第80話「転校生はスーパーアイドル」
翌朝。
青山学園――
ヤヤはいつも通り落ち着いた様子で教室に入った。
窓際、いつもの席。隣にはユウヒ。
ユウヒは机に頬杖をつきながら、ちら、とヤヤを見た。
昨日の定食屋でのギャーギャーした空気が嘘みたいに、今日は妙に落ち着いている。
「おはよ~。ヤヤ君……今日、来るんだよね? あの人」
「おはよ。たぶん、来るんだろうな」
「ふぅん。……そっか」
さらっとした会話。
それは、まだ平和の証だった。
――この数秒後までは。
***
「きゃーっ!!ほんとにヤヤ君だぁぁ!!」
「ねぇ、昨日のテレビみた!? 鳳ツバサちゃんと映ってたのヤヤ君でしょ!?ねぇねぇ!!」
「中学の時どういう関係だったの?友達?幼なじみ?それともまさか……きゃああ!!」
ヤヤの机の周りに女子と数少ない男子が押し寄せ、蜂みたいに騒ぎ立てる。
ヤヤは明らかに面倒くさそうに眉を寄せた。
「ただの中学時代の友達だ」
「逆に怪しい~~!!」
「ヤヤ君って無口なのに、実はアイドルとつながってたなんて……!」
「ねぇねぇ、どういうふうに抱きつかれてたの? あの写真超可愛かったよね!!」
ユウヒは、視線をそらしながら唇をぎゅっと結んだ。
決して騒ぎには加わらず、ただ、頬の奥に火が灯ったような怒りを押し殺している。
しかし表情は崩れない。
崩さないように努力しているのが逆に痛いほどわかる。
そんな空気の中、
教室にチャイムが鳴り響いた。
***
「は、はーい、席につけー……って、お前ら全然ついてねぇじゃん。どーも、おはよう」
ホームルーム開始のはずが、カイトの声は若干震えていた。
何故なら――昨日のテレビショックをまだ引きずっている。
推しの熱愛報道という人生ダメージ9999は、教師魂でどうにかするには重すぎたらしい。
女子たちは、カイトの力なく笑った顔と、わずかに赤い目元に気づき、
「……東城先生、なんか……疲れてる?」
「昨日とは別人みたい……」
「もしかして……泣いた……?」
「えっ、パチンコのしすぎで目が!?」
などと囁き合うが、彼女らは真相を知らない。
「な、泣いてねぇよ!!!」
カイトは大声で否定するが、
どう見ても“推しショックで寝不足のオタク”にしか見えなかった。
「コホン……えーっと。今日は一限の前に転校生を紹介したいと思う。いいか。お前ら絶対騒ぐなよ?!」
その瞬間、女子達のテンションが一気に跳ねる。
「えっ転校生??」
「誰、誰~っ?!」
カイトは深呼吸し、ドアの方を向く。
「入れ」
ガラリ。
前のドアが開いた。
その瞬間、
時間が止まったように静まり返る教室。
そこに立っていたのは――
「はじめまして。星川ツバサです。
普段は“鳳ツバサ”って名前でアイドルやってます。これからよろしくお願いしますっ!」
眩しいほどの笑顔。
天使みたいなアイドルスマイル。
キラキラしたオーラが教室に充満し、クラス全員が息を呑む。
「……えぇぇぇぇぇぇっっ!?!?!?!」
悲鳴。
歓声。
叫び。
机を叩く音、椅子を蹴る音、奇声、崩れ落ちるものまで混ざっている。
まさに阿鼻叫喚。
「ほ、本物……?」
「うそ……夢……?」
「ちょ、ちょっと待って心臓止まるって……!!」
クラス中がパニックに陥る中、カイトは震えながらも教師モードを保とうと必死。
「お、落ち着け!落ち着け!全員落ち着けぇぇぇ!!」
声が裏返っている。
カイトはひきつった笑顔のまま、ツバサに指示を出す。
「え、えっと……星川、その……ヤヤの右隣の席だ。今日からそこを使え」
「はーい♪先生ありがとうございます!」
ツバサは軽やかなステップで歩く。
そして、ヤヤの右隣の席に座ると――
ゆっくりと、横目でヤヤを見た。
「ヤヤとまさかの隣だね~、
ふふっ……今日運いいかも♪」
「ほ、本当に来たんだな……」
声は小悪魔的で、艶があり、可愛さもある。
わざと距離を詰めて、わざと甘く、わざと親しげに言う。
教室中が静まり返った。
ユウヒの眉尻がほんの、ほんの少しだけ上がる。
(……ツバサ、死ね)
口には出さない。
笑顔も崩していない。
けれど、彼女の目の奥に燃える“何か”は、ヤヤの耳元までビリッと伝わるほどだった。
「よし……じゃあ一限は生物だな。えー、星川……教科書はまだないよな。……ヤヤ。お前、知り合いみたいだし見せてやれ」
女子達の甲高い悲鳴の後、
「わかった」とヤヤが頷く。
カイトはというと先生らしさを保とうとするが、声が明らかに震えている。
「きょ、今日のホームルームは以上!解散っ!」
カイトが逃げるように教卓に戻っていくと、
教室はまた微妙なざわめきで揺れ始める。
鳳ツバサが隣にいて、ヤヤの教科書を覗き込み、
ユウヒは静かに、ツバサだけを真っ直ぐに睨んでいた。
――明らかに、今日から“嵐”が始まる。
そんな空気が教室全体を包み込んでいた。
***
――昼休み。
チャイムが鳴った瞬間、弁当を広げるより先に、ツバサの席は人で埋め尽くされた。
「ツバサちゃん、サインしてぇぇぇ!!」
「質問してもいい!?ちょっとだけでいいから!!」
「ねぇねぇ、アイドルってどんな生活してるの!?スケジュールとかっ!」
まるで武道館ライブ後の囲み取材だ。
だがツバサ本人は、まったく動じず。
背筋を伸ばしてにこにこ笑いながら受け答えしている。
「てかさっきの英語の授業スゴくない?!ペラペラじゃん!」
「んー……お仕事で必要なときがあるから、ちょっとだけ勉強してるだけだよ?ぜんぜんペラペラなんてレベルじゃないよ~」
控えめに手を振り、照れた笑顔。
しかしその仕草がまた絵になるので、女子たちが一斉に崩れ落ちる。
「ひっ……ひかえめに言って天使……」
「いや待って声かわいすぎる……」
次の質問が飛ぶ。
「運動神経もすごいって噂聞いたんだけど!?」
「番組の企画でめちゃくちゃ速く走ってたよね!」
「えへへ。中学が陸上部だったの。短距離。だからちょっとだけ速い、かな?」
自分で“ちょっとだけ”と言いながら、全然ちょっとじゃない笑顔を向けてくる。
特に女子たちはさらに騒ぎ、机をバンバン叩いていた。そんな熱狂の渦中、とうとう核心の質問が飛ぶ。
「ねぇねぇ、ヤヤ君とはどういう関係なの!?」
「中学一緒だったんだよね!?」
「写真、めちゃ自然だったから……あれ、ただの友達じゃないよね?」
ツバサは、一瞬だけ言葉を止めた。
そして――
頬をほんのり赤く染め、ちら、とヤヤの方を見た。
「それは……」
その目線だけで、教室が「ひぃ……っ」と息を呑む。
男子は固まり、女子は耳まで真っ赤。
ツバサは少しだけ唇を開き、囁くように続けた。
「……ないしょ」
指先を唇に当てて、あざとくウインク。
それは“狙っている”と分かっていても抗えない威力。
その瞬間、全員が崩壊した。
「ぎゃあああああああ!!!」
「ウインクされた!!死ぬ!!!」
「内緒ってなに!!なにそれ!!尊い!!」
「ヤヤ君なにしてんの!!!」
「ちょっ、ちょ、待て……!何もねぇし!部活が一緒だっただけだろ!?」
珍しくヤヤが慌てて声を上げる。
普段ほぼ無表情で淡々としている彼が、顔を赤くして手までバタバタ動かしている。
その姿がまた女子の悲鳴を倍増させた。
「ヤヤ君動揺してるのレアすぎぃ!!」
「これは、これはもう……事件だ……!」
「尊すぎて無理……ほんと息ができん……!」
もはや昼休みの教室はカオスそのものだった。
その狂騒の中で、ただ一人――ユウヒだけは静かだった。
弁当を食べ終え、紙パックのいちごオレを吸いながら、
スッ……と立ち上がった。
「ツバサちゃん~?放課後、あいてる~?」
ツバサは質問攻めの真ん中から顔をあげた。
「あ、昨日の……えっと、あいてるよ?」
ユウヒは柔らかく笑う。
場の空気を軽くする、あのフレンドリーで親しみやすい笑顔。
「よかったぁ。私は浜中ユウヒ。放課後ひまなら、学校案内してあげよっか?
この学校ってさー、いろいろ変な道とかあって迷うんだよね。
ヤヤ君、ああ見えて方向音痴だし~?」
「あっ、それ助かる!ありがとう、ユウヒちゃん!」
「ううん、全然~♪ アイドルさんが来てくれるなんて嬉しいし?」
ツバサが微笑み返すと、周囲はさらに歓声をあげる。
「ユウヒ、神!」
「優しすぎる!聖母!」
「なんて天使同士の会話!!」
その声を受けながら、
ユウヒはにこにこと笑っていた。
……ただ、ほんの一瞬だけ。
笑顔の奥の瞳が、氷点下まで冷えた色に沈んだことに、誰も気づかなかった。
(ツバサ……。放課後、ふたりきりでお話ししよっか♪)
その無邪気な声の裏に潜む感情は――
教室の誰も、まだ知らない。




