかぁ~。」
その瞬間。
怪物の背中から、新たに二本の腕が生えた。
「アアアアアッ!!」
六本の腕が同時に振り下ろされる。
「レインちゃん!」
「言われなくても分かってる!」
レインは前へ出ようとする。
しかし。
ユウヒも同じ方向へ飛び込んだ。
「あっ!」
「ちょっ!」
ゴンッ!!
思い切り二人の頭がぶつかった。
「いったぁぁぁぁ!!」
ユウヒが頭を押さえる。
レインも額を押さえながら睨んだ。
「ちょっと!」
「何で同じ方向に来るのよ!」
ユウヒも負けじと叫ぶ。
「それはこっちのセリフだよ!」
「レインちゃんが空気読めばよかったじゃん!」
「私が囮になる予定だったの!」
「聞いてないわよ!」
「言う前に突っ込んだからでしょ!」
その間にも。
怪物は容赦なく拳を振り下ろす。
ドゴォォン!!
二人は慌てて左右へ飛び退いた。
「危なっ!」
「もぉぉ!!」
ヒジリは口元を隠して笑う。
「仲が良いね。」
「全然!」
「最悪!」
また声が綺麗に重なった。
ヒジリは嬉しそうに微笑む。
「だったら安心。」
「息の合わない相手ほど、殺しやすいもの。」
怪物が再び突進する。
ユウヒが撃つ。
「くっ……!ヒマワリ!」
追尾弾が怪物へ向かう。
しかし。
レインが同時に飛び込み、
「霜裂!」
氷の斬撃を放つ。
ズガァァン!!
衝突。
爆煙。
ところが。
レインの斬撃がユウヒの弾道を狂わせ、追尾弾は壁へ激突して爆発した。
「えぇぇ!?」
ユウヒが思わず叫ぶ。
「何してるの!?」
「そっちこそ!」
レインが怒鳴り返す。
「人の前で撃たないでよ!」
「はっ?!レインちゃんが飛び込むからでしょ!」
二人は怪物より先に言い争いを始める。
ヒジリは思わず苦笑した。
「……もしかするとジャスティスって噂だけで、大したことないの?」
その瞬間。
怪物の巨大な拳が二人をまとめて吹き飛ばした。
ドゴォォォォン!!
「きゃあっ!」
「あぁぁっ!」
二人は石畳を転がり、ようやく距離を取る。
服についた埃を払いながら、互いを睨み合う。
レインはゆっくり立ち上がると、額を押さながら感情を顕にする。
「だいたいね!前からあんたのこと、気に食わなかったのよ!!」
ユウヒも立ち上がり、服についた埃を払う。
「え~?奇遇だね。私もだよ。」
レインのこめかみに青筋が浮かぶ。
「今日だって、せっかくヤヤ君と二人きりでディズニーデートだったのに……。」
「全部、ユウヒが邪魔した。」
「これ以上ヤヤ君に近づかないで。」
「ヤヤ君は――私のものなんだから。」
ユウヒの笑顔が、ぴたりと止まった。
「…………は?」
空気が一瞬だけ凍る。
「レインちゃん。今、何て言ったの~?」
「聞こえなかった?」
レインは鼻で笑う。
「ヤヤ君は、私のもの。」
「だから、これ以上付きまとわないで。」
ユウヒの頬がぴくぴく震え始める。
「ぷっ……。」
「くくっ……。」
「……あははははっ!」
レインは眉をひそめる。
「何がおかしいのよ!」
ユウヒは涙まで浮かべながら腹を抱える。
「あ~、ごめん、ごめん。」
「冗談かと思っちゃって。」
「だってさぁ。」
ユウヒはレインを指差した。
「ヤヤ君、レインちゃんのこと女として見てないじゃん。」
「はぁ?!」
カチン。
レインの額に青筋が一本増えた。
ユウヒは追撃する。
「いやいやぁ~、完全に保護者ポジションだよね。」
「お姉さん扱いっていうか。」
「『レインちゃん頼りになるなぁ』くらいしか思われてないよ?」
「恋愛対象外。」
「残念でした~♡」
レインの笑顔が引きつる。
「……い、言わせておけば!」
「あんたこそ、ヤヤ君のこと何もわかってないわよ!」
「何が?!レインちゃんの100倍は知ってるし!!」
「じゃあ、ヤヤ君の好きな食べ物、知ってる?」
「……え?」
ユウヒが固まる。
「…………。」
レインは勝ち誇ったように笑う。
「あははっ!やっぱりね!」
「そうめんとカップ焼きそばよ」
「やっぱり勝手に両想いだと思い込んでるだけじゃない?」
今度はユウヒのこめかみに青筋が浮かんだ。
「でも!」
「ヤヤ君、私といる時が一番楽しそうだもん!」
「この前だって私の最近気に入ってる花の話、ちゃんと聞いてくれたし!」
「高校卒業したらヤヤ君、絶対私にプロポーズしてくるし!」
レインは呆れたようにため息をつく。
「はぁ…………。藤堂アヤネと戦った時もそんなこと言ってたけど、約束でもしたの?」
「私の頭の中でしたよ。」
「してないじゃない!」
「心の中ではしてるの!」
「怖っ!」
レインは思わず一歩下がる。
「やっぱりあんたサイコパスじゃない!」
「失礼だなぁ!」
ユウヒも負けない。
「レインちゃんだって十分重いじゃん!」
「私がいない時、ヤヤ君とディズニーで写真何百枚撮ったの?」
レインは堂々と言い返す。
「八十三枚だけど?」
「うわぁ……。多っ!」
ユウヒが本気で引いた。
「詐欺師にだけは引かれたくないわ!」
「誰が詐欺師!」
「みんなで遊ぼうって言っておいて、ヤヤ君の隣を全部キープしようとしてたでしょ!」
「当然じゃん!私の未来の旦那さんだもん!」
「ヤヤ君はユウヒみたいな嘘つき詐欺師に騙されないわよ!!」
「レインちゃんみたいな糞ビッチにも騙されないと思うけどね!!」
二人は額を突き合わせる。
「ヤヤ君は私が好きなの!!」
「いやいや!レインちゃんはない!どうみても私でしょ!」
「私!」
「私!」
「私!」
「私!」
その後ろで。
ヒジリはしばらくぽかんと二人を眺めていた。
「……。」
「戦ってる最中だったよね?」
怪物までもが首を傾げ、三つの頭が同時に「ア……?」と間抜けな声を漏らした。
「……。」
「……。」
少しの沈黙。
それからユウヒとレインは、同時にヒジリの方を向いた。ユウヒがゆっくりと銃を構えながら笑う。
「……レインちゃん。」
「今だけは特別に協力してあげてもいいよ~?」
レインもラルムを構え直す。
「それ、私のセリフなんだけど。」
言い終えた瞬間だった。
お互いの口元がわずかに吊り上がる。
「……。」
「……。」
レインが小さく鼻で笑う。
「言いたいこと全部言ったら、少しスッキリしたわ。」
ユウヒも肩を回しながら笑った。
「うん。なんかイライラなくなった。」
「じゃあ。」
レインがラルムを肩へ担ぐ。
「目の前の気持ち悪いの、先に片付けましょう。」
「賛成~。」
ユウヒは銃を構える。
「早くあんな婚期逃してそうなババァ、さっさと倒して、ヤヤ君のところ行かなきゃ。」
レインが頷く。二人は前へ踏み出した。
その動きは――
さっきまでとはまるで違う。
怪物が六本の腕を振り下ろす。
ドゴォォン!!
ユウヒは右へ跳んでいた。
「レインちゃん、行くよ~!」
「どうぞ!」
パンッ!!
紅蓮の弾丸が怪物の膝を撃ち抜く。
体勢が崩れた一瞬。
「霜裂ッ!!」
ラルムが閃く。
氷の斬撃が六本の腕をまとめて切り落とした。
「アァァァァァァッ!!」
怪物が絶叫する。
ヒジリの笑みが初めて消えた。
「……え?」
ユウヒは笑う。
「レインちゃんってさ。」
「ムカつくけど。」
パンッ!!
再び弾丸。
怪物の目玉を正確に撃ち抜く。
「動きは嫌いじゃない。」
レインも口元を緩めた。
「奇遇ね。」
「あんたも性格は最低だけど。」
「腕だけは認めてあげる。」
「ありがと。」
「褒めても何も出ないわ。」
二人は笑いながら走る。
ヒジリが焦ったように両手を広げた。
「戻りなさい。」
「もっと一つになって!」
黒い靄が怪物へ流れ込む。
切断された腕が再生する。
しかし。
ユウヒはその瞬間を待っていた。
「レインちゃん!」
「分かってる!」
ラルムが大きく開く。
黒い傘の内側が闇に染まる。
「――黒環牢。」
影が怪物を包囲する。
逃げ場を失った。
「ユウヒ!今よ!」
「任せて!」
ユウヒの銃へ、無数の花弁が集まる。
赤。
青。
黄色。
白。
すべての花が一つになる。
「――フローラ・モルティス。」
銃口が輝く。
「咲き誇れ。」
パンッ――!!
放たれた一発は、影の檻の中で何十発にも分裂した。
ドドドドドドドドドッ!!
全身を撃ち抜かれた怪物の肉体が崩壊する。
再生する暇もない。
レインが静かに呟く。
「黒涙の雨」
黒い雫が降り注ぐ。
崩れた肉片一つ一つへ突き刺さり、
影が残骸ごと喰らい尽くした。
ズズズズ……
怪物は悲鳴を上げることすらできず、完全に消滅した。
「そんな……。」
ヒジリが初めて後ずさる。
「私の……家族が……。」
ユウヒは銃口を向ける。
「ゲームセットだね。」
レインもラルムを構えた。
「あなたが眠らせなかった人たちは。」
「私達が眠らせる。」
二人は同時に駆ける。
「「死ねぇぇぇ!!」」
ユウヒとレインの二つの異能が混じり合い、
服部ヒジリを飲み込んだ――。




