第71話「さざ波に溶ける命の輝き」
瓦礫の隙間を縫うように、夜風が吹き抜けた。
硝煙と焼け焦げた空気を攫い、冷たい潮の匂いを運んでくる。
天井の崩れた商業施設の奥。
破壊された人形の残骸が、床に無数に転がっている。
無機質だったはずのそれらは、光を失い、ただの“壊れた物体”として沈黙していた。
その静寂の中で、シルファが一歩前に出る。
蒼い瞳が、まずカイトとユウヒを捉えた。
「……二人とも、怪我はありませんか?」
その声音は低く、冷静だったが、どこか柔らかさを含んでいた。
「平気平気~。かすっただけだからね~」
ユウヒが軽く手を振り、無理に明るい声を出す。
血の気の引いた顔色は隠しきれていないが、それでも立っている。
カイトは煙草を咥え直し、肩をすくめた。
「こっちも煙草一本分のダメージだな」
火を点ける指先が、わずかに震えている。
だが、それを指摘する者はいない。
ケイは短く鼻で笑い、低く呟いた。
「ならいい」
それだけ言うと、彼は視線を遠く――夜の向こうへ向けた。
崩れた壁の向こう、ガラスの割れた窓の先。
そこには、月に照らされた東京湾の闇が広がっている。
「ボスは、お台場海浜公園に向かった」
淡々とした声。
だが、その一言が空気を変えた。
「“異変の中心が、そこにある”と言っていた」
カイトの眉が、ぴくりと動く。
「……海浜公園?」
ユウヒが、はっと顔を上げた。
脳裏に、二つの顔が浮かぶ。
「それって……」
一瞬、言葉に詰まりながらも、続ける。
「もしかして、ヤヤ君とレインちゃん……」
カイトも、ゆっくりと頷いた。
「あいつら、俺たちと別れた後……確か、そっち方面だった」
沈黙。
誰も否定しなかった。
そのときだった。
――パンッ。
遠くで、乾いた銃声が夜を裂いた。
次の瞬間。
夜空を切り裂くような、まばゆい閃光が走る。
海の方角が、白く染まり、波間に光が跳ね返った。
「……今のは」
ユウヒの声が、かすれる。
ケイは一瞬も迷わず言った。
「行くぞ」
シルファも即座に頷く。
「急ぎましょう。……嫌な予感がします」
四人は同時に駆け出した。
割れた床を蹴り、瓦礫を飛び越え、夜へと飛び出す。
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お台場海浜公園。
雲一つない夜空。
満月が、海と砂浜を等しく照らしていた。
波が、寄せては返す。
白い泡が砂を濡らし、また引いていく。
その規則正しい音だけが、この場所に残された“日常”だった。
砂浜に、一人の男が倒れている。
――天草キョウ。
その身体は横たわり、胸元は深紅に染まっていた。
呼吸は浅く、断続的で、吐く息のたびに血が零れる。
その前に立つ男。
――遊佐アキト。
アウトロートリガーを構えたまま、感情の読めない瞳で見下ろしている。
月光が、彼の輪郭を冷たく縁取っていた。
キョウは、苦しげに息を吐き、かすかに笑う。
「……まさか、君が……“光のアウトロートリガー使い”とはね……」
砂を掴もうとして、指先が力なく滑る。
「……誤算……だったよ……」
アキトは答えない。
ただ、銃口をほんのわずかに下げただけだった。
キョウは、ゆっくりと夜空を仰ぐ。
満月が、滲んで見えた。
「……遊佐カオリ」
その名を、静かに呼ぶ。
「今ごろは……茜坂ケイと、シルファにやられているだろう」
波音が、二人の間を満たす。
「君の妹だ……」
アキトの表情は、まるで動かない。
「……それが?」
低く、冷たい声。
キョウは、わずかに目を見開いた。
「……気にもしないのか」
「興味ないよ」
即答だった。
「妹と過ごした記憶がないから」
その言葉に、キョウは短く息を吐く。
「……そうか……」
血を吐きながらも、言葉を続けた。
「……この先も……無意味な殺しを続けるのかい……?トワは……もう死んだ」
断定するような声音。
「……計画の核は……存在しない……
エクリプスは……事実上、終わりだ」
だが――
アキトは、鼻で笑った。
「終わってない」
銃を、再び構える。
「トワ様が死んだとしても、命令がなくなったわけじゃない」
月明かりが、アキトの目を照らす。
「日本は――僕が壊滅させる」
キョウは、その言葉を受け止めるように、しばらく黙っていた。
やがて、ゆっくりと笑う。
怒りも、恐怖もない。
「……君はもう……人間じゃない」
静かな声。
「怪物だよ」
息を整え、最後の力で言う。
「……だが覚えておけ、遊佐アキト」
波が、強く砂浜を叩く。
「破壊の果てに残るのは――
“支配”じゃない……“孤独”だ……」
アキトの目が、わずかに細くなる。
「忠告は終わりかい?」
「……ああ」
キョウは、静かに目を閉じた。
「やるなら……迷うな……」
引き金。
乾いた銃声が、夜を裂いた。
弾丸は一直線に――キョウの心臓を貫く。
身体が、砂浜に沈む。
波が、血を洗い流していく。
完全な沈黙。
――そのとき。
「……ボス……?」
震えた声が、背後から届いた。
ヤヤとレインが、砂浜に立っていた。
倒れたキョウ。
銃を下ろすアキト。
一瞬で、すべてを理解する。
「……うそ……」
レインの足が崩れ、そのまま砂に膝をつく。
「……そんな……」
嗚咽が、喉で潰れる。
ヤヤは、立ち尽くしていた。
目を見開き、涙が頬を伝う。
「……なんで……」
胸いっぱいに息を吸い――
叫ぶ。
「アキトォォォォ!!」
夜空に、悲鳴が響いた。
アキトは、ゆっくりと振り返る。
ヤヤと、目が合う。
距離はある。
だが、その隔たりは――
もう、決して埋まらない。
波の音だけが、変わらず続いている。
ずっと、ずっと。
月は静かに――
すべてを照らしていた。




