第68話「笑わない街と、動く人形」
時刻は十九時。
夜空には、くっきりとした月と、いくつかの星が浮かんでいた。
潮の匂いを含んだ風が広い歩道を吹き抜けていく。
お台場――本来なら、観光客とカップルで溢れているはずの場所。
だが、そこには誰もいなかった。
ヤヤ、カイト、ユウヒ、レイン。
四人は、ゆっくりと歩きながら周囲を見渡す。
建物は無傷だった。
ショーウィンドウは割れていない。
ネオンも、ところどころ点いたままだ。
それなのに――
人の気配だけが、完全に消えている。
「……静かすぎない?」
ユウヒが、思わず声を落とす。
「ああ。避難したってレベルじゃないな。
生活音がゼロだ」
カイトは足を止めずにそう答える。
ヤヤは何も言わない。
ただ、胸の奥に広がる嫌な感覚を、言葉にできずにいた。
――何かが、すでに終わっている。
「……二手に分かれよう」
しばらくの沈黙の後、ヤヤが言った。
「敵がいるなら、隠れてるはずだ」
ヤヤとレイン。
カイトとユウヒ。
互いに視線を交わし、無言で頷く。
「いい?何かあったら、すぐ連絡するのよ!」
レインがそう言い残し、ヤヤと並んで歩き去った。
残されたのは、カイトとユウヒ。
「さてと……俺達は建物の中を探すか」
「うん。もしかしたら建物の中なら一般人もいるかもしれない。そしたら何があったか聞けるかもね」
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彼らが入ったのは、湾岸沿いに建つ大型商業施設だった。
ガラス張りの天井。
吹き抜けのフロア。
昼間なら、子どもの笑い声と音楽で満たされているはずの空間。
今は、足音だけがやけに大きく響く。
「……今ヤヤ君、レインちゃんと二人きりかぁ」
ユウヒが、場違いなことを言った。
「今それ言うか。まぁ油断はしてないようだが」
カイトは苦笑する。
しばらく沈黙が続いたあと、ユウヒがぽつりと切り出した。
「ねぇ……」
「ん?何だ?」
「私と出会う前のヤヤ君って、どんな感じだったの?初めて会った時とか」
カイトは一瞬、視線を前に固定したまま考えた。
「そうだな。一言で言うなら――壁だらけだったな」
「壁?」
「ああ。誰も信用してないって顔をしてた。
人間不信っていうより……世界そのものを疑ってる感じだ」
ユウヒは、意外そうに目を瞬かせる。
「今のヤヤ君からは、想像できないけどなぁ~」
「だろ?」
カイトは小さく笑った。
「あんなふうに明るくなったのは、ほんと最近だ」
ユウヒは歩きながら、胸の前で指を組む。
「……ヤヤ君、変われたんだね」
「たぶんな。」
少し間を置いて、ユウヒは次の質問を投げる。
「じゃあさ。次レインちゃんのこと聞いていい?」
「ん?レインか?何が知りたいんだ?」
カイトはタバコの煙をふかせた後、スーツのポケットに手を入れる。
ユウヒは意地悪な笑みを浮かべ、前から気になっていたことを尋ねる。
「ねえカイト君ってさ……ヤヤ君と会う前にレインちゃんと、付き合ってたりしなかったの?」
少し間を置いて、楽しそうに続ける。
「二人とも遊び人じゃん。気が合いそうだなぁと思って 」
その瞬間、カイトの足が、ほんの一拍だけ遅れた。
「付き合ってない。付き合う気も未来永劫ない。レインと恋人は無理」
即答だった。
ユウヒは意外だといった表情をする。
「えぇぇ~?レインちゃん超美人じゃん。カイト君とお似合いだって」
その言葉にカイトはユウヒの考えを察したのかクスリと笑う。
「ふっ……お前。そういうことか。
マジで腹黒い現役JKがやりそうなことだな」
「な、何?」
ユウヒはカイトに考えが見透かされたような気がしたのか目をそらす。
「お前性格悪いよな。レインが俺とくっつけば、ヤヤは自分のものって考えてんだろ?」
「……っ!!な、な、何を言ってるのかわかんないな~」
ユウヒは図星をつかれたのか先ほどの落ち着いた雰囲気はすっかり消え失せていた。
そんな中、カイトはさらにユウヒの度肝を抜く話をし始める。それも平然と。
「まぁレインとは昔、セフレだった時期はあったがな。お互いに恋愛感情はなかったが」
「……………………へっ?いや、今なんて?」
「ん?セフレだって。セックスフレンド」
「………………」
ユウヒは徐々に理解していく。その言葉の意味を。
顔を真っ赤にしてから、うつむきながらポツリと独り言を言う。
「……ダ、ダメだよ。……そ、そういうのは大好きな人とじゃなきゃ……」
「俺とレインは元々水商売してたからな。俺はホストでレインはキャバ嬢。自然と不特定多数とそういう関係になったりすんだよ」
「へ、へぇ……」
今度はカイトがユウヒに冗談を言ってからかう。
「案外レインの奴、ヤヤとヤったことあったりなっ!!ははっ!!!」
「ないよっ!!絶対っ!!」
即答。
そんなことはあってはならないと思いながらユウヒは首をブンブンと首を振る。
(あり得ない、あり得ないけどさぁ……もしヤヤ君が……レインちゃんに食べられてたら、私……絶対立ち直れない、生きていけない……あぁ、やだな。やだよ。泣いちゃうだろうな……)
カイトの続く言葉は慎重だった。
「でも、レインはヤヤを狙ってるだろうな。なんせ
アイツの初恋みたいだし。今まで遊んできた男とは違うだろ」
ユウヒの胸が、きゅっと縮む。
しばらく沈黙。
やがて、ユウヒは小さく、しかし確かな声で呟いた。
「……絶対、レインちゃんには取られたくない」
カイトは、横目でユウヒを見た。
その表情に、冗談の色はなかった。
――その瞬間だった。
空気が、変わる。
「……止まれ」
カイトが低く言った。
肌が粟立つ。
背中を、冷たいものがなぞる。
異能の気配。
それも――ひとつやふたつじゃない。
視界の端で、何かが動いた。
フロアの奥。
エスカレーターの影。
店舗の暗がり。
――人影。
だが、歩き方がおかしい。関節が、ぎこちなく折れ曲がる。
「……人形?」
ユウヒが息を呑む。
その数は、一体、二体……増えていく。
そして吹き抜けの中央。
少し離れた場所に、ただ一人、直立している人間がいた。
動かない。
逃げもしない。
長い髪をゆるく束ね、伏し目がちな横顔。
まるで――
この空間すべてを、待っていたかのように。
「……あいつが、元凶だ」
カイトが、確信をもって言う。
その女が、ゆっくりと顔を上げた。
遊佐カオリ。
無機質な視線が、二人を捉える。
同時に、背後で人形たちが、一斉に動き出した。




